宿屋の少女と危険なお客さん
少し長いです
私の名前はアミリーと言います。
アドラ王国の王都アドラスティアにある宿屋の娘です。宿屋と言っても下町に小さなもので、宿泊のお客さんだけではお金が稼げないので、酒場もやっているという節操のない宿屋です。
そんな風に節操なく色々とやっていても、私の父は経営というものが上手くないようで、借金まみれです。
なんとか月々の利息を払っているので、借金のカタに宿屋を奪われるという事態には陥っていませんが、それも時間の問題かもしれません。
借金のせいで苦しい生活に耐えられず、母は出ていってしまいました。
私はというと、肉親の情というもののせいで、父を見捨てるということも出来ず、宿屋の看板娘として働いています。ですが、それが良くなかったのかもしれません。
ウチに金を貸している男が、私を売れば借金をチャラにするなどと言いだしたのです。どうやら私を自分の女にしたいということらしいです。その理由は働いている私の姿を見て、気に入ったからだそうです。
そういうわけで、お金が返せなくなったら、私が売られていくことになってしまいました。そして、そう決まってからの金貸しの男の行動は迅速でした。
お金を返してもらわなくても良いと決めたようで、金貸しの男は自分の手下を送り込んできて、宿の営業を妨害するようになりました。
お酒を飲んで、大騒ぎをする。他のお客に絡む。そういうことをされていると、結果として宿の評判が落ちます。私たちに非が無くても、そういう細かい事情まで世間の人は知ろうとはしません。
私たちも、そういう迷惑な輩を追い返そうとしたのですが、そうしたら、客を追い出す酷い宿などという噂が流れました。追い返してしまったのは事実なので、その部分に関しては反論ができません。
そういう色々が積み重なって、宿は閑古鳥が鳴く状態になりました。
今もいるのは、どこからか酒を持ちこんだ金貸しの手下のゴロツキだけです。せめて、酒代くらいは落として欲しいのですが、それすらせず、絶対に金を落としてはいかないという強い意志が感じられます。
それを見て、私はこらえきれず、ため息をついていました。客商売の身としては、良くないことですが、我慢が出来ませんでした。
正直、もうどうしようもありません。近いうちに、うちの宿屋はどうにもならなくなり、私は金貸しの男のものとなってしまいます。諦めた方が楽かもしれないと、思っていた、その時でした。
あの人がやって来たのは――――
その人は無言で宿の中に入ってきました。
長身に服の上からでも分かる鍛えられた肉体、遠目からでも仕立ての良さが分かる黒い服、それだけならば、どこかの騎士様か貴族様だと思ったでしょう。ですが、私はそうは思えませんでした。その理由は、その人の顔と身にまとう雰囲気のせいです。
顔が悪いというわけではありません。むしろ整っている方だと思います。ですが、印象としては危険な人としか思えません。理由は目つきが悪すぎるのを筆頭に顔の造作の殆どが鋭いもので、顔の造りだけで冷酷な人に見えることと、その眼差しから無言の圧力があふれ出ていたからです。
その上、素人の私から見ても、寄らば斬るぞと感じるような凶悪な気配が漂っていて、その人は危険な雰囲気を身にまとっていました。深い闇を思わせる漆黒の髪と黒い服も邪悪な感じを出していたので、それも相まって、とてつもなく邪悪に見えました。
正直、怖すぎました。
たまに、人を殺したなどと吹聴するような人がいるのですが、そういう人たちが、可愛い子犬さんに見えるくらいに、その人は怖かったのです。恐怖に震える私は、その人に、「いらっしゃいませ」すら言うことが出来ずに立ち尽くしてしまいました。
その結果、私ではなく、宿で迷惑行為をしていた金貸しの手下が、その人に絡んだのです。
金貸しの手下は、俗に言うチンピラという人種なので、舐められた沽券に関わるということで、喧嘩を売ったのでしょう。私のような一般人からすると、その人は絶対に関わってはいけない人にしか見えないので関わらないのですが。
金貸しの手下は、散々にその人に対して、暴言を吐いていたのですが、相手は無視をしていました。きっと言葉を交わす価値もない相手だと思ったのでしょう。なにせ、傍目から見れば、伝説で語られる魔王のように見える人に喧嘩を売っているとしか見えないのですから。
チンピラさんは、最終的に拳を振り上げました。何を言っても完全に無視なのですから、自分の怖さを思い知らせるには、そうする他ありません。チンピラさんのように、自分の恐ろしさを商売にしているような人は侮られたら終わりなので、言葉で怖がらせることが出来ない人には、暴力で怖さを教えるしかありません。
そのチンピラさんも必死だったのでしょう。私だったら絶対に喧嘩を売るようなことはしません。ですが、そのチンピラさんも何人か子分を抱えているような身であったようで、子分の前で情けないところを見せられないというわけで、必死になって立ち向かったようです。
その結果、チンピラさんは吹っ飛びました。
チンピラさんの方が、先に殴ろうと拳を振るったのですが、即座に鈍い音がしてチンピラさんが吹き飛んだのです。たぶん殴ったのだと思いますが、速すぎて分かりませんでした。
その人に向かって、チンピラさんの仇を討つため、子分さんたちが襲い掛かるのですが、全く相手になりませんでした。
チンピラさんの子分さんたちが頑張って殴りかかっても、殴りかかった子分さんの方が、吹き飛んでいったり、崩れ落ちたりしていました。
ちょくちょく鈍い音がしているので、子分さんたちが殴られているのは分かるのですが、どうやって殴っているのかは私には分かりません。
その人は、倒れている子分さんたちに向かって、「帰れ」とだけ言いました。子分さんたちはチンピラさんを担いだりして、帰って行きました。
チンピラさんたちが帰ったからといって、状況が好転したわけではありません。チンピラさんより危険な人がいるのですから。ですが、その人は特に何も言わず、ウチの食堂部分のテーブルに腰掛けました。正直、怖すぎるのですが、こうなった以上は接客するしかありません。その人ではなく、ここからはお客さんです。お客さんならば、きちんと接客するのが看板娘というものです。
そうして頑張って接客した結果、金貨を一枚貰いました。そのうえで、それで食べられるだけのものが欲しいと言われました。金貨など初めて見ました。私のような平民は銅貨を使って生活しており、銀貨も珍しいものです。銅貨が百枚で銀貨一枚という扱いですが、私のような平民は、銅貨だけでこと足りるのです。銀貨などで支払われたら、そのお釣りも用意できてない人がほとんどなのです。
金貨なんて貰っても、ぶっちゃけ無理です。金貨一枚となると、ウチの借金の十分の一です。これに見合う料理なんかは、ウチには出せません。お金を出してくれるのは、ありがたいのですが額に見合ったものは出せません。私はどうしようもなくて、料理を作る父に相談しました。
父はさっきの騒動の時も厨房にこもっていただけです。なんとも情けないですが、小市民なので仕方ないです。ただ、凄く怖そうなお客さんがやってきたことだけは理解していました。
父は私よりも怯えていましたが、とりあえず料理に関しては量を出せば何とかなると言いだしました。それだけでは危険な気もしましたが、他にどうしようなく、量だけを多くして、食事を出した結果、何も言わずに食べてくれました。
何も言わないのは、ちょっと怖いのですが、文句を言ってくることもないので、頑張って平常心を保ちます。
そのまま、食事だけして、帰ってくれたら良かったのですが、私の願いは届かずに、またトラブルが起きました。倒された金貸しの手下が、人を連れてやって来たのです。
やって来たのは、金貸しの男の所の用心棒さんでした。
食事中の、お客さんに向かって脅しをかけていましたが、「黙れ」の一言で、一気に空気が変わりました。その人が言葉を発しただけで、室内の温度が一気に下がり、本当に喋れなくなりそうでした。
その重圧に耐えかねたのか、用心棒さんは発狂したように殴りかかったのですが、次の瞬間には床に転がっていました。
そのあとは、用心棒さんを連れてきた、チンピラさん達が、用心棒さんをおぶって逃げるように出ていってしまいました。
それだけで済めば良かったのですが、事態はどんどん悪化していきました。今度は用心棒さんが、仲間を引き連れてやってきたのです。やって来た人は、この辺りのゴロツキたちのリーダーです。そのリーダーが手下を連れてきたのですが、結果はまぁ、一瞬でした。食事をする片手間で倒されてしまいました。刃物を持っていたのですが、全く相手になりませんでした。ナイフや剣なんかも、素手でへし折られていました。
そんな風に、荒事が繰り広げられていた中で、私が何をしていたかというと、お客さんに食事のお代わりを頼まれたので、それを配膳したりしていました。正直、関わりたくなかったので、関係が無いふりを頑張ってしていました。
それからも、ゴロツキのリーダーを倒したら、ゴロツキのリーダーが自分の上役を連れてきました。それも倒されると、今度はその上役が仲間を連れてくるという感じで、芋づる式に下町の悪い人たちが、ウチの宿屋に集まってきました。結局、全員が簡単に倒されていましたが。
最終的には、下町のならず者たちの顔役が、手下を引き連れてやってきました。
顔役さんは、お客さんと一対一で喧嘩をしました。これまでの人とは違って一瞬で倒されるということはありませんでした。顔役さんは昔は拳闘興行で名を馳せた人らしいです。顔役さんの手下がしたり顔で解説していました。
ですが、顔役さんにできたことは耐えることぐらいでした。素人の私は詳しいことは分からないのですが、速さで顔役さんは全くついていけないのです。殴ろうとして、腕を動かした瞬間、顔役さんの頭がのけぞります。
たぶん、お客さんが殴っているのだと思いますが、殴る瞬間が全く見えません。お客さんの手がフッと消えた瞬間には、顔役さんの頭が打撃を受けてのけぞっているのです。今までの人は何も出来ず倒れていたことを考えると顔役さんも相当に凄いのですが、お客さんには敵いません。
顔役さんが、一回殴ろうとする度に、数発の拳が顔役さんに当たるのですから、手数では絶対に勝てません。結果的には顔役さんは、一発もお客さんに拳を当てることが出来ずに、崩れ落ちました。
顔役さんは、目が覚めると、顔役さんは、お客さんに向かってウチの床に額をこすり付けた姿勢で跪きました。噂に名高い土下座というものでしょう。土下座しながら、顔役さんは、お客さんに「アニキと呼ばせてほしい」などと言いました。
それに対して、お客さんは特に気にせずに食事をしていました。どういう心臓をしているのでしょうか、気になって仕方がないですが、「悪さもほどほどにしておけ」と短い言葉を返しただけで、顔役さんたちをウチから出ていかせました。
顔役さんと、その他大勢のならず者たちは、立ち去り際に憧れの眼差しでお客さんを見ていました。
腕っぷしの強さに感動したということなのでしょうか? 腕っぷしの強さを心の拠り所にしているのに、徒党を組まなければ、どうしようもないような彼らからすれば、たった一人で何も恐れずに振る舞える、お客さんは理想なのでしょう。私には全く分かりませんが。
まぁ、そんなこんなで騒動も収まりました。これで、お客さんが帰ってくれれば、万々歳なのですが、そう上手くいきません。
なぜなら、お客さんが泊まると言って金貨五枚も渡してきたのです。
ウチは銅貨二十枚で泊まれる安宿です。こんな大金を貰うような店ではないのです。正直に言えばお断りしたかったのですが、私はお金に目がくらみました。
だって金貨五枚ですよ!ウチが抱えている借金の半分ですよ!貰わなきゃ損です。だから私は、お客さんを泊めました。
父はヤバい人だと怯えていました。それぐらいは私だって分かります。自分の家のことなので、言ってしまうと悲しくなるのですが、ウチはショボい宿屋です。そんな宿に、今日だけで金貨六枚も落としていくような人がマトモな人の訳がありません。間違いなく訳アリの人です。ですが、そういう人でも受け入れなければいけないのが、貧乏の悲しいところです。
私は、夜中に襲われて殺されないことだけを祈って、その日は眠りにつきました。
お客さんがウチに泊まった翌日。お客さんに襲われず、無事に起きることが出来ました。お客さんは相変わらずの恐ろしさでしたが、普通に朝ごはんを食べて宿から出ていきました。と言っても、宿を引き払うということではないようで、私は気が重くなりました。
ですが、私はもしかしたら悪い人でないのかもしれないと、その時の私は漠然とした思いを抱いたのです。色々と暴力沙汰を起こしていましたが、お客さんの方から、何かしたわけでは無く、基本的に絡まれての反撃でしたし、私には何も酷いことはしていません。もしかしたら良い人かもしれない。そんな考えに至ったです。
しかし、一瞬で、そんな思いは消えました。部屋の掃除のために私は、お客さんの部屋に入った私は、部屋に備え付けられているゴミ箱の中に詰まった、安紙に恐れ慄きました。クシャクシャに丸められたソレは、ある目的のためだけに使われたとしか思えません。安紙は大量に作られている柔らかい紙で、肌触りも悪くない紙です。
ウチは宿屋ですので、カップルが泊まった時は、ゴミ箱に安紙が入っていることはよくあります。用途に関しては、男女に限定されませんがカップルが愛を確認するための行為の後始末に使われます。一応、付け加えておきますが、別にカップルでなくても一人でも使うものですよ。恥ずかしながら私も、粗相をした時に使います。
そういうわけで、安紙事情に通じている私の見解では、お客さんは一人で安紙を使うようなことをしていたわけになります。それが少しなら、私もそういうこともあるかと、気にしないのですが、ちょっと量が多すぎます。
私は危機感を抱きました。これは、もしかしたら犯されるかもしれないという危機感です。もう、ぶっちゃけますけど、あのお客さんは、相当に性欲が強いようです。溜まっていたにしても、ゴミ箱の中の安紙は量が多すぎます。一晩の付き合いで一年後は母親間違いなしの量です。
私は貞操の危険を感じました。昨日は理性のタガが効いていたようで何もなかったのですが、今日は襲われて、食べられてしまうかもしれません。もちろん食事的な意味ではないです。
やってしまったかもしれません。私は出来れば最初はロマンチックな感じが良かったのです。無理矢理は嫌です。でも、怖い雰囲気は別として、お客さんの容姿は素敵なのでちょっと心惹かれてしまう部分もあったりなかったり、でも、やっぱり嫌だったり。
そんな風に私が色々と悩んでいるとお客さんが帰ってきました。大量に人を引き連れてです。私が知る限りでは、ウチにこんなに人が来ることはありませんでした。
いきなり、そんなに人が来られても困りますが、お客さんは、私の事情など関係ないようで、お金の入った袋をくれました。中身は大量の銀貨と銅貨です。
それは金貨数枚に達する量で、私は受け取ると同時に袋の重さと中身に眩暈がしそうでしたが、お客さんは私の状態など全く気にせずに、お酒と食べ物を要求してきました。それも、大量に引き連れてきた人たちの分もまとめてのようです。私は金額に負けて、お客さんに要求を受け入れてしまいました。
そこからは修羅場でした。私は食材を買いに走り、父はひたすらに料理を作っていました。食材を買って帰ると同時に給仕をして、お客さんの所にお酒を持っていきます。
宴会状態のウチに顔役さんが手下を引き連れてやってきました。どうやら『アニキ』に会いに来たようです。私としてはお金が貰えたので特に言うことはありません。
増えすぎる客に対して父は凝った料理を提供するのは無理だと諦め、簡単な料理を出すことにしたようです。簡単な代わりに少し塩気をきつくして、文句を言われないようにしたのが狡賢いですが。塩が高めのアドラ王国では、しょっぱいだけで高級な料理とされてます。料理は雑でも塩味が強ければ、お客さんはさほど文句を言わないでしょう。
私が、給仕をしていると、色々と話が聞こえてきました。話の内容から理解できたのは、お客さんが連れてきた人たちが狩人さんだということです。狩人とは言っても、動物を狩って、お肉や毛皮を手に入れるような真っ当な狩人ではありません。お客さんが連れてきた狩人さんたちは、魔物を狩ることを仕事にしている狩人さん達でした。
私は詳しくは知りませんが、魔物というのは人に害をなす邪悪な生き物です。放っておくと、結構な被害が出るので、王国軍が定期的に討伐することになっているのですが、それは一年に数度くらいです。討伐時期以外で、急に魔物が増えた場合などは、軍は動かないようです。その代わりに一般人が、報酬をもらって魔物を狩って、その数を減らします。
魔物を狩ってお金を貰う人も狩人とアドラ王国では呼ばれています。そういう狩人さんは大抵、食い詰め者や貧乏人です。手に職を持たない人や、なんの後ろ盾も無い人が最後に、お金を稼ぐ手段が魔物を狩ることなのです。中には、いっぱい魔物を狩って有名になり、兵士として雇ってもらおうと考える人もいるようですが、大抵は有名になる前に死んでしまうそうです。
魔物の狩人さんというのは、アドラ王国では最底辺の仕事ということになります。
お客さんが、どうして、そんな最底辺の人達と知り合いなのかと気になった私ですが、話を聞いている内に事情が掴めて来ました。
狩人さん達は、どうやら、お客さんに助けてもらったようです。王都の近くの森にゴブリンが出たから、狩ってほしいと頼まれた狩人さん達でしたが、実際にはゴブリンとオークの群れだったそうです。一対一では負けなくても、数が多くどうにもならず、死を覚悟したところにお客さんが現れ、ゴブリンとオークの群れを、蹂躙したそうです。
「何がすごいって、とにかく速いんだよ。一瞬で相手に近づいて剣を振る。んでもって、首を斬り飛ばすか、頭を叩き割るんだ。防御? 無理だって、防ごうとしたオークもいたけどよ、あの旦那の剣を、自分の得物で受けた瞬間に腕がへし折れて、そのまま頭を叩き潰されて終わりだったよ」
「ゴブリン相手の時はもっとすげえぞ。時々剣を使わず、殴ったり蹴ったりしてたんだが、顔面を殴られたゴブリンは吹っ飛んでピクリともしなくなる。たださえ不細工なゴブリンのツラが潰れて、もっとひでえのになってたのは、ゾッとしたね。蹴った時なんかは、腹を蹴られたゴブリンが血反吐まき散らして、のたうち回って死んじまったしよ。ほんとに無茶苦茶な人だぜ」
そういう話を狩人さん達が話していました。そして数十匹いたゴブリンとオークをお客さんが一人で倒したということも分かりました。お客さんは人間なんでしょうか?
それに回復魔法で、狩人さん達の怪我を直したそうです。魔法は貴族様のものだと聞いたことがあるので、お客さんは、貴族様なのでしょうかと、私は混乱してきました。やっぱり、とても危ない人だったことは理解できましたが。
「オークキングも一撃だったからなぁ、ほんとどうなってんだよって感じだったぜ」
「見つけた瞬間、頭に剣を一振りで、オークキングが脳味噌まき散らして死んじまったからな。強すぎだろ」
お客さんは酔いもあったせいか笑いながら話していましたが、素面で聞いている私は震えあがりました。宿屋の娘なので、それなりに噂話を耳にしている私は、オークキングが一匹で村の一つや二つを軽く滅ぼせる存在だと知っています。そんなオークキングを一撃で殺してしまう人が、普通の人だとは思えません。
私は、とんでもない人を泊めてしまったことを後悔し、呆然としてしまいました。その後の記憶はあまりないのですが、お客さんから、お金を貰って目が覚めました。
お客さんが私に握らせたのは金貨二枚です。私は、もう何を言っていいのか分からなくなりました。どんな顔をすればいいのかも分かりません。
ただ、お客さんが泊まっているだけで、ウチの借金はすぐに返せるだろうということだけは理解し、その日も恐怖に怯えて眠りました。
噂では腕っぷしの強い人は性欲も強いようなので、今夜こそ犯されてしまうのではないのか? 強姦だけなら、まだ命があるぶん良いですが、強姦殺人ということになったらどうすればいいのでしょうか?
あのお客さんなら、それぐらいやりそうな気がして、私は気が気ではなかったのですが、いつの間にか眠って、無事に朝を迎えていました。
犯されなくて良かったと思う反面。何故か私の中には、面白くないという感情が湧き上がっていました。
そんなこんなで、お客さんがウチに来てから三日目になります。
掃除のためにお客さんの部屋に入ると、二日目と変わらず部屋のゴミ箱には大量の安紙がクシャクシャに丸められて入っています。その上、部屋には雄の臭いというか匂いが充満しています。やはり、恐ろしいです。この獣欲が私に向かったら、どうなってしまうのでしょう。お金に目がくらんで泊めてしまったのは失敗だったのではと考えずにはいられません。ですが、借金の返済のためには仕方ないのです。借金返済のために身を捧げることは良くある話ですから、ええ、ホントに仕方ないのです。
お客さんが男前で逞しくて、お金持ちで、もしかしたら高貴な身分なのかもしれないというプラス要素があるだけマシですよね。ええ、それだけプラス要素があれば我慢できますよ。なんだったら、私から身をささげた方が印象が良いかもしれませんね。
そんな感じに私が、覚悟を決めた日の午後に金貸しの男が手下を連れてやってきました。以前は金貸しの男が来るたびに怯えていましたが、今ではへっちゃらです。なにせ、ウチにはお金があるのですから。
色々と金貸しの男が言っていましたが相手にしません。私がお客さんから貰った、金貨数枚を叩きつけるように渡すと目を丸くして、呆然としていました。そりゃそうです。普通、こんな場末の宿屋が金貨など蓄えているわけがないですから。
私としては、そのお金を持ってさっさと帰ってほしかったのですが、金貸しの男は顔を真っ赤にして怒り出しました。怒る理由が分かりません。
『ありえない』とか『何をやって稼いだ』とか叫んでいます。みっともないです。ウチは真っ当に宿屋をやってお金を稼いだのです。お客さんは真っ当ではありませんが。
金貸しの男は納得がいかなかったようで、手下に命令して私を無理矢理連れていこうとしました。どうやら、私の身体に直接、話を聞こうというつもりだったようです。
私を連れ去ったとしても、実は問題になりません。まだ、借金を返しきってないのですから、借金の担保として取り上げたという言い分がまかり通るのです。アドラ王国は法整備が適当だと、昔ウチの宿に泊まった、南の帝国からの旅人さんが嘆いていました。
私が攫われても、たいして問題にはならないのでしょう。宿屋の娘のことなど誰も気にはしません。私は、その時、これから訪れるであろう苦しみの時間を思って絶望しました。
ですが、その時、お客さんが狙いすましたかのようなタイミングで現れたのです。
現れたお客さんに対して、金貸しの男が『邪魔をするつもりか!?』などと、わめいていましたが、お客さんは一瞬で、金貸しの手下を殴り倒して、更に金貸しを殴りました。
お客さんは、金貸しの男の襟首をつかんで、持ちあげると怯えた相手に向かって言いました。
「ここが潰れたら、どうなるかわかっているんだろうな?」
お客さんは、そんな風に宿を守るようなことを言ってくれました。その言葉を聞いた瞬間に、私は誤解していたことを悟りました。お客さんの言葉は、ウチの宿を、ひいては私を守ってくれるという意味だと理解できるものでした。
怖い人というのは私の思い込みで実際には、とても良い人なのではないかと、私は思いました。よくよく考えてみれば、私は何もされていませんしね。人助けもしているみたいですし良い人なんでしょう。
お客さんに半ば脅しのような言葉をかけられて、金貸しの男は逃げるように立ち去って行きました。手下もほうほうの体で逃げていきます。
これで、乱暴なマネをして、ウチに迷惑をかけることはなくなったと思います。お客さんと真っ向から立ち向かってまで、私を奪ったり、ウチの宿を潰すのは割に合わないと、金貸しの男も理解できたはずです。後は地道に借金を返していけば、文句を言われることもありません。
私は、ウチの状況を数日で改善してくれた、お客さんに、お礼を言おうとしたのですが、お客さんは「今は金がないので、迷惑をかける」と申し訳なさそうに言いました。
なんということでしょう、お客さんはウチの借金を払ってくれるつもりのようです。どういうことなのか、色々と裏がありそうで勘ぐってしまいそうですが、このお客さんに限って、そんなことはないと思います。自分の損を考えずに人助けをするような人なのですから、きっと善意なのでしょう。怖い人だと思っていましたが、実際は聖人だったようです。私は少し感動してしまいました。
ですが、流石にそこまで図々しく借金の返済をお願いするわけにも行きません。私はやんわりと断っておきました。お客さんは申し訳なさそうな表情で了承していましたが、むしろ私のほうが申し訳ないくらいです。大量にお金を落としてくれた上に、攫われる寸前だった私を助けてくれた人なのですから、私の方がお礼をしなければならないのです。
ええ、これはもう、私を美味しく食べてもらうしかありませんね。私ができるお礼はそれくらいですから、仕方ないです。もうホントに仕方がないんです。お客さんに喜んで貰えるように、良く身体を洗っておかなければいけませんね。それに下着もセクシーなものにしておきましょう。これは決して、邪な気持ちではないです。お客さんが男前で、お金持ちだからとかいうのは別に関係がありません。
そんな感じで、徹底的に準備をして、夜中に自分の部屋でお客さんを待ち構えていた私ですが、そこでとても大変なことに気づいてしまいました。
私は未だにお客さんの名前を知らないという大変な事実を――――
主人公と比べて長いのは主人公より色々と考えているからです。主人公は、殆ど何も考えていないので短くなります。