“伏見悠榎”は感謝された。これでようやく、彼女の依頼は終わる。
あのあと、田代の告白はどうなったものか、俺にはさっぱり分からない。むしろ知りたくない。
しかし、次の日のあいつの様子から察するに、フラれたみたいだ。ざまぁというか残念と言うか……。
そういや、こうみえて逢坂って美少女なんだったな、と今更ながら思い出す。そりゃさぞかし高嶺の花なのだろう。そう思うと、田代の勇気に感服である。
しかし、どうでもいい。俺にとって重要なのは、これにて神城との依頼も終了という事である。全く世話妬かすなよなー。これ以上続くと、流石にリタイアしかけたレベル。
これで平和な俺タイムが帰ってきた。そう思ってた矢先、
「ヤッホー、今日も一緒に帰らない?」
という神城からの御達示が……。え? まだ続くの? 何これ無理ゲー?
真なる依頼も終え、もう既に帰宅する気満々だったと言うのに、何という絶望感。こいつはあれか? あと二段階変身を残してるラスボスか? あれは結構きついんだぜ? 精神的に……。
しかし、まぁ、結局の所、俺に断る義務も理由もないので、渋々神城に付き添い帰る事にした。
神城は人気の無い道を延々と進む。本日の目的地は今だ謎のままである。っつーかここら辺って、俺ん家近いんじゃない?
ふと動いていた神城の足が止まる。突然の停止ではあったが、数歩後ろに歩いていたのでぶつかる事はなかった。
神城はくるっとこちらを振り向く。
「……何?」
彼女はその問い掛けには答えず、代わりにそのまま別の方角へと視線を移す。
そこには、小さな公園があった。
「……伏見君は覚えてる?」
「何? 何を?」
「私達……ここで初めて会ったんだよ」
……は?
言葉にならない疑問が浮かんでは宙を漂う。はっきり言って、意味が分からん。説明をお願いします。
多分それが表情に出ていたのだろう。神城は幾分呆れた様子で、
「中学ん頃かな……。厳つい感じの人達に絡まれた時に、貴方に助けて貰ったことがあるの……」
と言った。
……はて? そんなことあっ……たな、確かに……。
そうだ、俺はこの公園に見覚えがある。中学二年生位の頃に何度か世話になった。ストレス発散の意味で、ではあるけれど。
あぁ、何と無く思い出したぞ……。ん? あれ? これか?
確かに俺は中学の頃、この公園で不良っぽい奴らを追っ払った。そんでもってそこにもう一人いた。けどそいつは、今の神城の様な雰囲気は感じられなかったぞ? むしろ真逆というかね。
俺の悩みなどいざ知らず、神城は数歩前に進み、ふとこちらを振り向く。
「私ね……貴方にお礼が言いたかったの。あの時はとてもお礼が言える状況じゃなかったし……、私も、貴方も」
「え? 俺もか?」
「そうよ。あの時の伏見君、めっちゃ怒ってたじゃん? しかも、何かバット持ってたし……」
あぁ……、何か分かる。
あの頃の俺は、とてつもなく怒っていた。詳しい話はしないけれど、我慢出来ない程の苛立ちを抱えていたのだ。それを発散させるため、俺は何度かこの公園に来た。来ては手に持ったバット(確か金属製)で、周りに生えている木をボコボコ殴ったものだ。
そんな時期に、彼女はたまたま遭遇したのだろう。
「とりあえずお礼をさせて。……ね?」
勝手にすれば良いじゃん、という意味を込めて軽く溜息。それを察したかの様に神城は口を開く。
「助けてくれてありがとう」
そうまじまじと感謝されるとなんだかムズムズして変な感じだ。
「……俺は別に、お前を助けた訳じゃない。単純に自分の苛立ちを周りに発散させただけで、その際の発散対象がお前を困らせてた輩だっただけだ」
むしろ一歩間違えれば警察事である。だから、これは感謝される事じゃない。
そう言おうとしたが、彼女の顔を見て止めた。彼女はまだ俺に言いたい事があるらしい。俯いたまま考えている。
「あと……ね、謝りたい事も、あるの」
「……まだあるのかよ」
もう帰りたいです。帰りませんか?
そんな俺の思いも空しく、彼女はボソボソ話しはじめた。
「あの……あのね、怒んないで欲しいんだけどさ……」
「……怒んねぇから、はよ言え」
むしろ今のもじもじとした様子に苛立ちを感じます。
それでもまだ言い出しづらいのか、彼女は髪をいじったりと落ち着きのないご様子だ。
しかし、とうとう意を決したのか、こちらをジッと見詰め、一呼吸入れた後に再び話しはじめた。
「て、手紙……覚えてる?」
「あぁ、あれ。あれが何?」
「あれね……書いたの、あたしなの……」
「……は? 何言ってんの? お前は……。そんなん当たり前だろうが」
「へっ?」
「お前が依頼をしてきたんだろ? 最終的な内容は随分と違ったが、それでもあの依頼はお前がしてきたんだ。依頼主が手紙を書いて渡すなんて当たり前じゃないか」
「……へっ? 依頼? 何の話?」
「……は?」
何やら会話が噛み合っていないらしい。どこで擦れ違いを起こしているのか、俺にはさっぱり分からない。
分からないなりに考えてみた所、過去で俺に届いた手紙に関する記憶を思い出した。そういえば、依頼される前にも手紙があったよな……。
「もしかして……『図書館に来い』言うといて来なかったやつか?」
「あぅ!」
どうやら図星のようである。しかしまぁ、あぅ、とはまた可愛らしい反応だな。
「別に、来なかったのは何か理由があるんだろ?」
「う、うん……」
「そんでもって、『テキトーな男子呼び出して、友達といじってみよー』とか、『ラブレターと勘違いした男子見んのウケるー』とか思ってんだろ?」
「そんなん思ってないし! しかも何それ卑屈過ぎっしょ!」
え、違うの? マジで?
「……まぁ、別にどうでもいいがな」
「本当は前からお礼言おうとしたんだけど、中々勇気が出なくて……」
「……あっそ」
「……怒んないの?」
「は? 何で? 怒んねぇって言ったろ。むしろこれ怒る気もないわ」
むしろどうでもいいとまで思う程。そして忘れてしまうレベルの出来事。そんなんで怒ってたら、常日頃から怒り爆発してるぞ、俺。
「勇気が出なかったのは仕方ない事だし、むしろ初対面の人間に馴れ馴れしくされたら腹がたつ」
「そ、そうなの?」
そうだ、俺がそうなのだから。
軽く溜息をつき、彼女の顔を嫌々見詰めて語る。
「つまり、別に気にする必要は全くないって事だ」
そう伝えると、俺はスタスタと歩きはじめる。神城はフフと微笑んだが気にしない。
「そうだ、私達って同じ中学出身だったんだよ。知ってた?」
知るわけなかろうが。神城の名前すら知らなかった訳だし、むしろ興味すらないわけで……。
「知らねぇよ……」
俺は素直に答えるのであった。
まぁ、そんなどうでもいい会話を交わしながら、俺達は帰路を進み、途中で別れた。
自宅に向けて歩きながら、俺は神城に言われた感謝の言葉を思い出していた。
別に良いことをしたつもりはない。あれはただの偶然によって生み出された結果であり、そこには何の意図も存在しない。
だけど、
誰かに感謝されるって言うのも、案外悪くないなと、少しだけ、ほんの少しだけ感じる今日この頃であった。