風鈴
1:00。酒を飲んだが眠くならない。とはいえ、これ以上起きていても仕方がないので横になった。
3:00。二晩はかかったかと思われるような、ドラマティックな夢から覚めた。実際には二時間しか経ってない。ビュウウ!ビュウウ!外はとんでもない嵐。安アパートの二階の部屋がグラグラ揺れる。ズズッ、ズズッ。ベランダのポリタンクが強風に引きずられている。
しかし、何よりも安眠を妨げるのは風鈴の音だ。ビュウウ!、グラグラ、ズズッ、騒音の嵐の中、リーン、リリーンという微かな音がする。それは隣の部屋のベランダに年中吊るされた、金属製の風鈴なのだ。真冬の風鈴の音が、心身ともに寒々とした心持にさせるのである。なぜか、昼間一緒に居た友人の顔が浮かんだ。
昼間。友人とドライブに出かけていた。友人の口から止めどもなく溢れ出る世迷言に、相槌を打つ義務さえ放棄していた。
友人は新聞を良く読む。ネットニュースをひっきりなしにチェックする。情報を収集するのは悪くないが、それをそのまま自分の意見や考えかのように披露するのには辟易してしまう。結局は「税金の無駄遣いするなよ」、「あの国は駄目だな」、「偉いヤツは私腹を肥やすばかり」、「世の中悪くなる一方」、等の極論に至る。ゴシップも大好物。「あのタレントはやってしまったからなあ」、「もうあのテレビ番組は駄目だな」。そこで「あのテレビ番組観てるんだな」と聞いてみた。「いや、観てないよ、ただニュースで騒いでるからさ」である。
友人は物事を深く掘り下げて考証したり、自分なりの考えを持つことを放棄してしまったかのようだ。確かに情報が溢れている今の世でそんな事をするヒマは無いし、ムダなことかもしれない。しかし「放棄してしまった」ヤツの言動は何ともツマラナイものだ。いつもウンザリさせられる。問題はツマラナイ、ウンザリするようなヤツしか私の周りにいない事だった。とすれば、私自身もまたそういうヤツということなのか・・・
「な、そう思うよな」それが友人の決め台詞。その度、グイと顔を近づけ、生暖かい息を吹きかけてくる。ゾクリと背筋が冷たくなる。彼の吐き出したものが私の精神を汚染するかのようだ。さらに悪いことに、その日の彼の息はニンニク臭かった。
思わずパワーウインドウのスイッチを押した。「どうした、窓開けて」、「ああ、何か臭くてな」。友人は不思議そうな顔をしていた。
ショッピングモールのフードコートで昼食を摂った。食べ終わり、食器を返そうとした所で思わぬ出会いがあった。「おおっ、久しぶり!」、「あらら、こんなところで会うなんて」。旧友だ。小学生くらいの男の子が一緒に隣に居る。あの赤子がこんなに大きくなって。とするなら、この再会は6、7年ぶりというところか。
彼こそ「真の友人」と呼ぶにふさわしい人物だった。私と趣味嗜好が似ており、よく一緒に出掛けていたし、彼の言動はいつも刺激を与えてくれた。しかし彼が結婚すると次第に疎遠になり、彼の転勤を機に連絡することもなくなってしまったのだ。
我々は再会を喜び、一しきり雑談した。どうしても思い出せない焦燥を抱きながら。いつの間にか一緒に来た友人は居なくなっている。まあいい。「じゃ、またどこかで」そういって我々は別れた。永遠の別れのような気がした。
しばらくその場で腕組みをした。「あの人、知り合いなのか」友人がどこからか帰ってきた。「ああ、昔一緒に仕事した仲でね」。友人の顔を見ても思い出せない。「真の友人」の姓は覚えていたが、名を忘れてしまったのだ。
そのあと帰宅するまで、友人の世迷言を聞き流しながら、「真の友人」の名を思い出そうとしたが、どうしてもでてこない。ある人物の名を忘れてしまう、それはその人物を快く思ってないからではないのか?そんなばかな!ここ二十年くらいで唯一、「真の友人」と呼べる人物だと思っていたのに。「真の友人」の友人ならなぜ今も連絡を取らないのか?もう私と彼とは種類の違う人間という自覚があるからではないのか。
・・・リーン、リリーン。眠れない冬の嵐の中。隣の部屋のベランダに吊るされた季節外れの風鈴が鳴る。最初その風鈴は、友人みたいだと思っていた。世の中から逸脱したような存在という意味でだ。しかし安アパートの二階で、部屋ごとグラグラ揺さぶられていると、風鈴が私自身である、とも思えてきた。まったく、心身ともに寒々としてくる。
ビュウウ!、グラグラ、ズズッ。いくら聞き耳を立てても風鈴の音はもうしない。ゴーッ・・・。代わりに車の走る音がする。こんな嵐の中どこにいくのだろう。「真の友人」はちゃんと人並みの幸福を手に入れている。
夜は未だ明けそうにない。私もやはり眠れそうにない。雑音の嵐の中、しばらく目を閉じ風鈴の音を探す。しかし聞こえない。心身ともに凍えてしまえば眠気が訪れると思ったのに。




