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三年契約。  作者: 香月紫陽
chapter 1
5/19

そんな、小さなmellow




 体育祭の競技が、いつの間にか決まっていた。

 伊織は黒板をじっと見つめたまま、動かない。それに楓は首を傾げ、麻子は苦笑を浮かべた。百メートル走と四百メートルリレーの場所に、自身の名前があった。


「ほら、伊織ちゃん。話し合い参加しないで読書してるからだよ」


 指摘されて、伊織は僅かにたじろぐ。しかし、彼女は反省の意思など更々ない。


「……リレーとか面倒なんだけど」

「体力テストで伊織ちゃん、トップだったんだからしょうがないよ」

「え、黒崎さん、そうだったの?」

「…………偶然、だっただけ」


 先日の体育の時間に行われた、体力テスト。本気を出さなければ良かった、と伊織は若干後悔している。しかし、中学時代にバスケ部のエースであった彼女の運動能力は並大抵のものではない。後悔はしているが、流石に元運動部の性から手を抜くことなど出来なかっただろう。


「だって言ってなかったっけ?それをもとに競技決めるんだよーって」

「…………」


 その言葉で、伊織は内心で前言撤回した。……やはり、手を抜けばよかった。


「百メートル走は別に単体だから良いけど、なんでリレーまで出なきゃいけないの」

「だから伊織ちゃんがトップだからでしょー」


 そんな麻子は二人三脚らしい。それには楓も出場するようで、他にも同様にリレーに出場予定だという。


「二人は何部だったの?」

「わたしは吹奏楽部だよ、フルートやってたんだ。伊織ちゃんはバスケ部のエースだったんだよー!」

「へえ、エースとか凄かったんだ」

「そうそう!伊織ちゃんほんとかっこよかったんだよー!」


 麻子の燥ぎように、伊織はふっと笑みを浮かべる。なんというか、相変わらずだ。


「…………」

「……?なに?」

「!いや……」


 思わず、といったようにじっと見てくる楓に、伊織は怪訝な表情を浮かべる。それに楓ははっと我に返って、慌てて言葉を探し始めた。


「その、佐野さんってほんと、黒崎さんのこと好きだよなと」

「だって伊織ちゃんはわたしのお姉ちゃんだもんね!」

「……まあ、微妙なラインだね」


 完全に否定は出来ない。苦笑しながら、伊織は抱き着いてきた麻子を受け止めた。






- - -






 小笠の気合の入りようは半端ないが、クラスの面々はあまり乗り気ではないようだった。それでも、体育の時間は真面目に体育祭の競技練習に取り組んでいる。別段心配はないように思えた。……尤も、伊織は自身の競技で問題が起きなければ関係ないのだが。


「いーおーりーちゃーんっ……」


 そんなある日、麻子が嫌に名前を伸ばしながら泣きついてきた。それに伊織は読書の手を止め、怪訝な表情を浮かべる。


「……なに」

「……再来週、テストだよね」

「……ああ、そういえば」


 今月末に四日間に渡って行われる、中間考査。それを今更のように思い出して、伊織は頷く。


「今日からお世話になっても良い!?」

「一週間自分でやったらね」

「冷たいっ!」

「あんたがぬるいだけ」


 そんなことか、と伊織はブックマークしたページを開き、再び本に視線を落とす。中学から変わらない、いつものやりとりだ。


「あれ、佐野さん勉強出来てなかったっけ?」

「それは範囲が狭いから。あと伊織ちゃんにヒント貰いながらやってただけだよー……」

「そっか。じゃあ黒崎さん頭良いんだ」

「……あんたには負けるんじゃない、新入生代表さん」


 本人にそのつもりはないが、皮肉のようなそれに、楓は思わずおかしそうに笑う。笑われるような要素があったか、と気になって本から視線を外した伊織の方が首を傾げた。


「じゃあちょっと勝負しようよ」

「……はあ?」


 何がどうしてそうなった。ありありと書かれた表情に、楓は尚も笑う。


「うん、だってまぐれだったかもしれないし?」

「……よく言う」


 どこか余裕そうな表情に、伊織は顔を顰める。テストなんて適当に点数を取れば良い、と切り捨てる伊織は、今度こそ本に集中しようと正面を向いた。


「――勝った方は負けた方に何かひとつ命令出来る権利が景品、ってことで」


 その言葉に、伊織は一瞬動きを止めた。僅かに瞠目して、直後、目を細める。


「……良いよ」

「お、意外。乗ったね。じゃあ、そういうことで」

「……え、珍し……」


 目を瞬かせる麻子の隣で、笑みを濃くした楓がひとつ頷いた。






- - -






「ねえ、伊織ちゃん。なんで勝負しようと思ったの?」


 週末、結局勉強を教えてくれと、麻子が家まで押しかけてきた。そんな彼女は現在、ソファを陣取っている。テーブルに広がる教科書を見る伊織に、あれから気になっていたことを訊ねてみた。


「……最近ちょっと外野が煩いから」

「外野……?もしかして伊織ちゃん……!?」

「違うけど、予防線。そんな面倒事に一々巻き込まれたくないし」


 淡々と話す伊織に、当事者ではない麻子の方が驚いていた。予想していたことは起こっていないようだが、それでも不安は拭えない。しかし本人は何とも思っていないようで、麻子は思わず嘆息した。


「……まあ、何もないなら良いけど……」

「それより麻子、あんたはそっちの心配よりこっちの心配でしょ。何の為にうちまで来たわけ」


 教えないよ、と既にノートの次ページまで勉強を進めている伊織に、はっと我に返って麻子も教科書を手に取った。


「……ああ、そうそう」


 漸く麻子のスイッチが入った時、ふと思い出したように伊織がペンを止める。


「今日、バイトあるから。泊まってくんでしょ、留守番宜しく」

「はーい」


 気の抜けた返事をする麻子に、大丈夫だろうかと若干心配になりながら、伊織は勉強を再開した。

 数時間後、携帯のアラームが鳴ったことで、伊織は勉強を中断した。手早く準備を済ませ、麻子とりんごに留守番を任せてカフェへ向かう。いつも時間に余裕を持って行くが、今日に限って電車が遅れた為、ぎりぎりの入りになった。


「遅くなりました」

「ああ、お疲れ様。電車遅れたんだって?大変だね」


 控室に入ると、既に来ていたもうひとりのバイトがいた。女子大生の片岡美月かたおかみつきである。


「まあでも、この時間から客足が多くなるから、間に合って良かったよ」

「そうですね」


 制服に着替えて、軽く鏡でチェックする。問題がないことを確認して、控室を後にした。


「そういえば、もうすぐテストじゃない?」

「ええ、一週間後です」

「余裕だねえ、流石伊織ちゃん」

「ほんと、羨ましいな」


 美月が笑うその奥で、話を聞いていたらしいマスターの息子、緒方真也おがたしんやも頷く。今年三十三歳らしいが、それほどの年齢を感じさせないところが親子そっくりだ、と伊織は思った。


「今日はマスター、いらっしゃらないんですね」

「ああ、たまには娘と遊びたい、って。多分今相当じじばか炸裂してるよ」

「じじばか……!」

「じじばか……全く想像つきませんが」

「そりゃ、父さんいつもあんなんだしなあ」


 身重の彼の妻・紗知さちの代わりに、交代で娘の未来みくの面倒を見ているらしい。意外な一面を出しているマスターの話で盛り上がりながら、今日もカフェ・フェリーチェは上々の売り上げを収めた。


「……ただいま……?」


 業務終了後、帰宅すると、静まり返った家の中に伊織は首を傾げる。なんだか以前にもこうしたことがあったな、と若干デジャヴを感じていると、予想通りの光景に思わず笑みがこぼれた。


「……まったく、なにやってんだか」


 ソファに、麻子とりんごが寄り添って眠っている。いつからそんな状態になっていたのか分からないが、いくら初夏とはいえ、何も掛けずに寝ていては風邪をひく。

 軽く身体を揺すって起こせば、目を覚ました麻子が勢いよく起き上がる様子を見て、伊織はまたおかしそうに笑った。




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