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第5話 憧憬!それぞれのアキバ!

「でも……具体的にどうすればいいのかな?」

 無意識のうちに髪飾りをいじりながら、みつばは物思いにふけりつつ、学校の中庭を歩いていた。

 時間は正午をすこし回ったかと言うタイミング。この日は入学式だけで終わる日だったので、特に授業もなく穏やかな昼下がりだった。

 一同と別れたみつばは、大きなイチョウの木に背を預けて、なおも髪飾りをいじりながら沈思する。

「秋葉原は素敵な街だけど……具体的にどう、って所を伝える方法が浮かばないなあ」

 考えてみれば。

 さっきまで話していたアンドリューやエリーズは『日本』の良いところを述べていたけど『秋葉原』の良いところを述べていたわけではなかった。

 無論それらは『イコール』なのかもしれないが『オンリー』ではないだろう。

 ローハンやリューシャは、その辺をどう感じているのか良くわからなかったし……ころねも、具体的にどうと言う話は出なかった。

(もしかして、生まれ故郷だから……私だけがアキバに特別な思い入れがあるだけ、なのかな……?)

 そんなはずはない、と言い切るためには具体的な『証明』をしなければ説明が出来ないし、納得も出来ない。

 秋葉原の魅力を知らない人はもちろん、自分自身がスッキリしない気分なのだ。

 みつばは――考え事をするときの癖なのだろう――髪飾りをすり減るんじゃないかというほど指でもてあそびながら、あーでもない、こーでもないと考えていた。

 下手な考え、休むに似たりとはこのことだろう。


「こんにちは」


 いきなり。

 斜め右前45度の方向から声をかけられて、みつばは『はういっ!?』と、素っ頓狂な声を上げた。

 そこにいたのは、優しげな切れ長の瞳が印象的な二十歳前後のアジア系の男子。

 一重仕立てのブルーのコートにオレンジのマフラー、胸の所だけアーガイルになっている薄手のセーターに、編み上げのロングブーツというファッション。春なのに、正直ちょっと冬っぽい感じもするが、それはそれとしてよく似合っていた。

「あはは、驚かしちゃったね。ごめんなさい」

 さわやかに笑いながらそう言うと、彼は左手に提げていたミニトートからクリーム色の紙パック飲料を取り出した。

「豆乳飲む?」

「え、っと……ゴメン、ちょっと豆乳は苦手かな」

 そっか、と。

 戸惑うみつばを余所に、トートバックの中をがさごそと何かを捜していた彼だったが、ややあってにっこりと笑って緑色の紙パックを取り出した。

「これなら大丈夫。成分調製豆乳だから、味は牛乳とあんまり変わらない」

「いや、そう言う問題では……」

 さらに困惑度を高めているみつばに気がついたのか。

「あ、そういえば……自己紹介がまだだったね?」

 と、『面識もないのにいきなり豆乳を勧める謎の人』になっていた事に気がついたのか、彼は苦笑を浮かべると真っ直ぐにみつばの瞳を見た。

 綺麗な男の人だなあ……とか、ちょっとぼーっとしちゃってるみつばに向かって、虫も殺さぬとはこのことかと言うくらい穏やかな笑顔を彼は見せた。

「僕はジョンス。韓国のソウルから、音楽と演技の勉強をしに秋葉原へ来たんだ」

「秋津みつばです、よろしく」

 ようやく笑顔を浮かべて、ジョンスが差し出した手を握り返す。

 そして、みつばはとりあえず気になっていたことを質問することにした。

「豆乳、好きなんだね?」

 多分、よく聞かれるのだろう。

 その質問に対して、ジョンスは嬉しそうに笑顔を浮かべて即答した。

「うん、大好きなんだ」

 『好き』ではなく『大好き』と言うあたりに、好意レベルの高さが表れていると言える。

「大豆は『畑の肉』と呼ばれるくらいに、良質の植物性タンパク質をはじめとして様々な栄養成分を含んでいる。しかも低カロリーでコレステロールゼロ……これが紙パックのドリンクで簡単に美味しく飲めてしまうんだから素晴らしいよね」

 タンパク質――すなわちアミノ酸の健康効果は雑誌などでも多く取り上げられて、もちろんみつばも聞いたことがあった。ジョンスは、顎に手を当てて感心したような表情で語る。

「牛肉を飲もうとしても、ドリンクにならないからね。美容や健康に重要な、良質なタンパク質を取るには最高だ」

 それを聞いて、みつばは英国BBCの某自動車番組内で牛肉をドリンク化した『男のV8スムージーカクテル』なるものを作っていたのを思い出した。

 ただ、アレは材料が『骨付きの牛生肉・ボブリル――ペースト状の牛肉エキスである――・タバスコ・レンガ』だったと言うことと。作った本人は『ファンタスティックでデリシャスだ』と言い張っていたが、実際に飲んだ人間が『このドリンクの名前を考えた――“Bloody Awful”だ』『目玉から毛が生えてきそうだよ!』とコメントしていたことから考えるに、明らかに牛肉をドリンクにするよりも、豆乳を飲んだ方が健康的に美味しくタンパク質を摂取出来るだろうと、みつばは余計な反論をせずに、にっこり笑顔で頷くことにした。

 その反応に満足したのか、ジョンスもにっこりと微笑み返す。

「秋葉原には美味しい豆乳カフェがあるからね、嬉しいよ」

「ああ、あの『issa』って、おしゃれなお店? 気になってるんだけど、行ったことないんだよねー」

 そのみつばの言葉に、ジョンスは少し真面目ぶった表情を作ると

「それはいけない。すぐ『issa』に行って豆乳と、五穀米を使ったシーフードビビンバを食べるべきだよ」

 と言って、悪戯っぽくウインクをしてみせる。

「あはは、常連さんだね」

 楽しげに笑うみつばに、釣られるように笑うジョンス。

 和やかな空気の中、ジョンスはそういえば、と前振りをして。

「キミの演説を聞いたよ、素晴らしかった」

 と、話題を変えて話し始めた。

 やっぱ、みんなこの話題になるよねーと、諦めムードを漂わせながら苦笑するみつばに、ジョンスは柔らかい微笑みを浮かべてみせた。

「秋葉原が好きなんだね?」

「うん、私の生まれ故郷だから」

 ジョンスはその答えを聞くと、顎に手を当てて物思う風に呟いた。

「故郷か……」

 独白のように呟き、ジョンスは何かを思い出すように目を閉じる。

「僕も生まれ故郷のソウルが好きだから、その気持ちはよく分かるよ」

 海を隔てた隣の国――韓国。

 その首都であるソウルは、遠いようで近く、けれどやはり遠い。

「今でも、たまに明洞で友達と遊んでいるときの夢を見るんだ」

 ジョンスはコートのポケットに手を突っ込み、すこし上の方を遠い目で――ここではないどこかを見るように――眺めながら、柔らかい微笑みを浮かべた。

「ソウルの冬は、東京に比べて寒くてね……そんな時に屋台で暖かいものを買って食べ歩きをすると、それはそれは美味しいんだ。トッポッキやホットック……名前を口にするだけで、その味が口の中いっぱいに広がるよ」

「ホットック?」

 聞き覚えのない韓国料理の名前に、みつばは首をかしげた。

 トッポッキは韓国料理屋のメニューに乗っていた記憶――棒状の餅を煮込んだものだった――があったが、ホットックの方は聞いたことがなかった。

 そして、そのみつばの反応を見たジョンス。そういえば日本であまり見ないね、と苦笑してから補足説明を試みた。

「鉄板で焼いた、黒蜜や餡を包んだ焼き餅……って言えばイメージが沸くかな?油で揚げたヤツとか、揚げないでカリカリに焼いたヤツとか、いろいろあってね。寒いときに食べると美味しいんだよ」

 イメージとしては太宰府の『梅が枝餅』を大きく、かつ平べったく伸ばしたものと言うとしっくり来るだろうか?

 それはそれとして、みつばはみつばなりにイメージを構築したと見え、なんともうっとりとした表情になっている。

「へぇ~、なんか話聞くだけで美味しそう」

「焼きたての熱々を食べるのが一番なんだけど、手渡されたばかりの焼きたてをすぐに食べると中の餡がもの凄く熱くて、口の中を火傷したり、飛び出した餡が手について火傷しそうになったりしてね。分かってるんだけど、熱々の誘惑に負けちゃうんだよね」

 特にゆず茶のジャムが入ってるのが、危険だったなあと懐かしむジョンスを、みつばはなんとなく羨ましいような表情で見ていた。

 それだけ具体的に故郷の食べ物を思い出せると言うことは、子供のころからずっと故郷で暮してきた証である。

 だが、小さなころから世界中を転々としてきたみつばには、気の置けない友達と食べ歩きをした記憶がほとんどない。

 そんなことを考えて、すこし寂しげな表情になるみつばに、ジョンスはにっこりと微笑んでみせる。

「秋葉原も、食べ歩きできるようなものを良く売っているからね。そういうところは嬉しいよ」

 言われたみつばは、ドンキホーテの通りに面したところとか、アトレの1階だとかを思い出す。ケバブ屋や土日に出るいろいろな屋台も無視できないファクターだ。

 そして、ふと。

 まだ小さな子供のころ――海外を渡り歩く前のことをみつばは思い出した。

(そういえば、お父さんが散歩の途中で買ってくれた万カツサンド、美味しかったよね)

 まだ、UDXのあたりに青果市場跡の大きな駐車場があり、電気街口のすぐ近くにバスケットコートがあったころ。

 秋葉原に食べ物を売っているところが少なくて、そうしたときの食べ歩きは万カツサンドか、秋葉原デパートの一階にあったコッペパン屋さんのコッペパンとか、お好み焼き屋さんのお好み焼きそばとかだった。

 そうした食べ物を、バスケットコートの近くに座って、缶ジュースを飲みながら食べた……

(たしかに、そういう食べ歩きって楽しかったな)

 『夕飯の前にカツサンド食べたなんて言ったら、お母さんに怒られるからな。内緒だぞ、みつば』なんて父親に念を押され、普段は真面目な父親と、少し行儀の悪い秘密の共有をしたのがうれしかった子供のころ。

 ――そんな記憶が不意に蘇り。みつばは記憶の隅に残っていたそうした思い出をそっと拾い上げるように、静かに目を細めると、楽しげに笑みをこぼした。

「食べ歩き、いいよね」

「ダイエット的には、危険だけどね」

 そんなことを言って、ジョンスとみつばは顔を見合わせて笑った。


 そして、少し間を置いて。

 ジョンスはふうっと息を吐くと、顎に手を当てて思案顔になる。

「秋葉原の魅力を証明してみせる、だったっけ?」

「あ……う、うん」

「魅力的なのは確かだけど『証明』ってどうするのか、難しいね」

 遠い目のまま、ジョンスは言葉を探すようにゆっくりと話し始める。

「今、僕の故郷ソウルはめざましい発展を遂げている」

 日本に追いつけ追い越せと、急速に経済成長を遂げてきた韓国の、一番の大都市ソウル。

 インターネット強国と言われ、世界各地から観光客が訪れる魅力のある街へと一気呵成に成長を成し遂げた街だ。

「中国も近年、大きな経済成長を果たして、インドも中国に負けじと成長している」

 人口の多さの世界第一位と二位――三位のアメリカを9億人ほど引き離している――の、21世紀の大国と言われるこの国々は、国力的にも著しい発展を遂げ、中心都市である北京や上海、デリーやムンバイなどはもの凄い勢いで近代化が進んでいる、世界的に注目されている都市である。

「もちろん、ヨーロッパやアメリカは今も昔も先進国で、豊かな国々ばかり」

 ニューヨーク、パリ、モスクワ……歴史と伝統のある都市の実力と魅力は無視できないものである。

 そこまで話して、ジョンスは真っ直ぐみつばの瞳を見て、やさしく微笑んだ。

「でも、そんな国々から……この秋葉原には人が集まってくる」

 はっと、みつばは今日知り合いになったみんな……インド、フランス、アメリカ、韓国……世界各国から、この学校に入学している皆のことを思い出した。

 同じ事を考えたのか、ジョンスも校舎を仰ぎ見て、ゆっくり深く頷く。

「故郷が好き、と言うその想いとはまた別だけど……みんなこの街が好きで、心惹かれているんだ」

 そんなジョンスの発言を、みつばはただ無言で聞いていた。

 自分の考えがまとまらず、コメントが出来ない――そんな心境だった。

 ジョンスは、両手で包み込むようにみつばの手を取り、力強く話を続ける。

「キミは秋葉原の魅力を証明したいといっていたけど、必ずうまくいくだろう」

 そう言って、ジョンスはにっこりと笑顔を見せた。

「応援している。がんばって欲しい」

 と言い残し、ジョンスは手を数回振って立ち去っていった。

 ――みつばの手に、成分調製豆乳を残して。


 せっかくだから、と。

 立ち去るジョンスの後ろ姿を見送ってから、みつばは件の緑色の豆乳パックにストローを刺すと、おそるおそると行った具合に味を見てみた。

「……あ、美味しい」

 その昔、みのさんがどーとか、ガッテンがこーとか言いながら母親が買ってきた豆乳をみつばは思い出した。

『からだにいいんだって。特に女性はすごくいいんだって!毎日飲みなさい!』

 と、豆乳に含まれる大豆イソフラボンが植物性エストロゲンでほーほけきょ、と言ったような母親のウンチクを聞きながら初めて飲んだ豆乳は……それはそれは衝撃的な味だった。


 アイスクリームが溶けて、クリームになるように。

 豆腐が溶けたら、コレになるんじゃないかと。

 そんな第一印象の――何とも言えない、豆腐感溢れるテイストだった。


 考えてみれば、豆乳ににがりを入れて暖めれば豆腐になるわけだから、感想としては至極妥当であるのだが。

 まだ幼かったみつばにとって(無理無理!絶対に無理!)と、拒否反応を起こさせるに十分なインパクトがあるフレーバーであった。

(やっぱ、あの風味が苦手な人が多いから『調整』したのかも……)

 それ以来、十数年。豆乳から無縁の生活を送ってきたみつばだったが。成長して味覚の許容範囲が広がったのか、それとも『調整』のおかげなのか、ジョンスがおいていった豆乳は実に美味しく飲めたのだった。

(今度、あのカフェ行ってみようかな)

 と、思いつつ。みつばは校舎の中に入った。

 入った途端、美味しそうな匂いがぷ~んと漂ってくる。

「食堂、開いてるのかな?」

 流石に入学式の後で人もまばらだったが、それはそれ。寮生もいるし、学食は開いているのではないかと判断したみつばは、とりあえず校内の匂いの元をたどることにした。

 そして、なにやら異変を感じたものか。みつばはふんふん、と鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。

「……こげくさい」

 いや、確かに数分前までは良い匂いだったのだが。

 ある時を境に、どんどん焦げ臭くなっていく感じである。

 なんとなしに匂いの元をたどって歩いていたみつばであったが、気がつくと文化部棟の三階にある『料理部』と言う扉の前に立っていた。

 そして、扉の向こうから『あいやー!』と言う悲鳴にも似た声が聞こえてきて、焦げ臭さに加えて事件の匂いもしてくる感じだ。

(……何事だろう?)

 もともと、好奇心旺盛なみつば、扉をそーっと開けてみる。

 すると、やはりここが匂いの元だったのか、部屋の中に焦げ臭い匂いがぷーんと充満している。

 そして、コンロの前でイエロー基調のチャイナ風衣装に身を包んだ小柄な女の子が、独りで頭を抱えていた。


「あいやー……うっかり、目を離したダカラ!」


 そういう彼女の目の前で、ハイカロリーコンロの上に乗っかったままの中華鍋がもくもくと煙を上げていた。

「……大丈夫?」

 思わず尋ねたみつばに、女の子は額の汗をぬぐうような仕草を見せる。

「あいや、ウチは大丈夫だけど、鍋の中身は大丈夫ナイネ」

「あはは……」

 明らかに、食材『だったもの』に成り果ててしまっている鍋の中身を見て、みつばは苦笑する。

 釣られてアハハと笑った女の子だったが、一拍の間を置いて、ちょっと不思議そうな表情でみつばを見た。

「えと……どなたサマ?」

 よく考えると、部員でもなんでもないみつば。思いっきり不法侵入なのに気がついて、慌てて頭を下げた。

「あ、えっと……ごめんなさい、匂いに釣られて……私、秋津みつばって言います」

 ぺこりと頭を下げるみつばの姿を見て、イメージとしては女の子の頭上に電球が光ったような表情になった。

「ああ!!さっき、壇上で演説してた子ネ!」

 みんなよく覚えてるなあ、とか考えているみつばに向かって、女の子は姿勢を正して向き直ると

「中国から来た、シュエランと言いマス」

 と言って、ペコリと頭を下げた。

 よろしくねーと言ってから、みつばはふと気になったことがあり、シュエランに尋ねてみた。

「シュエランって……どんな字を書くの?」

 中国人だから、名前は漢字で書くのだろう。でも『シュエラン』と言う読み方から、漢字が連想出来なかった。

 それを聞いてシュエランは、ちょっと嬉しそうに笑顔で答える。

「雪に藍色って書くネ。ラベンダーブルーの事ヨ」

 と言って、雪藍――シュエランは後ろで結んだラベンダーブルーの長い髪の前髪部分を指でくるんと巻いてみせた。

 名前の由来なのかな、と。みつばはにっこりと微笑んだ。

「綺麗な髪だね」

「アリガト」

 照れくさそうに笑うシュエランの背後で、コンロの上の中華鍋がまだうっすらと煙を立てていた。

 中身の惨状には触れない方向で、みつばは中華鍋を指さした。

「料理してたの?」

「そうナノ、お昼ご飯を作ってたヨ」

 じゃー。

 中華鍋の中に水を入れて、くすぶっていた何かを消火したシュエラン、おたまを器用に操って三角コーナーに鍋の中身を捨てはじめた。

 シュエランの答えを受けてみつばは黒板の上にかかっている時計を見上げた。

「そっか、もうこんな時間なんだ」

「ハイデスヨ」

 しゃっしゃっしゃっしゃっ……

 やや大きめの竹製のササラでリズミカルな音を立てながら、鍋の汚れを落としているシュエランに、みつばは当然浮ぶ疑問を投げた。

「それで、何を作っていたの?」

「素の八宝菜ヨ」

 そう答えたシュエランは真剣な表情で、ササラを武器に中華鍋の焦げ付きと格闘している。

 そのシュエランの、あまり聞き慣れない表現に、みつばは小首をかしげた。

「素?」

「あいや……お肉ナイ、野菜だけ八宝菜のコト」

 少し恥ずかしそうに頬を染めるシュエランであったが、ややあって少しバツが悪そうに説明を続けた。

「材料、チョト足りないから……ホントは『六宝菜』だけど、オマケして八宝菜ネ」

 厳密に言うと、八種類の具を使うから八宝菜なのではなく、たくさんの具を使っているという意味で、中国でも縁起の良い数字である『八』を使っているのだが。シュエランの八宝菜に用いられたのは六種類の野菜――白菜、シイタケ、タケノコ、ニンジン、チンゲンサイ、ピーマンと言う、なんとなく貧乏くさい具材の『素八宝菜』であった。豚肉やエビとかは我慢するにしても、せめてウズラの卵が入ると満足度が増す気もするが、まあ無いものは仕方がない。

 そして、おそらく『貧乏くささ』を自覚しているのか、具材の説明の時点で赤面していたシュエランだったが。

「和風にアレンジしようと思って、あれこれ考えてたラ……水気全部飛んでたヨ」

 そう言って三角コーナーの黒こげを指さすと、恥ずかしさMAXな感じに『あいやー!』と黄色い声を上げた。

 なんかこお……気の利いたコメントが浮ばないままに苦笑しっぱなしのみつばに――おそらく料理部の備品なのだろう――業務用とおぼしき2升用の炊飯器の横に置かれた、八角形の中華皿をシュエランは指さす。

「とりあえず、ご飯の上に乗せて食べようかと思テたヨ」

 八宝菜をご飯の上に乗せて食べる。

 この料理に心当たりがあったみつば、はたと手を打った。

「ああ、中華丼?」

「ハイデスヨ。中国ではその食べ方では食べないダカラ。日本風にしようと思テ、失敗したネ」

 意外なことを聞いた気がして、すこし驚きの表情で、みつばはシュエランの顔を見た。

「え?中華丼って中国では食べないの?」

「別々の皿に盛るのが本当ネ。でも、丼にしても美味しかったヨ」

 『中華丼』って名前なのに本当の『中華』じゃないの?……と、釈然としない物をみつばは感じた。

 が、シュエランの言う通り、八宝菜をご飯の上にのせてレンゲで食べると言うのは本場の中華料理の食べ方にはない料理で、実は中華丼と言うのは日本発祥の料理である。

 東京のとある中華料理屋で、お客さんから『八宝菜をご飯にのせてくれ』と言われて、店主が二つ返事で乗せたのがはじめだと言われている。

 東京の下町でそば屋に入ると『肉南ソバのソバを陸に上げてくれ』とか『ギョク丼のご飯半分で良いから、卵を多めにして』とか、結構好き勝手なオーダーをしている常連さんを見ることがあるが、きっとそんな感覚だったに違いない。

 ちなみに同じような料理として『天津飯』と言うのもあり、これも日本発祥で中国ではカニ玉――芙蓉蟹をご飯の上には乗せない。

 これを日本で最初に見たシュエランは

(何で芙蓉蟹が天津ナノ? 甘栗も、別に天津名物と違うノニ??)

 と、中華由来である料理の、日本独特の不思議な呼び名に戸惑ったらしい。

 無論、中華料理には飯の上に具を乗せる丼スタイルの料理がない訳ではない……どころか、結構豊富に存在するのだが、なぜかこの二つは中国本土では根付いていないという料理だったりするのである。

 そして、見るからに料理好きなシュエラン。そんな事情は全て理解したのだろう、水洗いの完了した鍋をコンロの上に乗せながら、笑顔を見せた。

「日本は外から入った物、アレンジするの上手ネ」

 こーっ……

 いきなり最大火力で鍋を空焼きして、水気を飛ばす。

 テフロンコーティングのフライパンしか使ったことがないみつばは、見慣れない鉄鍋の手入れを物珍しげに眺めている。

「漢字も中国と意味違うコトあるけど、日本でも通じるから便利ダヨ」

「違うって……?」

 漢字は『漢の字』と言うくらいで、昔の中国――漢の国から入ってきた字である。

 もちろん、読みだけをとって仮名を作ったりしてきたが。漢文がちょっとした工夫で訓読出来るところから見て、みつばは基本的な単語の意味は一緒だと思っていた。

 かち、と。

 水気を飛ばしてすぐにコンロの火を落としたシュエラン、4つ折りしたキッチンペーパーで薄く油を鍋に引きながら、不思議そうな顔をしているみつばに向かってニヤリと笑ってみせた。

「有名なの、手紙。手紙を送るって言うと、あのこと」

 そう言ってシュエランの指さした窓の外に見えるのは、校門の前でティッシュを配っているメイドさん。

 あのこと、ってどのこと?――と、怪訝な表情になるみつばを、面白そうに見たシュエランはポケットからティッシュペーパーを取り出した。

「『手紙』って、トイレで使う紙のことネ」

「えー!そうなの!?」

 日本風に言うと『ちり紙』だろうか? ちなみに手紙のことは『信』と言う。

 シュエランは、驚きを露わにしたみつばに、ちょっと恥ずかしそうな表情になる。

「日本来たとき『お手紙下さい』テ言われて『何でそんなコトをウチに頼むのカナ?』『日本のトイレ、どこでも紙あるのにおかしいヨ』って思たネ」

 あせあせ、と言う感じで汗をぬぐう真似をしながら、シュエランは過去を思い出し赤面した。

 その様子を見て、みつばはちょっとからかうような口調でシュエランに尋ねた。

「で、ちり紙を送ったの?」

「あいや、送テないネ。ウチが悩んでるの見て、日本語通じてないと思ったデショネ。『Write me a letter』って英語で言ってくれて分かったダカラ」

 あはは、とシュエランはお気楽に笑った。

 アジアの人……とりわけ、日本に良く来る中国人や韓国人とコミュニケーションを取る場合。相手が日本語が出来ず、さりとてこちらも先方の言葉が出来ずと言うときには、往々にして英語で会話をする場合が多い。

 もちろんそれはアジアに限らず、ヨーロッパでもそうだったりするのだが。隣の国のひとと話すのにわざわざ英語を介するのは何とも違和感があるなあと、みつばは思ったコトがある。

 それはさておき。

 シュエランは三角コーナーを見て、ため息を一発。『生ゴミ』と書かれた蓋付きの大きなゴミ箱の中に中身をバサッと捨てた。

その後、ざーっと水を流しながらシンクを綺麗にして『惨状』を無かったことにすると、にっこり笑ってみつばに向き直った。

「ご飯、食べに行てくるヨ」

 どうやら、自炊は諦めたらしい。細々とした道具を片付けるシュエランを見て、みつばは首をかしげる。

「何食べるの?」

「何にしようか、決められないヨ! 美味しそうなお店が、いっぱいあって迷ってしまうダカラ」

 『いっぱい』のところで、両手を広げてスケール感を表現したシュエラン、一拍おいて語り始める。

「昔の秋葉原って『食べるトコロなかったヨ』なんて聞くノネ」

 それを聞いて、みつばはうんうんと頷く。

 みつばが小さな子供のころ……今から十数年前の秋葉原は街の規模からすると、食べ物屋が少ない印象の街だった。

 もちろん、まったくないわけではなかった。たとえばアトレがあるところには『秋葉原デパート』なる商業施設があって、1階のフードコートにはいくつかのスタンド形式のお店があり、2階にあったレストランの大きなパフェは――大きすぎて子供のみつばには食べきれなかったが――みつばの好物の一つだった。

 漠然とそんなことを考えているみつばに、シュエランは興奮したような口調で言う。

「でも、今はすごいヨ! 世界中の料理、何でも食べられそうだヨ!」

「そうだねえ……食べ物屋さん、色々あるもんね」

 実は昔からあるお店もそれなりに数はあるのだが、再開発で目に入る立地に、一気に食べ物屋が増えた印象である。

 とりわけUDXやヨドバシ、アトレと言った巨大な商業施設のレストランコーナーの存在は大きいし、それはそれとして電気街の中にもたくさんのお店が新しく出来て、選択の幅が広がった。

 これから再開発が始まる、と言うときに秋葉原を後にして海外を転々とし、帰ってきたら街の様子ががらっと変わっていたというみつばが一番驚いたのは、そうした食事面が充実したところと、人通りが一気に増えたところだった。

「中華だッテ、色々あるヨ!ラーメン屋サンだけじゃなくて、本格的なヤツから家庭的なヤツまで、いっぱいヨ。」

 シュエランはその再開発後の秋葉原しか知らないワケだが、目を閉じて記憶の中のショップリストを引っ張り出しながら語り続ける。

「フレンチも、イタリアンも、ブラジル料理も、インド料理も、ケバブも、韓国料理も、洋食屋サンも……もつ鍋も、焼き鳥も、ウナギも、お好み焼きも、ちゃんこも、とんかつも、どんぶりも、卵かけごはんも……」

 もの凄い勢いで出てくる料理ジャンルに、目を丸くしながらみつばは言葉を失う。

(卵かけご飯って……『卵かけご飯屋さん』なんてあるの?)

 あっけにとられるみつばにぐいっと顔を寄せて、シュエランは満面の笑顔を向けた。

「無いモノを探すのが難しいヨ!」

「な、なるほどねえ……」

 シュエランの料理に対しての情熱に、ただただ圧倒されたみつばだったが。

(秋葉原で食べ物、かあ……意識したこと無かったな)

 と、確かに多彩な食べ物屋の数々を、みつばはみつばなりに思い起こした。

 そして、当のシュエランは、うーんと何やら考え込む仕草をしていたが、しばらくして決断を下したのか大きく頷いた。

「ヤッパリ……初志貫徹で中華丼を食べてくるヨ! 味とか色々勉強して来るネ」

 よいしょ、と自前の中華鍋を背負って。シュエランはみつばににっこりと微笑んだ。

「じゃあ、行てキマス!」

「いってらっしゃーい!」

 ぶんぶん。

 大きく手を振って、シュエランは部室の外へ走っていった。

「走らなくてもいいのに……」

 おなかすいてたのかな、と。

 少し苦笑してシュエランを見送ったみつばだったが、少し考えて

(そういえば……私もお昼たべなきゃ)

 と言うことに気がつき、とりあえず料理部部室を後にした。


 文化部棟の外に出ると、柔らかな春の日差しがみつばを照らす。

 とりあえず、電気街の方に歩きながらみつばは小声で独白した。


「そうか――やっぱり、この街は凄いんだ」


 ジョンスやシュエランが話してくれた、秋葉原。

 それは主に、食べ物の話。

(食べ物、かあ……それが目的で来るひととかも、いるのかな?)

 電気屋さんが特徴の街だよね、とか思っていたみつばにとって、ちょっと意外な、でも新鮮なイメージだった。

 少し話しただけで、こんなに自分の知らない――というか、気をつけて見ていなかった秋葉原が見えた。

 そして、それこそが魅力的なところなのだと、みつばは感じる。

 歩きながら、髪飾りをいじっていたみつば。しばらく考えて、あえて口に出して言ってみた。


「これからも、秋葉原の魅力をわかって貰えるようにがんばろうっ!」


 言ってみてから、しばしの間。

 みつばは、少し情けない顔になる。


「……でも、どうすればいいのかなあ?」


 誰にともなく問いかけたが、答えは返らず。

 ただ、おなかのあたりでくう、という小さな音が漏れた。

「とりあえず、ご飯食べよ」

 でも、どこにしようか?

 考えたみつば、せっかくだからと……件の豆乳カフェ『issa』に足を向ける。

(シーフードビビンバか、美味しいのかな?)

 豆乳もたのしみだなあと。

 すっかり食べ物のことで頭がいっぱいになりながら、みつばは中央通りを靖国通り方面に向け歩いて行くのだった。


※この小説に関する著作権はHP:AKIHABARA OMOTENASHI PROJECTの著作権管理規約に則っています。 


URL: http://akiba-brand.com/

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