ある父親の苦悩
あやつだけは殺さねばならぬ。
アロルド――私の息子。いや、息子だった男を。
生かしてはおけぬ。決して生かしてはおけぬのだ。生かしておけば、我が家の災いとなる。いや、既に災いとなっている。だからこそ、速やかに殺さねばならぬ。どんな手を使っても。
――だが、この結果はなんだ? 失敗した? ふざけているのか? 高い金を払って暗殺者を雇ったのだぞ。それが何も出来ずに帰って来た? あやつと刺し違えるでもなくおめおめと逃げ帰り、雲隠れか。
「殺してしまえ」
私は家令に伝える、先代の頃より我が家の汚れ仕事を担ってきた男だ。この手の事は任せるに限る。
「承りました、ケルテイル様」
私の名前を呼び、家令は静かに部屋から去って行く。ああ、煩わしい、なぜ私がこのようなことを差配せねばならんのだ。厄介ごとは全て下々がすればいい、私は最後に許可するかどうかだけに気を使っていれば良かったはずなのに、アロルドのせいで、このような些事にまでかかずらわなければならない。あやつは疫病神だ。ああ、そうだ、真性の疫病神だ。
昔はそうではなかったように思うのは、私の見る目がなかったからだろうか。
幼い頃のアロルドは良くできた子だったように思う。親のひいき目かもしれないが、同世代の子に比べ、落ち着き払っていたように見えた。すでに産まれていた私の長子と比べても、あやつは幼少の頃より大人びていた。わがままも何も言わず、静かに過ごしていたように思う。
当時は、その振る舞いを見て、堂々とした王者の振る舞いを生まれた時より身につけているなどと思ったものだが、今となっては、ただ単に世間を見下し、価値がないものと思っていただけだと理解できる。そうだ、あやつは何にも価値を見出しておらん。全てが等価値だと信じ切っているのだ。価値が無いから、どんな振舞いをしても気に病むことはない。あやつはそんな男だ。
いつごろ、あやつが異常と気づいたのだろうか。今となっては思いだせない。だが、あやつの言葉は憶えている。
『王様と言えども、斬れば死ぬでしょうに、何故にそこまで敬う必要があるんでしょうか?』
『不死身の人間というならば、尊敬しますよ。ただ、長く続いているだけの血筋で敬う必要があるというなら、俺は麦や鶏のほうが尊敬に値すると思いますが。麦は種もみという子の存在で血統を維持していますし、鶏だって、卵を産んで次の世代を作ります。ウチの鶏は、かれこれ何百年も前から、純血のようですので血筋を維持しているというなら、王家よりウチの鶏の方が、長く続いている血筋なので貴いですね』
『血統? 意味が分かりません。優秀な人の血を引いているから優秀という理屈が分からない。それなら、王家の人間や貴族はみんな優秀だと思うのですが、実際は違いませんか? 別に血統がどうとかは問題ではないと思いますよ。個人の資質で馬鹿かどうかって話だと思うのですが』
『王家だって、最初から王家だったわけではないでしょう。別にウチが王家になったって構わないと思うのですが、どうなんでしょう?』
正気ではないと思った。そして、どうしてこうなったと私は頭を抱えた。アドラ王国の貴族として、家庭教師も雇い、ちゃんと教育をしていたつもりだったのに、出てくる言葉は王族貴族を問わずに屁とも思わない放言。
これが他家の耳にでも入れば、アークス伯爵家は王国に叛意を持っているとして、処罰されかねない。たとえ物を知らぬ子供の言葉といえども、貴族である以上は、その言動には責任が伴う。子は親を映す鏡とも言われる以上、私の教育や思想がアロルドに伝わったのだとも思われかねない。
だから、私はアロルドを叱りつけ、口を開くなと折檻した。口で言っても理解した様子を見せないアロルドを私は何度も殴ったが、アロルドは平然としていた。そして、何事もなかったように私を見るのだ。全く意味が分からないと、私を嘲笑っているような眼だった。
やがて、アロルドは余計な口を聞くことはなくなったが、奴の私を見る眼だけは変わらなかった。しかし、多少は良い変化もあったように思う、奴が我が領地の屋敷の敷地内にある池で溺れていた王子殿下を助けたことだ。
それ以前であったなら、誰であろうと見捨てていたかもしれない奴が、身を挺して王子殿下を助けたのだ。それを見て私は、アロルドも少しはマトモになった。そう思い安堵したものだ。だが、その期待はすぐに裏切られたが。
領主貴族であるものの、王都での仕事もある私は一年の大半を王都で過ごす。事件は私が王都にいた時に起こった。当時、アロルドは落ち着いてはいたものの、まだ他の貴族に合わせることは難しいように見えていたので、領地に置いていたのだが、それは私の目が届きにくくなるということでもあり、アロルドの行動を止めるものはいなかったのだ。
アロルドが何をしたか?
一言で表すなら喧嘩だ。ただの喧嘩なら良い。男なのだから、それぐらいはするだろう。しかし、相手が近隣の領主で、その人物の頭を石で、かち割ったりしなければという前提がつくが。
そうだ、アロルドはアークス伯爵領に隣り合う子爵家の当主の頭を石でかち割ったのだ。その当主は重症ではあったものの、運よく一命をとりとめた。それで喜べるような話でもなかったが。
なぜ、喧嘩になったか? 理由は分からない。アロルドはめっきり口数が少なくなっていたので、要領を得なかったし、子爵家の当主やその関係者も口を閉ざしていた。子爵家の当主の方が口を閉ざしていた理由も分からないではない。彼は武勇で鳴らした人物であり、それが子供に滅多打ちにされて、死にかけたのだ、
そうそう口外できるようなものでもない。言ってしまえば、子爵の方が恥を負うことになる。何処へ行っても、子どもに喧嘩で負けるような男と侮られ続けることになる。見栄や外聞に注意する貴族という生き物には、それは耐えられない。
結果、この件は無かったことになった。明らかになれば、我が家にとっても子爵家にとっても醜聞となるためだ。しかし、状況的に考えれば、アロルドの方に否があるとしか考えられない。いくら理由があったからといって、近隣の領主を撲殺しようとして良いわけが無い。私は賠償金を支払い、子爵にはこの件を胸に収めてもらうほかなかった。公になれば、我が家に咎が及ぶことは確かだったからだ。
いっそ修道院にでも送るかと考えない日は無かった。アロルドは、その後も問題を起こした。
力が有り余って、粗暴な振舞いに出るのであるならば、それを良い方向にもっていけはしないだろうかと、力を発散させるためと精神修養のために、他家が抱えている高名な武芸者を借り受け、アロルドを指導させた。その結果、武芸者は両腕の骨を砕かれ、武の道を諦めざるを得なかった。当然、その武芸者を抱えている家に謝罪し、賠償金を払った。
次には芸術家を雇い、芸術を学ばせて心の豊かさを養わせようとしたが、失敗した。芸術家は心を病み、二度と絵筆が握れなくなった。その芸術家も一応は貴族に連なるものであったので、事を公にさせないために、賠償金の支払いをして口止めさせた。
なぜ、こんなにも問題を起こすのか、私はアロルドを問い詰めたのだが答えはいつも理解できないものであった。
『稽古をしていたら先生の腕が折れた』
『芸術とはなんなのか問い詰めていたら、何も言えなくなった』
害する気持ちがあるのか、無いのかすらハッキリしない物言いだった。
そのようなアロルドの乱行を領地に帰る度に聞かされ、私は正気を失いそうだった。子爵家の当主は、アロルドに殺されかけて以来、屋敷にこもってしまっているとも聞いた。
人の口には戸を立てられないものなのか、すぐにアロルドは『アークス伯爵家の狂った貴公子』そして、『狂公子』などと呼ばれるようになった。
しかし、事情を知らない者は、アロルドの幼いのにも関わらず堂々かつ優雅な立ち振る舞いを見て、アロルドを褒めたたえている。それは、ただ単にふてぶてしいだけだと言いたかったが、家の恥を晒すようなことが出来るわけもない。
私はアロルドの行状を改めるために、手を尽くしたがどうにもならなかった。最後は、頼れるものもいなかったために、浮浪者同然の男を家庭教師として雇ったのだが、これの何が幸いしたのか、アロルドは大人しくなった。
乱行も目に見えて治まり、物静かになった。とはいえ、いつ何をしでかすかも分からない者を近くにはおいてはおけない。その時に私はイーリス嬢を見つけたのだ。
田舎の貧乏男爵家の娘で、幸いにも男子がいないときた。アロルドを押し付ける相手としては、悪くないと私は思った。さっさと結婚させ、男爵家の当主にでもしてしまって、イーリス嬢の実家の領地でも治めさせておけばいいと考えたのだ。家の格は釣り合っていなかったが、そんなことよりも私はアロルドを厄介払い出来ることを望んだ。
イーリス嬢からすれば印象は良くなかっただろう。アロルドとイーリス嬢が初めて顔を合わせたのは十三の頃だったか、その頃からアロルドの容姿は鋭さを増しており、口数は少なく無愛想だった。アレを見て幸せな生活を想像できる乙女はおるまい。
だが、可哀想などとは思わん。私の精神の安寧とアークス伯爵家の未来のために厄介者を引き受けてくれて。そう思い、私はアロルドとイーリス嬢の婚約を推し進めた。
それで、上手くいくと思っていた。学園に入学させる必要があるということを忘れていなければ。
王立学園――貴族に必要な領地経営や礼儀作法、武芸を学ぶ場であり、同時に貴族の子息子女が横のつながりを得るために作られた社交の場でもある。
私はこれの存在をすっかりと忘れていたのだ。伯爵以上の爵位を持つ家の子息子女は必ず通うこと。そういう決まりがあることも。
アロルドの兄の時は気にも留めなかったが、アロルドを通わせるとなると不安しかなかった。何をしでかすのか気が気ではなかった。
とはいえ、どうすることもできない。国の決まりであったからだ。学園に通うのはある意味、お披露目の意味もある。どこの誰が優秀かをハッキリさせるというためでもあり、国にとって有為な人材を知らしめる場でもあり、無能を見つける場でもあるのだ。そんな場所にアロルドを送る。それがどういうことになるのか、ヘタをすれば家が取り潰しになる可能性もある。
それでなくとも、第一王子のウーゼル殿下が社交の場に出始めてから、アークス伯爵家の扱いは、どういうわけか悪いのだ。ウーゼル殿下が何故か我が家を嫌っており、明らかに冷遇されている。アロルド絡みかと思ったが、ウーゼル殿下とアロルドは殿下がおぼれた時以外に面識は無かったはずなので、アロルドとも関係がないはずなのに、嫌われる理由が分からなかった。今後、ウーゼル殿下が王位に就けば、アークス伯爵家に冬の時代が訪れることも考えられる。
それを避けるためには、少しでもウーゼル殿下の印象は良くしておきたかった。幸い、ウーゼル殿下はアロルドと同期で入学だったため、そこで殿下に媚でもなんでも売ってくれれば……
しかし、そんなことがアロルドに出来るわけもない。辛うじて、助かったこと言えば、アロルドが人と関わらないでいてくれたことか。社交の場でもある学園で交友関係を広げないのは問題があるとも言えるが、余計なことをして問題を起こされても困るだけなので、大人しくしていてくれたのはありがたかった。だが、それもすぐに終わりを迎えたのだが……
きっかけはなんだったのだろうか、学園内の細かい事情までは私は把握していないが、ウーゼル殿下がイーリス嬢と恋仲になったのが始まりだったのだろうか。
父親が無理をして学園に通わせていたイーリス嬢はどういう経緯かは知らないが、ウーゼル殿下と恋仲になっていた。男爵令嬢と第一王子では、格に差がありすぎる。若い時分の恋という熱病に狂わされているだけかと思えば、ウーゼル殿下はイーリス嬢を妻にしたいなどと考えていることが明らかになった。私としては、それだけは困る。アロルドを押し付ける相手がいなくなるのだから。
しかし、殿下は随分とイーリス嬢に執心だったようで、色々と理由をつけて、イーリス嬢からアロルドを引き離そうとした。
その結果、アロルドがイーリス嬢に行ったイジメの報告書なるものが届き、それには『このような行為をする者が王国貴族に相応しいとは思えない。厳罰を期待する』などという殿下直筆の言葉が付け加えられていた。
私は男爵家の娘がイジメられていようが、どうしようが構わないし、常識知らずにも男爵家の娘を臆面もなく堂々と妻にしたいと宣言する殿下にも呆れた思いだったが、アロルドに厳罰を加えても良いという御墨付きを貰えたことだけは幸いだと思った。それに罰を下せば、殿下に対しての印象も良くなり、恩を売れる。断る気は無かった。私自身、アロルドの存在には参っていたのだ。
だから、私はアロルドを家から追放し、縁を切った。
その時の私の心は安堵で溢れていた。ようやく厄介者を追い出せたのだから。しかし、私はそれがすぐに軽率だと気づかされる。
奴が家を出て数日後、アロルドの件で報告があると家令が伝えにきた。その時は、アロルドが、どこぞで野垂れ死んだものだと思っていたが、あの男がそんな簡単に死ぬわけがなかった。
あろうことか、奴は革新派の司教と接触し、協力を申し出たというのだ。アークス伯爵家は教会の派閥争いには不干渉の立場を取っていたのにも関わらず、奴はそんなことは全く気にしていない様子だったという。家を追放したとはいえ、貴族の血を引くもの、その行動は全てが意味を持つ。私はアロルドとは完全に縁を切ったつもりだったが、世間もそう理解してくれるわけでは無い。縁を切ったとは言っても裏で繋がりがあるのではないか、そういう勘ぐりをする者もいる。
結果として、アロルドの振る舞いでアークス伯爵家は革新派と見なされるようになった。そうなってしまった以上は何とかしようと思ったのだが、そんな私の思いをアロルドは平気で無視をした。奴は接触した司教を裏切り、守旧派についたのだ。
当然、どういうことなのかと、革新派からの追及がくる。奴とは縁を切ったと言っても、誰も信じはしない。私は何もしていないのにも関わらず、裏切り者と呼ばれることになった。関係ないと言ったところで誰も信用はしない。他の貴族からも蔑みの目で見られるようになった。
全てはあの疫病神のせいだ。殺してやりたい、そんな思いが強くなる中で、再び事件が起きた。奴は、宰相の息子を街中で殴り倒したというのだ。
宰相の息子もアロルドと学園で同期の関係だった。ウーゼル殿下とも友人だという男だと聞いている。宰相の息子の方はどうでも良い、市井の人々の暮らしぶりを見たいなどという訳の分からない理由で、平民に紛れて街中を遊び歩くようなドラ息子だ。どういう理由で揉めたかは知らないが、たいした理由ではないだろう。
それよりもウーゼル殿下の印象が悪くなるのが怖かった。ただでさえ評判が悪いのだ。これ以上、頭痛の種を増やしたくは無かった。しかし、そんな私の思いは届かず、ウーゼル殿下と宰相の連名で、アロルドに対してどのような処分を行うのかなどと書かれた書状が届いた。
縁を切ったから関係ない。そう言える状況ではなくなっていた。私は頭を抱えるほかなく、机に突っ伏し、何時間も問題の解決法を考え、そして私は理解した。
全てはアレが生きているのが悪いと。
簡単な話だ。さっさと殺してしまえば、良かったのだ。アレが生きているから悩むのだ。殺してしまえば、悩むことは無くなる。肉親の情だとか、追放した息子が殺された状態で見つかるなど、外聞が悪いとか他の貴族から、どう思われようと関係ない。奴を殺せば、全て帳消しになる。
単純な解決法だ。これに気づかなかった私は、相当に愚かなのだろうが、これからは、それを挽回しよう。必ず奴を殺す。そのために暗殺者を雇った。
最初に雇った奴らは、簡単に皆殺しになった。だが、それでも恐怖は与えることができたのか、王都から逃げ出すようだ。だから、続けて人を雇った。何をしても奴を殺せと命令した。
それにも関わらず失敗した。ああ、本当に忌々しい奴だ。だが、幾らでも手はある。
アロルドの目的地はヴィンラント子爵領。王国の南部には『夜魔の爪』という犯罪組織もある。そこに任せてもいいだろう。それでも駄目ならば、ヴィンラントにはアレがいる。
グレアム・ヴィンラント――武術狂いで跡継ぎの座を追われた男だが、腕は確かで、決闘で何人もの武芸者を血祭りにあげているという。アレの始末をつけるには良い人材だろう。ヴィンラント家に直接脅しでもかければ動いてくれるはずだ。そうだな、手紙でも書いて送ろう、
とりあえず、殺してくれということと、アレの首を塩漬けにでもして、私に届けてくれとでもすれば良いか。奴の首を見ないことには、安心できないからな。
おお、そうだ。南部の貴族は貧乏だというし、塩も満足には使えんだろう。アレの首を塩漬けにするための塩も送ってやらなければ。
ああ、楽しみだ。アレの首が届いて、それを見ることが出来る日が来るのが。ふふ、持ってきてくれたら礼もしなければな。いくらくらい出せばいいのだろうな。それも調べなければ。
ああ、楽しみだなぁ……