その先に映るsomebody
『休憩の時逃げないでね!』
まるで先程の仕返しだ、と言わんばかりのメールが、程なくして伊織の元に届いた。どういう意味か理解出来ずに、伊織は内心首を傾げる。しかし、その答えはすぐに分かった。
「伊織、そろそろ休憩だよね」
「!……そういうこと」
声を掛けられ、視線を向ける。視界に入ったのは、先程まで呼び込みに出掛けていた楓だった。その姿を見て、納得したように呟く。
「あ、日向じゃん。え、なになに、迎えに来たの?良いよ黒崎ちゃん連れてって」
「は……?」
「うん、ありがとう。じゃあ遠慮なく」
「はいはーい」
「ちょ……葉月……!?」
まだ休憩時間にはなっていないというのに、軽く手を振って見送る葉月。そんな彼女に唖然としながら、伊織は楓に手を引かれていった。
「(……まあ、本人が良いって言うなら、良いのか……な……?)」
実際何か裏がありそうな気もするが、今となってはどうしようもない。店から随分離れたところで、漸く楓が立ち止まった。不思議に思って顔を見上げると、困ったように微笑んでいた。
「さっき、翔琉君たちに会って、教えてもらったんだ」
「……会ったんだ」
「うん、呼び込みからこっち来る途中で」
その状況を思い浮かべ、散々余計なことを言われてからかわれたのではないかと予想がついた。もしかしたらそれで疲れているのかもしれない。
「……その、ごめん?」
「え?何が?」
「翔琉に余計なこと言われて、疲れたんじゃないの……?」
「ああ……いや、寧ろ逆かな……」
その言葉に、伊織は首を傾げた。しかし、とりあえずそれで疲れたというわけではないらしい。
……だが、それが違うというのなら、他には何があるのだろう。
「……本当は、今日はダメかなって思ってたんだけど、助かった」
考えていると、楓が口を開いたのに気付いて視線を向けた。
「後押しされたから無理矢理連れ出しちゃったんだけど、俺と一緒に文化祭、回ってくれないかな」
「……まあ、他に約束はないし」
「そっか。まあ、伊織は気が乗らなかったらさっきの時点で引き返してたから、大丈夫だろうとは思ってたんだけど。今朝言おうとしてたことって、それだったんだ。あと――」
ほっとしたように笑いながら言う楓に、伊織は目を瞬かせた。なんとなく、彼も分かってきているらしい。
「――明後日、俺に一日頂戴」
続いた言葉に、伊織は驚いた。
「え……」
「命令権、まだ使ってなかったし……さ」
確かに、そんな話が一学期にあった。そしてあの時、保留にする、と言ったことも覚えている。てっきり使われるような命令をされるのかと思っていたが、それは予想外だった。
「……どこに、行くの?」
「……それは当日のお楽しみってことで。それより、どこから見てみる?」
ふわりと微笑むと、楓はそこで話を切った。本当に、それ以上は明後日にならなければ話さないのだろう。そう結論付けると、伊織もそこで止めることにした。
「……あんたは?」
「んー……伊織の好きなところが良いかなあ」
「…………」
さらりと言ってのける楓に伊織は気にした風もなく、しかしそう言われてしまえばこちらが決めるしかない、と適当に周囲を見回す。そして、一際目を引く看板が、視界に入った。
「じゃあ……あれ、とか」
視線の先には、ゲーム迷路。どうやら、ところどころにあるゲームをこなしながら、ゴールを目指していくらしい。そんな案内が、看板の下に簡潔に書かれていた。
「良いよ、入ろう」
頷いて、楓はその店へ向かう。本当に自身の決めた店に入るつもりだったらしい。適当に決めたそこに躊躇うことなく入ろうとしている楓に驚きつつ、伊織も後を追った。
「……あんたなんでイタリア語なんて知ってるの」
「この前会食で会ったイタリア人に挨拶教えてもらっただけだよ。だから簡単な問題で良かった」
「……そういえばあんた、麻子と同じ世界の人間なんだっけ」
無事にゴールに辿り着き、景品を受け取って店を出た2人はそれぞれ別の表情を浮かべていた。全問正解し迷路も抜けられたことで、特賞の景品である夢の国のとある人形がもらえた。今までに両者をこなした参加者はいなかったらしい。どうやらこれは新品のようだが、それほどまでに突破されない自信があったのだろうか。
伊織も楓も、気付けば結構楽しんでいた。ゲームに集中していたことですっかり忘れていたが、そういえば、と伊織は思い出したように口を開いた。
「……ねえ」
ゆっくりと歩きながら、伊織は思っていたことを口にする。こうして言葉にするのは、なんだか少しだけ躊躇われた。
「日向は……私の、どこにそんな惹かれたわけ」
「気になる?」
「そりゃ、まあ……」
言葉を濁す楓に、伊織は怪訝な表情を浮かべた。……やはり、訊くべきではなかったのだろうか。もしかしたら、あれは嘘だったのかもしれない。あれほどまでに真剣に言っていた言葉でさえ、否定したくなるような衝動に駆られた。
しかし、更に予想外な言葉がかけられ、伊織は唖然とした。
「……実はさ、伊織しか視界に入らなくなりだしたのって、中学の時からなんだよ」
「は……?」
「中三に上がる頃には、多分もう、相当だったと思う」
「…………」
呆然とする伊織を、楓は気にせず続ける。そんな素振りはなかったように思うが、気付いていなかっただけだろうか。しかし、そうであっても無理はなかっただろう。
「(……その頃じゃ、あの人から遠ざけるのに大分悩んでいたからな……)」
……そういえば、何故あの時――。
「――伊織」
思考が引き込まれそうになった時、不意に声が響いて聞こえた。瞬時に意識が引き戻され、はっとする。
「俺を見て。その先の“誰か”じゃなくて、俺を」
「!なに、言って……」
伊織は瞠目し、今度こそ、言葉を失った。
「……さ、次はどこ行こうか」
「……――」
楓は柔らかに微笑むと、そのまま優しく手を引き歩き出す。それに伊織は口を開き何かを言いかけ、しかしそれは言葉にならずに消えていった。
- - -
「伊織、完璧あれデートじゃん」
「……覗きとか趣味悪いんだけど」
「たまたま居合わせただけだし。ま、結構有名にはなってたけどなあ」
翔琉はこのまま家に寄るらしい。文化祭一日目が終了し準備や片づけもそこそこに、早々に撤収した。その帰り道で、突然口を開いた翔琉に伊織は目を瞬かせると、顔を顰めた。
「なにそれ」
「噂の校内カップルが例の如くいちゃついていたという目撃情報」
「だから付き合ってないし」
「あれで付き合ってないとかほんと楓サン不憫だよなあ」
肩を竦める翔琉を無視し、ロビーのドアのロックをカードキーで解除する。確かに彼の言うようなことは予想していたが、それでも以前ほどは気にならなくなった。……慣れというものは恐ろしい。
「で?実際のところ俺より深刻な伊織チャンはどうすんの?」
「何その呼び方。……別に、どうもしないけど」
エレベーターに乗り込み、ボタンを押す。扉が閉まり、上昇して行くのを感じた。
「まあ、俺は良く知らないからこれ以上は言わないけどさ。あーちゃんにまで心配かけんなよ?」
「あんたの基準ほんと麻子だよね」
「だって俺あーちゃん大好きだから」
「空回りしてるけどね」
「それは言わないお約束」
麻子ともよく話すが、やはり身内であるだけ違うのだろう。翔琉とは普段静かな伊織も饒舌になっていた。エレベーターが到着し、真っ直ぐに部屋へ向かう。カードキーを差し込んで、二人は家へと入って行った。




