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知性の弊害


 さっきまでは通路だったが、今は部屋の中にいる。

 通路の石壁をぶち破って、ここにいるわけだけど、見た感じは客室って感じ? 結構、豪華で素晴らしいんじゃなかろうか。

 なんで修道院にそんなのがあるかは知らんし、今はそういうのはどうでもいいんだけどさ。


「昔の貴族が習得を義務付けられた武芸は何か知っているか?」


 セイリオスはゆっくりと近づきながら話しかけてくる。

 俺の方は回復魔法を使った分の魔力を少しでも回復させたいから、休憩になって良いんだが、セイリオスの方も話しかけながら魔法でダメージを回復してるみたいだし、どうしたもんかね。


「知るかよ」


 俺が答えると同時にセイリオスが一気に距離を詰める。

 やはり速さじゃ太刀打ちするのは難しそうだ。


「答えは徒手空拳だ」


 言いながらセイリオスが右の裏拳で俺に殴りかかる。

 右の裏拳は俺の顔の右側面を狙っていたものなので、俺は右腕をセイリオスの前腕に交差させるようにして、その拳を押しとどめた。

 その瞬間、セイリオスは俺の右腕を左手で捕まえると、自分の右腕を支柱にするようにして俺の腕の関節を極めにかかる。

 力任せに逆らうと腕が折られそうな予感がしたので、逆らわずにセイリオスの動きに任せるとセイリオスは腕を極めた状態で俺を投げ飛ばし、床へと叩きつける。


 余計なことをしなかったので腕は折られていない。

 だが、床に転がる俺を向かってセイリオスは踏みつけようとしてくる。


 さっきは半殺しとか言っていたはずだけど、完全に殺しにかかっているように見えるので俺も必死にガード。腕を交差させて、踏みつけてきたセイリオスの足を受け止める。

 腕の骨が軋むような感覚はあったものの、なんとか耐え、俺は踏みつけてきたセイリオスの足を捕まえ、力任せに引き倒す。

 お互いに床に倒れた体勢になるが、先に倒れていた俺の方が起き上がりが早く、その流れでセイリオスに覆いかぶさるように殴りに行くが、それと同時にセイリオスが跳ね上げた足が当たり、俺の動きが遮られる。


 なんか戦いにくくてしょうがないんだが、どうしたもんかね。

 攻撃のテンポを乱された俺は倒れたセイリオスを追撃することはせずに立ち上がる。

 すると、セイリオスも飛び起きて、俺から距離を取る。


「こういうのが本来の貴族の戦い方だったんだ」


 セイリオスは歌うように語りながら、じりじりと間合いを詰めてくる。


「優雅に剣や槍で戦う? それは違う。田舎貴族はどうかは知らないが、宮廷貴族は帯剣するのが許されない場面も多い。特に王の御前であれば限られた者しか武器を持つことが許されない。理由は分かるか?」


 知るかよ。つーか、喋りながら少しずつ間合いを詰めてくるをやめろよ。


「乱心した輩に斬りつけられたら堪らないって理由さ。なんともまぁ、情けないが、昔のアドラ王国の事情を考えればそれも仕方がない。なにせ、王家自体が正当な物ではないのだから――」


 そこまで言った瞬間、セイリオスの姿が消え――


 直後に衝撃で俺の視界が揺れる。


 おそらくだけど殴られた。

 一瞬で間合いを詰められて、俺が反応も出来ない速さで殴られたんだと思う。

 セイリオスから目を離してないのに、動きを見失うとかどんだけ速いんだよ。


 完全に虚を突かれた状態で殴られた俺の体が揺れ、その場に倒れこもうとする。

 俺は足に気合を入れてそれを堪える。その最中、視界に端にセイリオスの姿が僅かに映った。

 右の拳を真っ直ぐ振り切ったセイリオスは、俺に一撃を叩き込んだ方の腕を引きながら、左の拳で更に攻撃を重ねようとしている。


 何もしなければ俺の方が殴られるばかりだ。

 なので、俺は咄嗟に右腕を振り、拳をセイリオスの左顔面に叩き込む。

 同時に俺の腕と交差したセイリオスの拳が俺の右脇腹をえぐった。


 互いによろめく中、先に復帰したのは俺の方だ。

 体格では俺の方が勝っているし、体力も俺の方が上なのだろう。

 俺は体勢を立て直すとセイリオスの顎先に右のフックを叩き込み、続けて左の拳を鳩尾に叩き込む。

 普通の奴ならこれで死んでるけれどもセイリオスの今まで状態を見る限り、もう少し殴っておかないと安心はできないので、俺は右の拳を真っ直ぐ振り抜いた。


 しかし、俺の拳は俺が狙いを外したのか、セイリオスが躱したかは分からないが空を切った。

 そして、その直後、俺の右の太ももに鈍い痛みが走る。

 見るとセイリオスが俺の太ももを蹴っていた。相当に痛かったが、それでも耐えられないほどではない。

 そう思った瞬間、右膝に力が入らなくなり、体がよろめいた。


「足に怪我をしていたよな」


 そんなセイリオスの声がすると同時に奴の体が飛び上がり、俺の顎に奴の膝が当たる。

 とんでもない衝撃に脳味噌が揺れて意識が飛びそうになるが、ギリギリで俺はそれを堪えて、飛び上がった奴の体を空中で抱え込むと、それを一気に床へと叩きつけた。


 叩きつけた奴の体が床に倒れるが、追撃する余裕はなかった。

 頭に食らったダメージは思ったより深刻だし、何より足がガクついているのがまずい。

 俺はすぐさま回復魔法を発動し、体のダメージを回復する。


 その間にセイリオスは俺から悠々と距離を取り、俺に向けて言う。


「さっきの話の続きをしようか」


 結構です。というか、何を話していたっけ?

 思い出せないんで、今度は俺の方から距離を詰めるために前へと出る。


「大昔の王宮はそれはもう酷いありさまだったらしい。なにせ大半の貴族は丸腰で登城せざるをえなかったんだから、反撃の恐れは少ないので謀殺とかは容易かったようだよ。そんな状況でも登城しなくてはいけなかったのは、王の命令に逆らったと思われると今度は領地そのものを取り上げられる可能性があったからだ」


 一気に距離を詰めて殴りかかった俺の拳をセイリオスは上体を軽く反らすだけで躱し、同時に俺の膝に対して横から蹴りを入れる。

 鞭の様にしなりを入れた蹴りが当たった瞬間、俺の膝に力が入らなくなる。


「まぁ、王宮に問わず、丸腰の時が一番狙われやすいわけだから、必要に迫られていたんだろうね」


 俺の体が僅かによろめいた瞬間、俺の頭めがけて蹴りが飛んでくる。

 俺はかろうじて腕でそれを受け止めるが大きく体がよろめき、その瞬間にセイリオスの拳が俺の顎を真下から打ち抜いた。


「自分の身を守るために貴族が編み出したのが素手の格闘術だ。武器の携帯の許されないような場所でも身を守り自身の敵を殺す術。これを大昔のアドラ王国の貴族は磨いてきた。陰謀渦巻く貴族社会を生き抜くためにね。今はもう廃れてしまったが、書物ではそれぞれの家に伝えられていて、それは当然ウチの家にある」


 本格的に足が言うことを聞かなくなり、崩れ落ちそうになる。

 そんな俺に対してセイリオスは容赦なく拳を打ち込んだ。

 左の拳で俺の肝臓がある辺りを殴り、続けざまに右の拳で鳩尾を殴る。そして、左の拳で俺のこめかみを殴りつけ、最後に顔面に向かって真っ直ぐ右の拳を振り抜く。


「お前の我流の喧嘩格闘技と一緒にされては困るってことだ」


 ああ、そうですか。だからどうしたって言いたいね。足にはキてるけど意識はまだ大丈夫だぜ。

 俺はセイリオスの放った右のストレートを首を振って躱すと伸びきった払いのけ、セイリオスの懐に飛び込んだ。

 直後にセイリオスの左拳が至近距離で俺の脇腹に叩き込まれる。だが、同時にセイリオスの懐に飛び込んだ俺の頭突きがセイリオスの顔面にめり込んでいた。


「御高説は結構だ」


 色々と言っていたけど、結局の所俺をぶっ倒せていないじゃねぇか。偉そうなことをほざくのは俺を殴り倒してからにしてもらいたいもんだ。

 そんなことを思いながら、俺は頭突きを食らってよろめくセイリオスの体にタックルを決め、押し倒す。

 密着した距離の無い状態で俺はセイリオスの脇腹を叩き続ける。距離が足りないし振りかぶることも出来ないのでどうしても威力は低いから、何とかセイリオスとの間に僅かでも距離を取りたいのだけれども、セイリオスは両腕と両脚を使って、俺の胴体に絡みつき密着した体勢を維持しようとしている。


 だったら、このまま脇腹を叩き続けてりゃいいや。

 そう決めると同時に密着状態にあるセイリオスが首だけ振って俺の顔に頭突きを叩き込んだ。

 それによって鼻の骨が折れたのか血が噴き出てくる。良く見ればセイリオスの方も鼻から血が出てるし、お互い様なのかな? いや、それはねぇわ。絶対にこの場はセイリオスの方が悪い。

 頭突きを食らった衝撃で俺の頭がのけ反ると同時にどういうわけか、俺の体に絡みついていたセイリオスの手足が離れる。

 俺は即座に身を起こし、馬乗りの状態でセイリオスの顔面に拳を――


 と思ったけど、良く考えると俺って馬乗りになってなくねぇ?

 どっちかというとセイリオスの股に体を突っ込んでいる状態で、セイリオスの両脚に挟まれてるわけだし、セイリオスは寝転んでいる以外は体はほとんど自由だよね?


 そんなことを思った瞬間には俺の拳は既にセイリオスの顔面に振り下ろしていた。

 頭突きを食らったから、その反撃のつもりで咄嗟に拳が出てしまった。

 普通なら避けられるはずがないから心配する必要はないはずなんだが――


 セイリオスは横になった状態で身をよじり俺の拳を躱した。


 そしてセイリオスは横になった状態で俺の腕を掴むと、その腕を引き寄せながら両脚を跳ね上げ、俺の体に巻き付ける。殆ど一瞬の動作で俺には対処の仕様がない。

 そうして気づいた瞬間には、俺の首が絞め上げられていた。

 腕を伸ばされた状態で、セイリオスが俺の首に巻き付けた両脚に力を込めている。

 一本の脚は俺の首の後ろに回り込んで、膝の裏で俺の首を押さえつけ、もう一本の脚で肩と頭が抜けないようにして首を挟んだ状態であり、その状態で俺の首を両脚で締め上げている。

 どこで聞いたか忘れたけど三角絞めだったか? なんかそんな技だったと思うけど――


 ――あぶねぇ! 息ができなくて朦朧としてた。悠長なことを考えてると意識が飛ぶぞ、これ。


 危機感を覚えて抜け出そうと力を込めるが想像していた以上にがっちりと体が固定されているため、抜け出しようがない。純粋に力だけで言えば俺の方が上だけれども、力だけでこの状況を打開する方法は無い。なので、ちょっと工夫をする。


 俺は首を絞め上げられた状態のまま立ち上がる。

 当然、腕はセイリオスが掴んでいるし、首にはセイリオスの脚が巻き付いたままだが、セイリオスの体重くらいならば首を絞め上げられていても余裕で持ち上げられる。

 俺はセイリオスに三角絞めを決められたまま、セイリオスを高らかに持ち上げると、そこから一気に床へとセイリオスを叩きつけた。

 相当な衝撃があったはずだが、それでもセイリオスは俺の首を絞める力を弱めない。それどころか更に力を込めてくる。

 息は出来ないし、脳に血が回っていってないような感じがあるので、俺もそうは耐えられないため、ちょっと容赦のない方法に移ることにした。


 俺は絡みついているセイリオスを持ち上げると部屋の壁に向かう。


「待て――」


 セイリオスが何か言ったような気がするが気にしている余裕はないし、そもそもここまでされて気にするやつがいるかって話だ。ちょっと反省してもらおう。


 そして俺は腕に巻きついたセイリオスを部屋の石壁に叩きつけた。

 全力も全力で叩きつけたことでセイリオスの体が石の壁にめり込み、壁を突き破る。

 しかし、それでもセイリオスは俺から離れようとしないので、俺はセイリオスを壁に叩きつけた状態のまま壁に引きずるようにして引きずり回す。

 石壁が砕ける凄まじい音がするが、俺にとっては首を絞められ息ができないほうが重大なので、気にするようなことじゃない。これだけやってもセイリオスは俺の腕を掴んでいるし、脚は首を絞めているわけだしさ。

 時折、セイリオスの体が跳ね上がり、壁から離れるがセイリオスは俺の首を絞めたまま離れる気配がないので、再び叩きつけて引きずり回すのを再開する。


 そうして、部屋を一周した頃、ようやくセイリオスの脚から力が抜け、俺の首が解放される。


 だが、その瞬間、俺の腕の関節が極まった。

 良く見ると頭から外したセイリオスの脚が、今度は俺の肩と腕に絡みついており。それによって俺の右腕が固定されていた。

 俺はセイリオスを引き剥がそうと再び、その体を何かに叩きつけようとしたが――


 俺が行動を起こすよりも早くセイリオスが俺の右腕をへし折った。

 正確には肘関節だが、そこを体を大きく反って逆方向に曲げたようだ。


「この野郎――」


 流石にこれには俺も我慢ができません。

 痛くて痛くてしょうがないし泣きそうなんだけど、どうしてくれんだっていう怒りを込めたのだけれども、俺の言葉は通じなかったのか、セイリオスは俺の腕から離れて床の上に立つと俺の頭に蹴りを入れてきた。

 セイリオスの蹴りは俺の顔の右側を狙ったもので、咄嗟に右腕で防ぐものの、防いだ瞬間、折れた腕に激痛が走り、俺の動きが止まる。


「そう言いたいのは僕の方だ」


 動きが止まった俺に対して、セイリオスが蹴りを放つ。

 背中を見せながらの一回転しつつの回し蹴り。後ろ回し蹴りというのか、それを食らった俺の体が吹っ飛び、またもや壁を突き破って俺の体が部屋の外へと向かう。

 部屋の外は屋外であり、俺がいた場所は地上数階の高さなのだが、ぶっ飛ばされた俺の体は地上へと落ちることなく、修道院の建物の屋根上に叩きつけられた。


 ちょっと、洒落にならないくらい痛くなってきた。

 俺もあまり手加減が出来てないと思うけど、セイリオスの方も大概なんだが、どうすんだこれ。俺は腕が折れちまったし、あの野郎、信じらんねぇんだけど。


 尋常じゃなく痛いし、こういう時は楽しいことを考えて気を紛らわさないとマジで心が折れる。

 えーと、さっさと屋敷に帰って風呂入って、メシ食って、酒飲んで、一発か二発か三発くらいヌいて、それから寝る。メシはカタリナかキリエちゃんに作ってもらいましょう、酒飲むときはエリアナさんと一緒に飲みたいね。で、一発ヌく時の妄想は――


 ――よし、頑張る気力が少し湧いてきたぞ。とりあえず折れた腕を魔法で治して――


 と思った瞬間、セイリオスが俺が吹っ飛んだ部屋の中から姿を出し、俺の所まで跳躍した。

 距離は十メートルくらいあるが、そんなのは関係ないと言わんばかりの勢いで、俺の方に向かってきながら飛び蹴りの体勢を取る。


 思った以上にダメージが多い俺のふらついた体では咄嗟の動きでそれを躱すのは難しく、無事な左腕を盾にするようにセイリオスの飛び蹴りを防御する。

 俺は蹴りの勢いに負けて後ずさるもなんとかそれを耐えきり、回復魔法で治りかけの折れた右腕をセイリオスに叩きつけた。

 飛び蹴りによって体を俺に預けていたセイリオスは、それによって屋根上に転がるが、その体勢で俺の足を払い、俺も転ばせる。


 急いで立ち上がろうと膝をつく俺に向かって、先に立ち上がったセイリオスが蹴りを放つ。

 地面に転がる球を蹴るような勢いで俺の頭に向かって放たれた蹴りを俺は咄嗟に右腕で防ぐが、その瞬間、右腕に激痛が走る。さっきまでは治りかけだった腕が、再び折られ尋常じゃなく痛い。

 蹴りが当たること自体は防いだものの、衝撃までは防げずに俺は仰向けに倒れたし、損ばかりだ。


 そんなことを思っていると、倒れた俺にセイリオスが飛びかかり馬乗りになってきた。

 嫌な予感がして腕を上げようとするが間に合わない。


 セイリオスが拳を振り上げるのが見え、直後に凄まじい衝撃を受けて俺の意識が飛び――


 ――一発、二発と殴られている中、俺は意識を取りもどした。

 本当に一瞬だけ意識が飛んでいたようだが、ギリギリで意識を取り戻した俺はすぐに腕を上げ、わずかでもセイリオスの拳を防ぐための盾にする。

 完全に防ぐのは無理だが、多少でも攻勢を弱められればいい。そう思って腕を差し出すように盾にしたのだが、俺の目論見は当たり、一瞬セイリオスの攻勢が緩まった。俺のガードをどうやって崩すか考えたのだろうが、その一瞬の攻勢の弱まりがあれば充分だ。


 俺は残っている魔力を振り絞り、〈ファイア・ボール〉を至近距離からセイリオスの顔面に向かって放つ。

 当然、セイリオスはそんなものは簡単に避けられる。だが、俺に馬乗りになっている不自由な体勢で、全く体を動かさずに回避は出来るわけはなく、上体が僅かに泳ぎ、俺への拘束が弱まる。

 その隙を突いて、俺はセイリオスの下敷きになっている状態から全身の筋肉を使って、セイリオスを跳ね除けた。


 俺はすぐさま立ち上がると僅かに驚いた表情を浮かべるセイリオスに背を向け、屋根上から見える一番近くの窓へと飛び込み、屋内へと身を隠す。

 とてもじゃないが、正面からは戦っていられない。何を思って今までの俺はあんな奴と殴り合っていたのか。少しは頭を使って戦うべきだと今になって思いつくなんて、俺の頭はどうかしているな。


 とりあえず、俺はセイリオスに見つからないように窓から飛び込んだ場所から移動しつつ、右腕に回復魔法をかける。

 この場所はおそらく修道院の本館の中央だろう。このまま下に降りれば、外へ出られるだろうが、セイリオスからは逃げられるか?

 先に逃げたエリアナ達はおそらく無事だろうが、まだ遠くへは行っていないだろうから、あいつらを囮にすれば俺は無事にこの場を切り抜けられるし、そもそもイーリスが死ねば何の問題もないんじゃないか?

 あいつらは美しいので死ぬのは多少惜しいが、このままでは俺が殺される可能性がある。俺の命と奴らの命を天秤にかけたら俺の命の方が尊いだろう。


 だが、そんな考えを俺が巡らせていると――


「マイナスにマイナスを掛けるとどうなるか知っているか?」


 後ろからセイリオスの声がする。

 俺が振り返ると、セイリオスが窓に腰かけ、俺の方を見ていた。


「僕たちの世界じゃ、そういう計算はまだ存在していないから知る由もないだろうがね」


 セイリオスの眼差しは俺を値踏みするようなものだった。

 俺はそんなセイリオスを警戒しながら、この場を切り抜ける手段を考える。


 命乞いでもするか? それとも剣を抜くか?

 いや、剣を抜くのはマズいな。おそらく、それをするとセイリオスに補正がかかる。今の段階で相当な力を持っているのにアスラカーズの加護がかかれば、手を付けられなくなるだろう。アスラカーズの加護は大なり小なり、この世界の誰もが持っているものであるから補正がかからないということは、まずありえない。


「僕はなんとなく思ったんだが、頭も悪さが過ぎればマイナスだよなぁ。ゼロで収まるなら影響はそれこそゼロだが、悪影響があるならマイナスと考えるべきだと思うんだ」


 だったら、命乞いか?

 命乞いをすれば見逃してもらえる可能性は高いが、危険も多い。

 そんな普通の対応を取る俺をセイリオスは認めるか? 特別であるという評価がない俺ならば取るに足らない存在だと切って捨てる可能性だってある。命乞いはそれこそ命が危うくなった最後の手段とするべきだ。


「そして、殴り続けられるなりして意識が朦朧になったり意識が途切れれば、それはそれで状態が悪くなっているんだからマイナスとするべきだとは思わないか?」


 ならば、戦うしかないか。

 楽勝は無理だが、さっきまでの感じならば負けはせずに戦いを引き延ばせるだろう。

 そうやってセイリオスの体力を限界まで削り、諦めさせる。

 なんとも情けない話だが、それ以外でこの場を乗り切るくらいしか思いつく方法がない。


「もともと糞みたいなマイナス頭が、僕に殴られたことでマイナスがかかった。さて、今のお前の頭はプラスかな?」


 幸い頭は普段よりも冴えている。

 ならば、多少なら対処は可能だが――


「掛けたんじゃなくて足したのかもしれないな。マイナスにマイナスを足せばマイナスだぞ」


「その答えが出るだけでプラスになっているのは分かるよ」


 セイリオスはそう言うと腰かけていた窓から立ち上がる。

 多少なりともこちらの状況が良くなったと悟って慎重になってもらえば好都合だ。そうやって、なるべく時間を稼ぎ、向こうを消耗させ、引き分けに持っていく。


「一つだけ言いたいことがあるんだが――」


 不意にセイリオスが口を開き、それとほぼ同時にセイリオスの姿が消える。

 一気に距離を詰めて俺の顔面に拳を叩き込むつもりだろう。

 俺は警戒を強めて、両腕を顔の前まで上げ、セイリオスの攻撃に備えた。が――


 俺が腕を上げた瞬間にセイリオスの拳が俺の顎を打ち抜いた。

 一発受けたのは、もうどうしようもない。とにかく次を防ぐしかない、まずは体勢を整え、奴の動きを見極め、次の攻撃を確実に防ぐ――


 そう決めた瞬間、俺の鳩尾にセイリオスの拳が叩き込まれた。


「随分と反応が鈍い」


 崩れ落ちそうになる足に力を入れ、なんとか立った姿勢を維持する俺に向かってセイリオスが蹴りを放つ。

 かろうじて腕を上げて、それを防ぐものの勢いまでは防ぎきれず、俺の体が衝撃に負けて後ずさる。


「色々と考えているのは分かるんだが、お前が考えている間に僕の手足はお前を捉え、お前が考えをまとめて動き出そうとした瞬間には僕の手足はお前に触れている」


 確かに普段と比べれば、反応速度が鈍るのは否めない。


「マイナスの時の方が勘で動き出す分、僕の動きにはついていけたな。今は頭で考えている分の時間が仇となって僕についていけてない」


 セイリオスはゆっくりと拳を構え――


「今の状態の方が普通の相手には強いんだろうが――」


 直後に姿が消える。おそらく今度は――


「僕にとっては今の方が雑魚だ」


 何かが当たり、俺の頭が大きく揺さぶられる。

 先ほどまでと違い、何をされているかが全く分からない。


「よくよく考えてみろよ。呪いを解いてやるといったが、そんなことをして僕より強い敵になったらどうする? 勝算もなく、そんな阿呆な真似を僕がするとでも? 僕はな、お前の呪いが解けたところでたいした問題がないから呪いを解くと言っていたんだぜ? つまりは――」


 よろめく俺にセイリオスが近づき、拳を振り上げ――


「お前などは僕の相手にはならないということだ」


 ――俺の頭に振り下ろした。




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