進出までの日
帰省した翌日の早朝、私は大石家を出て基地へと向かった。
外泊日の翌日は七時に朝食までに戻ればよく、予科練の厳しさもあってかこの生活が非常に楽だと感じる。
姫路海軍航空隊基地庁舎が見えた。遠くから見ると、木造二階建てで横に長く、H型をしている。
建物前のロータリーを通り、切妻屋根の雨よけのある正面口から中に入った。今日は他の外出日の者達もいる為、庁舎の中には帰ってきた訓練生が多数見受けられる。
「おう和雄、お前も帰って来たんな」
一際大きい声で話しかけてきた奴を振り向いて見る。こじんまりとした気の良さそうな顔がそこにあった。同じ練習生の福喜多である。
「そっちこそ、いつ帰ってきとってん」
「いやな、ちょっと前にな、帰って来たでそこらを散歩してたんやに」
いつものごとく、少し気の抜けた喋り方だ。
「手続き済んだ?」
「さっき終わらしたったん」
福喜多は自分の頭を撫でながら教官室の方角を指さした。
「ところで三重の母さんには会えたん? 時間ギリギリやったやろ?」
私はふと気になって聞いた。福喜多も私と同じように休暇をもらい、帰省していた。とは言っても三重までは遠く、時間もかかる。
「まあな、会えたんやけどな、何分時間がなかったもんで、ちょっとしか話せんかったん。やけどまあ、会えただけ見っけもんやな」
私は手早く帰隊報告をし、福喜多と共に兵舎へ足を向けた。
「和雄はどうやったさ?」
「ゆっくりしてきたけどな、早朝にすぐ近くででっかい空襲があってん。あれは焦る」
「まあ、無事で何よりやに」
何気なく福喜多の顔を見やる。他の人から見たら、甲飛から上がって来た福喜多と、乙飛から上がってきた私が仲良く話すのが少し珍しいらしい。
元々甲乙で全体的に見ても、両間仲が悪かったのだから仕方ない。それでも福喜多とは同じ年齢ということもあり、気が合った。私が三重弁を少し可愛らしいと思ったこともある。
それに今は同じ特攻隊員だ。心中私とそう変わらないだろうし、前に夜中に嗚咽を漏らしていたのも聞いている。
「お、やっとるやん」
エプロンに引き出された数々の練習機が、整備兵の手によって試運転を始めていた。
朝は一日の内で一番忙しい。他の事を考える暇もなくやることが押し寄せてくる。
七時十分より朝食、その後八時から飛行訓練に入った。
自分の搭乗機である九七式艦上攻撃機を前に立つ。細長い胴体に中程でやや上に折れ曲がった長い主翼。
胴体の日の丸は白い縁取りがしてあり、遠くからでもよく目立っている。機首へ目を向けると栄11型エンジンが収まるカウルが機体の大きさに比べて小さめに感じた。
当初は真珠湾攻撃などで名を挙げた九七式も、前線を退いてこんなところで練習機をやっている。
それが今また実戦へと赴くのだ。開戦に駆り出された機体がまた駆り出される。なにか因縁のようなものを感じる。
「谷川、休暇はどうだった」
突然左から声がかかる。顔を向ければ佐藤大尉が歩み寄ってきていた。私は背筋をめいいっぱいに伸ばして敬礼をし、治ったのち気をつけの姿勢で答える。
「は、おかげさまで最後に母と話すことができました。感謝してもしきれない思いであります」
「そうか、それはよかった。母は大事にしなければいけないからな」
佐藤大尉は所々塗装が剥げ、ジュラルミンがきらりと光る機体を見て続ける。
「だがな、今から宇佐進出の日まで休む暇は無いと思え。朝も夜もだ」
「覚悟しております」
「いい心意気だ。伊藤中尉も来た。はじめるぞ」
そう言って佐藤大尉は他より一段と塗装剥げが激しい左翼付け根を踏み、操縦席に乗り込んだ。それに伊藤中尉が続いて偵察席に搭乗、最後に私が電信席へ乗り込む。
機長は通常、技術難易度が高く一番重要である偵察員が務める。これは特に、何の目印もない広い海を行く海軍の飛行隊にとっては自分の位置を把握することが何よりも大切になってくるためだ。
まれに操縦員が機長を務めることがあるが、今回の場合はそれであった。
私というと、所詮二飛曹の訓練生で電信員として選抜されたため、直接機体の操縦はせず一番後ろの席で電信を打つだけである。まったく肩身が狭くてかなわない。
編隊飛行から低空飛行による突入訓練。気候や目標までの座標を把握し、臨機応変な対応をとる為の訓練。
低空訓練に至っては高度計がマイナスを差し、地上からは十メートルほどしか離れていない程の低空だ。
一歩間違えれば三人揃ってこの世を去ることになる。しかし私は電信を打つだけである。打つだけであるが、この任も責任が重くのしかかってくるのだ。
現に佐藤大尉に「お前がしっかり電信を打ってくれなければ、俺たちの戦果を知らせられないからな。電信員は重役だ」と言われていた。
エンジンが始動し、その振動と音が腹に響く。操縦席ではやることが色々有るが、後ろを向いて乗っている私には見えない。
開いた風防から流れ込むプロペラが押し出した風が気持ちが良い。エプロンから誘導路を通り、滑走路へ入る。
後に続く機も定位置についたことを確認すると、栄エンジンが威嚇する虎のような唸りを上げ、機体が加速し始める。
振動が大きくなり、流れる景色も水平となったとき、足元が支えを失ったような感覚が襲った。離陸である。
酷かった振動も弱くなり、安定飛行に入った所で下方を覗き込むと、私から見て前方下より他の機が次々と離陸してくる。
本当のところは編隊離陸がしたいと大尉が言っていたが、なにぶん鶉野飛行場は滑走路の幅が狭い。そのため上空で全機離陸するのを待たねばならなかった。
全機が上がってきたのを確認し、高度をとりながら編隊飛行の訓練に移る。
互の表情がわかる程の距離を保って飛行するため、あらかたの通信は手信号で行う。その為複雑な電信は司令部からくる電信を読み上げるぐらいであまり仕事が無い。
編隊を組みながら飛ぶこと数十分で瀬戸内海ののっぺりとした波の光が見えはじめた。機首より左に淡路島、右に小豆島の島影をのぞみながら飛行を続ける。
「右前方に船影確認。大谷、各機に目標を打電しろ」
無言だった空間に突如声が響く。佐藤大尉だ。私はすぐに復唱し、各機に電信を打った。
「鶉野飛行場からの方位二三五度、十三浬、進行方向一六四度、一六ノット」
その間に偵察席に座った伊藤中尉がチャート(航空図)に目標の位置を記入して基地からの方位や進路方向を示す。
気象状況などから接敵の高度や方向、体当たりの要領など事前に考察して攻撃に向かうが、今日は天候に恵まれていた。低空で接敵する。
機体が左右に軽く揺れた。バンクだ。そのまま高度を一気に下げ、目標艦船に向かって超低空飛行を開始する。
本来、魚雷攻撃が得意な九七式艦攻は低空飛行で敵艦へ向かい、投下して離脱する戦法を得意とする。特攻方法も自ずと低空での接敵となった。
回転数を上げたプロペラの風圧で上がった水しぶきが私の前へと流れていく。
しぶきが上がるほどの低空だとすると、基地でゼロメートルに設定した高度計はマイナスを指して役にはたっていないだろう。
少し身を乗り出して見た海面は目と鼻の先で、風圧により航跡のような白波ができていた。
機体がふわりと浮き上がり、目標とされた輸送船が目の前一杯に広がる。
私は少々驚いたが、むこうの船員はさらに驚いたようで、大きく揺られる船上を大慌てで走り回っていた。
私は心の中ですまないと誤りながら、今のが敵艦ならもう私はこの世に居なかったのだろうと実感してする。
矢継ぎに飛来する九七式艦攻に右往左往する輸送艦の船上を想像し、私は少しだけではあるが思わず吹き出してしまった。