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待機

 雲が深く垂れた空に複数のエンジン音が反響し合って雷のような音をとどろかせている。


「今度はどこの隊やろ」


 私のつぶやきに、隣の二人も空を仰いだ。一人福喜多、もう一人は保坂という背がバカ高く、若くしてオジサンのような顔立ちをしている。私たちは以前からこの三名でよくつるんでいた。


「零戦か、一回は乗ってみたかったなぁ」


 保坂が羨ましそうに言った。


 私たち姫路航空隊がこの宇佐飛行場に来てからも日本各地の海軍航空隊で編成された特攻隊が進出してくる。空に唸りが響けば地上のエプロンが埋まっていくのだ。


 九七式艦攻だけでなく九九式艦爆、零式艦上戦闘機の各型や天山など、数多くの海軍機が集結したこの壮観を目の前にすれば、日本が負けるなんて到底無いように思える。


 それでも空を飛ぶのは新しく来る隊だけで、宇佐からの練習機は見たことが無い。それも仕方がない。


 そもそも姫路でも燃料の問題があったし、聞いた話によれば宇佐空だってそうらしい。


 一度アルコールを燃料の代わりに飛ばしたらしいが、事故が多発して訓練自体が凍結されてしまった。


 それもそうだ、宇佐の主力練習機である九七式艦攻はアルコールでは飛ばない。彼らは、今は格納庫の中で特攻の時を待ち続けている。


 太陽の見えない空を舞う黒い点が見えなくなっていた。それに気がついた時、私たちの後方からガラガラと車輪が砂利を踏む音が聞こえた。


 振り向いてみると、車を引くお爺さんが立っている。私たちが進路を塞いでいたらしい。


 一礼して急いで脇に避け、道を譲った。車が通り過ぎ、私たちが会話に戻ろうとしたところで、今度はバキリと木が折れる音が聞こえて来た。


 振り向いて見ると車軸が折れてしまったらしく、車が大きく左へ傾いていた。そして、そのそばには取れた車輪と積荷が散らばっている。


「助けるか」


 福喜多がボソリと呟いた言葉に、私と保坂は小さく頷く。そして車に駆け寄り、落ちたものを拾いながら「手伝いますよ」とお爺さんに声をかけた。





「どうもおおきに、ほんつに助かりました」


 積荷を全て荷台に戻したが、それを戻したところで折れた車を引けるわけではない。


 今は石を挟んで水平を保っているものの、そこから動かしようがなかった。


「さてどうするか。車軸も完全に折れとるしな、こりゃ直ぐに修理できんよ」


「でも早く運ばんと道を塞いどるし、そもそもお爺さんが困っとる」


 保坂と、はてさてどうしたものかと頭を悩ませていると、福喜多が口を開いた。


「じゃあ取れた方をな、俺らで支えてな、家まで運んだらどうやろ?」


 確かに車輪が取れた側を三人で支え、速度を合わせて進めば動くだろう。


「かなり大変そうやけど、それしかないな」


 保坂がそう頷いた。


「けんど、そげぇしてもらわんでも……」


「遠慮せんでください、どうせ私らやることありませんし。それにこんなの放っておけば軍人の名折れです」


 話を聞いていたお爺さんが、申し訳なさそうに止めようとしていたが、それを保坂がおおよそ大半の人が断りきれないだろう理由を被せて説き伏せた。


 お爺さんが取っ手を握ったのを見計らい、「いきます」と声を掛けて荷台を持ち上げる。


 片輪残っているとはいえ、積荷の多さから生半可な重さではなかった。三人がかりでも、よたりとしてしまうほどだ。


 おじいさんは「大丈夫か?」と不安そうにしていたが、片方はわだちを、もう片方は三人分の足跡をのこし、私たちはゆっくりと進み始めた。


 途中、幾度か休憩を挟みながらも、なんとかお爺さんの家へたどり着く。一階建てで瓦屋根の木造建築。大石家の家とよく似ている。


 道中色々な話を聞いた。お爺さんは二人の孫が居るらしく、長男はその父と共にガダルカナルへ行ったきり連絡がつかないという。


「多分もう戻ってこんっちゃて」とお爺さんは俯いていた。


 車を庭まで運んで来た私たちは、どうにか木片を折れた側へかました。速度が遅いため少しの距離でも時間が掛かり、体感で約一時間。


 いくら軍人とはいえ重い車を支え続け、その上で慣れない歩き方をした四肢は、皆見事なまでに子鹿のようになっていた。


 お爺さんの促すまま縁側に腰掛け、疲れ果てた身体を休めに入る。


「思ったよりしんどかったな」


「ああ、訓練よりきつかったかもしらん」


 福喜多は声も出ないようだ。


「幸子ー、水を三杯持ってきてくれや!」


「はいー!」


 お爺さんが家の奥に声を掛けると間延びした返事が買ってくる。


「今日はほんつに助かりました。なんちお礼したらええか。とりあえず、上がってしちくれなさりい」


 縁側に並んだ私たちの前でお爺さんが深々と頭を下げた。こう改まって礼を言われると、どうも落ち着かない。


 頭を掻きつつ客前へとお邪魔した。全員が机の前に腰掛け、動きが落ち着いたところで保坂が何気なく口を開く。


「娘さん、いや息子さんの次女ですか。家におったんですね」


「はい、父親がおらんけん嫁に行くまで預かっちょります」


「もうー、せっかく野菜切っちょったにから……」


 バタバタと大人しくない足音と共に現れた女性は、現れた途端にその活発そうなまん丸な目を、さらにまん丸に開いて固まった。


 何事かと視線の先を追ってみると、これまた訳も分からず動揺している保坂がある。


「えっと、あの。なんですやろか?」


「これ、幸子」


 保坂が恐る恐る訪ね、お爺さんが注意した。幸子と呼ばれたその女性はお爺さんの顔をちらりと見たあと、我に返って机に水を並べていく。


「すいません、そこのお方が一瞬兄に見えたもので……」


 せかせかと並べ終わったあと、しっかりとした作法で「よう、おいでちくれました」と頭を下げた。


「これが孫の幸子です。」

とお爺さん。


「これはどうも。私は谷川、でそっちの四角いのが保坂で弱そうなのが福喜多です」


「弱そうって」


 私の自己紹介に福喜多不満そうにする。幸子さんは今度はその姿をまじまじと見つめた上で口を開いた。


「いとこの男の子に似ちょります」


「これ、幸子。この方たちはあの壊れた車を運んでくれたんやが。それに特攻隊の軍神っちゃ。失礼なことはやめちくれ」


 と本格的に幸子さんを叱りだしたお爺さんを福喜多がなだめに入る。


「大丈夫やに。あんま幸子さんを怒らんでください」


「あ、そういえば今団子汁つくっちょるけん、食べて行きません? お爺ちゃんもええよね?」


「ま、まあええが」


 机に勢いよく両手をつき、身を乗り出して怒涛のように提案し、お爺さんの返事も聞かずに走り去っていった。あれはまったく話を聞かないたちの娘らしい。


「……活発なお孫さんですね」


 全員呆気に取られ、静まり返った空間に福喜多のつぶやきが、やけに大きく聞こえた。


 机に湯気を上げる団子汁が並んでいく。この食糧難に非常に悪い気がするが、ここは喜んで頂く事にした。


 実のところ私は大分に来ていまだ団子汁を食べたことが無い。話にだけ聞いていたためにとても楽しみだ。


「どうぞ、食べちょくれ」


 幸子さんの言葉に「いただきます」と返し、汁椀を両手で取る。団子汁のぬくもりが木で出来た椀を通してじんわりと伝わってくる。


 団子汁と言っても団子が入っている訳ではない。味噌を溶いた汁に、うどんを幅広くしたようなものと他の具材を入れた大分の郷土料理だ。手の中のお椀には、サツマイモが見て取れた。


 団子汁は本当にうまかった。初めて食べたはずなのになぜか母を思い出させる。皆、自然に黙って食べるものだから、幸子さんはまずかったかと不安げに訪ねてきた。


 慌てて、あまりにも美味しくて話す事も忘れていたと言うと、丸い目をすこし細くさせて微笑んだ。





 それから私たちは日が傾くまでこの家で過ごした。いつしか私たちはお爺さんの事を「健三爺さん」と呼び、幸子さんと皆で会話に花を咲かせる。気付かない内に時間だけが過ぎていく。


「健三爺さん、もう帰らなあかん」


 私は枝に掛けてあった服を手にし、色の濃くなってゆく太陽を指差した。


「はい、またいつでも来ちょくれ」


「また明日来ます。修理も残ってるんで。最後までやらんと気が収まらんので」


 保坂がそう答え、私たちは門まで見送りに来た健三爺さんと幸子さんに頭を下げた。


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