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三年契約。  作者: 香月紫陽
chapter 2
16/19

迫り来るはtwilight




 何だかんだと、夏が終わった。ぼんやりとそんなことを考えながら、伊織は発泡スチロールにスプレーを噴き掛けた。

 今日は文化祭前日。怒涛の八月も過ぎ去り、文化祭の準備も順調に進んだ。これも偏に小笠のお蔭だろう。前回の体育祭の時に判明したことだが、どうやら彼女は勝負事をとても好んでいるようだった。文化祭では、いくつかの賞がある。デザイン賞、ユニーク賞、そして優良賞、優秀賞、最優秀賞の5つだ。故に文化祭を盛り上げる為、生徒たちの士気を高めるという名目のもと職員を煽り、結果として最優秀賞を受賞したクラスには焼肉招待券が贈呈されることになったという。


「(……また焼肉って、ほんと小笠焼肉好きだな)」


 数あるスプレー缶を駆使して、看板を作りながら内心で呟く。普段の小笠は……あれはなんなのだろうか。とにかく、スイッチの切り替わりで性格が豹変するのは驚きものだ。


「……ん、完成」


 最後に赤スプレーで文字を書いた後、再びその上を軽く茶色と黒が重ねられる。そうして出来上がったそれを見て満足そうに目を細める。我ながら会心の出来だ。そんな雰囲気が感じられるほど、伊織は上手く出来たことに喜んでいた。


「伊織ちゃん、出来たー……って、うわ!すごっ!」

「え、なになに、どうしたの……わぁお、黒崎ちゃんやるねえ」


 受付のセットを作っていた麻子と葉月が気付いてこちらにやって来るのが見えて、看板から少し離れる。二人の視線が看板を捉えるなり、彼女たちは瞠目した。実に絶妙に茶色と黒で描かれた表面は、良く見なければ実際のものと見間違えるほど。更にその上に、掠れたように見える赤で書かれた“お化け屋敷”の文字。それが余計に恐怖を煽るようだった。


「黒崎ちゃんってこういうの得意なんだ」

「……まあ、こういう作業は嫌いじゃないけど」

「天性のものなのかな。……っと、佐野ちゃん、あたしたちも早く終わらせちゃおう」


 そう言って、二人は作業に戻って行く。出来上がった看板を入り口に立て掛けると、既に飾り付けられた外装に良く合っていた。


「あ、黒崎さん。ちょっとテープ類が切れちゃったんだけど……」


 暫くそれを無言で見つめていると、クラスの女子生徒に声をかけられた。話を聞いて、伊織はクラス内に視線を向ける。誰か手が空きそうな者はいないか見回しても、該当者はいなかった。


「……じゃあ、私が行ってくる。丁度看板も出来たから。後の指示は私が戻るまでは日向に訊いて」

「うん、分かった」


 頷いて持ち場に戻る彼女を見送って、伊織は男子生徒に指示を出している楓を見つけた。声をかけると、手を止めてこちらを振り向く。


「私しか手が空いてないから、ちょっと買い出し行ってくる。……テープ類だけだからすぐ戻ると思うけど、その間宜しく」

「了解。気を付けてね」


 笑顔でそう言った楓に、伊織は目を瞬かせた後、小さく頷いた。

 財布と携帯を持って、教室を後にする。


「(……なんか、随分変わった気がする……)」


 中学までは、よく話す人間と言えば、麻子しかいなかったというのに。今は楓に葉月、そしてクラスの面々とも少しずつだが話をしているような気がする。それこそ、記憶に残るほどに。

 別に人付き合いを避けていたわけではないし、とにかく普通に過ごしてきたつもりだ。それでも何故か、今まではそうだっただけである。

 そんなことを考えていると、いつの間にか学校から近い場所にあるホームセンターに辿り着いていた。


「(黒のビニールテープ……二つあれば良いかな。あとは……)」


 ガムテープに、セロテープの替え。そして、黒の色画用紙。本当に軽いもので、正直助かったと思う。以前一度だけだが、こうして買い出しに出ることがあった。その時はペンキを五缶ほど購入したのだが、やはり茹だるような暑さの上に重い荷物という組み合わせは最悪だった。


「(……うん、やっぱりそんな時間かかってない。これなら……)」


 会計を済ませて携帯で時間を確認すれば、然程時間は経っていなかった。連絡もなく、今のところ問題はないようだ。それに安堵して、伊織はホームセンターを出る。

 何だかんだと言いながら、遂に明日からの二日間は文化祭だ。準備も殆ど整い、今は最終調整真っ只中。それも、指定時間内には終わるだろう。やはり最優秀賞の賞品の威力は凄まじい。やるからにはきちんとやらなければならないものの、正直クラスの面々をどう動かすか悩んでいた伊織にとっては、この上ないサポートだった。


「(明日、か……)」


 文化祭では、自身は葉月と共に受付を担当する。葉月の満面の笑みと対照的に無表情で案内するのが、その時点で最も効果を発揮してくれるはずだ、と葉月の案だ。本当にそうなのかと若干不安を感じるが、彼女が言い切るのだから、大丈夫なのだろう。そう結論付けて、見えてきた学校へ向かう足を速めた時――。


「――伊織?」


 ふと、誰かに名前を呼ばれて、伊織は瞠目した。更に速度を上げようとして、しかし金縛りにあったかのように、忽ち全身が硬直した。


「……ああ、やっぱり伊織だ。このシーズンだから、学祭準備の買い出しか?」

「…………」


 ひとつ息を吐き、ゆっくりと振り向く。そうして見えたのは、ワックスで軽く遊ばせるように固めた少し長めの黒髪に、きっちり決まった黒のスーツ姿の男。その姿を捉えて、伊織は僅かに顔を顰めた。


「……何の用」

「酷いな、出会い頭に。久々の再会じゃないか」

「どうでも良いよ、そんなこと」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。先程までの些か高揚した気分は、一気に急降下した。


「……まあ、良いか。それよりさ、あいつ、まだ帰って来ないのか?」

「あんたには、関係のないことだと思うけど」

「そう言うなって。関係ならあるんだよ。もう何度も言ってるから、お前には分かってもらえたと思ってたんだけどな」

「馬鹿じゃないの」


 淡々と返す伊織は、既に表情がない。そんな彼女の様子に、男は苦笑を浮かべた。


「随分と嫌われたな、俺。昔はあんなに寄って来てたってのに」

「あんたの勘違い。迷惑」

「……なあ伊織。俺も暇じゃあないんだ」


 不意に、声色が変化した。その変わりように、一瞬肩が跳ねる。一歩、男が踏み出したのが見えて、更に顔が強張るのを感じた。徐々に距離が縮まるのに、足が竦んで動かない。一歩、また一歩と、男が伊織に近付いた時だった。


「……っ!」


 胸ポケットにしまっていた携帯が、振動した。三回の振動。メールらしい。それにはっと我に返ると、先程まで動かなかった身体が嘘のように自由を取り戻した。


「……それより、騒ぎになりたくないならさっさと消えた方が良いと思うけど。――すぐそこ、学校だから」


 目と鼻の先にある、校門。ここは敷地内に植えられた大木の陰になっていて見えないが、少し進めば三階の生徒には見えるだろう。後退する仕草を見せれば、その意図に気付いたのか、男は僅かに顔を顰めた。


「……それもそうだな。しょうがない」

「あんたに話すことは何もない。私も……あの人も。だから、もう来ないでくれる。迷惑だから」

「そういうわけにもいかないんでな。大体お前――どうせ何も出来ないだろ?」

「!……」


 確信めいたそれに、伊織は瞠目した。愉快そうに目を細めると、男は踵を返す。去っていく後姿を、伊織は何も言えずに見送るしか出来なかった。




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