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第4話 集結!世界の仲間達!

……で、これからどうするの?」

 首に巻いたツールケースから取り出した秋バナナをみつばに渡して。

 ころねは、彼女にしては珍しく苦笑いの表情を浮かべてみつばの顔をのぞき込んだ。

「ほむ……なにが?」

 みつばは、いかにも美味しそうにバナナをほおばっていた所だったが……彼女的に予想外の質問だったのだろう……キョトン、と言う音が聞こえそうな感じに目を丸くする。

「この街が素敵だってことを証明するんだろ、キミの名のもとに」

 ふん、と芝居がかった感じで、ローハンは鼻ため息を漏らしてみせた。

 その横で、ころねも深く頷いて同感の意を表す。

「え、っとぉ……」

 一拍の間。

 みつばはおずおずと、どちらにともなく尋ねてみた。

「私、そんなこと言ったっけ?」

 そのすっとぼけた問いを受けて、あははと笑うころねの横で。

「他に誰が言うんだい?」

 と、ローハンがジト目でみつばを見るのだった。


 さて――あのあと、どうなったかというと……

 『逆切れ超説教モード』と言う名の大暴走の結果……盛大に言いたいことを、一方的に言うだけ言った挙げ句、これ以上もない大見栄を切った――まさにその瞬間に、三分経過。

 次の瞬間には髪飾りの効力を失い、みつばは壇上でふにゃーっと崩れ落ちてしまったのだ。

 そんなみつばを、大慌てで回収したのはころねとローハン……そして。

「話しているときは、凄くアグレッシブでパワフルだったのに。いきなりダウンするから驚いたぜ」

 と、のんきに笑う白人の大男だった。

 おぼろげに、このプロレスラーのごとき大男にひょいっと担がれて、壇上から舞台の袖まで運ばれたのを記憶の中から引っ張り出したみつば。恐縮した表情で、大男に向かって頭を下げた。

「あああありがとうございました、えっと……」

「テキサスから来た、アンドリューだ。アンディって呼んでくれ」

 がしっと、骨張ったゴツイ手で握手を求めるアンドリュー。

「あ、ど、ども……秋津みつばです」

「ハハハ、良い演説だったぜ。50口径のマシンガンをぶちかまされた気分だ」

 そんな事を言われつつ、差し出された手をあたふたとみつばが握りかえすのを見て、ローハンが面白くなさそうに英語でぼそっと呟いた。

「絵に描いたようなアメリカ人だな」

 その上品そうなイギリス英語の呟きを聞き逃さなかったものか、アンドリュー。腰を折ってローハンの顔をのぞき込むと――ローハンの身長は171センチで、決して低くないのだが――挑発するようにニヤリと笑った。そして、アメリカ南部の訛りがかなり強い英語でローハンに尋ねた。

「陽気で気の良い奴ってことか、インド人?」

「デリカシーがなさそうだってことだよ、ヤンクス」

 ほぉ、と。目を細めて不敵に笑うアンドリューと、相変わらず冷めた表情のローハン。

 その間に挟まれるように立っているみつばは、会話だけなら七カ国語制覇というバイリンガルどころかセプテムリンガルと言う語学力の持ち主だ。

 だが、その耳を持ってしても、アンドリューの訛りがある英語は完全に聞き取れなかった。

 聞き取れなかったものの、一触即発な空気が漂っているのは読めたものか、『どうしよう、どうしよう?』といった感じに、右見て左見ておろおろしているという、そんな状況である。


「ケンカはダメーっ!!」


 唐突に、それはそれは大きな声で。

 英語で言い合っていた二人に、かまわず日本語でころねが叫んだ。

 ぎょっとした顔で動きを止める二人をじろっと見て、ころねはまずローハンの方に向き直る。

「なんで、キミはそうやってケンカを売るのーっ!?」

 一喝、であった。

 あまりにスパッと言われたモノだからか、ローハンは目を白黒して絶句していた。

 が、ややあって落ち着いたのだろう。ちょっと不満げに、でも大部分はバツが悪そうに、ころねに話した。

「別にケンカを売っているワケじゃ……ただ、僕は言いたいことを言っただけだ」

「そんなのケンカになるに決まってるでしょーっ!!」

 二喝目。

 口の中で何かくぐもったように呻いているローハンを余所に、ころねは申し訳なさそうにアンドリューに向き直った。

「ごめんねー、なんかもお……根は悪いコじゃ無いと思うんだけど、色々と口が悪かったりして……」

「ハハハ! キミが気にすることはないだろ?」

 なんだか、凄く面白そうに破顔一笑。アンドリューは、ころねに向かってサムアップしてみせる。

「それに、ケンカなんてする気はないさ。異文化交流ってやつだ、俺なりのね」

 言いながら、アンドリュー。笑顔のまま、どうしたらいいか分からぬように立ち尽くしているローハンに向かって、パチリとウインクを飛ばした。

 うっ……と、これまたリアクションに困る体で固まるローハンには頓着せず、アンドリューはころねに向かってグっとサムアップしてみせる。

「アンディって呼んでくれ。キミは?」

「私はころね。手ノ原ころね。よろしくね、アンディ」

「良い名前だな。こっちこそよろしく、ころね」

 とか、笑顔で握手する二人を見ながら、呆気にとられた様に立ち尽くすローハンとみつば。

 そのローハンに向かって何のためらいもなく、アンドリューは手を差し出した。

「名前は?」

 目の前に差し出されたその手を――鍋つかみのミトンの様な大きく、分厚い手を――ぼおっと眺めたローハンだったが、我に返ったように瞬きを数回。ローハンははっとしたような表情になる。

「ローハン。インドから来たんだ」

 ガシッ。

 音がしそうなくらい、がっしり握手をする二人を、ころねは満足げな表情で見る。

 みつばも、どうやらケンカにならずにすんだようだと、ほっと胸をなで下ろした。

 そして、アンドリューは少しおっかない笑顔を浮かべた。

「ところで、俺のコトをさっき『ヤンクス』って言ったけど……俺はテキサンだ、ヤンキーじゃねェぞ」

 言われたローハン、ピンと来ていない表情だったが、アンドリューの雰囲気が割合にシリアスな感じだと言うことを見て取って、神妙な表情になる。

「テキ……サン?」

「テキサス人のことさ、ヤンキーは北の連中のことだ。くれぐれも一緒にしてくれるなよ、ローハン」

 それはきっと、アンドリューにとって『禁句』にあたる一言だったのだろう。

 言いたいことを言うだけ言って、満足げな表情になったアンドリュー。ゆっくりとローハンの手を離した。

「まあ、仲良くやろうぜ!」

 はっはっは!!

 そう言って、陽気に爆笑してみせるアンドリューを、みつばはため息混じりで見た。

「インドの人に言ってもわからないよ、アンディ」

 ん?

 その、明らかにアメリカ英語――標準的な、であるが――の、みつばのボヤキに、アンドリューは目を丸くした。

 みつばは、少し苦笑しながらアンドリューの顔を見上げる。

「私、日本に来るまではアメリカにいたんだよ。お父さんが外交官で、世界中を回ってたから」

 みつばのその説明に、興味深げにアンドリューは頷いた。

「何処にいたんだ?」

「ボストン」

 ヒュウ。

 みつばの答えに、少しお行儀悪く口笛を吹いて、アンドリューは首を横に振ってみせる。

「そりゃ、英語が上手いワケだ」

「ありがとう」

 そして、改めてアンドリューの姿をみつばは眺めた。

 ピンク色に染めた髪、ファンシーなデザインのジャケット、ハートの膝当てがついているラブリーなパンツ、そして、前面に人気キャラクター『うーさぎ』がでかでかと描かれているTシャツ――うーさぎ好きなのだろうか、うーさぎのぬいぐるみタイプの小物入れも腰からぶら下げている――と、まあ……みつばの知っている『テキサス』とは少し、いや、だいぶイメージの違うファッションだった。

 言うまいかどうしようか迷うことゼロコンマ数秒。みつばは、ちょっと苦笑しながらアンドリューの顔を見上げた。

「でも、テキサンなのに格好が……」

「なんだ、テキサンは全員カウボーイかと思ったか?」

 正直、そっちのが似合うなあと思いながら、ふるふるとみつばは首を数回横に振る。

 そんなみつばに、アンドリューはグイッと力強くサムアップしてみせた。

「俺は『かわいい』グッズが好きなんだ」

 これ以上もなく明快に言い切ったアンドリュー。サムアップしたまま、みつばに向かって満面の笑みをみせた。

「日本の良いところは『かわいい』が沢山あることだと思うぜ」

 そして、ちょっと自虐的な笑みを浮かべながら。アンドリューはピンクに染めた自分の髪と腰にぶら下がる、ピンクのうーさぎを同時に指さす。

「コレをテキサスでやると、あっという間にゲイ呼ばわりだからな」

 あはは、と。困ったようにみつばは笑った。

 アメリカでは『ピンク色を着ている男性=ゲイ』である。それも髪まで真っピンクにするとなると、ゲイの方々ですら『セクシャリティをそんなにあからさまにしなくても……』とためらうようなレベルだ。

 そして、アメリカでも特に保守的な土地柄であるニューイングランドの中心都市ボストンで暮らしていたみつばである。その事は嫌と言うほど知っている。

 だが、一方で。

 男性でもピンクの似合う人は存在して、いままさに目の前にいるアンドリューがその一人だとも理解していた。

 そんなみつばの複雑な心中が分かったのか、アンディはお気楽な表情で

「日本は良い国だ。『派手だな』って言われるだけで済むからな」

 と言い放つや、ハハハと大口を開けて笑い飛ばしてみせた。

 釣られてみんなも笑う中、アンドリューはローハンの背中をどしっとどやしつけた。

「そういえば、ローハン。お前の英語も綺麗だな」

 思いのほか強く叩かれたモノか。けほ、と軽く咳き込んで、ローハンは上機嫌なアンドリューの顔を見上げる。

「そりゃ、どうも」

 目の前の陽気な大男のテンションには付き合いきれないと言う空気感を漂わせつつ、適当に相づちを打つローハンを、アンドリューは感心したような表情で見やった。

「クイーンズイングリッシュってヤツだな。ここまで綺麗な英語話すんだから、さぞや良いトコの坊ちゃんなんだろうなァ」

 インドは250年以上にわたり、イギリスの統治下にあった国である。憲法によって英語が公用語の一つになっており、話せる人間も多い。ただ『ヒングリッシュ』と揶揄されるくらい強い訛りの英語を話す者も多いなか、ローハンの英語は綺麗な英国英語――クイーンズイングリッシュ――であり、それはローハンの家柄の良さ、受けた教育のレベルの高さを物語るものと言えた。

 無論、褒めているのだが。そのアンドリューの言葉を、なんとも複雑な表情で聞いていたローハン。

「――そんなこと、ない」

 と、歯切れ悪い感じに呟いた。

 そんなローハンの様子に少し違和感を感じたものの、別段それには触れずに。

「そうか?まあ、俺はテキサス訛りにプライドを持ってるからな」

 と、アンドリューは笑顔で会話を締めくくった。

 ただ、明らかに細かいことを気にしない感じのアンドリューと違い、みつばところねはローハンのそんな様子を見て、それなりに引っかかりを感じていた。

 今までの会話はすべて英語でなされていたので、会話内容に関しては『かろうじてわかる』程度のころねであったが、ローハンの沈んだような、寂しいような、なんとも複雑な――決してプラスの感情によるものではない――表情が気になって、心配げな表情で顔を覗きこもうとした。

 みつばも、そんなころねの横で所在なげにたたずんでいる。

 その時……


「もしかして、さっき壇上で演説してた子かしら?」


 と。

 唐突に背後から、流ちょうな日本語で問いかけられたみつば。思わず『ひゃいっ!?』と変な声を上げて答えてしまった。

 それを見て、くすっと笑いながら。

 問いかけた女性――若い、綺麗な白人女性だ――は、みつばの前に回り込んだ。

「やっぱりそうだね、こんにちは」

「こ、こんにちは」

 ぺこぺこ、と。

 焦って頭を下げるみつばを、件の女性は相変わらずにこやかに見る。

 ブラウンのロングヘアを無造作に流し、変形ランタンスリーブのたっぷりしたトップスを細身のブーツカットのパンツに組み合わせて、足下はシンプルなヒールパンプスですっきりとまとめている。そのデザインや色使い、組み合わせなど、きっとファッションに一家言あるんだろうなと思わせるに十分な気合いの入り方だった。

 もしかしたら服飾デザイン系の学生かとおもったが、肩から提げている大きめのポートフォリオと、頭に乗せたベレー帽、アンダーリムの紅い眼鏡がなんとなく美術系の学生的なムードも加えているような気もして、なんとも正体が判然としない。

 確かなのは、誰もが振り返るモデルのような美人だと言うこと。

 そんな美人に声をかけられたみつばは、おもわずぼ~っとして彼女のことを眺めてフリーズしてしまった。

 そして、そんなみつばの後ろから、アンドリューが感心したように頷いてみせた。

「こりゃ、ずいぶんとべっぴんさんだな」

「ありがと」

 アンドリューの忌憚がないというか、そのまんまの感想を、にこやかな笑みで返す彼女。

 そして、その場にいる全員を素早く見回して、満足げに腕を組むと、ハッキリした口調で話し始める。

「私はエリーズ。パリから来たの。美術とか文学とか大好きだから、よろしくね」

 と言い置いて、にっこりと笑う。

 その名前を聞いて、みつばの横に立つころねが少し怪訝そうな表情で呟いた。

「エリーゼ?」

「それは、ドイツ語読みよ。エリー『ズ』でお願いね」

 ちなみにスペルは『Elise』。無論、文字ではなく音で聞いたわけだが、聞き慣れないフランス語独特の発音に気がつかず、ころねは顔を赤らめた。

「あ、ごめんごめん」

「いいのよ。ベートーベンのせいだと思って、諦めてるから」

「あはは」

 ころね、そんなエリーズの話を聞いて、ころころと笑う。

 まあ、ころねのことなので、名前の響きから連想したのはベートーベンの名曲『エリーゼのために』ではなく、おばあちゃんのお菓子盆の定番『ブルボン・エリーゼ』だったのかもしれない。

 ただ、ころね的にはチョコリエールかホワイトロリータの方が好きなのだが、まあ。この際どうでも良いだろう。

 ともあれ。

 ホワイトロリータと言えば――と言うワケでもないのだが。

 少し子供っぽい印象のある、小柄な白人の――それはそれは真っ白な肌の――女の子がちょこんとエリーズの後ろに控えているのに、みつばところねは気がついた。

 ペールピンクのプリンセスラインのワンピース――袖口がシフォンでふわっと仕上げてある――を着たその子は、まるで上等なフランス人形が飾り棚から歩き出した様だった。

 みつばところねが少女のかわいらしさに目を奪われているに気がついたのか、エリーズは半身をずらして、その子の背中に手を当てる。

「紹介するわね。この子はリューシャ」

「……よろしく」

 それはイメージ通りの、実に小さな声だった。

 そして、これまたイメージ通りのかわいらしい声でもあった。

 そんなわけで、イメージにたがわぬ美少女に向かって、みつばところねは揃って笑顔で頭を下げた。

「よろしく、リューシャ」

「よろしくねー」

 その二人の元気な挨拶に対して、リューシャは静かにはにかむように微笑んでぺこりと頭を下げた。ジェイミー・レイ・ハットのように、ピンクの花を可愛くあしらった帽子が、動きに合わせてふわりと揺れる。

(……なんか、ずるいよね。神様は不平等だよ)

 とか考えながら、目の前の『振り返るほど綺麗な子』と『二度見するほどかわいい子』のコンビをうらやましそ~に見ているみつばを余所に、アンドリューはリューシャを――身長が50センチほど違うので――のぞき込むように腰を折った。

「ロシア人か?」

「……そうよ」

 明らかにアメリカ人な大男にぶっきらぼうに尋ねられ、リューシャは少し警戒したような固い声になる。

 しかし、当のアンドリューはその答えを聞くと暢気な笑顔を浮かべてみせた。

「そっか。俺はテキサスから来たアンドリュー。アンディで良いぜ。よろしくな、リューシャ」

「……こちらこそ」

 ほっとした表情で、リューシャは柔らかく微笑んだ。

 そして、アンドリュー。がしっと首に左腕を回して、他人事のように突っ立っていたローハンを捕まえる。

「こいつはローハン。たった今、ダチになったんだ」

「え、あ……」

 突然の事態に目を白黒させているローハンであったが、端から見ていると仲良く見えたものか。

「そうなんだ。いいわね」

 と、身長差もあってか、このままブルドッギング・ヘッドロックに移行しそうな感じの見た目になっている二人に、エリーズは暖かく微笑みかけた。

 一体、どこが『いいわね』なんだろうと憮然とした表情になるローハンに、かまわずエリーズは右手を差し出す。

「よろしく、ローハン」

「こちらこそ、エリーズ」

 なんとなく、複雑な笑みを浮かべながら。ローハンはヘッドロックをかけられた体勢から、タッグパートナーにタッチを求めるような感じで握手に応じた。

 そして、みつばの顔を見たエリーズは、何かを思い出したかのようにうふふ、と楽しげに笑みをこぼした。

「でも凄かったわね、さっきの演説。秋葉原の魅力を証明するのよね?」

「あはは……」

 力なく苦笑するみつばの前に歩み寄り、エリーズは両手で押し抱くようにみつばの手を握った。

(うひゃ~、手まで綺麗だ~)

 とか、どぎまぎして思わず赤面してしまうみつばに、エリーズは結構な至近距離でにっこりと笑った。

「私は秋葉原というか、日本の文学に魅せられているのよ」

「文学……」

 芸術家にも文学少女の様にも見えるエリーズを、みつばは目を丸くして見た。

 文学、というか国語に関しては海外を渡り歩いていたみつばの不得手とするところだったが、そんな事情はつゆ知らず。エリーズはぎゅっと、力強くみつばの手を握りしめる。

「やっと、原語で読めるようになったのよ。そうしたら、凄く奥が深くて。今、漱石にハマッているのよ」

 古い千円札のひとだよね、と言おうとしたみつばだったが。『ブンガクの話』をしてるのにそれはあんまりだと思ったのか、記憶の中からなんとかして代表作をひねり出すべく頭を回転させた。

「『我が輩は猫である』、とか……?」

「あれは凄いわ。あの時代に、猫視点の一人称小説よ?斬新だわ」

 『でも、あのラストはあんまりよね?』と意見を求められたりもしているわけだが、全文をマトモに読んだことがないみつばは、エリーズの熱い言葉にハァとしか相づちが打てなかった。

 その相づちに満足したのが不服だったのかは定かでは無いが、エリーゼはなおも夏目漱石を語るべく質問を飛ばす。

「『こころ』とか、読んだことない?」

「ああ……抜粋したヤツが教科書に載ってたかも」

 『日本に戻ったときに困るから』と、海外の学校に通うみつばに、父親がわざわざ国語の教科書を日本から取り寄せていたのだが。山椒魚だの月見草だの『ほくほくしたのをたべるのだ』だの中に混ざって、先生がどうのこうのと言う夏目漱石の『名作』を読んだ気がして、自信なさげにみつばは呟いた。

 果たして正解だったものか、エリーズは満足げに頷くとみつばの眼をじっと見つめた。

「良いわよ、全文読むべきよ」

 図書館に置いてるかなあ、と。遠い目になるみつばの手をなおも取ったまま、エリーズは熱のこもった感想を述べ続ける。

「出だしからやられたわ。『よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない』ってくだりなんて最高。一気に引き込まれたわよ」

「え、あ……ははは」

 出だしなんてしらないよー、と。困った要素を多分に含んだ愛想笑いで返しているみつばに、エリーズ。ニヤリと味のある笑みを向けた。

「あと、知ってる? 『こころ』に秋葉原が登場するシーンがあるのよ?」

「えっ?」

 エリーズの口から出た、予測していなかった一言に、みつばは思いっきり目を丸くする。

 そんなみつばの斜め後方、同じくころねも目を丸くしているが、きっと彼女も読んでいないクチなのだろう。

 エリーゼは自分のトリビア的な日本文学知識が、二人の日本人を驚かせたことに満足したのか、上機嫌な笑顔で話し始めた。

「『私はとうとう万世橋を渡って、明神の坂を上がって、本郷台へ来て、それからまた菊坂を下りて、しまいに小石川の谷へ下りたのです』って一節があるの。その前に神保町から小川町に曲がったって言うくだりがあるから、靖国通りと中央通りがぶつかるところを秋葉原の方に曲がって、しばらく中央通りを歩いてから、ベルサールのところを左に曲がったってことよね」

 先生は小石川に住んでたっていうから、凄い距離よねと笑うエリーズに、みつばは苦笑して返した。

 もちろん、交通事情が著しく異なる明治の話なので、歩くのが当たり前の時代とは言え結構な距離であった。

 考え事をしながら、気がついたらこんなに歩いてたと言う体のエピソードなので、当時の基準からするとこのくらい歩かなければそういう表現にならなかったのだろう。

 もっとも、物語的にこのエピソードの手前にある

『よござんす、差し上げましょう』

 のインパクトが強くて、読み飛ばしてしまっている人も多いかと思うが。

 なんにせよ、エリーズの言う通り『先生』が秋葉原のあたり――流石に明治の頃の話なので電気街ではなかったが――を歩く描写が残っていると言うことを聞いて、みつばは普段考えたこともない歴史の奥深さを感じていた。

 そしてエリーズは不意にフム、と思案顔になる。

「でも、普通の封筒に入らなくて、ラッピングしなければいけなかったほどの分量の手紙が、キッチリ四折りに出来るかどうか検証の余地があるわよね」

 しかも、便せんではなく原稿用紙に書いているので分量はエラいことになっているはずである。夏目漱石の愛用した原稿用紙は19字×10行の小ぶりのサイズだったと言うがそれにしても、であろう。

 もっとも作中の手紙の文面に『私は妻の留守の間に、この長いものの大部分を書きました』と言う一節があるあたり、きっと漱石本人も(長くなっちゃったなあ……)的な自覚をしていたに相違ない。

 だが、全文読んでいないみつばには、何のコトやらサッパリ分からず。引き続き、愛想笑いでお茶を濁すしか無かった。

 しかし、エリーズの攻撃は止まらず――『日本文学の話が出来る人をゲットしたわ』的な勘違いをしてしまっているものか、至って上機嫌にエリーズはみつばに質問を投げかける。

「白井喬二の『富士に立つ影』は読んだ?」

「い、いや……っていうか、誰?」

 教科書で読んだ覚えもないし、流石に質問してもいいだろう。

 そんな考えのみつばだったのだが、次の瞬間、目を意外そうに見開くエリーズを見て、考えの甘さを悟ることになった。

「ちょっと! 『日本大衆文学の祖』って呼ばれた人よ! 直木三十五とも親交が深い、大衆文学の発展をはかった人なのよ!」

 案の定、怒られた。

 みつばは暴風に備えるべく首をすくめて

(直木賞の人だよね。『なおきさんじゅうご』って読むんだあ……)

 とか、お気楽に考えていたわけだが、そんなみつばの顔にぐっと顔を近づけ。

「『富士に立つ影』は名作よ、読んだ方がいいわ!」

 と、エリーズ。文庫で全七巻(しかも絶版)の大作をさらっと薦める強引さである。

(ちかいっ! 近いよ、エリーズ~!)

 鼻の頭と鼻の頭がぶつかるくらいの距離まで詰め寄られたみつば、妙に鼓動が早くなってしまう始末。

 そんなみつばが動揺することを微塵も気にせず、エリーズは身体をはなして、にっこりと笑う。

「『新撰組』も良かったわ。新撰組ってタイトルなのに、新撰組が全然出てこなくて、独楽まわしばかりしてるの。最高よ!」

 まさに仰せのその通りの内容で、皆様にもぜひ読んでいただきたい大正後期の名作なのだが。そんな知る人ぞ知ると言った種類の作品を、小学校低学年のころからついこの間まで海外で過ごしていたみつばが読んでいるワケもなく。

「どうしよう? 『最高』のポイントが分からないよ……」

 と、なんとも情けない顔で呟くのだった。

 そして、それを受けたころねも、理系一筋でここまできたわけで。文学の知識なぞ、無きに等しく。

「というか、それはタイトル詐欺じゃないのかな?」

 と、苦笑しながら言うだけにとどまった。

 エリーズはその反応にいささか不満げな感じであったが、ややあってぐっと拳を握りしめて語り始める。

「私が好きなのは、日本の大衆文学だわ」

 気がつくと。

 すっかり置いてきぼりにされて、所在なげに立っているローハンとアンドリューのことなど、まるで眼中に無く。

 自分の世界に入り込んだような感じで、エリーズは語り続ける。

「小説や漫画も良いけれど、ビジュアルノベルは衝撃だったわ。カルチャーショックね」

 『ビジュアルノベル』とはいわゆる『ギャルゲー』などに代表される、文章に絵や音が加わってPCなどの画面上で読む小説である。小説を単に画面上で表示するだけの電子書籍と違い、最初から絵や音が存在する前提で演出などが成される点が特徴だ。

「古典的な名作の『To Heart』や『Air』って作品をやってみたんだけど、全キャラボロ泣きよ。ティッシュが箱で必要ね」

 そのエリーズの発言に対して、訳が分からないままにうんうんと頷くみつばと、オタク故のシンパシーで力強くうんうんと頷くころねという、なんとも好対照な感じのリアクションをみせていた。

「本質は小説なんだけど、言うなれば全ページに挿絵がある小説でしょ?しかも、自分の判断で先の展開が変わる小説。感情移入が小説や漫画、映画の比ではないわね」

 立ち絵の表情変化で、文章内の説明文章をカットしてリズムを良くしたり、イベント絵を効果的に使うことでメリハリをつけたりと、小説としてみると表現の幅が異様に広い。

 それでいて、漫画やアニメに比べると文章からくる読み手の想像力を刺激する部分が強く。おもに主人公――プレーヤーである――の、一人称視点の文章である場合がほとんどで、上手く作られた物は主人公の立ち位置に読み手――プレーヤーとも言うが――を引き込みやすくなっているケースが多い。

 小説、漫画、アニメのいいとこ取りが出来るのが、ビジュアルノベルの強みだと言えよう。

「日本人がうらやましいわ」

 少し、苦笑するような感じでエリーズはそう言うと、細い指でこめかみの辺りをとんとん、と叩いた。

「日本人の脳は、ビジュアルノベルや漫画を見やすいようになっているのよ」

 へ?

 言っていることがイマイチ理解できなかったか、みつばところねは目を丸くする。

 そして、その反応は織り込み済みだったのか、エリーズは説明を開始する。

「日本語って、表意文字の漢字と表音文字のかなで表現されるでしょ?」

 元々の成立は、象形文字が洗練された物という漢字は、その一文字一文字が意味を持つ表意文字。

 対して、漢字の読みだけを使い、日本語を音で表現するために編み出された、表音文字『かな』。

 その辺りは把握していた物か、みつばは、うんうんと二三回頷いた。

 そして、そんなみつばを満足げに見やって、エリーズは先を説明する

「この表音文字と表意文字が一緒の文化圏に存在して、それも同時に混ざり合って使われるっていうのは、極めてまれなんですって」

 ですって、っていわれても。

 そんな困惑した表情のみつばに、エリーゼはまるで先生が個人指導するように根気強く説明を続ける。

「普通、漢字のような表意文字は、脳の中では『絵画』を処理する分野で処理されるのよ。対して表音文字は、言葉を聞き分ける分野で処理されるわけね」

 気がつくと。

 ローハンが、エリーズの『講義』を真剣な表情で食いついて受講していた。案外こういう話は好きなのかも知れない。

 いや、その横でリューシャが退屈なのかポーチの中から取りだしたせんべいを、ポリポリ食べ始めてはいるわけだが。

 なんにせよ、ギャラリーが増えたことに気をよくして、エリーゼのテンションは上がっていく。

「私たちが漫画を読むときには、絵と文字をそれぞれ脳の働きを切り替えて処理しているのだけど。普段から漢字とひらがな――表意文字と表音文字がまざっている文章を読みつけている日本人は、その切り替えが私たち西洋人よりも遙かにスムーズに行われて、まるで同時に処理をしているみたいに見ることが出来るんですって」

「なるほど。我々の脳はその都度タスク切り替えを必要とするシングルタスクだけど、日本人はプリエンティブ・マルチタスクで処理できるっていうことなんだね」

 これまた、なんのことやら分からない表現で、ローハンが頷いている。それにうんうん、と頷いたエリーズはポートフォリオの中から週刊の少年漫画誌を取りだして広げた。

「だから――漫画やビジュアルノベルのように、絵の横に文字が書いてある形式のものを、日本人は当たり前のようにスムーズに読むことができるってことなのよ。当然、作るのも得意なのよね」

 へぇ、と。

 分かったような分からない様な表情で、みつばところねは頷いた。

 そして、ハナから理解する気はなかったのか。

 アンドリューはリューシャと一緒に、ポリポリと小気味よい音を響かせながらせんべいを食べている。

 エリーズは、ふうと息を吐くと、興奮気味に頬を紅潮させてあたりを見回した。

「私、ビジュアルノベルを作ってみたいの。物語は私が考えるわ」

 一拍の間。すこし残念そうにエリーゼは続ける。

「でも、私だけでは無理。それらしい絵を描ける人と、BGMや主題歌を作れる人、それをすべてまとめ上げたプログラムを組んで形にする人が必要なの」

 そして、そこまで言ってから。

 エリーズはにっこり笑って、せんべいを食べ終わったリューシャの肩を、二三回ぽんぽんと叩いた。

「絵は――リューシャが、服のデザイン画を描いてるの見てね。口説き落としたの」

 そう言うや、件のポートフォリオからスケッチブックを取り出し、ページを開いて皆にみせた。

 そこには、鉛筆書きのラフスケッチながら、様々タイプの女性キャラや男性キャラが描かれていた。

 細かいところはとことん細かく、省略すべき所は大胆にデフォルメすると言う、そのバランスが絶妙であった。

「ほら、見て! 上手だよね~」

 と、褒められたのが照れくさいのか。

 無表情のまま、リューシャはうつむいた。よく見ると、透き通るような肌にうっすらと朱がさしていた。

「あとはプログラムを組んでくれる人と音楽を作ってくれる人がほしいんだよね」

 と言うエリーズに向かって、ころねがはたと膝を叩いた。

「プログラムなら、ローハンが」

 ぎょっとした目で、ローハンはころねを見る。

 主にハードウエアをコントロールするためのプログラムを組むことが多いが、ビジュアルノベルに使われるようなコードは彼にとってさして難しいものではなかった。

 しかし、手間がかかるのが容易に想像がつくので、正直ローハンは辞退したかった。

 そんな彼の思惑はさておいて、明らかにローハンをロックオンしたキラキラした目で見つめながら、エリーズはローハンに歩み寄った。

「ローハン、お願い! プログラム、協力して!」

 きゅっ。

 両手でぎゅっと手を取って、至近距離にぐっと近づいて名指しでお願い。

 ……エリーズのコレに、撃沈しない男の子がいるだろうか? いや、いないだろう(反語)。

「わかった……必要なときは、声をかけてくれ」

 と、わかりやすく頬を赤らめながら、ローハンは答えた。

 そんなローハンを見て、ニヤニヤしてから。みつばはエリーズに提案する。

「あとは、シーンごとに必要な音楽のパターンを考えようよ。そしたら、わたしボカロ研だからね。作曲したりアレンジしたりするのは大好物だよ」

「すごいすごい! これで全部揃ったわ!」

 存外、子供っぽい部分が強いのか。

 エリーズはきゃっきゃっとはしゃぎながら、みつばの手を取りつつ、ぴょんぴょん跳ねて喜びを表した。

「みつばも、演説で話してたことで私に出来ることがあったら、なんでも言って! 協力するから」

「……わたしも」

 エリーズとリューシャがそう言ってくれるのを聞き、こんどはみつばが喜びを露わにした。

「ありがとう、二人とも! みんなでがんばろうね~!」

そして、割と冷めた口調でローハンが独白するように言う。

「その『みんな』には、僕も入っているの?」

「当たり前じゃないか、兄弟」

 ガシッ。

 発言にツッコミを入れるようなタイミングで、アンドリューはローハンの首に、チョークスリーパーをかけるような感じに背後から左腕を絡める。

 一見して、すごく仲むつまじい光景である。腕が回された瞬間に、ローハンの口から変な音が漏れなかったら完璧だったろう。

 そんな二人のやりとりを見て、みんなは楽しげに笑ったのだった。


 そして、しばらくの間。

 エリーズにリューシャ、アンドリューにローハン、そしてころねと、個性派五人組はわいわいと掛け合いをしながら楽しんでいた。

 それを見て、みつば。

(いろいろな国の人が集まっているんだなあ)

 とか、それぞれバラバラな国から集った仲間たちを眺めた。

 アメリカ、インド、フランス、ロシア……ここにいるだけでも、かなりの範囲から来ている。

 やはり、日本の文化とか物づくりに魅せられて来ているのだろうが……

 みつばは、無意識のうちに髪飾りをいじりながら、なおも腑に落ちない風にぽそっと独白する。


「でも……なんで、秋葉原にくるんだろう?」


 日本の首都は東京だが、それなら東京のどこでもいいだろう。

 歴史や芸術に触れたければ、関西だって大きな選択肢の一つだ。


(その理由を考えるのが……アキバの魅力を証明する第一歩、なのかな?)


 そのためには、まず色々と話をしよう。

 みつばは髪飾りから手を離し。よし、と大きく頷いて、盛り上がっている輪の中に入っていくのだった。



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