炎天下を憂う“伏見悠榎”の夏休みは、まだ始まったばかりである。
夏休みが始まった。ようやく訪れた長期休暇に、俺は少しだけ喜びを感じる。
……訂正します。かなり嬉しいです。
特にこの、「誰にも邪魔されずに昼までひたすら眠れる」事の喜びなんて、一般的に言う「彼氏彼女が出来た」と同じぐらいの喜びなんじゃねぇかな、と思うくらい嬉しいのである。
そんな訳で現在時刻、11時38分。伏見悠榎起床のお知らせである。
ふわぁ、と呑気に欠伸をする。そのついでに大きく伸びをして身体の凝りを解す。
窓から差し込む陽射しは強く、絶対外は暑いんだな、と推測出来てしまうくらいの陽射しの強さなのであった。こんな日に外で活動する運動部はやはり勇者だなと軽く感心してしまう。
クーラーから来る風が涼しい。これこそまさに夏って感じだな、としみじみと思う。
それなのに、玄関からピンポンピンポンとチャイムの連打が聞こえて来る。……ったく、誰だよこんな休日に我が家に用のある輩は。
「おい千夏、出てくれ」
寝起きながら大声で叫ぶが、一向に返事が来ない。聞こえるのはチャイムの音だけだ。
……そう言えば、千夏は部活……しかも運動部系のやつに参加しているのだった。となると、無論夏休みも活動はあるわけで……。
今現在、我が家にいるのは俺だけであるようだ。マジで、面倒だなぁ。
俺は嫌々ベットから降り、渋々玄関へと重たい足を引きずるように向かった。どんだけ部屋から出たくないんだっつーの。
玄関までたどり着き、ガチャリと扉を開くと、
「……何でお前いんの?」
目の前には何食わぬ顔でポツリと立ち尽くしている美少女――またの名を逢坂皐月がいたのである。
……まぁ、大方の見当はついている。確認程度に彼女を見渡すと、案の定、手元には手帳みたいな物を持ってた。いや、むしろ手帳。超手帳。
「……伏見君の観察」
「だと思った。何? 俺はカブトムシか何かなの? お前に飼われている動物なの? なら餌くれ餌」
想像通りの返事が返ってくるので、皮肉を込めてブツブツ独り言を呟く。
「……私、カブトムシ飼ったことないけれど」
「……知らんがな」
そんなこんなな会話のキャッチボールを繰り返す俺達。もはやこれをキャッチボールと呼んでいいのかどうか判断が難しいけれど。
しかし、こんな暑い中、こんなことの為によくうちに来たな、と軽く感心してしまう。部屋から出てみて分かったが、外の気温はもはや俺だったら絶対家から出ないと断言してしまうくらいの暑さだ。
「……そこに立ちっぱなしは暑かろう」
「……うん」
「だからさっさと家帰れ」
……ここで「俺ん家入れ」とか言う奴は恋愛ゲームのやり過ぎ、もしくは恋愛小説の読み過ぎである。現実を見ろっつーの。
確かに俺と逢坂は、端から見れば親しい関係と言えるだろう。しかし、周りの連中より親しいだけであって、別に恋人同士ではないし、もはや友人同士かどうかも怪しいレベルの間柄である。そんなやつに「俺ん家に入れ」と言われても「……は?」という空しい返事が返ってくるのは言わずとも分かる結果であり、そこから先の関係への発展など成り得ないのである。
それに、こやつの手にある手帳に注目していただきたい。こいつは俺ん家に「観察」と称してやってきた。そんなやつを家の中に入れようものならその手帳にどれ程の文字が記されるのだろうか。あ、想像しただけで悪寒が……。
「……夏休みでも“悠榎節”は健在ね」
「え? 何その“鰹節”みたいな響きな単語。俺を煮込んでも良いダシ出ねぇぞ?」
「分かってるわよ。相も変わらず捻くれてる、という意味よ。……ちなみに命名したのは神城さんよ」
「……駄目だあいつ、ネーミングセンス酷すぎやしないか?」
神城さんはこの夏休みでネーミングセンスの強化を頑張って頂きたく存じます。
「それも神城さんらしいじゃない」
「……まぁ、あいつらしいっつーか、単に阿呆の子感が滲み出ているだけだがな」
そんな感じに会話が続くのだけれど、俺はもうそろそろ話を区切りたい衝動に駆られてきた。
……外暑い。クーラーで涼みたい。
「なぁ、逢坂。もうそろそろ帰っていいか? ここは中々暑くて堪らんのだ」
「そうね。私も流石に耐えられなくなってきた所だし」
あらまぁ、偶然の一致……ではないな。俺と逢坂は大体考える事は同じである位暑い、という事だ。異常気象である。
「……それじゃあ」
「……ん」
俺達は素っ気ないように見える挨拶を交わし、それぞれの自宅へと戻る。
「……そうだ」
ふと逢坂が呟く。それにつられて俺も足を止める。
こちらを振り向く逢坂は、クスリと微笑みながら、
「……合宿、楽しみね」
と言い残して、再び自宅へと歩いて帰ったのであった。……まぁ、隣だけれど。
逢坂にとっては、やはり合宿というのは滅多にないイベントの一つなのだろう。まぁ、初めての事は大概楽しみである。スポーツだろうと、ゲームだろうと、読書であろうと……。自分の今だ知り得ない出来事に大いな関心を得てしまうのは致し方ない事である。
だから、逢坂のその気持ちは、間違いではない。
きっと神城も、もしかしたらあの来栖でさえも、あの合宿を楽しみにしているかもしれない。それでいいのだ。
では、俺はどうなのか、って?
俺はその答を紡がない。
その答は、俺だけが知っていれば、それで十分だ。
だから代わりに、俺は逢坂の言葉に一言返す。
「……さいですか」
と。
夏休みはまだ始まったばかり。俺はこれから起こる出来事と炎天下を憂いながら、スタスタと自室へと戻るのであった。




