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三年契約。  作者: 香月紫陽
chapter 1
10/19

締まらないunfold




「……っ…………」


 ゆっくりと、伊織は目を開けた。明るくなる、視界。見えたのは、階段。


「……間一髪……」

「……!」


 耳元でぼそっと呟かれ、伊織ははっとした。腹部から支えるようにして腰に回されている腕。左へ視線を向ければ、手摺に掴まり自身を支える楓の姿があった。どうやら、彼に助けられたらしい。


「黒崎さん、怪我ない?」

「……ん。あ、ありがとう……あんたこそ、大丈夫……?」

「うん、平気」


 頷く楓を注意深く見つめ、それでも何ともなさそうだと安堵した伊織は、もう一度礼を言って楓から離れる。

 なんというか、突然すぎてついていけなかった。ある程度仕掛けてくるという予想はしていたが、まさかここまで顕著にしてくるとは思ってもみなかった。


「(……いや、体育祭のこと考えれば、有り得ないことじゃなかった……)」


 伊織は唇を噛んだ。……完全に、自分の失態だ。危うく楓にまで怪我をさせてしまうところだった。捻挫もまだ治っていないのだから、油断してはならなかったというのに。


「(……寧ろ、これを狙ってたのだとすると……)」


 思わず、伊織は嘆息する。なんというか、もうこれはやはり避けられないのだろうか。


「伊織ちゃん、さっきの……」

「……さっき一瞬だけ見えた。……やっぱり、もう流石に悠長にはしてられない」


 突き飛ばしたのは、あの時伊織を平手打ちした女子生徒だった。


「……麻子、調べられる?」

「大丈夫」

「……じゃ、宜しく。もうさっさと終わりにするよ。こんなくだらないこと」


 誰かがまた、被害に遭う前に。






- - -






 そういえば、最近読書することが出来ていない気がする。それほどまでに、面倒事に巻き込まれていたのだろうか。早く片付けて、本が読みたい。読書好きの伊織にとって、深刻な問題だった。

 麻子が伊織に頼まれて情報を仕入れてきたのは、翌日のことだった。相変わらずどのような手法でそこまで、しかも短時間で調べているのか、色々と疑問が尽きない。


「あとは……」


 複製した証拠類が、伊織に渡された。改めて見てみると、本当に寸分の狂いなく良く撮れている。余程性能が良いのか、それともこれを撮った人物の腕が良いのか。麻子の趣味が撮影なのかは伊織には知らなかったが、それでも証拠として使えるのならばと深くは考えないようにした。


「……昨日の今日だし、多分来るよね」

「黒崎さん、やっぱり……」

「分かってる。……分かってるよ」


 楓の言わんとしていることに気付いて、伊織は頷く。……これで事態が収束しないようならば、致し方ない。荷物を整理して、伊織は席を立つ。


「……後で連絡する」


 振り返らずに一言そう言うと、そのまま教室を出て行った。


「(……子供同士の“喧嘩”に親を出すな、とか言われそうだけど)」


 最早喧嘩の領域ではないことなど、一目瞭然だろうに。そんなことを考えていると、いつの間にか昇降口まで来ていたようだった。今考えてみると、随分古典的なやり口のような気がする。だが、正直“この程度”で済んで良かったとも思う。


「…………」


 開けてみると、やはり一通、手紙が入っていた。……否、手紙というよりも寧ろ紙切れだ。ただ殴り書きで場所と時間があるだけ。それを見て、伊織は予めメール画面にしていた携帯を手探りで手に取り、バッグの中で画面を見ずにそれを打って送った。

 指定された場所は、今回は体育倉庫の裏だった。随分と古典的であるが、確かにそこならばここから距離がある。もし誰かを呼んでも、すぐには来れない。紙切れを棄てて、伊織は体育倉庫へと向かった。


「昨日はどうも」


 自分から声をかけ、伊織はその存在を彼女たちに知らせた。先日より、人数が増えている。好都合だ、と伊織は内心で呟いた。


「悪いけど、もうこれっきりにしてもらおうと思って」

「何言ってんの?まだ引っ付いてるくせに」

「だったらさっさと消えなさいよ」


 返された言葉に、伊織は口角を上げた。


「――これを見ても、まだそんな口叩けんの?」


 徐にバッグから取り出したのは、例の写真。そして、ボイスレコーダー。先日の呼び出しで録音した会話を聞かせて見せれば、彼女たちは驚愕していた。


「これ、学校内にばら撒いても良いんだけど。それとも……なんなら、警察にでも届ける?いじめは立派な犯罪。悪いけどこれでも退かないようなら、あんたらの家に圧力掛けさせてもらうよ」

「な、何言ってんのよ。片親のあんたに何が出来るっての?」

「そ、それに!そんな写真、合成だって言われて終わるに決まって――」

「――俺たちが証言すれば、その写真は合成だって疑われることはないと思うよ」


 突然飛んできた声に、彼女たちは更に驚いた。勢いよく振り返ると、そこには麻子と楓の姿があった。楓は手にしている写真をひらひらとさせながら、彼女たちに笑いかけていた。


「それにさ、伊織ちゃんは確かに片親だけど、そのお母さんお偉いさんだから意味ないと思うよ?大体、わたしが許さないし」

「警察にだって、伝手がある。……で、どうすんの?まだやるわけ?」


 伊織がすっと目を細めて言えば、彼女たちは顔を蒼褪めさせて走り去っていった。


「……多分これでもう手は出してこないかな。あとは治療費請求しないと」

「あの分だと、停学処分かな」

「それで済めば良いけどね」


 首を傾げる麻子に、伊織は肩を竦める。


「ありがとう、二人とも。とりあえず、大事になる前に済みそう」

「俺の方もありがとう。……まあ、家が家だから、また高校でも肩身狭い思いして過ごさなきゃいけなくなるところだったし」

「日向くんも大変だねえ」


 苦笑を浮かべる楓に、麻子も同じような笑みを浮かべる。

 親の存在を出すのは伊織自身が避けたいと思っていたというのに、結局彼女自らそれを笠に着てでなくては、この一件を解決出来なかった。……否、本当はまだ、解決などしていないのだろう。それほどまでに簡単に片付くような問題ではないと分かっているが、それでも、いくら面倒事であったとはいえ、後味が悪かった。




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