凶剣は渇望する
生まれてくる時代を間違えたと思うようになったのはいつからだったろうか。
退屈な時代だ。多少の命の危険はあるものの、賢く立ち回っていれば、死にはしない。戦など、数十年も起きていない。
平和な時代なんだろう。他の奴は、そう思っていないのかもしれないが、俺にとっては平和に過ぎる時代だ。平和が悪いことだとは言わない。だが、俺は、このぬるま湯に浸かったまま腐り落ちていくような感覚には耐えられなかった。自分の限界を確かめることもできずに、ただ無為に時間が過ぎていき、平凡に死を向かえるなど御免だ。
俺はたいしたことは望んでいない。ただ、刺激が欲しいんだ。じりじりと肌を焦がすような緊張感を味わいたい、断崖に向かって一直線に突き進んでいくような破滅を感じたい。自分の全てを出し尽くして、限界を理解し、無様に倒れたい。命を燃やし尽くして死にたい。俺の望みはそんなものだ。
昔は良かったようだ。戦ばかりで、世は乱れて、幾らでも俺の望みが叶う場所はあったという。だが、今の時代には、そんなものはない。だから、俺はそれを必死で探した。無いなら、作れば良いとも思った。
始まりはいつだったか。たしか、路地裏で馬鹿な男を斬り捨てた時だっただろうか。思えば、あれが初めての実戦であり、殺しだったように思う。
相手が俺に対して向けてくる真剣と殺気、一歩間違えば死ぬかもしれないという緊張感に俺は快感を覚えた。生まれて初めて感じる充足だった。延々と剣や武術の修行に明け暮れて限界を確かめようとしていた時には、味わえなかった興奮に俺は我を忘れて、歓喜のままに男を斬り捨てた。
それが始まりだった――
それから、俺は人を斬って回った。初めて味わった興奮をもう一度味わうために。
最初は街のゴロツキを狙った。一般人を斬っても、闘争心や殺意が弱いために興奮は味わえないと理解していたからだ。ゴロツキどもは中々に良かった。技量が低いので、俺の限界を感じることは出来なかったが、俺に向けてくる殺意は充分で、それだけでもゾクゾクとしたものだ。
ゴロツキを粗方殺し終えので、武芸者を狙い始めたが、高名な武芸者はつまらなかった。お上品に過ぎて、むき出しの殺意がない上、殺し合いに及び腰で、俺を興奮させるには足りなかった。それに、すぐに降参するのもいただけない。一度斬り合いを始めたら、どちらかが死ぬまで続けるという感覚が無いから、すぐに負けを認める。俺としては、それは面白くなかった。戦いの緊張感を著しく削ぐ行為だ。そういう輩を俺は問答無用で斬り捨てた。こういう奴らがいるから、世の中はぬるま湯のようになっていく。俺はそれを止めるために斬った。
有名どころを粗方斬り終えたので、少し小物を狙うことになったのだが、武芸者の中でも、名前が売れていない者は良かった。皆が大抵必死で、失う物がないから、どんな手を使っても生き残ろうとするし、こちらを殺そうとしてくる。最高に良い時間を過ごすことができる相手だった。
そうして、俺は俺が満足できる瞬間を過ごすために人を斬り続けていたのだが、気づいたらめぼしい相手がいなくなっていた。
そして、家の跡継ぎが弟になっていた。
俺は殺し過ぎたらしい。武芸者同士の果たし合いでは、殺しの罪を負うことはないとはいえ、それでもやりすぎだったらしい。あまり興味は無かった。家など、俺にはどうでも良かった。ただ斬り合いが出来れば、それで充分だったからだ。
だが、それも上手くいかなくなった。俺の事を恐れてか、武芸者がヴィンラント子爵領を訪れなくなったのだ。結果、俺の日常は退屈なものとなった。
戯れに領内に現れる魔物を斬っても、何かが違った。つまらなくは無い。命のやり取りと戦いの緊張感を味わい、一時の満足は得られるが、心の底からの充足は得られなかった。
そうして、満足できないでいた頃に、弟に自由騎士団という物を押し付けられた。まぁ、それもそこまで悪いものではなかったが。戯れに武芸を教えてやるのも、そこまでつまらないものではなかったからだ。俺が教えを与えた奴が俺を斬りに来て、そいつと斬り合うのも悪くないと思い、それなりに熱心に教えていた。だが、やはり充足感は得られない。
そんな日々が一年、二年と続いた。俺は恐怖した、このまま無為に人生を終えてしまうのではないかと。
だが、そんな日々はある男の訪れをと共に終わりを迎えた。
男の名前はアロルド。俺が知るうちで最高の獲物だった。
魔物を殺し回っている男だという噂は、俺の耳にも届いていたが、実力のほどは分からなかった。とはいえ、久しぶりに斬り合って面白そうな相手だろうという予感はあったので、少し試してみようと思い、俺の所まで呼びつけたのだが、想像以上に良かった。
いや、良かったなんてものじゃない、今までで最高だった。手を抜いたとはいえ、俺に先手を取らせず逆に先手を取る。殺気を消して、完全に不意を突いたと思ったのにだ。それに、即座に殺意に満ちた拳を放つという、殺しに慣れ切った動きといい、最高に良かった。
道場やらで鍛えられた上品な武芸ではない、圧倒的な血生臭さを持つ実戦的な武の形に、俺の興奮が最高潮に達した。このまま斬ってしまおうか?
一瞬、そんな気分になったが、それではあまりに勿体ない。お互いに本気を出せるような状態じゃないのに、斬り合うのは、勿体なさ過ぎる。もっと、しかるべき時がある。そう思い、俺は我慢した。一番、良い時にアロルドを斬る。その時を、ひたすらに待った。
つまらないとは思いつつも、魔物の狩りについて行き、最良のタイミングを待ったが、中々に訪れない。途中で我慢できず、街のゴロツキを斬って冷静さを取り戻したが、飢餓感は増すばかりだった。早く満たされたいという思いは日に日に強くなっていく。
そんな思いに駆られる日々の中で、ケルテイル・アークス伯爵から書状が届いた。内容はアロルドを斬ってくれという物であった。アロルドを斬らなければ家がどうなるか分かっているか、などと書かれていたが、家のことなど、俺はどうでも良かったので捨てた。しかし、その書状が転機だったのか、急にチャンスがやってきた。
アロルドが、裏町に向かうところを偶然、目にしたのだ。人通りもまばらで、堅気の人間は訪れないという裏町ならば、邪魔されず、存分に斬り合える。そう思った俺は、居ても立っても居られず、アロルドの後を追った。
そして、今ここに至るというわけだ。雑魚は殺した。俺とアロルドが斬り合う邪魔にしかならなそうな奴だったので、躊躇いはなかった。
アロルドは何人も殺したのか、血にまみれており、身体は温まっていそうだった。それは俺も同じで、ここに来るまでに何人か斬って、身体を温めていたので、状態は最高だ。
最高の状態で最高の相手と斬り合う。待ちに待った最高の瞬間だ。どうしても笑みがこぼれてしまうのも仕方ないだろう。既に興奮は最高潮だ。背筋をゾワゾワとした名状しがたい感覚が襲い、快感と歓喜が俺の頭の中を満たしていく。最高だ、今が人生で最高の時だ。
斬るのも良いし、斬られるのも良い。
緊張感を味わわせてくれ。破滅を感じさせてくれ。全てを出し尽くさせてくれ。限界を教えてくれ。命を燃やさせてくれ。俺を満たしてくれ。そして、俺に斬らせてくれよ。
なぁ、アロルド君――