ジャンケン
春の桜が散り始めた公園の横を、学校へ向かう幼馴染の隆と美紀。二人は喧嘩をしていた。高校三年生になったばかりの二人は、町内会が決めた掃除を一緒にする予定だった。しかし、日曜日の朝七時集合に隆が来なかったのだ。
美紀は隆に向かって怒る。
「隆! 昨日の掃除に来なかったでしょ!」
行けなかったのは隆なりの正当な理由があった。
「ちょっと待て、遅れはしたが、掃除はしっかりやった!」
その時だった、世界に轟くほどの大きな声が聞えてくる。
「私は神だ、人間は争いが多い、今より争いは総てジャンケンにする、相手の気持ちになるかブタになって反省しなさい」
突然の声に二人は怒られたかのように肩をすくめて固まった。世界に反響した声は消えてなくなり、隆は周りを見渡したが声の主は見つからなかった。
「美紀、今の聞いた?」
美紀も立ち止まったまま周りを見ていた。
「うん」
「神だって?」
「うん」
隆は聞きなれない言葉に頭を捻ってまた聞き返す。
「神ってなんだ?」
美紀もさすがに、理解不能と言わんばかりに首を傾いで。
「わからない」と答えた。
隆は神について考えるのは不毛な気がしてきた。しかし、神に不似合いなジャンケンが気になってしかたがない。
「争いはジャンケンにする、とか言ってたね?」
美紀もジャンケンが気になっていた。
「たしかに」
隆は提案する。
「ためしに、ジャンケンしてみる?」
美紀はしばらく考えていたが、好奇心に勝てず、返事をする。
「やってみようか」
「よし、最初はグーで行くぞ」
隆は威勢良く掛け声を始める。
「最初はグー、ジャンケン、ポン」
パー を出す隆。
チョキを出す美紀。
「くそ、美紀に負けたか」
そう言いながら、口惜しげに手を見つめたが、何かが変だった。違和感を感じた隆は美紀を見る。美紀はこれ以上ないほど目を見開いてこちらを見ている。不思議に思い隆は聞いた。
「美紀、どうした?」
隆は声の違和感に気づいた、自分の声が女性のようにキーが高い。(なぜ?)といぶかしむ。
美紀は一瞬困ったような表情をして、ゆっくりと小さな声で質問した。
「アナタは、隆なの?」
突然の質問に首をかしげて答える。
「そうだけど?」
美紀は学生鞄の中をごそごそと捜し始めた、何かを見つけ手が止まる。ゆっくり中から出てきたのは折畳式の小さな鏡。赤いフェルトで包まれ、右上角に黄色いリボンが結ばれていた。それを隆に手渡す。
「これで、自分の顔を見て」
受け取った隆は、何の事かと疑問に思ったが、手にとって自分の顔を見た。
そこには、ふわりと長い黒髪が肩下まで伸びた素顔の女性が写っていた。
(うん、髪の長い女性が写ってるな)
何か変だと思い、顔に手を持っていく。
(!)
隆は飛び上がらんばかりに驚いた。
「これは、オレ?」
美紀はきっぱりと答えた。
「そう」
隆は混乱した。
(まて、まて、まてまて、まてまてまて、これがオレ、
まてよ、まてよ、まつんだ、なんでオレが女に、理解できん! 何故だ!)
口を手で触り鏡を覗く。
(オレだ)
鼻を触り鏡を覗く。
(たしかにオレだ)
目・耳を急いで触りながら鏡を覗く。
(まいった、本当にオレだ、どうしよう)
隆は自分の顔が女に変わっているのを理解し始めた。そして、恐ろしい予感に誘われ、ゆっくりと下を見る。
(胸が、胸が! 胸が膨らんでいる! これはあれか? 青春のふくらみ? 違う!
男の憧れの谷間?、いやそんな事考えている時ではない!
ちょっと触ってみようかな、これは、決してスケベ心じゃないぞ、自分のだ!)
右手を胸に近づける隆。手を当ててもんで見る、(うん?)もう一度もむ、(うにゅ)隆は思う。
(学生服がじゃまだな…… まて! これでは変態じゃないか、ストップ!)
隆は急いで手を離す、焦りのあまり息づかいが早くなっていた。
隆の行動を見ていた美紀は、笑いを抑え切れない衝動に駆られ、口に手を当てて横を向いていた。
隆は動転しながらも、最後の場所が気になっていた。そう、あそこだ。確認しなければならない。
「美紀、あの、あのな、すぐ来るから、ちょっと待っててくれ、すぐ来るから、いいな」
そう言って隆は公園のトイレに駆け込む。美紀も気になって入り口まで来る。桜の花びらが舞い降り、春風がさらさらと巻き上げる中、美紀は隆を待っていた。うなだれた表情で出てきた隆は話す。
「美紀、オレ女になってしまった」
美紀は心配げに隆の顔を覗いている。隆は続ける。
「さっきの神が言ってた、『相手の気持ちになる』って言う事かな、ジャンケンで負けた方は相手の性別になること」
美紀は思い出すように首を傾げ、少し考えてから答える。
「そうかも」
隆は泣きそうな顔で美紀に聞いた。
「オレ、元に戻れるかな?」
美紀は長い間思案していた。そして。
「う〜〜〜ん、もう一回ジャンケンしたらどうなるかな?」
「そか、もう一回やれば戻れるかも。よし、いくぞ」
隆は女の声で勢いよくはじめた。
「最初はグー、ジャンケン、ポン」
グー を出す隆。
パー を出す美紀。
(よし! 負けた!)
「ブヒィ」
(あれ?)
隆の目の前にあった手が消えていた、そして、目の前に地面が見える、目線が低くい。それに、ブタの声が聞えた気がした。前を見るとブタが一匹いた、セーラー服を着たブタだ。
(セーラー服を着たブタだって、まさか!)
とても恐ろしい事を予感した隆、近くに手鏡が落ちていた。恐ろしいが見ないわけにも行かず、見た。
(うわ、ブタだ!)
「ブヒ、ブヒィ」
思わず声を上げた隆。そして、自分が発したブタ声に、地の底に落ちるほど驚いた。
(まて、まて、まてまて、まてまてまて、今度はブタか! 冗談だろ、冗談だよな? 誰か冗談と言ってくれ! お願いだ!)
嵐の大海原に浮き輪一つでもてあそばれる心境が、隆を襲う。
(深呼吸をしろ、落ち着け スーハー、スーハー、よし、スーハー、いいぞ)
少し落ち着いた隆は、前にいるセーラー服を着たブタを見た。
(ちょっとまて、ちょっとまてよ、では、前にいるセーラー服を着たブタは、美紀? 美紀か!)
美紀と思うブタは目の前で震えていた。ブタに手鏡を鼻で押して差し出す。
事態が分からないブタが恐る恐る鏡を覗いた。
「ブ――ヒィ――」
引き裂かれんばかりの悲鳴を上げて倒れた。
(うわ! 美紀が倒れた、まずい、こんな所で倒れたら、何をされるかわからない、ブタだし)
隆は鼻や前足を使い、美紀を起こすために揺すった。前を揺すり後を揺すり、何度となく揺すって、ようやく美紀は目を覚ました。ブタになった美紀は頭をもたげ、こちらを見て「ブヒィ」と鳴いて飛び起きた。事態を理解した美紀はオレを睨みつけ、足をばたばたさせながら大きな声で「ブヒブヒ」怒鳴っている。言葉の意味は不明だが怒っている。
(美紀がめちゃくちゃ怒っている。オレのせいじゃないけど、無理も無い、俺も信じられない。とにかく、ここは危ないから家に帰ろう)
隆は前足で「危ない、家へ」と書いた。それを見ていた美紀も理解して静かになった。ニ頭は自分達の鞄や手鏡を公園の隅に隠し、家に帰ることにした。さいわい人はあまり通っていない。見つかっても困るので、走って家に帰る。途中で美紀と分かれる時「ブヒ、ブヒィ」と言われたが意味が分からない。隆も軽く「ブヒ」と答えて走っていく。一軒家の自宅に着き、ドアの取っ手を前足で回そうとしたが回す事ができなかった。家に入る事が出来ない、このままドアの前に居ても危ないので、家の横に回りこみ、家と塀の隙間に隠れるようにしゃがんだ。
(ああ〜〜〜、オレはブタのまま一生終わるのか、嫌だ、嫌すぎだ、神様助けて、神様―― そうだ、神の声は『ブタになって反省しなさい』と言っていた。十分反省したから戻してください、お願いします、神様――)
隆は惨めな自分が悲しくて泣き始めた、そして、いつしか眠りについた。
しばらくして、突然手足が押され窮屈になり目がさめた。手で涙をぬぐう。
(手! 手だ、手がある、人間に戻った、良かった――)
安心感と幸せが隆を包む。服に付いた汚れを叩きながら立ち上がり、胸を見る。そこにはふっくらとした膨らみがあった。
(女のままか、でも、ブタよりは絶対にいい! 家に入ろう)
勢いよくドアを開け家に入る。
「ただいま――」
奥から母がやってきた。
「どなたですか?」
女性版隆は靴を脱ぎながら、ぶっきらぼうに話す。
「隆だよ隆」
困惑した母は、隆の前に立って否定した。
「うちの隆は、男です、女性では有りません」
靴を脱ぎ終わった隆は、母の顔を見ながら説明を始める。
「母さんオレは女になってるけど、隆だよ、生まれは平成2年1月12日、オレの好きな食べ物は母さんが作るロールキャベツ、それに国語が苦手、最近の旅行は、正月に実家に行ってスキー、どう?」
母は一瞬困ったような表情をしながら、女性版隆の顔を穴が開くほど見つめた。そしてゆっくりと聞いた。
「隆なの?」
「そうだよ、母さん、神様の声を聞いた?」
母は思い出すように空中を見ながら。
「そう言えば、隆が出た後、変な声を聞いたけど、空耳だと思ってた」
「母さんも聞いたみたいだね、説明するから、居間にいこう」
まだ不信げに見つめる母だったが、二人で居間に歩いていく。隆は話し始めた、公園で美紀と喧嘩した時、神の声を聞いたこと。そして、ジャンケンをしたこと。負けて女になってしまったこと。もう一度ジャンケンをしてブタになったこと。家に帰って壁と塀の間で隠れていたこと。そして時計を見た。約二時間ほどブタになっていたこと。母は信じられない表情で女性版隆を見ていた。
「と言う事なの、分かった?」
「信じられないけど、分かったは、クセや話し振りは隆その者だから、それに女性の隆は美人だね」
母がとんでもない事を言ったので、ドキッとした隆、てれ笑いを浮べながら続ける。
「女で学生服は変だから、ちょっと着替えてくる」
部屋に戻った隆は、ジーンズとセーターに着替えと、母の所に戻る。
「今から、隣りのおじいちゃんとジャンケンして、負けて男に戻ってくるから、扉開けといて。もしブタになったら入れないと困るし」
そう言って隆は出かける。母は隆の後姿を見ながら。「あの子、ノーブラなのかしら?」と呟いた。
人の優しそうなおじいちゃんの所に来た。おじいちゃんは縁側にいて、盆栽を手入れしていた。
「おじいちゃん、隣りの隆だけどジャンケンしよう」
おじいちゃんは少しボケてるので、女性の隆に気がつかなかった。
「おお、隆か、ええとも」
「じゃ、オレグー出すから、じいちゃんはパーね、分かった?」
「わかったわかった」
「今から行くよ、最初はグー、ジャンケン、ポン」
グー を出す隆。
パー を出すおじいちゃん。
(やった負けた!)
「ブヒ」
(あれ?)
目の前の手が消え地面が見える。視線が低い。前にはよぼよぼのブタがいる。
(な・な・な・な・なんでブタなんだ! オレは間違ってない? 間違ってないよな? 相手は男でオレは女、負ければ男になるはず、それがブタに、何故なんだ! 理解できない! 神も仏も無い!、いや神が居たからこうなるわけで、でも、おかしい、何が違っているんだ!)
ブタになった隆は、高速回転で思考を走らせた。しかし、同じ内容がループするだけで答えが出なかった。
ここに居ても何も出来ないため、家に帰ることにする。おじいちゃんはボケてるので、庭から出ないから大丈夫だろうと考えた。
ブタの隆は急いで家に帰る。母は居間でお茶を飲んでくつろいでいた。そこに駆け込むブタ。
「キャ――」
母の悲鳴が響く。
(オレだよ、隆だよ)
「ブヒ、ブヒィー」
ブタ声は通じない。母はブタから逃げるように走る。ブタは追いかけた、母は逃げる、追いかける、逃げる、追いかける、逃げる、追いかける、隆は思った。(意味が無い!)ブタは追いかけるのを止め、居間の入り口で止まり母を見つめる。来なくなったブタを母は見た、着ているジーンズとセーターに気がついて聞く。
「隆なの?」
ブタは一生懸命首を立てに振る。ブタの動きを見つめていた母は、ゆっくりブタに近づき呆れ顔になって言う。
「なんとまー、隆がブタに、ブタの子を産んだ覚えはありません」
母の冷たい言葉を聞いて隆は抗議する。
「ブヒィーブヒィ」
もちろん通じない。母はため息をついて呟く。
「ブタの隆ね〜、丸々と太って美味しそうだこと」
隆はあせった。
「ブヒィ!」
「冗談よ、冗談、そんな事する分け無いじゃない、どのぐらいで戻れるの?」
「ブヒブヒィ」もちろん通じない。
母はブタ声の意味が分からないため、隆が話したことを思い出した。
「さっき確か二時間て言っていたかな、じゃ、自分の部屋で二時間待ってなさい」
「ブヒィ」と返事をして、うなだれながら自分の部屋に行く隆である。
ブタの後姿を見ていた母は。「女になったりブタになったり、隆って忙しいのね」と他人事のように呟く。
自分の部屋についた隆は、ベットの上に乗り、しゃがんで考えていた。
(何故またブタに? 最初は男と女がジャンケンした、そして、負けた男が女に変化。次に女同士でジャンケンしたら両方ブタになた。今度は男と女がジャンケンして、両方ブタになった。何が違うんだ? 最初と最後では同じ条件だったし、違いは無いはず)
ベットの上で横になりながら、あれやこれやと考えていた。そして、はっと気付いた。
(そうか! 違いはわざと勝ち負けか、自然の勝負かだ。わざとやってはダメなんだ。それが原因だ! そうすると直ぐには男に戻れない。女に戻りたい相手を探して、自然に負けないと。これは大変な事だ)
そして、元の戻る方法を考えている時、ふわっと大きくなった感じがした。
(お! 人間に戻った。二時間たったのか)
胸を見たが相変わらずふっくらとしている。人間に戻ったので居間に行き母に話す。
「母さん、外で男に戻る方法を探してくる」
「待ちなさい隆」
母に呼び止められ、何事かと立ち止まる。
「はい?」
「隆も女の子だからブラを着けて行きなさい」
母が強い口調で話す。右手にはフリル付きの白いブラジャーが踊っていた。
「え! ちょ、ちょっと待って、オレは男だ、今は女の格好だけど男なんだ!」
母の突然の提案に狼狽する隆。
(まて、まて、まてまて、ブラジャーなんか着れるか! 逃げたい、ここは逃げたい!)
「隆、いいから来なさい、お母さんのことが聞けないの」
(うっ)
返す言葉が出てこない、何時も優しい母が、強い視線で睨らんでいる。母は一度こうと決めると絶対に引かない。隆は逆らえない事を心の底で理解した。しかし、隆も譲れない。
「いや、その、今から男になりに行くんだから、いらないと思う、いや、いらないんだ」
母は隆の前まで来て、手を掴み引っ張る。
「いいから来なさい!」
「いや、その、だめだって、だめ」
(だめだ、逃げられない、母さんが一度怒るととんでもない事になる)
隆の気持ちとは裏腹に、なし崩し的に事態が進行していく。
「さ、手を上げて」
母がセーターを下から上に引き上げ、強引に脱がす。そして、シャツを見て呟く。
「まったく、女っけのないシャツなんか着て」
(オレは男なんだよ、母さん!)
続けてシャツを脱がし始める母。隆は胸のふくらみを直視出来ないため、シャツは着替えていなかった。そして、シャツが脱がされた。胸を直視する。
(うっ、見たくなかった、見たくなかったんだ! 女であるオレを、それを母さんの前で、絶えられない!)
隆は真っ赤になり、上を見上げた。
「まー、なんて形がいいの、私のブラで入るかしら」
母の声と素早い行動を見て隆は焦る。
(母さん! お願いだ! 見るな! 触るな! 説明するな!)
隆の心の声は、虚無に吸い込まれ、何処にも届かなかった。
「女の子が、ノーブラでセーターなんて、あられもない格好で出歩くんじゃないの、わかった!」
「は、はい」事態の展開に逆らえない隆であった。
テキパキとブラジャーを付ける母。
「あら、ブラが少し小さいかな、でも、大丈夫そうね」
付け終わった母が、手を腰に当てて、どうぞと言わんばかりに話す。
「できた、どう?」
隆は、胸の窮屈な違和感と、目の下に見える白い物が気になって、それどころではなかった。急いでシャツとセーターを着る。そして下を見る。
(うっ、前よりでかい! いや、突き出ただけかも、そんな事はどうでもいい! 早く男に戻らないと友達にも会えない)
出かけようと思った矢先、母が引き止める。
「髪が長いね、じゃまでしょ、ちょっと待ってて」
と言って母は化粧ダンスに向かい、なにやら探し始めた。母からハミングが聞える。
(母さんが喜んでる? いや、あれは遊んでいるんだ、間違い無い)
かろやかな手つきで引き出しの中を探り、目的の物を見つけた母。
「これがいいかな」
手にしたものは、大きな黄色いリボンのついた髪留めのゴムとブラシ。うきうきとスキップしている母さん。嬉しそうな母さんを見ていると、頭痛がしてくる隆であった。
「はい、椅子に座って。肩下まで伸びた髪はじゃまでしょ、だからこうするの」
髪をブラシで優しく整えながら、後ろでポニーテールに結わえる、そして大きな黄色いリボンが花開く。
(母さん、母さん、オレで遊んでませんか? 遊んでますね、オレ泣きそうです。母さん)
心で泣いて母の好意を受け取る隆。そして、ようやく開放され、男に戻るために出かける。
「母さん、商店街に行って来るから、じゃ」
急いで玄関に向かう隆だが、はたと立ち止まって下を見る。
(ちょっと待て、この格好はまずい、ちょっと出すぎてる、恥ずかしいぞ、何かで隠そう)
隆は自室に薄手のジャンバーを取りに行った。
隆は商店街に行く前に、鞄を取りに公園に寄った。しかし、鞄は無かった。美咲の鞄も無いので、たぶん美紀が一緒に持ち帰った後だと考えた。そして、商店街に向かう。入り口に差し掛かったとき、突然目の前にブタが現われた。
(なんだあれは! ブタの大群だ)次から次えとブタが商店街から出てくる。(あ!)
そこには、包丁を振り上げた、中華料理の料理人がブタを追いかけている。
「美味しそうなブタアル、今日の具材にいただきアル!」
今にもブタに襲い掛かりそうな中華料理の料理人。(危ない!)と思った瞬間、料理人の手が震えだし包丁が鈍い音と共に路上に落ちる。そして、なにを思ったのか、ブタにジャンケンを始める料理人。
「アイヤー、何故アルか、ジャンケンしたくないアル」
そう言いながらも、料理人は抵抗できずにジャンケンを始める。
「最初はグー、アル、ジャンケン、ポン」
パーを出した料理人。ブタは何も出せない。しかし、その瞬間、料理人はブタになった。
(そうか、争いは総てジャンケンになるはこれの事か)
隆は理解した。そして、商店街に入っていく。そこには見慣れた商店街とは異質の世界があった。作業着にニッカポッカとタビを履いて、腰まで有る黒髪の美女がくわえタバコで歩いていた。そして、
「ねえちゃん、いいケツしてるな」と言ってお尻をなでるセクハラ美人。
内股で歩く、すね毛が濃いスカートを履いた、いかつい男。殴られたら痛そうな男だが、気の弱さが充満していた。異質な雰囲気の商店街、ブタは走り、美女と野獣が闊歩する世界。この騒動でトラブルが起きないわけが無い。サングラスをつけた女性とふとった女性が口喧嘩をしている。サングラスの女性が、今にもこぶしを上げようとした瞬間、二人はジャンケンを始めた。そして二人はブタになった。
(そうか、争いはジャンケンになり、ブタが量産されるわけか)
争いは止めようと心に誓う隆。そのとき後ろから声がかかる。
「隆?」
後ろを振り向くと、そこに美紀がいた。
「あ、美紀、今朝の騒ぎ大丈夫だった? ごめんな」
美紀は隆だった事で、安心して話し始めた。
「大変だった、人間に戻るまで泣いてたし、隆のせいじゃないのは分かるけど、恨んでた」
「ごめん 美紀」
「いいよ、いいよ、あ、隆の鞄家にあるからね」
「やっぱり美紀だ、ありがとう」
「いえいえ」
そう言いながらも、美紀は隆の前に来て、上から下までなめるように見始めた。そして胸を指差しながら。
「ブラ付けてるの?」
暑かったのでジャンバーは脱いでいた。隆は焦って答える。
「いや、これは、ほら、あの、母さんが無理やり付けさせて、それで……」
あわてる隆を尻目に、次は頭を指して。
「ふ〜〜〜ん、頭のリボンは?」
「これも、母さんが無理やり……」
一通り見終わった後、美紀は隆に詰め寄った。
「隆、凄いね、ポニーテールに黄色いリボン、ジーンズはボディーピッタシだし、セーターもピッタシ、セクシーな・か・ら・だ」
美紀はくの字に体をまげて、隆の鼻に人差し指を近づけながら聞いた。
「男を誘ってる?」
あまりの質問と急接近に驚いて、後ずさりしながら否定する。
「まさか!、そんなつもりはまったく無い!」
隆は自分を理解していなかった。美紀から見て、足はスラリ、お尻は桃のようにぽちゃり、腰はくびれて細く、胸は自己主張が強く前に向かって出ていた。ボディコンお嬢様一歩手前である。美紀の目から見てもいい女だ。
「ふ〜〜〜ん、隆が自覚してやってるとも思えないから、まいっか、で、何しにきたの?」
「もちろん、男に戻るためさ」
「どうやって戻るの?」
隆はここぞとばかりに胸を張って答える。
「女に戻りたい男を捜して、ジャンケンして負ければ男に戻る」
美紀はあっさりと聞き返す。
「そか、で、どうやってその人を見つけるの?」
一時、思案にくれる隆だが、ポンと手を叩き答える。
「人がいっぱい居るから呼びかけよう」
美紀は制止しようとしたが面白そうなので、見物もいいかと考えていた。
隆は商店街の通りに向かって大声で呼びかける。
「みなさん! 女性に戻りたい男性の方いませんか! ジャンケンしましょう!」
商店街の通行客が一斉に振り返る。美紀は恥ずかしくなって隆から離れる。隆は気にせず続ける。
「みなさ〜〜ん、女性に戻りたい男性の方! ジャンケンして女性に戻りませんか? 私は男性に戻りたい者です」
わらわらと人が集まってくる。口々に。
「女に戻りたいの」
セーラー服の男。
「女性に戻して、おねがい」
スカートにブレザーの男。
「どうするの?」
ママチャリに乗った買い物帰りの主婦の様な男。
「私も」
黄色いランドセルを背負ったスカートの小学生。
隆の周りに見物人も入り混じって人だかりができる。
「え〜〜と、みなさん、私とジャンケンして負けた方が相手の性別になります。だから、私が負けたら終りなので、ご理解をお願いします。では並んでください、私が負けるまでですよ、いいですか。そして、最初はグー、ジャンケン、ポンで行きます」
簡単な説明の後、人だかりの中で、隆の前に行列ができる。隆は思う。
(こんなに人が集まってしまった、直ぐに終わったら困る)
不安が襲ってきた隆だったが、前にはセーラー服の男子が構えていた。そして、隆は自分の心に言い聞かせる。
(勝てよ、勝てよ、勝つんだ。最初で終わったら困る。それはだけは避けたい)
天に祈るような気持ちで始める隆。何を出そうか思案していた。
(何を出そう? いや、考えちゃダメだ、考えちゃダメ、考えちゃダメ、成り行きで行くんだ!)
意を決して始める。
「いいですか、最初はグーですよ」
「はい」とセーラー服の男子が答える。
「最初はグー、ジャンケン、ポン」
グーを出す隆。相手はチョキだ。
(やった! 勝てた! 良かった)
セーラー服の男子は一瞬にして女性へ変わる。女性は手や足、胸を見て女性に変わっていることを理解し、大喜びだ。
「元に戻った! やったー ありがとう、ありがとう」 何度も御礼をする女学生だった。
「次の人」
ママチャリに乗った主婦と思われる、右手に買い物かごを持った太った男が立っている。刺すような目線が怖い。
「では始めます、最初はグー、ジャンケン、ポン」
チョキを出す隆。相手はパーだ。
(やった! また勝てた! 良かった)
女性に変わった主婦は、胸をもんで触って確認していた。なおかつ、ブラの位置まで変えようとしていた。
(うっ、公衆の面前で胸をもむ主婦、最強だ!)
「ありがとう、これで家に帰れるわ」
主婦は礼を言って、ママチャリを押して帰っていった。
「次の人」
アンナミラーズレストランの制服、ヒラヒラフリル付で胸が強調された服を着たスポーツマンタイプの男が立っていた。きっと女性なら美人だったに違いない。男は張りのある声で挨拶する。
「お願いします」
「では行きます、最初はグー、ジャンケン、ポン」
グーを出す隆。相手もグーだ。
「あいこでしょ!」
パーを出す隆。相手はグーだ。
(よし! 勝った!)
隆は最初の目的を忘れたようだ。前には制服姿の綺麗なウエイトレスが立っていた。もちろん胸はこれでもかと言うほど前に出ていた。そして、隆に抱きついてきた。
「私、男になった時は、死にたいほど泣いていたんです、ありがと、ありがと――」
隆の心臓は、爆発しそうなほど波打っていた。
(うわぁ、オレは男だ! オレは男なんだ! きっと女だと思っているが、オレは男なんだ――)
「あ、あの〜、次の人が居るので」
女性は、ぱっと離れて、何度も頭を下げながら離れていった。
そして、隆は勝つ、何度も勝つ、最初の目的を忘れたかのように勝つ。
(ちょっとまて! 勝ちすぎだ、何故勝つ、もういいだろ、負けてくれ――)
そしてまた勝つ。
(嘘だろ、嘘だろ、誰か嘘だと言ってくれ! お願いだ!)
まだまだ勝つ。
(オレに男になるなと言っているのか、ジャンケンでこんなに勝った事は今まで無い! お願いだ負けてくれ)
最後はランドセルを背負った、ピンクのスカートの小学生だった。
「いくよ、最初はグー、ジャンケン、ポン」
グーを出す隆。相手はパーだ。
(負けた!)あまりの嬉しさに声に出して喜ぶ。
「やった―― 負けた―― 負けた―― 負けた―― 男になれた――」
その場でスキップをしながら小躍りして喜ぶ隆。目の前ではパーを出した小学生が眼にいっぱいの涙を出して震えていた。小躍りしていた隆が小学生に気が付く。そして、小学生と同じ目線に膝を折る。
「喜んでごめんな、女の子になりたい?」
泣きながら小学生が答える。
「うん」
「よし、お兄ちゃんに任せろ」
そして、二回目のジャンケン大会が始まった。
お祭りのような騒ぎの後、美紀と一緒に家路につく。先ほどの騒ぎを思い出しながら隆が呟く。
「さっきは楽しかったな――」
美紀は恥ずかしそうに隆の胸を人差し指で指した。
「うん?」
顔を下げて胸を見る。そこには僅かにでこぼこの膨らみが有った。
(あ! ブラジャー)
壁際に隠れ素早くブラを外してポケットに突っ込む。美紀の所に戻りながらテレ笑いをする隆。
「あははははは」
美紀は恥ずかしげに隆の頭に指を向けていた。頭には大きな黄色いリボンが花咲いていた。隆は手を頭に当て素早くリボンを取りポケットに詰め込んだ。
「あはははは、すっかり忘れていた」
二人は笑って雑談をしながら家路についた。
あれから数日後、まだ学校が再開されていない。だから、桜の花が散った春の日差しの公園に隆はいた。ブランコに座りながら物思いにふける。
隆は考た、結局神様のルールは簡単だった。
一つ、男と女がジャンケンをしたら、負けた方が相手の性になる。
二つ、同性がジャンケンをしたら、二人とも二時間ブタになる。
三つ、故意に負けや勝をしたら、二時間ブタになる。
四つ、人が変化したブタにジャンケンをすると、二時間ブタになる。
五つ、相手に障害を与えようとすると人と受ける人はジャンケンになる。
この結果、世界はとても平和になった。
ニュースが伝える事によると、中近東で戦争をしていたが、神の声と共に一斉に武器を置いてジャンケンを始めた。そして、ほとんどがブタになった。二時間後に戻っても、戦いをする人はまたブタになるだけだったらしい。
相変わらずブタをよく見かける。それは、トラブルの元が無くならない為だが、障害行為まで発生しないのは良い事だった。
可哀想な人たちも居る。権力や金の力で人々を苦しめたり、暴力で苦しめた人たちだ。有る国の独裁者の前には、恨みを持った人たちの行列が出来ているらしい。多分死ぬまでほとんどブタのままだろう。恨みが晴れるまで人間の生活に戻れないのは可哀想だが、それだけ多くの人に恨みを与えたのだから仕方がない。
このルールは人の善悪を計る物ではないようだ、単にブタになってもいいと思えるほどの恨みが有ったら、相手と自分に同じ罰を与えるだけだ。それも、ブタになって反省する二時間ができるだけ。浅い恨みなら1回で消えるし。その場の怒りならジャンケンする前に止められる。
隆はつくづく思う、平和な世界になってきたな。そして、人間にとって、一番身近で、一番惹かれ、一番理解しがたいのが、女にとっては男、男にとっては女。それを理解する一つ目のルールはとてもいい。ふと、母の言葉『女性の隆は美人だね』を思い出す。
ブランコを降りて、春の暖かい日差しをいっぱいに浴びながら、大きく伸びをして独り言をいう。
「よ〜〜〜〜し、ジャンケン倶楽部に行って、今から女性の生活を楽しもう」
軽快な足取りで倶楽部に向かう隆であった。
今出来る限りのことをしました。ぜひ見てやって批評をお願いいたします。
こうすればもっと良くなる点が洪水で溺れるほど聞きたいです。