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我が身を賭して

「明日の菊水一号作戦、第一護皇白鷺隊に参加するものを読み上げる。呼ばれたら前に出てくるように。」


 日も山の影に隠れ、あたりが見る間に薄暗くなっていく中で、姫路海軍航空隊、百名余りが滑走路脇の一角に集められた。


 明日の第一次攻撃に出撃する人が発表されるのだ。自分の名前が呼ばれるのか。言いようのない緊張感が隊列を取り囲んでいる。


「機番、操縦員、偵察員、電信員の順に読み上げる。ヒメ三〇二、中安邦雄上飛曹、岩本京一少尉、三井傳昌二飛曹」


 名前が上がる度に返事と共に前へ出て行く隊員たち。


 福喜多はヒメ三二七、保坂はヒメ三四二の電信員として呼ばれて前に並んだ。佐藤大尉の声に集中するあまり、いつしか他の音が消えている。


「谷川和雄二飛曹! お前は私の機だ。偵察員は伊藤中尉にしてもらう。呼ばれなかった者は帰ってよし」


 名前を呼ばれ、目一杯の返事をして急ぎ前に並ぶ。人の顔をかろうじて識別できる暗さの中、跳ね上がる妙な高揚感を押さえつけた。


「明日の出撃時刻は一二四五時から一三四五時の間だ。なお、今夜中に遺書を書いておくこと。明日の朝集めて郵便に出す。解散」





 串良基地は日本各地から集まってくる多くの特攻隊員を収容するために、小学校を特別宿舎として利用している。


 布団が敷き詰められた教室の天井にぶら下がっている電灯からは暗幕が垂れ下がり、それにより半減された灯りが私の影を机の上に浮き上がらせていた。


 明日の出撃に備えて遺書を書かなければならない。家族に宛てる最後の手紙だ。


 そう考えると、紙やペンを前にした所で中々書き出すことができない。何気なく後ろを見てみれば、皆それぞれに気持ちの整理をつけているようだ。


 瞑想している者もいるし、隠れて涙を流している者。少なくとも寝ている奴はいない。


 いざ紙にペンを置き、書き始めたところで記憶にある数々の出来事が脳裏を掠めていく。


 泣いている母、笑っている母、その両脇にぴったりと寄り添う兄妹の姿。一面の蓮華畑で微笑む佐代子。数々の記憶が文を書くのを邪魔しようとしてくる。


 なぜだ。覚悟を決めたというのに。視界が溢れ出る涙で滲んできた。


 覚悟を決めた。祖国を、家族を守ると決めたのに、今死にたくないと思ってしまう。いけない。


 これではいけない。俺は祖国のために死ぬと決めた。今更死にたくないなどと言えば男としての恥だ。


 俺の命で幾万の人の命が救えるのだ。これほど華やかな死に際が他にあるものか。なのに何故涙が止まらない。


 どうしても母が、多喜が哲夫が。そして佐代子が頭に浮かんでくる。


 溢れる家族への思いを、特に母への思いを手紙に綴っていく。


 母さんには礼を言っても言い切れない。 死ぬのが怖いうんぬん言っている場合ではない。


 神戸も空襲されたし、沖縄に至っては米軍に上陸されたと聞く。このまま行けば国土が、家族が好き勝手に蹂躙されるかもしれない。


 筆を進める内にいつしか涙は止まり、心の中に平穏が戻っていた。書く事で気持ちの整理ができたらしい。窓ガラスに映る自分の顔は少し笑っていた。





 露草の花びらを、すりつぶして塗り広げた様な青空に、名残り桜も最後の桃色の小雨を降らせいる。


 風も殆ど無く、まるで今日の出撃を後押ししているかのような晴天だ。


 昭和二十年四月六日、菊水一号作戦が発動される。


 鹿屋基地の第五航空艦隊司令部から来たぎらぎら光るような偉い方をはじめ、金モールが施された服を着た参謀や報道班員たちが、一時間程前から車を連ねて続々と集まってきた。


 出陣式の大半はただ単に面白くもない訓示を聞くだけで、私から見ると何とも味気ないものだった。


 訓示が終わり、水杯を交わした後、各隊ごとに集まって最終的な打ち合わせを行う。


「もう何も言う事はない、皆今までよくやってくれた」


 姫空六十三人がゆっくりと言葉を噛み締める様に言う佐藤大尉の声に耳を傾ける。


「君らの先頭に立って務められることを心から誇りに思っている。ありがとう」


 全身に鳥肌が立ち、体中の血が煮えたぎった。周りも同じように高揚し、口々に「ありがとう」と言い合った。


「これは天皇陛下から賜ったタバコだ。吸えないものは吹かせ」


 佐藤大尉は手に持っていた手のひら大の包の包紙を破り、中に入っている白いタバコを一人一人に配って火をつけていく。


 日本陸海軍は伝統儀式として、水杯か前夜なら御神酒杯とこれは天皇からの賜り物として各隊に配られていたタバコを吸う。


 六十数本ものタバコに火が付き、辺りは立ち上る煙で白く霞んでいた。


 どうも今までタバコを吸ったことが無く、ふかすだけにしていたが、誤って肺に入れてしまい、激しくむせてしまう。ついでに向かい風に乗った煙が目を直撃した。


「おい、鼻水と涙拭けよ。だらしない


 保坂が笑いをこらえて布切れを手渡してくれた。視界の端には肩を震わせてそっぽを向いた福喜多が見える。


「う゛、うるざいわ」


 喉が痛いし目もチクチクと痛む。タバコとはこうも恐ろしいモノなのか。


 人が必死に顔を拭いている中、皆笑い合っている。そんなに面白いものだとは思わなかったが、つられて私も笑いが漏れていた。


「靖国で会おう」


「はい!」


 佐藤大尉が一つ手を叩いて隊員をぐるりを見渡した。それに対して私達全員はこれでもかと言う大声で返事する。


「先に行っとるわ。お前もはよ来いよ」


「おう、靖国に行ったら俺の分のべっぴんさんを取っといてくれよ」


「任せろ、ほんじゃまた後で」


 保坂と冗談交じりに会話を交わす。第一護皇白鷺隊は先発と後発に分けられている。私と福喜多は先発だが、保坂は後発だった。


 女学生の列の前を敬礼しながら歩き、自分の機へと向かった。


 今日の搭乗機はやはりというか、いつもと縫っている雰囲気が違って見えた。まさに出陣を迎えた老兵のようだ。


 綺麗に塗り直された暗緑色に白枠で囲まれた日の丸。垂直尾翼にはヒメ305の文字がはっきりと見て取ることができ、腹の下にはヒレの付いていない特攻専用の八百キログラムの大きな爆弾をかかえている。


「燃料、満タンに入れておきました」


「ありがとう、ありがとう」


 翼の上に乗って作業していた整備兵が給油車に乗り移りながら報告し、私と伊藤中尉が礼を返す。


 翼内に四つあるタンクの機載燃料料は一一五〇リットルだ。「ガソリンの1滴は血の1滴に匹敵する」と徹底管理されている中で千リットルも割いてくれるのは感激に尽きない。


 そう言えば佐藤大尉がまだ来ていない。左手でエルロンを軽く撫でながら探してみると、子供二人の頭に手を置き、奥さんであろう人の大きくなっている腹を嬉しそうに見ている姿があった。


「湯川さん、湯川俊輔さんはいませんか! 手紙です


「俺だ!」


 見送りの集団をかき分けて、血相を変えた郵便員が飛行機の群れの中に駆け込んできた。


 呼ばれた湯川さんは受け取った手紙に目を通し、愛機に駆けた片足の太ももを台にして封筒の裏に鉛筆で返事を書いている。


 時計を確認した湯川さんにつられて自分の物を見てみると、針は十二時七分を指していた。


 伊藤中尉が乗り込んだのを見計らい、もう踏むことのない地面を二度踏みしめ、母の手紙と巾着、佐代子の人形を入れた小袋を持ったことを確認して最後部席に乗り込む。


 エンジンが火を吹き、機体が微振動を始めた。すでに空には他隊の機が上がり、辺りは喧騒に包まれている。


 佐藤大尉が操縦席に滑り込み、両手でチョーク外せの合図を出し、整備兵によってチョークを外された機体がゆっくりと滑走路に向かってタキシングに入る。


 日の丸国旗を振り振り大声で叫びかけてくる人々の前を過ぎ去り、滑走路に侵入して離陸準備は整った。


 一時静止した後、エンジンの回転率がグンと上がり、プロペラが空気を切り裂く音と相まって爆音を当たりに撒き散らす。


 さあいよいよ大地ともお別れだ。プロペラのトルクで左に曲がろうとする機首をラダーで調節し、滑るように走り出した機体に巻き上げた小石が当たる音が多くなっていく。


 滑走路にずらりと並び、帽子をめいいっぱいに振る基地の人々が自分の士気を上げていくのがわかる。


 後ろ向きに流れていく景色は早くなり、重たい荷物を抱えている機体は少しふらつきながらも、その体を空へと押し上げていった。





 進路を南西に取り、鹿屋基地を過ぎて鹿児島湾を横切った先に、頂上に少し雲を引っ掛けた立派な独立山が姿を現した。開聞岳だ。


 すり鉢を逆さにしたような綺麗な山の形状から、富士山に見立てて敬意を表すこととなっている。


 それにこの山を過ぎれば後は群青色の海と空が広がるだけ。本土との別れの地点である。


 進路方向より右に捉えた開聞岳の向こう側から黒い無数の機影が現れた。おそらく知覧あたりから飛んできた陸軍の特攻隊だろう。


「行ってきます」


 胸ポケットにしまってあるお守りに手を添えて小さくつぶやいた。後ろ向きに座っているため、開聞岳の山影が水平線の向こうに消えるまで見ていた。





「ヒヒヒヒヒ(我、敵艦見ユ)」の電信を受け取ってから十数分、「見えた!」と佐藤大尉の声が飛ぶ。


 その声になんとか体をねじって進路の先を見ると、空には対空砲の黒い花が咲き乱れていた。


 その下では先に行っていた他隊がすでに攻撃をしかけてる。佐藤大尉が操縦桿を押し倒し、機体が一気に高度を下がる。


 そのマイナスGにより、体が重力から一瞬解き放たれた。敵艦がはっきり見て取れる距離まで来ると、対空砲は一層激しく打ち上がり、近くで炸裂した黒花が機体を揺さぶり続ける。


 すでに周りを飛んでいた味方の数機が黒煙を巻き上げて視界から消えて行った。初めて吸う戦場の空気に、心臓の鼓動が早くなっていくのがわかる。


「セタ打て!」

 佐藤大尉の命令に、素早く「セタセタセタ(我、戦艦ニ突入ス)」の打電をし、最後は電鍵を押しっぱなしにして「ツ――――――」と長符を送信する。


 この音が途切れた時が体当たりの時刻であり、戦死した時間として記録される。


 機体はプロペラが海面に当たりそうな程の低空を、降りかかる機銃の雨の中を矢のように進み、巻き上げられた海水は翼を濡らした。


 ますます揺れる視界の中で突入に失敗した味方があちこちで水柱を立てる。


特攻寸前、真っ白な鷺が機体のすぐ横を通り過ぎていく。守ってくれるのか、なら大丈夫だ。本来白鷺はこんなところには居ない。それでも、幻覚でもよかった。


 特攻と言う死を前にしているにもかかわらず私の中にあるのは、米兵に対する憎悪でも死に対する恐怖でもなく、やっと使命を果たしたような安堵感だった。


 機体に今まで感じたことのない程の衝撃が走り、慣性の法則で浮き上がりそうな私の体にベルトが食い込んむ。


 視界では爆炎に水しぶき、バラバラになった部品が入り乱れて飛び跳ねる。


 ひしゃげたフレームが足をへし折り、飛び回る破片が私の腕をもぎ取って腹に穴を開けた。


 爆風は私の体を直撃し、胸元にあった小袋を吹き飛ばす。


 母さん! 佐代子! 咄嗟に手を伸ばしても届かなかった小袋の先には、恐怖と憎しみの入り混じった表情でこちらを睨みつける米兵の姿があった。


 次の瞬間、全ての動きが止まったかのような真っ暗な世界にいた。


 それが一体どこなのか。そんなことは分からないし、どうだっていい。


 頭によぎるのは家族や佐代子、そして生まれ育った鈴蘭台の風景と思い出。どれもかけがえのない大切なものだ。


 そういえばあの母さんの髪、もしかして母さんは私が死にゆく事を感じたのかもしれないな。まったく、母さんには敵わない。


 ああ、私は祖国を、故郷を、家族を守れたのだろうか。水の音だけが感覚を支配する中で、体を包み込む海水が傷口に染みると同時にその冷たさが心地よい。


 その感覚もしだいに麻痺し、逆にひどく重い四肢を感じながら、意識が静かに消えていくのを感じた。

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