7話 二つの選択肢
ジスランはホテルへの道のりを歩きながら、先ほどまでいた『昼と夜』を思い返す。
(とても繁盛していたし、生活に困っている様子はうかがえなかった。でも、ロッティの世話をする乳母はいない)
つねに乳母や使用人がそばにいた子ども時代を過ごしたジスランにとって、その状況は落ち着かない。
アビゲイルがひとりで子育てをしているというのが、危なっかしく思われた。
(この港町では、こうして陽が沈んでも、女性だけで通りを歩いていたりする。……それが庶民流なのだろう)
昼間でも、貴族の令嬢が一人で出歩くことは、決してない。
護衛や侍女をつれるのが、貴族流である。
(治安がよい証拠かもしれないが、不安だな)
ジスランは腰に帯びた剣に、そっと手をやる。
兄の足跡をたどる旅の途中で、何度かこれを使用する機会があった。
騎士の称号を持つジスランと違って、アビゲイルが自衛の手段を持っているとは思えない。
(港町に滞在している間は、なるべく頻繁に店を訪ねるとしよう。四六時中とはいかないが、用心棒代わりにはなれるだろう)
か弱い女性は護るべき対象だ。
それにジスランは、すっかり『昼と夜』の味に、胃袋を掴まれていた。
◇◆◇◆
「アビゲイルさん、お久しぶりです」
相談役のバイオレットは、今回もロッティへのお土産を山と積んで現れた。
従業員やその子どもたちに配る、大量のお菓子も用意してあるのがさすがだ。
「いつもありがとうございます、先生。ロッティはこの頃、絵本の字が読めるようになったんですよ!」
「素晴らしいわ! 次のお土産には、文字をつなげて遊ぶ積み木なんかも、いいかもしれませんね」
バイオレットを応接室へと案内して、アイスティーに薬膳シロップを注いだものを出す。
店ではソーダ水で割るのが一番人気だが、バイオレットが好むのはこちらだ。
おしとやかにグラスを傾けると、からんと氷が音を立てた。
のどを潤したバイオレットが、満足げに息を吐く。
「ヴァイツ王国が発祥の薬膳シロップは、本来こんなに飲みやすくはありません。だからこそ、これは唯一のもので、とても価値があります」
「改良してくれた母には感謝しています。このレシピがなければ、私は飲食店のオーナーには、なってなかったでしょう」
「『昼と夜』が繁盛している一因は、この薬膳シロップにもありますが、それだけではありませんよ」
持ち帰りを前提とした食事の提供方法や、従業員の子どもを預かる保育園など、アビゲイルが考案したアイデアは多い。
「アビゲイルさんには一歩先を見る目があり、行動に移す力があります。経営者たるもの、常に前を向いて、さらなる進化を模索しなくてはなりません。それが自然とできる人は、なかなかいないんです」
手放しでバイオレットに褒められ、アビゲイルの頬は赤らむ。
母以外の人から、こんなに嬉しい褒め言葉をもらうのは初めてだ。
「一般的な飲食店オーナーだったら、『昼と夜』の成功に味をしめて、同じ業態の店を出すのでしょうが……アビゲイルさんにとっては、ここは通過点ですからね。次の段階も、始まりそうですか?」
バイオレットの言う次の段階とは、大量生産を可能にする工場の稼働についてだ。
アビゲイルは薬膳シロップを提供する場を、『昼と夜』に限るつもりはない。
それこそ、この港町に留まらず、ホロウェイ王国中へ手を広げる気でいる。
「おかげさまで、順調です。まずは店で最も売れ行きのよい、ソーダ水で割ったものを、製造してみようと思っています」
「瓶詰めをして賞味期限を延ばす技術は、ホロウェイ王国ではまだ珍しいですから、いい意味で注目を集めそうですね。こちらが宣伝を依頼しなくても、販売が開始されれば、新聞記者たちがこぞって、ニュースに取り上げてくれるでしょう」
ロッティと生活をしていくだけならば、『昼と夜』の収益だけで十分だ。
しかし、アビゲイルの母の遺志を叶えるには、どうしても多くの研究資金が必要だった。
(自ら人体実験をしてまで、母が成し遂げたかった夢……それを引き継ぐと決めたからには、私も腹をくくらなくちゃ)
そのためにアビゲイルは、飲食店の経営とは別に、飲料を製造販売する会社を立ち上げた。
他国で採れる原材料の確保や輸送経路の整備、工場での製造管理に販売を担う小売店への営業――それらを任せるために雇った従業員の数は、『昼と夜』の比ではない。
アビゲイルとバイオレットが試算した結果、そちらも黒字化できそうではある。
だが、いくつか問題点もかかえていた。
「在庫の保管場所が、喫緊の課題なんです」
「それはおそらく、一時的なものですよ。すぐに『ユーラ』は品薄になるでしょうから、短期で倉庫を借りましょう」
薬膳シロップのソーダ割りは、販売するにあたって製品名の登録が必要だった。
考えた末に、アビゲイルの母の名前から一字をもらって、『ユーラ』と名付けた。
問題点のほかにも、計画の進捗につまづきがないか、予想されるほころびはどこか、アビゲイルはバイオレットと対策を練る。
アイスティーがなくなった頃、話し合いはひと段落ついた。
「では仕事の話はこれくらいにして、アビゲイルさんが手紙に書いていた内容に移りましょうか」
ジスランはロッティの親権を、アビゲイルから取り戻そうとしている。
その理由について、バイオレットには情報があるようだ。
「ロッティちゃんのご両親の祖国であるミストラル帝国は、私たちの住むホロウェイ王国や隣のヴァイツ王国よりも、近代化が進んでいます。そんな中で、まだ検討段階ではあるのですが、女性の爵位継承権を認めようという動きがあるのです」
「ということは……」
「ロッティちゃんが成人するより早く、関連する法律が制定されるかもしれません。そうなれば性別に関係なく、長男の子は次男よりも継承順位が上になります」
ジスラン本人は次男だと言っていた。
つまり長男の子であるロッティが、モンテスキュー公爵家の、第一位継承者になる可能性があるのだ。
「アビゲイルさんがどんな印象を持たれたかは別にして、私はジスラン卿に誠実さを感じますね。制定前の今なら、自らがモンテスキュー公爵となり、その子どもに爵位を受け継がせることもできるのに。あえてロッティちゃんを引き取ろうと言うのですからね」
バイオレットの評価は正しい。
アビゲイルもそれは認めざるを得ない。
「私が親権を持つ間、ロッティには二つの選択肢があります。庶民として生きるか、貴族として生きるか。その意思を、ジスラン卿には尊重して欲しいと思っているのです」
「そのためにもロッティちゃんは一度、ミストラル帝国へ行く必要がありますね。貴族の生活がどんなものかを知らないままでは、ジスラン卿にとって不公平ですから」
「その通りですわ、先生。それに――」
3歳のロッティはかわいい盛りだ。
「これを見逃してしまうのは、もったいないですもの! ロッティの親族にもぜひ、愛らしい姿を披露したいんです!」
「子どもの成長は早いですからね。ロッティちゃんが小さいうちに顔合わせをすれば、お互いに情もわくでしょう」
孤児院のころから多くの人に囲まれて育ったおかげで、ロッティはあまり人見知りをしない。
ただし、今だにジスランのことは、不審者だと思っている節がある。
「その誤解も、旅の間にとけるかもしれませんね」
バイオレットの言葉に頷き返し、次にジスランが『昼と夜』を訪れるのを、アビゲイルは待ち構えることにした。
◇◆◇◆
「あびー、おしごとおわった?」
ロッティが事務所のドアを少しだけ開けて、その隙間から部屋をのぞき込む。
『昼と夜』の経営が安定してきたため、最近は事務仕事を任せる従業員を雇って、アビゲイルは自分の作業量を減らしている。
それを知っているロッティは、お迎えの時間が待てなくて、こうして突撃してきたのだ。
「もうすぐ終わるから、こっちへいらっしゃい」
両手を広げると、そこへロッティが笑顔で飛び込んでくる。
「ああ、なんてかわいいんでしょう! ふわふわのほっぺも、きらきらのおめめも、ロッティはこの世の宝物でつくられているみたいだわ!」
アビゲイルの親バカぶりに、従業員たちは慣れっこだ。
生き別れた親子が数年ぶりに再会したかのごとく熱く抱擁している二人を、温かいまなざしで見守る。
「この書類にサインをしてしまうから、お膝の上でおりこうさんにしててね」
「うん!」
ロッティに癒しのエネルギーをもらったアビゲイルは、かつてない速さで決裁をしていく。
まだ簡単な文字しか読めないロッティだが、サインをする手の動きがおもしろいのか、アビゲイルの手元をおとなしく眺めていた。
「あびーのかいてるじ、ろってぃにはよめないよ」
「真似されないように、わざと字を崩しているの。これでアビゲイルって読むのよ」
関心がある対象について、子どもは知りたがるものだ。
ロッティの文字への興味を、うまく伸ばしてやりたいとアビゲイルは思う。
(だけど女の子が学校に行くのは、珍しいのよね。そもそも庶民が通う学校自体の数が少ないし、そこで学ぶ年月も短いし、教わるのも簡単な読み書きや計算だけだと聞くわ)
貴族の学校では、それぞれの専門家が教鞭をとり、深く長く学ぶことが可能だ。
庶民は教育機関に関して、貴族に大きく後れをとっている。
(だったら、女の子が通いやすい学校を、私が建てればいいんじゃない?)
初期の規模は、大きくなくていい。
うまくいくとわかってから、増設すればいいのだから。
(バイオレット先生へ相談しなくちゃね! きっと賛同してもらえるわ!)
庶民だから出来ることをしたい。
家名にとらわれず、派閥にとらわれないアビゲイルだから出来ることを――。
(自分が稼いだお金を、好きに使えるって、こんなに楽しいのね!)
これからも、どんどん稼ごう。
お金で叶えられる夢もあると、アビゲイルはもう知っている。
「よ~し! 働くわよ!」
「ろってぃも、おてつだいする!」
「二人で頑張れば、なんだって出来ちゃうわ!」
血は繋がっていない家族だが、気持ちは繋がっている。
アビゲイルにとってロッティは、かけがえのない存在になっていた。
(母の研究を完成させたい、という積年の願いもあるけれど、今はロッティの将来を考えるのが先よね)
そして――今度は昼の時間帯にやってきたジスランの腕を、アビゲイルはガシリとつかむのだった。




