8話 ベンチでランチ
「ジスラン卿、今日は晴天ですよ。陽光を浴びながら食べるのも、いいと思いませんか?」
代金として千ルネ紙幣を支払い、日替わりのサンドイッチと飲み物を受け取ったジスランを、アビゲイルはぐいぐいと店外へ誘い出す。
話が長くなるかもしれないので、店の席を占領したくない。
そんなアビゲイルの考えは、ジスランに見透かされていた。
「俺に話があるのなら、そう言えばいい」
「ロッティに関する話があります!」
「他の客は、どこで食べているんだ? 持ち帰っている者も多かったが……」
ジスランは手の中のサンドイッチに、視線を落とす。
紙で包まれている仕様は初めて見た。
夜の酒場で注文した軽食は、小さな皿にのせられていたが、昼のこれはどう食べるのが決まりなのか。
誰かが食べているところを見ながらでないと、上手に食べられそうにない。
「中央の広場にベンチがあります。そこへ行きましょう」
飲んだり食べたりしながら歩く若者もいるが、現役の貴族にそれは無理だろう。
ジスランは左手にサンドイッチ、右手に飲み物を持って、両手がふさがっている状態だ。
さすがに難易度が高すぎる。
「腰を落ち着けたほうが、ゆっくり食べられますよ」
アビゲイルが案内した広場は、真ん中に大きな花壇があり、その周りを囲うベンチは、人々の憩いの場となっていた。
空いているベンチに座ると、ジスランは紙コップを自分の隣に置く。
そしていよいよ、作法の分からないサンドイッチに向かい合った。
辺りには、同じ『昼と夜』のサンドイッチをほおばる者もいて、ジスランはその仕草をじっと観察する。
「紙を広げて……いや、完全には広げずに……」
「ここだけ広げたら、ソースが垂れても、下にこぼれないでしょう? さあ、思い切りかぶりついてください」
おっかなびっくり紙を広げていたジスランに、アビゲイルが横から手を貸す。
今日のサンドイッチはクルミ入りの全粒粉パンに、ローストビーフと新鮮な野菜がはさまれている。
どろりとかけられた茶色のソースが、今にもこぼれそうで、ジスランは慌てて口を開いた。
シャクッ!
みずみずしい紫たまねぎやフリルレタスが、嚙みちぎられて音を立てる。
そして次に、ぐっと歯を食い込ませると、ローストビーフの層にたどり着いた。
咀嚼をすると、全体にからむ酸っぱいソースが、それぞれの甘みをひきたて合う。
「……旨い」
やや厚切りのローストビーフを硬めのパンが受け止めて、噛むほどに赤身の肉汁のうまみが広がり、香ばしいくるみとの相性のよさに思わず頬が緩む。
ごくんと飲み込むと、しげしげとその断面を眺めた。
「白いパンで挟まれた、薄くて柔らかいサンドイッチは、何度か食べたことがある。でもこれは……」
「貴族の食べる小さなサンドイッチは、お茶に添えられたお菓子と同類ですものね。だけど、それではお腹にたまらないし、食事としては物足りないでしょう?」
ずしりとした無骨な見た目のサンドイッチは、やたらと食欲をそそる。
とくに重なりあったローストビーフの圧がすごかった。
ジスランはたまらず、ふたくち目をかぶりつく。
「パンが喉に詰まらないよう、飲み物も口にしてくださいね」
アビゲイルに指摘されて、ジスランは紙コップに手を伸ばす。
適度に冷やされ、結露が滴っているのは、薬膳シロップのソーダ水割りだ。
さっぱりと口の中を洗い流して、ジスランの喉に爽快感をもたらしてくれる。
嬉しそうに食べたり飲んだりするジスランを、アビゲイルは隣で見守った。
(気持ちのいい食べっぷりだわ。今日の調理を担当したドロシーさんが見たら、喜ぶでしょうね)
そして大きなサンドイッチが、すべてジスランの腹に収まると、いよいよアビゲイルは口火を切る。
「近々ロッティと一緒に、ミストラル帝国を訪問しようと思っています。その際に、親族の方々へ挨拶をしたいのですが、場を設けてもらえますか?」
「それは助かる。早くロッティの顔が見たいと、母上から矢の催促があって――滞在中の宿泊場所や費用については、こちらがすべて用意しよう」
「これまであえて聞きませんでしたが、ロッティのお母さんが誰なのか、ジスラン卿は知っているんですよね?」
「っ……! それは……」
「私の言う親族には、そちらも含まれているんです」
ジスランが目をさまよわせる。
嫌な予感がしたアビゲイルは、問い詰めた。
「まさか、誰も生存していないなんてことは、ないですよね?」
「その……ドナ嬢の実家であるカルノー男爵家とは、基本的には絶縁していて……現在、どうしているのか分からない」
ドナというのが、ロッティの母親の名前らしい。
「いなくなる直前に、ドナ嬢は実家へ手紙を出していた。迷惑をかけてしまうことを、詫びる内容だったらしい。すぐにカルノー男爵はモンテスキュー公爵家を訪れ、謝罪をした。だが、激高した父上はそれを受け入れず……」
「そのまま、家同士の交流がなくなったのですね」
「行儀見習い中だったドナ嬢は、兄上つきの侍女をしていた。二人が密かに愛し合っていたなんて、誰も気づかなかったそうだ。それがわかったのは、兄上の婚約の話が持ち上がった日だった。好きな人と一緒になりたいと、兄上は父上へ必死に頭を下げたと聞く」
しかしモンテスキュー公爵は、当主の立場から二人の仲を認めなかった。
公爵家の令息と結ばれるには、男爵家の令嬢では身分が低すぎたのだ。
「兄上は何度も、説得を試みた。それほど、ドナ嬢を愛していたのだろう。だが結局、兄上の婚約者に選ばれたのは、モンテスキュー公爵家と家格が見合う侯爵家の令嬢だった」
そこでモンテスキュー公爵家を、捨てる覚悟を決めたのか。
初めて婚約者と顔を合わせて挨拶をする日、ジスランの兄は許されぬ愛を貫くため、ドナとともに行方をくらました。
ジスランの口から、深いため息がもれる。
「俺は自分が継ぐ予定の伯爵領にいて、兄上を取り巻く状況を知らずにいた。そして父上に呼び戻されたときにはもう、公爵家に兄上の姿はなかったんだ」
すでに、すべてが終わっていた。
「父上は兄上を見くびっていた。貴族以外の生活を知らない兄上だから、どうせすぐに困窮して戻ってくると、事態を放置したんだ。だが、一週間が過ぎ、一か月が過ぎ、半年が過ぎても……兄上は帰ってこなかった。ついに母上が我慢できなくなって、父上に泣きついたんだ。ようやく捜索が始まったのは、いなくなって一年が経ってからだった」
「そんなに遅く?」
「おかげで二人の足取りは、まるで分からなかった。俺はこっそりカルノー男爵に会いにいき、ドナ嬢の行方を知らないか尋ねたが……」
カルノー男爵も、思い当たる場所を懸命に探したが、見つからなかったそうだ。
そもそも男爵家の財力では、人探しをするにも限界があった。
「俺はモンテスキュー公爵家の権力もつかって、ミストラル帝国中をくまなく探した。その結果、もう国内にはいないと判断して、ホロウェイ王国まで捜索の範囲を広げたんだ」
そこで兄の死を知り、ドナの死を知り、遺されたロッティの存在を知る。
ジスランにとって、3歳年上の兄は尊敬の対象だった。
憧れ慕っていた兄と、こんなにもあっさりと永遠の別れがやってくるなんて、思いもしなかった。
来る日も来る日も、ひどい後悔に襲われ、どうしたらいいのか、ジスランは自問自答した。
「もっと早くに探していれば、兄上やドナ嬢は死んでいなかったかもしれない。そう思うと、やりきれない。せめて二人の子どものロッティには、正統な後継者としての地位を、と」
「ジスラン卿の考えは、理解できますが――」
貴族の権力には責任が伴う。
ただの金持ちとは違うのだ。
「ロッティにそれを、押し付けるのは止めてください。あくまでも優先されるのは、ロッティの意思です。ロッティが両親の駆け落ちを知ったら、どう思うのか分かりますよね?」
ロッティの両親を苦しめたのは、身分を重視する貴族の習わしだ。
それを振りかざした祖父にあたるモンテスキュー公爵を、恨むかもしれない。
「今はまだ3歳ですが、いずれ状況を理解するでしょう。そうなったとき、果たしてロッティは、貴族でありたいと願うでしょうか?」
しかも、複雑な紋章を持つモンテスキュー公爵家は、貴族の中の貴族だ。
歴代の当主は当たり前のように、政略結婚を繰り返してきたに違いない。
それをロッティに強要しないはずがないのだ。
「庶民には、貴族にはない自由があります。ロッティがそれを望んだときは、どうか潔く諦めてください」
「モンテスキュー公爵家ならば、お姫さまみたいな生活だってさせてやれる。箒と塵取りを持って、下働きのようなことをせずとも……」
ジスランがすべてを言い終わる前に、アビゲイルは立ち上がった。
そのこめかみには、青筋が浮いている。
「ロッティは今でも、お姫さまよりかわいいですけど?」
「俺は外見の話をしているのではなく、暮らしぶりについて……」
「これから私が、1000億ルネでも2000億ルネでも稼いで、実質ロッティをお姫さまにしますから! 金で解決できるのは貴族の特権じゃないって、思い知らせてやりますわ!」
ふん、と鼻を鳴らすと、アビゲイルはジスランを置いて歩き出す。
しかし、数歩進んだところで足を止めると、まだ座っているジスランを振り返った。
「ロッティのお母さんの、遺髪があるんです。身元が分からなかったから、亡骸はこの町の共同墓地に埋葬されましたが、せめてそれだけでも実家へ帰してあげたいと思っています」
「分かった。カルノー男爵に連絡してみる。それとさっきの話だが――」
「食べ終わった後のごみは、ちゃんとごみ箱に捨ててくださいね。あそこに設置してあります!」
びしっとアビゲイルが指さした先には、『昼と夜』の店名が入った大きなごみ箱があった。
宣伝も兼ねて、アビゲイルが出資して、広場に置かせてもらっているのだ。
「それでは、ごきげんよう」
言いたいことだけを言うと、さっと踵を返す。
取り残されたジスランは、活火山みたいなアビゲイルに、ぽかんと口を開けるしかなかった。




