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月島とは、島全体が弓なりの形をしていることからつけられた名だと、潤が教えてくれた。瀬戸内海にぽつんと浮かぶ三日月。その昔、この小さな島を拠点にしていた荒々しい水軍もいたと聞く。その名残をとどめるかのように、見渡す限りの海原にはいつもどこかの漁船が航行している。晴れた日には本土の姿までもがうっすらと浮かんで見える。島全体に染みつく磯の匂い。身体に吹きつけてくるのは強い潮風。島を取り囲むのは、沖縄のような鮮やかなライトブルーではなく、のっぺりとした深い紺碧の海。日の光がぎらついて反射する海。
だが夕焼けがこの海に訪れると、それは金色の衣装をまとった荘厳な姿に変貌する。揺らめく赤い太陽を真っ黒な漁船が影絵のように切り取り、波のひとつひとつが光を放ち、どんな巨匠でも描くことのできない天然の名画を創りあげる。
「瀬戸内の夕日は世界一じゃぁ」
島の神様と同じくらいに信じられている風景。この島に初めて降り立ったとき、この夕焼けの美しさに思わず息をのんだ。
もうひとつ、この島で初めて見たもの、それは春先の地引き網漁だ。潮風とゆるんだ日差しに紛れて威勢のよい掛け声が島中に響き渡る。人間の力強さというものを目の当たりにして身体が少し疼いた。誰かとつながる感覚がこれほど健全なまでに濃密なのは、ここが神の棲む島だからか、それとも単なる風土の違いに私が戸惑ったためか。どちらにせよあまり深く考えないことにした。考えるだけ無意味だ。ここでは、目に見える現実だけを素直に投影させればそれでいい。よけいな思考も雑多な時間も、すべて身体から失ったくらいの状態が一番心地よく、一番自然なのだ。
月島に赴任が決まったとき、私の周りの人間は三通りの反応の仕方をした。両親は「島の人間は都会と違って優しいだろうから仕事しやすいだろう」と喜んだ。短大保育科の同級生からは「あんな辺境に」と同情された。高校時代の友人たちは「Mステも映らない田舎へいくんだ」と笑ってくれた。しかしどの反応も間違っていた。島の人間はあけっぴろげにも見えてその実保守的で、新参者の私をそれはそれはこと細かく観察してくれた。おまけに保育所の所長はこの道何十年というベテランで、新人の私に対して保育の重要性とやらを(しかもやたら古くさいヤツを)しつこいくらいに教示したりと、いやに厳しかった。また月島は、たしかに高校もなく、スーパーもひとつっきりで、下水道が何年か前にやっと常備されたという島だが、じつは本土まで船で一時間もかからない。これは島の中でもかなり恵まれているほうだ。それにMステが映らないというのは間違いで、島全体にケーブルテレビが普及しているおかげで、Mステどころか本土ではお金を出さなければ見ることができなかったCS系の番組が毎日見られる。そうでもしなけりゃやってられない。こんな狭い島で娯楽といったらテレビくらいなものなのだから。
島の生活で一番に困ることは本屋さんがないということだった。スーパーに簡単な雑誌や古くさい文庫が置いてあるだけで、文学書や新刊の類いは滅多に手に入らない。活字中毒の私としては痛いところだ。
もうひとつの困り事は、私が魚介類が苦手だということ。焼いたり煮たりした魚はまだ平気だが、生魚は触ることすら難しい。あの生臭さが鼻にくるだけで私の口は貝のように閉じてしまう。貝といえば、私はこれも食べられなかった。たとえばサザエなんて、内臓を食べるみたいで気持ち悪いことこの上ない。
だがここは島で、島民の多くが漁業に従事している村で、もう魚介類が主食のような世界だ。絶対に島の人間にはなりきれないなぁと思いながら、自分で作った卵やら肉やらの料理をひとりで黙々と食べる日々が続いている。
月島保育所には十一人の子どもたちが預けられている。上は六歳、下は三歳。最近は幼稚園にまで学級崩壊やお受験が広がっているという事実は、本土で就職した友人たちから散々聞かされていたが、ありがたいことにここではそれがない。純粋に子どもらしい子どもが多くて、それはそれで大変だがほっとする。保育士は二人、所長と私だ。所長から見れば私だって子どもみたいなもので、そりゃもう徹底的に教育されるから勉強にはなっている。少し気難しい人ではあるが嫌いではない。子どもたちにも好かれてはいるみたいだから、今のところ職場に行くのは楽しい。カラオケもハーゲンダッツもスタバもないのは二十歳の娘には少し寂しいけれど、なければないで済むものだ。
その代わりに手に入れたものがある。それは天気のいい日に見られる瀬戸内の夕焼けだ。海や太陽や空気といったものは、その日によって色を違えるものなのだということを、私はここで学んだ。暇なときの夕方の散歩は習慣になりつつある。
潤と初めて会ったのも夕方の散歩のときだった。トレーナーにジャージといった職場服を着替えて、ニットのアンサンブルにロングスカートなんかはいて、気分は行ったことのないニースの海岸辺りを歩いていた。吹きつけてくる潮風の匂いが私の妄想を簡単に打ち消してくれていたけれど。
夕日にはまだ少し早かった。私は港を通り過ぎて岩場に向かっていた。こちらの方が人気がないので、私の散歩コースにもってこいだ。出会う人出会う人に声をかけられることが時に辟易するのは、やはり自分が余所者だという一種の優越感と引け目が拭いされないせいかもしれない。しかしながら原因がわかったからといっても対処のしようがない。
だからこうやって時々回避する。回避することによって私の呼吸も楽になる。この島は居心地が悪いわけでは決してない。ただ私にとってまだ少し遠いだけだ。
五月の終わりの風はこの時間になると少し冷たかった。けれどやがて来る季節を確実に感じさせていた。湿り気のある重苦しさが吸いこんだ空気にしっかり溶け込んでいる。これから梅雨になって、やがて暑い暑い夏がやって来るのかと思うと一気に憂欝になった。この島の太陽はひときわ照りつけてきそうだ。たとえ海を避けたとしても、髪も肌もぱさぱさになるに違いない。何ひとつ潤う要素がないときている。
せめて短い夏休みくらいは誰かと一緒に過ごしたい、それも本土で。ここと同じくらい暑いだろうけど、ここ以上にうるさいだろうけど、見間違うことのない形作られた安心が、あっちの大陸にはある。
そう思いながら海に目を向けると、突然、波間にふっと影が浮かび上がった。
思わず足を止め、目を凝らして海を眺めた。一瞬、鳥か何かだと思ったが、それは黒い頭を海の上に出したまま、波を器用に掻き分けてだんだんとこちらに近づいてきた。
(何……?)
瞬きした瞬間、物体は目の前に広がる岩陰に隠れて一瞬見えなくなった。かと思うと黒い手がぬっと伸びてきて、ごつごつした黒い岩肌をがっちりと掴んだ。
そしてその腕は、力を込めたまま少しも震えることなく、ザッと勢いをつけて一気にその全身を岩の上に這い上がらせた。
言葉を発することも忘れて、私はその光景を見続けた。日の光の下に晒されたそれは、男の人の姿をしていた。手で顔を乱暴に拭いながら、置いてあった白いタオルを掴んで頭にかぶせ、二、三度掻き回した。そしてその猛々しい岩に座りこんで、脚を無造作に海へと投げ出した。
飛沫の残る裸体が、彫刻のような滑らかでみずみずしいラインを描いていた。微かに上下する日に焼けた胸が、まだ形に成りきることのない崇高な若さを感じさせた。
ふうっと息を吐いた彼がようやくこちらを向いた。額にはりつく日に焼けた髪、太い眉、あどけなさの残る黒檀のような瞳、厚ぼったくて少し荒れた唇。
不意に風が彼の匂いも一緒に運んできた。
海から生まれてきた少年、それが潤だった。