BL-ack*SS.――ブラック――
「めぇーん!」
声変わりを経ていない甲高い叫びとともに、竹刀が振り下ろされる。
綺麗に相手の面を切り裂く。
「ちょ、もっかい! もっかいやらせてよ!」
切られた側が嘆願する。
「いいよ、まあ絶対俺の勝ちだけどな。お前ちっちゃくて弱っちいんだもん」
切った側は余裕綽々といったところだろうか。
古川駿太は、悔しそうに唸り声を出している。
一方の月野蓮は、既に剣先を相手に向け中段の構えに入っていた。
「さあ、やろう」
蓮は言った。
駿太と蓮はともに剣道を習っている小学五年生の仲良し二人組だ。
今日は体育館を貸し切り、剣道の稽古に励んでいる。
二人は小学二年生の時に剣道を始め、当時は剣道の腕は互角だったのに、駿太より蓮の方がハイペースで腕も背も伸びていった。
今や蓮は、あくまで剣道というスポーツにおいてのみ、駿太にとっての天敵となってしまった。
駿太はそれが悔しかった。
誰かが言っていた、剣道は身長差は関係ないという言葉を信じ、蓮に向かっていた。
「どぉー!」
今度はつばぜり合いからの引き胴でやられてしまった。
駿太はがっくりと肩を落とした。
結局、この日駿太が勝てたのはたった二回だった。
一日中剣道に打ち込んですっかり疲れてしまった二人。
「もう帰ろうか」
「あ、その前にトイレ。これ持ってっといて」
蓮は駿太に籠手を渡すと、体育館の端へ向かった。
駿太は、その対角にある更衣室に入った。
そして着替えをしようとまず籠手を外したその時だ。
蓮の籠手が目に止まり、何故だか心拍数が増えたのだ。
駿太は更衣室の外を見た。
蓮が向かってくる様子はない。
駿太は蓮の籠手をそっと両手とも着けてみた。
ちょっと大きくて、手のひらの側がぐっしょりと濡れている。
見ると、黒だか藍色だかに変色し所々穴が空いていて、絞ったら蓮の手汗が出てきそうだった。
ますます鼻息が荒くなる中、それの匂いを嗅いでみた。
自分の籠手も臭いが、それ以上に激烈な臭いがした。
蓮の匂い?
蓮、臭いよう。
体の奥の方から興奮が沸き上がってくる。
何度も、何度も、匂った。
蓮の手、臭いのかな。
蓮の防具、臭いのかな。
着けてみたい。
駿太は興奮したまま覚束ない手付きで面を外し始めた。
そこで、ふと気付いた。
……もし、僕がこっそり蓮の籠手着けてたのバレたら――……
「……駿太、何やってんの?」
ぼそっと呟く蓮。
用を足した蓮が、後ろに立っている。
駿太は、血の気がさあっと引いていくのが分かった。
「え、いや、その……」
「面は籠手外してから取るじゃん。てか籠手やってたら取れなくね?」
え、そっち? と駿太が思ってる間に、蓮は足元にある籠手を拾い上げた。
それはもちろん駿太の籠手だ。
「蓮、それ……」
「何?」
「ぼ、僕のやつ……、蓮の、これ……」
吃りながら駿太は言い、おそるおそる蓮の籠手を外し差し出した。
「何やってんの? お前マジ気持ちわりー」
とでも言われたら、駿太は恥ずかしさでおかしくなりそうだった。
「駿太さあ……」
蓮は言った。
駿太は生唾を呑む。
「俺のこと、好き?」
「…………えっ?」
蓮はおもむろに面を外した。
暑さと窮屈さから放たれた顔は、それらとは別の理由で赤らんでいる。
「駿太、防具交換しよ」
「えっ?」
さっきから耳を疑うような発言ばかりだ。
「いいから!」
蓮は焦れったいような様子で声を張り上げた。
駿太が防具を外し終えると、互いに互いの防具を着け始めた。
特に面と籠手が、駿太にはぶかぶかで、蓮には少し小さすぎる。
防具に染みた三年間分の蓮の汗の匂いを感じ取る駿太。
臭い、だけどただ臭いだけじゃなくて、心地よかった。
「駿太の防具くせー。特にこの籠手!」
蓮が笑いながら言った。
「蓮のは胴まで臭いよう!」
駿太が言い返す。
と、その瞬間。
駿太の背中は冷たいアスファルトに叩きつけられていた。
「れ、蓮……?」
蓮に押し倒され、馬乗りになられていた。
感じる微かな痛み。
「……なあ、駿太」
蓮は囁くように言った。
「俺のこと、好き?」
「だ、だから、何だよそれ……」
「俺はさ、駿太のこと好きだよ」
沈黙する駿太。
「いつもの駿太も、剣道してる時の駿太も、つばぜり合いの時の駿太も、駿太の匂いも、みんな好き」
「蓮……。……僕も」
駿太は蓮の背中に手を回し、抱くようにして両手を組んだ。
二つの体がより密着する。
面越しに互いの息遣いが聞こえる。
「僕も、蓮のこと大好き。蓮と剣道やってる時めっちゃ楽しい。蓮の汗が染み込んだくっさい防具、僕、ずっと着けたいと思ってたんだ」
「……良かった」
蓮も駿太を抱きしめ、足を絡ませた。
「んっ……」
駿太の鼻息が漏れる。
「ふふっ、お前やっぱかわいいな」
一つとなった駿太と蓮は、しばらく永い間、そうしてそこにある愛に似た感情を確かめあっていた。
ある日のこと。
「お前、みんながいる前でベタベタすんのは止めろよな。俺たちのこと、みんなにバレたらどーすんだよ?」
その日の剣道の稽古が終わり、家に向かっている駿太と蓮。
「へへっ、ごめん」
駿太はとりあえず、そう言っておいた。
「駿太。お、お前が良ければでいいけど、その……、俺んちに泊まんね? 明日、土曜日だしさ」
駿太に断る理由など無かった。
「うん、行く! 蓮とお泊まり、僕楽しみだなあ! また防具着けてさ、抱いたりしよーよ!」
「おう!」
夕日が沈んでいく。
二人の前には、水色とオレンジ色の空が無限の彼方まで広がっていた。