35話 幼さの中にひそむ
アビゲイルとジスランが腰かけたのを確認して、皇后は口を開いた。
「モンテスキュー公爵夫人から相談を受けていたから、ロッティ嬢を取り巻く環境については理解しているつもりよ」
モンテスキュー公爵によって、タチアナも外出を制限されていたが、皇后のお茶会だけは参加を許可されていた。
さすがに皇后からの招待を断るのは、モンテスキュー公爵家といえど不敬にあたる。
だからタチアナは積極的にその機会を利用し、アビゲイルの身の潔白を証明するため皇后にかけあっていた。
そうした経緯から、ロッティが駆け落ちの末に生まれたフレデリクの娘で、ホロウェイ王国でアビゲイルと暮らしていたと皇后は知っている。
現在のロッティの保護者であるアビゲイルと、将来のロッティの後見人になりえるジスラン――その二人を呼び出したのには意味があった。
「ロッティ嬢の今後を担う二人にも、一緒に考えてもらいたいの」
それから皇后は、カミーユの置かれた現状について説明した。
「カミーユはよく、大人しい子だと言われるけれど、それには理由があるわ。……カミーユは、大人しくならざるを得なかったのよ」
本来ならば、カミーユには1つ年下の弟がいるはずだった。
だがその弟は、産声を上げることなく、生まれてすぐに世を去ってしまう。
「あの当時、城内は暗く沈んでいたわ。皇太子妃を始め、誰もがすすり泣く声を隠せず……」
カミーユは敏い子だった。
周囲の人々の悲しみを肌で感じ、元気にはしゃぐのは場違いだと、幼いながらに静かに過ごした。
「第二皇子の喪が明けて、しばらく経った頃だったわ。今度はモンテスキュー公爵家のフレデリク卿が、かなり前から行方不明になっているという報が入ってきたの」
ジスランがハッと顔をあげる。
「フレデリク卿は、皇太子の幼馴染で、数少ない親友だった。なにも相談に乗れなかったことを、皇太子は悔やんでいたわ」
駆け落ちのタイミングと、喪中の期間が重なる。
子どもを亡くして悲しんでいる親友に、それ以上の負担をかけたくなくて、フレデリクは皇太子を頼らなかったのか。
「それなのに、心痛が重なる皇太子一家に、さらなるプレッシャーがかかったわ。第二皇子以降、懐妊の兆候がない皇太子妃に、しびれを切らした者がいたのよ」
いつまでも、皇位継承者がカミーユだけなのは、心もとない。
ならば南方の国のように、一夫多妻の制度を設けるべきではないか。
そんな意見が議会に持ち上がり、皇太子と皇太子妃夫妻は、完全にまいってしまったようだ。
「公の場では、みじんも感じさせなかったけれど、二人が焦っていたのは間違いないわね」
カミーユの『話し相手』である側近候補や婚約者候補が、集められ始めたのはこの頃だ。
サポート体制を万全にして、周囲に大丈夫だとアピールし続けたのだ。
こうして変わりゆく環境を、カミーユ本人は、唯々諾々と受け入れた。
「年頃の子どもたちと交流するのは、カミーユにとっていい刺激になるかもしれない。そう判断して、私も成り行きを見守ったわ」
だが、結果は良くないほうに傾いた。
「大人の顔色をうかがうことに長けていたカミーユが、子どもの顔色までうかがうようになってしまったの。自分の意思や感情を押し殺すのに、慣れてしまったのね。……だけど、それでは皇帝は務まらないわ」
最後の一言は、カミーユの祖母としてではなく、皇后としてのものだった。
「私が中心となって、女性も爵位を継承できるように、働きかけているのを知っているかしら?」
「皇后陛下が表立っているというのは、初めて聞きました」
ジスランは当然知っているだろうから、これはアビゲイルへの質問だ。
相談役のバイオレットから聞いた話を思い出しながら、返答する。
すると皇后が、ゆっくり微笑んだ。
「あれは、カミーユのためだったの」
「っ……!」
バイオレットは近代化が進んでいると称賛していたが、そこには複雑な事情がからんでいたようだ。
「皇太子には妹がいるわ。そして嫁いだ先で、二人の娘を生んだ」
アビゲイルにも、やっと皇后の考えが読めてきた。
女性も継承者になれるなら、皇太子の妹とその娘にも可能性が生まれる。
つまりカミーユでなくても、皇帝の座が埋まるのだ。
「皇后陛下は、カミーユ皇子殿下を見限ったのですか?」
ジスランが、とんでもなく無礼な質問をぶつけた。
しかし、皇后はそれをとがめなかった。
「才能のない者が上に立てば、国や民が混乱するわ。そう自分を納得させて、私は粛々と動いてきたつもりよ」
でも、と皇后は声を落とす。
「最近のカミーユを見ていて、違うかもしれないと思い始めたの。本当に……皇帝の器ではないのかしら?」
話の核心が、ロッティに近づいてきたのを感じる。
アビゲイルは少しだけ、前のめりになった。
「側近候補や婚約者候補ではなく、純粋な友だちになったのは、ロッティ嬢が初めてだったわ。だから私も、違和感を見逃していたの……」
皇后は視線を宙に向け、自問自答する。
「ロッティ嬢が頼んだわけでもないのに、ドラゴンの相手役のお姫さまになろうと、カミーユは自発的にドレスを着たのよ?」
これまでのカミーユには、そんな行動力はなかった。
接した誰からも、大人しい子だと言われ、周囲の空気を読み、いらぬ波風を立てたことがない。
特筆すべき長所や短所がなく、外見以外は埋没していたはずだった。
だからこそ、ロッティへみせた執心が、皇后の印象に強く残った。
「カミーユの本当の姿を、垣間見た気がしたわ」
もっとロッティに喜んでもらいたい。
ただそれだけのために、これまでかぶり続けてきた仮面を、一瞬だけ外したのではないか。
「短期間でロッティ嬢との間に築いた、密な関係性――これを成し遂げた手腕は、見事だったわ」
今までのカミーユの凡庸な姿は、穏やかに人生を過ごしたいがための演技だった。
そう疑い始めると、自分が提案した女性の継承権すら、カミーユの思惑の中にあったのではないかと、皇后は空恐ろしくなった。
「カミーユが、目的のために手段を選ばない子ならば、将来は皇帝の座につく可能性もあるわ」
権力は大きいほど、効果を伴う。
皇后はアビゲイルとジスランを見すえた。
「ロッティ嬢の関係者である、あなたたちに問うわ。今後、カミーユとの交流を、続けさせるかどうか?」
本当に皇后の見立て通りならば、6歳にして大人をたばかる、カミーユの才は計り知れない。
そんなカミーユに、ロッティは好かれてしまった。
アビゲイルが考え込んでいると、先にジスランが発言をした。
「ロッティは4歳になったばかりです。カミーユ皇子殿下へ求婚したと聞きましたが、あくまでもドラゴンごっこの延長線上でしょう。今は本気かもしれませんが――」
やがて、考えが変わるかもしれない。
それは同時に、カミーユにも当てはまる。
ただ一人の友だちに、今は夢中になっているが、ドラゴンごっこを喜ぶ年齢を過ぎれば、どうなるかは未知数だ。
「無理に引き離したりせず、友だちのまま経過を見守るのが、いいのではないでしょうか。いずれ時が流れれば、二人の関係性もはっきりします」
ジスランの意見はもっともだった。
アビゲイルも賛同する。
「訳もわからず別れさせられたら、悲しいと思います。そんなことをしたら、大人への不信感も募るでしょう」
友だちが、ずっと友だちのままなのか。
それとも、唯一の大切な人に変わるのか。
(それはロッティとカミーユ皇子殿下だけが、決めることよ)
だが、カミーユと心を通わせたとしても、皇帝や皇后、皇太子や皇太子妃の許しがなければ、ロッティは婚約者候補にもなれない。
カミーユを支えられる人物を、ふるいにかけて厳選しているのだから当然だ。
それでも、未来を潰したくはない。
ロッティの気持ちも、カミーユの想いも、アビゲイルは大切にしたい。
「ロッティが結婚の意味を正しく理解して、それでもなお、カミーユ皇子殿下のそばにいたいと思うなら、私はどんな協力も惜しみません」
親権をジスランへ移譲し、ロッティの血統を確たるものとする。
そしてアビゲイルは、後方からの支援に傾注すればいい。
真剣な顔つきのアビゲイルに、皇后が頷く。
「二人の考えはわかりました」
決定的な判断を下すには、まだ早い。
それが、この場での総意だった。
「ロッティ嬢はこれからも、カミーユの友だちとします。それでいいですね?」
皇后からの確認に、アビゲイルとジスランは顔を見合わせ頷いた。
ロッティの将来は、庶民として生きるか、貴族として生きるか、その二通りだと思っていたが――そこへ新たに、皇族として生きるという選択肢ができた。
◇◆◇◆
アビゲイルたちが話し合いをしている間、目を覚ましたロッティは、カミーユのお見舞いにきていた。
「かみーゆ、おねつだいじょうぶ?」
「ロッティ! 来てくれたんだ」
病気ではなかったため、もちろんカミーユは元気だ。
だが、ロッティに会うなり、また頬が赤くなっている。
「まだほっぺが、あかいよ?」
熱を計ろうとロッティが、自分の額をカミーユの額にこつんと合わせたので、カミーユの事態は悪化した。
「ロッティ……ボクをやっつける気なの?」
「かみーゆは、わるいやつじゃないでしょ! どらごんがやっつけるのは、わるいやつだけ!」
ふんす、とロッティが腕を組んで鼻を鳴らした。
侍女たちが、その可愛らしさに頬をゆるませる。
カミーユを始め、その側近候補や婚約者候補も、幼いながらに完全に礼儀作法を習得している。
年相応の子どもらしい仕草が見られるのは、この城内では貴重なのだ。
「ねえ、ロッティ」
「なあに?」
「昨日、ボクに言ってくれたこと、本当?」
カミーユの金色の瞳が、ロッティの灰色の瞳を覗き込む。
そこに映りこむカミーユの顔は、決意に満ちていた。
「とても嬉しかったよ。ボクもロッティを、友だち以上に――」
「かみーゆって、ろってぃのほかに、ともだちがいないんだってね」
一世一代の告白が始まるかと、侍女たちは聞き耳を立てていたが、そんな雰囲気をロッティがぶちこわす。
しかも正確無比に、カミーユの自尊心を傷つけた。
「っ……!」
「ろってぃにはね、ともだちがけっこういるんだよ」
「そ、そうなんだ」
さっきまで赤かったカミーユの顔が、青ざめていく。
友だちがいないカミーユにとって、ロッティは唯一の存在だ。
だが、ロッティにしてみればカミーユは、大勢いる友だちの中の一人でしかない。
好きと告げるより先に、失恋する気配が濃厚になり、奮起していた心がしぼむ。
「だけどね、おひめさまは、かみーゆだけ! たったひとりだよ!」
しおれかけていた花が、命の水を与えられ蘇る。
ロッティから、『たったひとり』という称号をもらって、カミーユは歓喜した。
(特別な存在にしてもらえた!)
これで燃えないはずがなかった。
「ボク、頑張るよ! 絶対にロッティと結婚する!」
この瞬間、カミーユの中で寝そべっていた、ドラゴン級の何かが頭をもたげた。




