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三年契約。  作者: 香月紫陽
chapter 1
6/19

水面下のdisturbance



「…………」


 伊織は一点を睨んだまま、じっと動かない。その様子に、麻子は苦笑を浮かべる。なんだか、先日も見た光景だ。


「おはよう、黒崎さん、佐野さん」

「あ、おはよう日向くん」

「…………」


 声をかけてきた楓に一度も視線を向けることなく、ひたすら一点を睨みつける。楓がその視線を辿ると、ふっと笑みを浮かべた。


「――俺の勝ち、だね」

「……五点差とか、ありえないんだけど」


 トップに書かれているのは、楓。その下に、伊織の名が続いていた。珍しく力を入れて勉強してみたが、やはり勝てなかった。


「それじゃ、景品獲得ってことで」

「……早く言いなよ。可能な限り叶えてあげるから」

「まだ考え中」


 返された答えに、伊織は顔を顰める。一体どんな命令をするのだろうか。考えてもどうなるわけでもないが、そういう機会が今まで一度としてなかった彼女は、なんとなく気になって仕方がなかった。


「それにしても佐野さん、凄いね。あんな言ってたのに九位じゃん」

「伊織ちゃんのおかげー!」

「……別に、大したことしてないけど」


 肩を竦めて、伊織は掲示板から離れて教室に入る。席に着くと、例の如く本を取り出した。


「…………」


 伊織は、僅かに顔を顰める。

 今日は、物語に全く入り込めそうになかった。






- - -






 その日の放課後、伊織は颯爽と教室を後にする。今日はバイトがなく、家でゆっくり出来る日だ。しかし、なんだか真っ直ぐ帰る気分ではない。


「(……お店、寄って行くかな)」


 一服してから、家に帰ろう。そう決めて、下駄箱を開けた時だった。


「…………」


 一通の手紙が入っているのに気付いて、怪訝な表情でそれを手に取る。暫くそれをじっと見つめてから、興味がないというように適当にバッグのポケットに突っ込んだ。

 カフェに立ち寄ると、客の姿は疎らだった。時間を見てみると、確かにこの時間帯は人が少ない。丁度良い、と席に座って、オーダーを取りに来た美月にカフェオレを頼む。


「あれ、伊織ちゃん。なにそれラブレター?」


 すぐにカフェオレを運んできた美月は、手に取りじっとそれを眺めていた伊織に気付いて、興味深そうに笑みを浮かべる。


「中らずと雖も遠からず……ってところですかね」

「ふぅん……私立の進学校って言いながら、暇ねえ」

「本当に」


 上部に違和感を感じて、伊織は相変わらずの口調で言ってのけた。意外そうにそれを聞きながら、美月が正面に座る。相当空いている時は、こうして客に交じって小休憩を挟んだりしていた。


「で、伊織ちゃんはどうするの?」

「どうでも良いので放置でしょう」

「そういうのってエスカレートしてくよ?確かに放っておくのが一番だけどさ」

「何かあったとしても、その時はその時。うちの忠犬が黙ってないと思うので問題はないかと」


 カフェオレに口をつけながら、伊織は言った。それに美月は目を瞬かせると、おかしそうに笑う。


「……っはは!傑作だわ!流石ね伊織ちゃん!」

「……どうも」


 大凡一般の反応とはかけ離れている伊織に、美月は笑わずにはいられない。それを分かっている伊織も、何も言わなかった。






- - -






 それから毎日、伊織の周囲で何かが起きていることに気付いた。気付いていて、あえて何も言わない。徹底的に無視を決め込んでいた。勿論、手紙も一度も開けていない。

 大体にして、やっかみを買うようなことをした覚えはない。身に覚えのないことでそんなことをされても対応に困るだけである。幸いにして、一番騒ぎ立てそうな麻子に気付かれることなく、今まで表面上は何も変わらず過ごせている。何もないことに引っ掛かりを覚えながらも、伊織はやはりそこまで気に掛けることはしなかった。


「……ということで、体育祭です!」

「……なに、藪から棒に」

「うん、言ってみたかっただけ」


 気付けば、体育祭当日だった。クラスカラーの緑の鉢巻を頭に巻いて麻子は気合十分である。彼女はこういうイベント事が好きで、同じくそういうタイプの人間と先程まで一緒になって盛り上がっていた。


「百メートル走、一番最初だよね。頑張ってね、伊織ちゃん!」

「ん」


 返事をすると、伊織は入場門へ向かう。プログラムの一番最初の競技であるそれが終われば、あとは午後のリレーまで出番はない。さっさと終わらせて日陰で涼んでいよう。そんなことを考えながら、スタートラインに着く。一年女子から順に始まる為、本当に競技のトップバッターだった。クラスが多い分、タイム制になる。そのグループで一位を取ったとしても、必ずしも一位になれるとは限らない。

 部活を引退してから身体を動かすのは体育の授業程度だったが、入学後の体力テストであまり変化はなかった。練習をしていない以上伸びることはないが、おそらくそこまで落ちているわけでもないだろう。伊織はちら、と同学年の走者を一瞥した。麻子の情報によると、この競技に参加するのはやはり運動部出身、または現役運動部員のようだった。


「(……まあ、男子並みに速いのがいるっていうなら、話は別だけど)」


 男女合同で練習していたあの頃を思えば、たかが女子だけの運動部など相手にもならない。考えて、伊織はゴールに視線を向けた。

 ピストルの音が、静まり返ったグラウンドに響く。同時に伊織は勢いよく地を蹴った。クラウチングスタートの姿勢は未だに慣れないが、スタートは上々である。そのまま問題もなく、圧倒的な速さでトップを掻っ攫っていった。


「(……ん、ぶっちぎり)」


 他のグループは接戦のようで、予想通り、そんな人間などいなかった。僅かに口角を上げると、伊織は麻子の下へと向かう。


「伊織ちゃーん!ぶっちぎりおめでとう!お疲れ様!」

「ん、ありがと。……あんた、そろそろだっけ?頑張ってきなよ」

「うん、頑張ってくる!」


 軽く最終確認も必要な二人三脚は、自身の出場競技の5つ後だが、前4競技も長引くような競技ではない。確認に行くなら、そろそろしておかなければならなかった。


「お疲れ、黒崎さん」


 テンションの高い彼女を見送っていると、聞き慣れた声がこちらに向かって飛んできた。


「……ああ、ありがと。あんたも確認しに行かなくて良いの?」


 振り返り、声をかけてきた楓に礼を言う。しかし、彼もまた麻子と同じ競技に出場するのではなかっただろうか。首を傾げて訊ねれば、頷くのが見えた。


「まあ、女子より後だし、ちょっと時間に余裕はあるから。……でもそろそろ行ってくるかな」

「ん、頑張って、日向」

「!」


 その言葉に、楓は思わず足を止めて振り返った。彼の表情に、伊織は思わず怪訝な表情を浮かべる。


「……え、なに、また間違ってた?そろそろ覚えたと思ったんだけど」

「……いや、合ってる。やっと覚えてくれたんだ、ありがとう」


 ふわりと微笑む楓に、伊織は小さく頷いた。


「二人三脚もそうだけど……リレー、俺アンカーなんだ。こっちも応援してくれると嬉しい」

「……へえ、私もアンカーだけど」

「じゃ、お互い頑張ろうか」

「ん」


 短く返事をすると、楓は目を細めて去っていく。どこか雰囲気が違った楓に、伊織は首を傾げていた。






- - -






 午前の競技が全て終わり、午後の部に移った。午後の方が競技数は少ない。伊織の出場するリレーまで、然程待つことはなかった。

 リレーメンバーは全員運動部で足の速い面々だった。これだけは得点が高く、小笠が決めたのだという。バトンパスの最終確認をすると、丁度召集がかかった。


「黒崎さん、頑張ろうね」


 第二走者に声をかけられて、伊織は頷く。アンカーは目立つようにとゼッケン着用を義務付けられた。目立つ蛍光色の黄色のゼッケン。それを着て、第一走者へ視線を移す。スターターがピストルを構えた。数秒後、乾いた音が鳴り響き、一斉に走り出す。


「(……接戦……)」


 しかし、彼女はコーナーに強いらしい、僅かにトップに立っていた。セパレートで走った第一走者から、バトンが渡る。第二走者からはオープンだ。このままいけば、ここもトップで通過出来そうだと思った瞬間、暫定三着目のクラスが上がって来た。すぐに抜かされ、二位に下がる。

 第三走者にバトンが渡った。一位との差は詰められない距離ではない。第二走者で広げられた差を縮めて、アンカーの伊織にバトンが渡ろうとした。――その時。


「……っ!?」


 違和感を感じて一瞬後方へ視線を向ければ、僅かに届かない位置でバトンから手を放していた。既に走り始めている伊織は、無理な姿勢で咄嗟に屈み、腕を伸ばしてバトンを捉える。しっかりそれを掴むと、視線を再び前に戻してスピードを上げた。

 一位との差は今の“アクシデント”でまた少し開いてしまった。


「(……いや、いける)」


 目を細めて、前を見据える。そのまま伊織はカーブに差し掛かって、身体を若干左に傾けながらスピードを緩めることなく走った。カーブで追いつき、あとは直線勝負。相手もそれなりのようで、中々抜けない。


「(!抜いた……っ!?)」


 ゴールテープを切った直後、背中を勢いよく押され、思いっきり転倒した。思わず手をついた為顔まで地面に着くことはなかったが、結構な勢いである、擦り傷は軽くは治まらなかった。


「だ、大丈夫ですか!?」

「……ちょっと、手貸して。立てない」


 先程のことで、足に違和感があった。しかしそれも派手に転倒したことで、決定打となったのだろう。捻ったかもしれない、と足首を指して言えば、係員が慌てて伊織に手を差し伸べた。


「……で、うちは何位」

「え?あ、トップです、僅差でしたけど!それより早く医療テントに行きますよ!」


 慌てているこの生徒は、一年のようだった。酷い外見に、思わず苦笑がこぼれる。ゆっくりと彼女に支えられながら医療テントに向かう途中で、二年生のリレーが始まった。


「……テントから、競技って見えたっけ」

「ある意味特等席ですよ、遮るものは何もないので」

「そう」


 なら、見れる。安堵の息をついて、伊織はそれ以降何も喋らなかった。


「……随分派手に転んだわね」

「まあ、あれだけの勢いなんで」


 テントについて早々、保健医に言われた言葉に肩を竦めた。好きで転んだわけではない。しかし、それを一々言うのも面倒だった。


「まず足首の方から診ましょうか。ちょっと動かすから、痛かったらすぐ言ってね」


 言いながら、左足首を動かし始める。ある角度で激痛が走り、伊織は顔を歪めた。どうやら、軽く捻挫していたらしい。


「それにしてもあなた、随分速いのね。朝イチの百メートル走だって、ぶっちぎりだったでしょ?印象的だったからよく覚えてるのよ」

「……それはどうも」

「あ、男子も始まったみたいね」


 それに、伊織も視線をグラウンドへ向ける。ピストルの合図で走り始めた彼らは、やはり女子よりも接戦で見応えがある。そういえば、グループで1位は取ったが、結局のところ順位はどうなったのだろうか。気になるが、後で麻子が教えてくれるだろうと考えて、早くも最終走者にバトンが渡ったのに気付く。


「あら、あの子も速いわね」


 保健医の視線の先も、恐らく同じだろう。僅かな差を広げてトップに躍り出たアンカーは、やはり楓だった。そのままスピードを落とすことなく、ゴールテープを切った。




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