宇佐人情
車軸の修理は難航を極めた。安田家の庭に毎日通い、健三爺さんや幸子さんがたまに見守るなか、ああだこうだと言いつつ数日でそれは完成した。
そして、ほぼ毎日健三爺さんの家へ訪れていた私たちの姿を見つけた近くの子供が群がるようになった。
今もガキンチョに囲まれながら一緒に水路の中を覗き込んでいる。草の穂先を使ったカエル釣り、夕食用の野草探し。
それらに付き合って毎回びしゃぬれになったり、泥まみれになったりと酷い有様だ。しかし、私はそれが楽しかった。
仲間や子供、それに健三爺さんや幸子さんというあたたかい人々の中で何も考えずに過ごす日々は楽しくて、ふとした時など特攻のことすら忘れるほどだ。数日後には自分が死ぬというのが嘘のように感じる。
しかし、その少しばかり向こうの広い敷地に整然と並ぶ無数の機体が、斜め上から降り注ぐ光を反射してキラキラと輝いている。
その光景を見ると、否応が無しに特攻の事を思わせられる。三月三〇日だというのに未だ作戦の発令はされず、この基地に進出してからすでに一週間が経とうとしていた。
何もせず、ただ待つだけと言うのは本当に辛い。
「いつになったら出撃できるんかな」
無意識にそんなことを漏らしてしまうほど、私は楽しさと危機感の狭間で強烈な焦燥感に駆られていた。
別に早く死にたいというわけではない。いつまでこうしていたらいいのか、こうしている間にも神戸の沿岸部では空襲が続いているのだ。
近くに家族が居て、そこが空襲を受けないとも限らない。それに、このままの戦局で行けばじきに米兵が乗り込んでくる事だって考えられる。
本土決戦なんてものをしたらこの国の全てが破壊されてしまう。早く敵艦を沈めたいという気持ち募る一方だった。
周坊灘と呼ばれる宇佐の海は、黒い砂浜と拳大の石の多い海底が特徴的だ。
目の前の小さな干潟のような地に転がっているの大小の石には、無数の細い巻貝がへばりついている。
その数と密度がかなり多いため避けて歩くことは難しく、歩けば足元でバリバリと音を立てる。そんな貝を子供たちはザル一杯に集めようとしていた。
一体何に使うのか分からないが、元気な声で楽しそうにはしゃいでいる姿を、私と保坂は少し離れた砂浜に腰をおろして見ていた。
こうして見るこの光景はとても平和で、戦争をしている今が現実とは思えない。この平和もこの子らも、私たちが守ってやらなければ。そう思わざるを得なかった。
「いつになったら攻撃するんやろな」
座っている私の上から、保坂がちらりとこちらを見下ろす。
「さあ……、ただもどかしいわな。早くこの手で敵艦を沈めてやりたいわ」
「お前、電信員やろ」
保坂は操縦桿を前後左右に動かす動作しながら答えた私を鼻で笑い、視線を前にもどした。
「そんなん関係あるか。この覇気で沈めたるわ。それにお前だって電信員や」
「ほう、じゃあこの石をその覇気で割ってくれ」
近くにあった石を指差す。
「そんなもんに使う覇気はない。もったいないわ!」
「うそつけ、有り余ってるくせに。ちょっと分けてくれや!」
「やらん!」
子供じみたやり取りを繰り返していると、背の方から鬼の声と言われても違和感のない野太いガラガラ声がした。
「お前ら元気やな」
その声に二人して動きを止め振り向いてみると、第三種軍服を着た二人の男が立っていた。階級証を見るに海軍航空隊の一飛曹。
私たちの一つ上の階級だ。私たちは立ち上がって尻の砂を軽く叩き、軽く敬礼を交わす。
「ここにいるっちゅうことは特攻隊か?」
私たちより五.六歳上だろうか、無骨な雰囲気の声を発する。
「はい、姫路海軍航空隊から来ました」
「そうか、聞くにそこは訓練隊だと聞いたが……まあいい、同じ死にゆく者同士仲良くしようや」
今度は隣の人だ。太い眉毛が気になる。
「ということはお二人も?」
保坂が返事をした。
「宇佐空のな。ここいらは庭みたいなもんだ。隣、失礼しても?」
太い眉の人が私たちの隣を指差して言った。
それから私たちは黒い砂浜の上に座って話し込んだ。二人は宇佐海軍航空隊で編成された隊で、私たちと同じ九七式艦攻で出撃するらしい。もっとも二人は操縦員らしいが。
話は地元の自慢合戦から予科練時代の思い出、搭乗する九七式艦攻まで多岐に渡って盛り上がった。自然と敬語が消滅するのも時間はかからなかった。
「おい、知ってるか。靖国にはものすごいべっぴんさんがおるらしい。膝枕して慰めてくれるんだと」
そんな途中、顔が厳つい方がただでさえ厳つい顔をにやりと捻じ曲げて言う。小さい子供が見たら泣きそうな顔だ。
「へえ。やけど、それって一人? 後の方のやつはやって貰えるん?」
「そう、だから早いもの勝ちだ。俺が先に行くからお前らはあとから来いよ」
保坂と厳つい人の言葉に段々と熱がこもり始めた。まったくそんなわけないだろうに。まあ保坂を安心させてやろう。
「べっぴんさんは何人もいるから、後も先もないよ」
「なんや、お前そんなに嬉しそうじゃないな」
「ああ、こいつな。恋人おるから。夜も眠れんで佐代子佐代子と毎晩やかましいで」
「アホか、何を言うとるねん! そんな事言っとらんやろが」
太い眉の人が不思議そうにした所で保坂がとんでもないことを吐かした。せっかく安心させてやろうとしてやったのに。
「ほう、どんな人だ! もっと聞かせろ!」
秘密にしなければならない事でもないが、やはり気恥ずかしい。それからはもう大変だった。
話が変わるが、私たちはよく会話の中で靖国神社を登場させる。しかし、皆本気で心のそこから死ねば靖国に入れるとは思っていない。
それでも私たちには死後の世界。自らおもむく死後の形として靖国が必要だった。他にどう捉えれば良いのか。
靖国に先に死んだ仲間が居て、自分も死ねばそこに行く。そして残された者はいつでも会いに行けて、先に行った者はまた家族と会える。
私たちにとって、そこは心のよりどころなのだ。そしてそれは残される家族や知人にとってもそうなのだろう。
「ん? あれ誰や」
少し先の浜辺に、ひと組の男女らしき影が現れる。
「あれは、福喜多ちゃうか?」
「そんなバカな、ならあの女の人は誰や」
「えーと……健三爺さんとこの幸子さんちゃうか? 前から二人の雰囲気いい感じやったような気がする」
「健三爺さんて安田さんのところか?」
厳つい人が疑問を口にした。
「知っとん?」
「まあな、安田さんには色々お世話になったから。しかし、あそこの孫娘さんが男と二人とね」
「福喜多ってのはどんなやつだ」
今度は太眉が疑問を口にする。
「ええと、気の小さいやつやけど、優しくていいやつやで。女気はせんかったけどな」
「ともかくあいつにも靖国でべっぴんさんは必要なさそうや」
「チクショウ」
私の説明に続いて保坂が恨めしそうに言った。そんな保坂に声をかけた。
「応援してるぞ・・・・・」
「やかましい」
そうこうしている内に、貝を集めていた子供たちがザルを両手で抱えて戻ってくる。
「兄ちゃん! いっぱい採れた!」
眩しい程の笑顔で見せてくれたザルの中にはギッシリと詰まった貝が入っている。
「これ何に使うん?」
「えっとね、食べれるかもしれないから持って帰るの!」
貝は小指の先程の大きさしか無いが、これを食べるのか。
「そうか、母ちゃん喜んでくれるといいな。でも、もう日が落ちてきたし帰りな」
「この子達家に送って行かないとあかんから」
他の部隊の二人に保坂が言う。
「わかった、じゃあ先基地に戻っとく。また合ったときよろしく頼むな」
私と保坂は二人に別れを告げ、潮の匂いをプンとさせた子供達を家に送っていった。その時に子供たちの親にお礼をされそうになったが、それは丁寧に断った。
ただでさえ生活が苦しいのに、何かを頂く様な事は出来ない。私たちはあたたかい気持ちと共に帰路についた。