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東部開戦

 

 アロルドの率いるヴェルマー侯爵軍がリギエルによって西部で足止めをされている頃、アドラ王国の東部ケイネンハイム大公領でも戦いが始まっていた。その幕開けはというと――


「それで、皇女殿下は我々に協力を求めると?」


 ケイネンハイム大公領、その領都ケイングラートにある大公の屋敷でケイネンハイム大公ワーデン・ケイネンハイムは帝国の使者と面会の最中であった。


「その通りです。我々はケイネンハイム公の手腕を高く評価しており、対等な立場で盟約を結びたいと考えております」


「皇女殿下が一介の貴族に対して、そのような申し出をしてくださるとは光栄の極みですな」


 ワーデンは笑みを浮かべる。提示された待遇は破格の物。多少の税を納めることは要求されているが、東部の統治に関して全権を委任するという旨が皇女ライレーリアの言葉で伝えられている。皇族の言葉というのは、絶対的な拘束のようなもので、皇族が言葉や文書に記した物は帝国においては反古にされることはないとされる。

 ――もっとも、それは表向きのことで実際は帝国においては皇帝の権限など大したものではないため、皇族の言葉だからと言って尊重されるわけでもないとワーデンは知っている。目の前の使者はワーデンが帝国の事情に詳しくないと考え、皇女の言葉など持ち出しているのだろうが、詰めが甘いとしか言いようがない。

 アドラ王国の大公家の事情を知っていれば侮りたくもなるだろうが、だとしても侮られるのは面白くなかった。


「しかしながら、我々に王国への忠誠心があります故、すぐに返事というのも難しい」


 だが、帝国はすぐに返事をしてもらいたいはず。

 侮っているとはいえ下手したてに出るような態度は、皇女殿下の王都の統治が上手くいっていないためで、何かしらの成果を上げて、実力をアピールしたいのだろうとワーデンは読んでいた。


 まずは西部を制圧し帝国の軍事力を知らしめる。

 王国貴族の連合軍には勝ったが、それでも帝国に対して抵抗する勢力は多く、アドラ王国全土で見れば帝国に従う貴族たちは少ない。そこで、帝国の更なる力を見せ、抵抗勢力の気勢を削ぎ、恭順を促そうというのだろう。だが上手くいかなかった。

 ワーデンは養子であるヨゥドリからヴェルマーとアロルドの動きについて報告を受けている。ヴェルマー侯爵軍の参戦で帝国の西部における計画は停滞を余儀なくされており、結果として帝国の強さではなく弱さをアピールすることになってしまったとワーデンは思う。


「一応これでも私は東部の領主貴族の代表のような役割でして、私の言葉は東部全体の言葉と捉えられるため、他の者と協議し、慎重に決定する必要があるかと。返事に関してはその後ということになりますので、やはり時間はかかるかと」


 時間がかかれば、帝国は厳しくなる。

 王都の周辺と王国南部を手に入れているとはいえ、それは領主貴族も含めて、そこに暮らす者たちが利があるから従っているから支配できているに過ぎず、帝国の味方をしても利益が無いと気づけば簡単に裏切る。

 いつまで経っても勢力を拡大できないような力の無い主に仕えていられるほど、アドラ王国人というのは甲斐甲斐しい人種ではない。

 他国の者を見る機会の多いワーデンは他国の者と比較し、アドラ王国人というのは恐ろしく殺伐とした民族であると知っている。文化と文明で誤魔化しているが、根底にあるのは殺るか殺られるかの精神で、隙を見せたら殺すという意思が、表には出ていないが確かにある。

 そんな者たちを治めるには力を見せなければいけないわけだが、帝国はそれに失敗している。


 帝国はここで東部の力を借りて、西での戦いに勝利するか、もしくは王都と南部で東部の協力を得られたので、帝国の支配は盤石になったとでも宣言するつもりなのだろうとワーデンは考える。

 東部の豊かさはアドラ王国に住むものならば誰でも知っている。東部が手を貸せば、帝国は財政的な心配は無くなるだろうと考える者もいるだろう。


 ワーデンは東部を治める自分の言葉が大きな影響を与えると確信している。だが、それ故に思うこともある。


 ――自分を買うには物足りなくないか?

 使者の用意した書面には東部全域の統治を認めるとあり、それには皇女ライレーリアの署名(サイン)もあるがそれだけだ。それだけで自分の手を借りようというのは、だいぶ安く見られているとワーデンは感じた。

 そもそも認められるも何も、ずっと昔から東部はケイネンハイムの物であり、今更認めてもらう必要もないくらい東部に暮らす者たちは皆、ケイネンハイム大公家こそが東部の王であると認めている。

 それはアドラ王家よりケイネンハイム大公家を優先するほどで、東部においては大公家の権力の方が上だ。それなのに、わざわざ帝国から認めてもらう必要があるか?


「大公閣下――無礼を承知で申し上げますが、時間稼ぎは愚策とご承知ください」


 帝国の使者が鋭い目でワーデンを睨むが、ワーデンは平然としている。


「帝国の要求を退けた西部の貴族がどうなったか知らぬわけではありますまい。我々が重要視しているのはケイネンハイム大公家の東部貴族の盟主たる地位であり、大公家自体は重視しておりません。大公家に成り代わって東部の盟主たらんと考える輩は多いはずですので、我々としてはそのような者を支援し、東部を取りまとめてもらえば良いだけです。そのことをお忘れなきよう」


「脅しているように聞こえるね」


「そう取っていただいて結構でございます」


 使者の言葉にワーデンは肩を竦める。

 どうやら帝国は想像以上に困難な状況にあるようだとワーデンは使者の言動から察した。こんな安い脅しをしなければいけない上に、こんな安い脅しを出来るような恥知らずを使者と送り込んでくる程度には人手も足りていない。もっとも、ワーデンの知る限りではライレーリアは皇族の末席であるのだから自由に使える人材が少ないという事情もあるのだろうが、それにしたって程度が低いとワーデンは思わざるを得なかった。


「なるほど、速やかに協力を表明しなければ、どうなっても知らないと言いたいのかな?」


 ワーデンは帝国からの文書を手に取り、その内容をしっかりと確認し、そして――


「だったら、拒否一択だ」


 ライレーリアの署名がされた文書を破り捨てた。


「君たちに手を貸すなんてあり得ないね。こんな脅しをかけないといけないほど切羽詰まってるような奴らに手を貸す? 負けが予想出来る奴らに手を貸してどうするんだい?」


 帝国の使者はワーデンを睨みつける。

 ただ、この結果は予想していたものなのか、ワーデンの答えに対して衝撃を受けたような様子は見られない。


「本当によろしいのですか? 帝国の要求を退けた場合、どうなるか説明したと思いますが?」


「そちらこそ本当によろしいのかな? 君たちは知らないのかもしれないが、東部貴族はつながりが強いんだ。それこそ、ガルデナ山脈の向こう側にヴェルマー王国が健在で、イグニス帝国が王国の一地方だったころから、ケイネンハイム家を中心にこの地を治めてきた仲間同士、ちょっとやそっと見返りでケイネンハイム家を敵に回すような者はいないよ」


「それならば武力で制圧するだけです」


「それこそ無理だろう。君たちに西と東の両面を敵に回して戦えるような体力は無いはずだ」


「東部は弱兵ばかりと聞いていますゆえ、帝国軍ならば消耗も無く容易く蹴散らせるでしょう」


「言い様は強気だね。だけど、そんな言葉に反して帝国は随分と余裕が無いように感じるけれど、そんなに皇女殿下の統治は上手くいっていないのかい?」


 帝国の使者は黙ってワーデンを睨みつける。

 鋭い視線を受けてもワーデンを怯むことは無く、飄々とした様子で肩を竦める。


「まぁ、良いだろう。言いにくいこともあるだろうからね。とにかく、ケイネンハイム大公家は帝国の要求には従わないということだけは理解して欲しいね」


 使者はワーデンに対して敵意を隠さない。

 そんな使者に対して、ワーデンは穏やかな調子で語り掛ける。もっとも、それは使者への物ではなく、使者を遣わしたライレーリアへ伝えるための言葉だ。


「皇女殿下に関しては、私は帝国における皇族の立場も知っているので同情の余地が無いわけではないが、自分の功名心のためだけに他国を侵略することに関しては私は容認できない。野心があるのも悪いことではないが、野心に踊らされているのもいただけない。そういう人間は破滅するのが世の常だ。そういう人間に付き合って、一緒に破滅する気は無いよ。

 ――つまり、何が言いたいのかと言うと、私は最初から帝国の味方をするつもりはなかったってことさ。どんな見返りを用意されても協力はしなかっただろうから、私と話すためにしていたことは全部、無駄だったってことさ」


「敵対する意思を隠すつもりはないと?」


「そう言ったろ? 私の言ったことはそのまま伝えてくれて結構。私が言わなかったことを付け加えても構わないよ? 私が皇女殿下を侮辱したとか言ってもらっても構わない。何を言おうと東部は帝国と敵対することを選んだんだからね」


 ――それでは、お帰りください。

 ワーデンが退室を促すと、使者は何も言わずにその場を立ち去った。

 完全に敵と見定めたのか、大公に対する敬意を見せることも無かった。


 帝国の使者が部屋を出ると、その直後、応接間の壁が開き、壁の中から何人もの男たちが現れた。

 それは東部の貴族達で、彼らはケイネンハイム大公と帝国の使者の会話を応接間の隣にある隠し部屋から覗いていたのだった。


いくさになってしまいましたなぁ……」


 隠し部屋から出てきた貴族たちは一様に困った表情を浮かべていた。


「仕方ないとはいえ、戦はなぁ……」

「我々は弱いからなぁ」


 東部貴族の大半は帝国には義が無いと感じているため、帝国に従うことを良しとはしておらず、帝国との戦いも賛成である。しかし、戦うこと自体には積極的であっても戦えるかどうかは別の問題である。


「我々は戦うのが苦手ですからねぇ」


 微笑みながら、そう言うケイネンハイム大公も子供の頃に剣の稽古で、自分が振り回した剣で自分の足を切ったことがあり、その時に自分に武芸の才が無いことを悟っている。


 ワーデンに限らず、東部の者たちの多くは荒事が苦手だった。

 それは運動能力というより、土地柄から来る気性の問題や民族性が大きく関係している。

 東部は他のアドラ王国の地方と比較すると遥かに暮らしやすい環境だった。気候は穏やか、自然豊かなのにも関わらず、魔物は少なく人が容易く森の恵みを得ることができ、その上、農地に出来る土地に恵まれている。

 魔物に襲われることも無く、人が飢えることもない環境であるので争いごとに縁が無い者も多い。そういう環境であるから、人々は安心して暮らし、教育や文化の発展に力を注いできた。

 その結果、穏やかで争いごとの苦手な気性を持つ者が東部には多くなっていた。


 一応、アドラ王国人は民族の精神の根底に殺伐とした部分があり、殺るか殺られるかの世界に適応しやすいので、東部人もそういった部分がありそうなものだが、実の所、東部人は民族のルーツを他のアドラ王国人と異にしている。

 西、中央、南のアドラ王国人は元を辿ればガルデナ山脈を越えてきた旧ヴェルマー王国からの入植者たちであり、戦闘民族のヴェルマー人の気性を引き継いでいる者たちなのに対して、ケイネンハイム家をはじめとした東部人はアドラ王国の土地に先住していた、農耕民族であるので民族のルーツから来る、気性の違いというのもあるのかもしれなかった。


「とにかく我々だけでは、どうにもならないということだけは分かりきっています」


 武器はあるし人も多い。

 冒険者ギルドからノウハウを得た銃器工場で生産される銃と弾薬で兵は武装している。

 ただ、東部人の兵士は撃つ時、目を閉じてしまうので弾が当たらないため、役に立たない。

 じゃあ、剣やら何やらで武装するかと言っても、相当に訓練しないと腰が引けているのが治らない。

 正義や信義を理解し、それに殉じることは素晴らしい考え、戦う前は戦意旺盛な兵が多いが、実際に戦うとなると、震え上がって、命令も無しにジリジリと後ずさる。それは兵士だけでなく指揮官も一緒に後ずさるので誰も咎める者もない。


 こんな風に戦いに関しては非常に頼りにならないのが東部人であった。

 とはいえ、文化的に優れ、民度も高い東部人は義理や人情、正義や信義に篤いため、不当な手段で王国を占領した帝国に対する憤りは強く、戦力的には弱小ながら戦いも辞さないという強い意志を持っていた。


「だけど戦わないという選択もあるまい。王都を騙し打ちした帝国は許せんぞ」

「それは同意だ。しかし、どうする? うちの騎士は騎士なのに乗馬が苦手な者も多いぞ」

「我が家は平均年齢が60歳だぞ。若者は文官になりたがるからな」

「私の所も肉体労働は嫌だという若者が多いから、騎士は少ないな」

「私の家の騎士団は、先代、先々代の頃から仕えてくれる者たちのための老人介護施設代わりになっているなぁ」


 やる気があっても実力は伴わない。

 この場にいる貴族たちに王都奪還にかける思いは本物であり、帝国打倒の決意も強いが、それだけだった。

 もっとも、そんなことはケイネンハイム大公ワーデン・ケイネンハイムにとっては分かりきっていたこと。何の考えもなしに、弱小の東部貴族で帝国に対して戦いを挑むような愚かな真似はしない。


 ワーデンは応接間の窓からケイングラートの街を眺める。

 視線の先にはケイングラートの巨大な港があった。アドラ王国最大の港を有するケイングラートの港に多くの船が停泊していた。


「ふむ、予定していた日時より早いか」


 視線の先の港がにわかに慌ただしくなる。

 それは新たな船の寄港によるもので、やってきたその船に積まれたものこそがケイネンハイム大公の切り札であった。


「諸君、私に考えがあるのだが聞いてはくれないだろうか?」


 ワーデンは港に船が停泊するのを見届け、そして部屋の中で議論を交わす東部貴族達へ向き直ると、自分が用意した、策を披露するのだった。







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