近づくdiscord
至るところに出来た擦り傷が、ひとつひとつ消毒されていく。その度に傷に沁みるが、徐々にそのおかげで頭が冷えてきた。冷静になって考えてみると、最後の“あれ”も回避出来ないことはなかったのではないだろうか。
「(……ていうか、流石に腹立つんだけど)」
よりによって、同じクラスから妨害を受けるというのはあり得なくもないことだが、正直不意を突かれるほどの衝撃だった。何とか持ち直せたのは良い。しかし、一体どういうことだろう。――そして、最後の最後に妨害してきた、他クラスのアンカーも。
「……これが故意的なものだとあなたが言えば、恐らくそのまま通ると思うわよ。言わないの?」
特に酷い両膝にガーゼを当てながら、保健医は言う。確かに、ここに連れてきてくれたあの同級生が目撃しているし、他にもいるだろう。……だが。
「……いえ、別に言う気はないです。どのみちうちのクラス、勝ちますし」
「あのねえ、そういう問題じゃ……」
「――面白くないでしょう、そうじゃなきゃ」
遮って、伊織は不敵な笑みを浮かべた。
これだけ仕掛けられたのだ、向こうの期待に沿うような真似をするのは面白くない。決して穏やかではないが、なんだか勝負事のようだ。勝負となるのであれば、容赦はしない。何が原因でそうなったのかはさっぱり彼女は分かっていない。それでも、勝負事が好きな彼女を突き動かすには十分なことだった。
「――黒崎さんっ!!」
呼ばれて、伊織は視線を移す。声を張り上げてやって来たのは、先程までグラウンドにいた楓だった。
「いや、あんた退場まだでしょ、なにしてんの」
「なにって、黒崎さん、さっき派手に転んでたから……っ!?」
人ごみを掻き分けて、漸く伊織の傍に辿り着いた。そしてその姿に、楓は瞠目した。
「……はい、終了!じゃ、黒崎さん。あなた彼にクラス席まで送ってもらいなさい。どうせひとりじゃ危ないんだから」
「いや、その必要は……」
「はい。お世話になりました。行こう、黒崎さん」
「え?ちょ……」
伊織に構わず、楓は頷いて身体を支えるようにしながら腕を引く。突然のことに驚愕しながら、伊織はしかし痛む手足で抵抗出来ず、大人しく引かれることしか叶わない。
「……左足首、なんだって?」
「……軽い捻挫。だからひとりで大丈夫なんだけど」
「大して力も入れてないのに振り払えないほど重傷なんだから、ダメ」
「…………」
有無を言わせず、楓は足を止めない。ふと顔を見上げれば、何故だか険しい表情を浮かべていた。
「(……まあ、面倒なこと押し付けられて嫌なんだろうなとは思うけど……だったら、ほんと放してくれて良いのに)」
それでも、放そうとはしないのだから不思議だ。保健医に任されたから、責任感から、ということなのだろうか。
「……そういえば、結局リレーの結果はどうだったの」
「男女ともにうちのクラスが一位。だから総合優勝」
「……そう」
彼らしくない、抑揚に欠けた口調。それに伊織は思わず小さく息を吐いた。
「……やっぱり、辛い?」
「……え?」
直後、楓が足を止めた。そして言われた言葉に、伊織は首を傾げる。表情を見れば、先程とは打って変わって、酷く心配そうなものになっていた。
「……そんな顔するほど、大怪我じゃないから。ていうか、なんであんたがそんな顔してんの」
「いや、見るからに大怪我だから。……ねえ、やっぱり今日送ってく」
それに、伊織は目を瞬かせた。
「……はあ!?」
思わず普段以上に声が出たことにも驚き、伊織は楓を凝視する。
「……何言ってんの。だから大丈夫だって言ってるじゃん」
「ひとりで立ってらんないんだから、当然だよ」
「いや、意味わかんな……っ!?」
突然ぱっと手を離され、伊織は思わず左足に力を入れてしまった。しかし、当然左足は捻挫、途端に激痛が走り、身体が傾いだ。慌てて体勢を立て直そうとして、その前に腕が伸びてきたことに気付いた。
「ほら」
腕と腰に手が回され、転倒を免れた。それに伊織は唖然とする。……確かに自力で立つよりも余程痛みはないが、しかしそれでもこの状況というのは好ましくなかった。だが、正直自力で歩けそうにない。なにか別に方法はないかと楓に支えられながら再び歩き始めた時、誰かがこちらにやって来るのが見えた。
「伊織ちゃん!!大丈夫!?」
「……麻子」
麻子の姿を目にした瞬間、初めて伊織は小さく安堵の息を吐いた。何だかんだ言っても、張りつめていたのだろう。
「大した怪我じゃないから大丈……」
「左足首捻挫で両手両足は見た通りだしひとりで立ってるだけでも危ないし辛いのが一目瞭然っていう状態」
「え!?なんてことしてくれたのあの人たち……!!大丈夫、あとで制裁してくるから!そしたら今日そのままうちに直行だね!」
「うん。じゃあ佐野さん、お願いします」
「え……え……?」
にっこりと満面の笑みを浮かべて伊織を遮り、ノンブレスで言ってのけた楓と、それに驚きしっかりと頷いて自身の手を握ってくる麻子。そんな二人に、伊織は今度こそ言葉を失った。
「あ、やっぱり故意的だったんだ。うん、ちょっとしめてこないとね」
「いや、ちょっと待って、あんたまで何言ってんの」
「だって伊織ちゃんにこーんな怪我させたんだよ?当然でしょ?ね、日向くん」
「…………」
いつの間にこれほどまでに仲良くなっていたのだろうか。思いながら、ふと伊織は麻子の手元にあるものを見て、思わず顔を引き攣らせた。今話題のコンパクト高性能ビデオカメラが、しっかりと片手に握られている。
「……ねえ、麻子」
「うん?」
「それ……」
指摘すれば、麻子は待ってましたと言わんばかりに、彼女は画面を伊織の方へ向けた。どうやら、先程のリレーを伊織にバトンが渡される数秒前からゴール後まで、動画で撮っていたらしい。
「ほら、ちゃんと画像にもしたんだよ!」
そう言って見せてきたのは、例の二つの“アクシデント”。最初のバトンパスの瞬間と、最後のゴール直前のものだ。
「……ちゃっかり私を撮ってたのは別として、これは使えるね。流石麻子」
「でしょでしょ?じゃあ早く先生に……」
「必要ないよ。それはまだ取っておくだけ」
伊織は口角を上げた。
……なんとなく、読めてきた気がする。ならば、良い機会だろう。
「(どうせやるなら、一網打尽にしてやろう)」
二人が把握出来ていない表情を浮かべているのに気付きながらも、彼女は何も言わずに目を細めていた。




