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菊水発令

 四月一日、特攻隊員が収集され、その場で菊水作戦が発令された。米軍の沖縄上陸作戦が始まり、その近海に進撃してきた敵艦を叩くというものだ。


 とうとうこの時が来た。私はこの作戦の発令を聞いた時、体中を激しく襲う使命感とそれに伴う緊張感が全身に鳥肌を誘発させた。


 第一陣の出撃は六日で、鹿児島県串良基地には前日に進出するらしい。


 となるとこの宇佐空へいられるのも今日を合わせて後四日ばかりとなる。とにかくこの地でお世話になった方々に報告だけはしておかないといけない。





 発令の翌日、私た三人は健三爺さんの所でいつものごとく畑仕事を手伝っていた。


 遠くまで見渡せる広い田園の中での農作業は、山々の谷間にある我が家の畑と違った清々しさがある。


「おーい、すこし休もう」


 十数歩先で手を動かしていた健三爺さんが首にかけた手ぬぐいで汗を拭いながら言った。日の高さから見るにもう昼を過ぎて小一時間ほど経っている。


 休息は家の縁側にいつもの順に並んでとる。そろそろ話さなくてはならない。私は、保坂と福喜多両名と目で確認をしあい、口を開いた。


「健三爺さん、私らもう直ぐ出撃することになりました」


 その言葉に、健三爺さんと幸子さんは少しポカンとしたのち「いつここを立つんですか?」と健三爺さんが問うた。


「四日に串良の方へ行くので、あと三日でここを立つことになりますね。正直ここへ来る事ができるのは今日で最後になりそうです」


「それはまた突然の事で……」


「申し訳ないです」


「は、こちらこそ失礼なことを」


 健三爺さんはハッとした顔をした。


「幸子、兵隊さんの方々の門出やけん、赤飯を炊きなさりい」


「お爺ちゃん、家にもち米なんてないっちゃ」


 その返事を聞いた健三爺さんは悲壮な顔を斜め下へ向ける。


「健三爺さん、そんな大丈夫ですよ。俺らはその気持ちだけで百人力を得たようなモノです」


「じゃけんど……」


 それでも釈然としないらしい健三爺さんに私は「それならば」と口を開く。


「団子汁、もらえますか?」


「そげやのでええのじゃろが?」


 健三爺さんがポカンとした顔で聞き返した。もう一度あの団子汁を食いたいというのは紛れもない本心だ。


「それがいいんですよ。なあ?」


 あとの二人に確認をとる。二人とも迷わず頷いた。


「わかりました」


 健三爺さんの送った視線に、幸子さんは眩しいほどの笑顔で返事をし、土間へと消えた。





 幸子さんが料理をしに行って数刻、空では西へ傾いた日に赤みがさし始め、土間の上の煙突から立ち昇る煙をほんのりと朱色に染め上げていた。


「畑仕事、手伝ってもろてばっかりで……それなのに、こっちはなあんもできんで…………」


 いつもより赤味を帯びた健三爺さんが静かな声でポツリと呟いた。それを聞いた福喜多が慌てて応える。


「いや、三人ともとても楽しませてもらいました。実家に居るような安心感すらあります」


 福喜多が息をひとつ吐き、続けた。


「それに、これから死にゆく私達にとってここは憩いの場でした。礼を言わせてください」


 それを聞いた健三爺さんはただ静かに頭を下げた。


 初めてここに来た時に味わった団子汁の味と暖かみを舌と腹に染み込ませ、帰隊へと着く。


 私たちは門を一歩外に歩み、見送りに来た健三爺さんと幸子さんへ振り向いた。


「幸子さん、団子汁うまかった。この味を胸に行ってくる」


「はい」


 穏やかな笑を浮かべた福喜多が幸子さんへ言い、見つめあう。


「おい福喜多」


 保坂が声をかけると、福喜多は見事な慌て方を見た。

「ご武運を、祈っております。どうかこの国をお守りください


 健三爺さんが頭を深くたれ、幸子もそれに続く。私たちはそれに対して敬礼で返答した。


「私たちは靖国におるんで、また会いに来てください」


 私たちが基地へ歩いている間も、二人の姿が見えなくなる直前も二人が頭を上げることは無かった。


「なあ福喜多」


 後ろをチラチラと名残惜しそうに見ている福喜多に、保坂が口を開く。


「おまえ、幸子さんとできとったやろ」


「んなっ、何を言っとるんな」


 そんなに慌てていれば答えを言ってるようなものだろう。私は目を白黒させている福喜多を見て、思わず笑ってしまった。


「ところで、どういうわけでそうなったん?」


 ニヤニヤと非常に楽しそうな顔をした保坂が問い詰める。


「な、何を根拠にそんなこと言っとるんな」


「この前、海辺歩いとったやろ。それにさっきもなんやあれ、こっちが気恥かしくなってくるわ」


 保坂の途切れることのない言葉攻めに、福喜多は猿の様に顔を真っ赤にして黙りこんでしまった。


「ウブやの」


 そしてとうとうその一言で福喜多が「うるさい」と捨て台詞を残して逃げ出した。


 後ろ頭の両脇に付いている耳は暮れかけの夕日より赤くなっている。それを保坂が笑いながら追いかける。


 まったく、こいつらは何も変わらない。もっとも私とて人の事は言えやしないが。私は苦笑しながら二人の後を追った。





 人里近い林と平地の丁度境目、私の所属する姫路海軍航空隊の者たちの前には巨大な鳥居が私たちを見下ろしていた。


 これほどまで大きい鳥居は生まれてこの方見たことがなく、その大きさにいくらばかりか圧倒される。


 宇佐海軍航空隊より数キロの地にあるここは宇佐神宮という。国の保護を受け、全国の八幡宮の総本宮に当たる由緒正しい神社だ。


 特攻出撃にあたり、姫空を含む各部隊員達はここを参拝し、作戦の成功を祈る。


「ほら、行くぞ」


 佐藤大尉が歩きながら、足踏みした私たちを急かした。私たちは慌てて列を作ってその後に続いた。最後尾からは新聞記者であろう者がカメラを片手について来ている。


 所々にある小さな祠や、二つある巨大な鳥居、手入れの行き届いた庭園など横目に、真白な砂利が敷き詰められた広い直線の参道を数百メートルに渡って歩く。


 今までのひらけた場所から、その先の木々が密に生い茂った広場へと数段の石段を登ったところで一気に雰囲気が変わった。


 大きな木々が光を遮り、その隙間から漏れた日の光が苔むした石灯籠や石段を照らし出す。


 厳粛な空気が立ち込め、その神々しさに自ずと気が引き締まって行くのを感じた。この広場から伸びるいくつかの石段のうち、一際広い石段を登っていく。


 比較的長めの石段の頂上に赤い漆で彩られた小さめの門が姿を現し、それを通って先にある本殿の前へ向かう。


 ゆるいくの字をした境内には白く隙間のない石畳が広がり、左手に建つ本殿の赤が青空によく映えていた。


 ここ、宇佐神宮は他の神社とは少し違った参拝の方法をとる。通常は二礼二拍手一礼であるが、ここでは四回手を叩く。


 また、一乃御殿から三之御殿まで三回続けて礼拝を行い、これが下宮と合わせて計六回行う。


 御殿の前には六〇名程が並んでいるが、誰ひとり物音を立てていない。


 周囲からは木々のざわめきとそれに紛れて鳥の声が聞こえ、境内には手を叩く乾いた音が鳴り響く。


 基地を出、参道を通り、ここに至るまで色々な事を思った。


 故郷に黙っておいてきてしまった家族。育ち盛りの子供二人を女手一つで育てるのは大変だろう。母には本当に申し訳が立たない。


 それに対して私は今こうして神々に対して祈る事しか出来ない。


 礼を終えて段を降り、参拝者名簿に名前を記入する。あまりにも無力な自分を私は恨まずにいられなかった。

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