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3話 身元不明の赤子

「オーナー、マズいですね」


 夜の酒場の店長を任せているスペンサーが、がしがしと片手で頭を掻いた。

 パーマがかかった若草色の髪が、さらにモシャモシャになる。

 手のひらの上で持て余しているのは、あまりにも存在感のあるブローチだ。

 

「こんな高そうなブローチ、面倒ごとの予感しかしません」

「すぐに、警備隊の隊員さんを呼びましょう。親子の身元を確かめるのに、重要な手掛かりになるはずよ」

 

 アビゲイルは慣れないながらも、腕の中のロッティをあやす。

 母親とは顔つきが似ていないので、紺色の髪も灰色の瞳も父親譲りなのだろう。

 今は小さな手を伸ばして、アビゲイルのメガネを触りたがっている。


「頬がふくふくとして、天使みたい。たくさんの愛を注がれて育ったのね」


 巡回中だった隊員たちが駆けつけたときには、ロッティはぐっすり眠りについていた。

 手早く行われる事情聴取で、スペンサーが母親を見つけた状況を説明する。


「俺が店を開けようと入口のドアを開錠したら、そこに寄りかかるように座っていて……」

「ふむ、近くに他の人はいなかった?」


 ベテランっぽい隊員は、スペンサーの言葉を手帳に書きこむ。

 どうやら事件性は少なく、つれてきた医者の診断では、栄養不足による衰弱死のようだった。

 その後ロッティの母親は、警備隊の詰め所へ担架で運ばれていく。

 ブローチ以外に素性がわかる物証がないか、または同じ特徴の人物の捜索願いが出ていないか、確かめてくれるそうだ。

 それでも身元が分からなければ、名前が無いまま、町の共同墓地へ埋葬される。

 母親との別れを知らぬロッティの寝顔に、アビゲイルは憐憫の視線を落とした。

 

「この後、ロッティはどうなるのでしょう?」

「港町では親のいない子どもは、孤児院で保護するきまりなんだ」

「……少しですが、ロッティのために使ってください」


 ロッティを預かる隊員へ、一万ルネ紙幣を十枚ほど差し出した。

 養う子が増えれば、それだけ孤児院は物入りになる。


「ありがとう、アビゲイルさん。これだけ寄付金があれば、孤児院も助かるはずだ」


 隊員は頭を下げると、がっしりとした腕にロッティを抱いて、去っていった。

 いつまでも見送っていたアビゲイルに、スペンサーが声をかける。


「今夜の営業、どうします?」

「……外で待っているお客さまもいるし、開店しましょう。新メニューのハムと茸入りのオムレツは、ドロシーさんの自信作だそうよ」

「試食させてもらいましたよ。あれは間違いなく酒が進みますね!」


 言いながら、スペンサーが黒板のメニューを書き換えた。

 それを窓ガラス越しに見えるよう設置しているのを確認して、アビゲイルは階上へ向かう。

 

「じゃあ、後は任せたわね」

「お疲れ様でした、オーナー」


 これから、この店舗の一階は酒場に変わる。

 おもに仕事終わりの男性が、家に帰る前に一、二杯、軽食をつまみながら酒を楽しむのだ。

 その華やぎは、アビゲイルが住んでいる三階までは届かない。

 ベッドに身を横たえて目を閉じれば、先ほどまで腕の中にいたロッティと、その母親の姿が思い出された。

 

「お母さんの口ぶりからして、ロッティのお父さんはもう――」


 この世にはいないのだろう。

 丸々としていたロッティと違い、母親の腕は折れそうに細かった。

 

「苦労しながら、女手ひとつでロッティを育てたのね」

 

 貴族も庶民も、夫に先立たれた妻の苦労は変わらない。

 だが困窮しても、ロッティの母親は、あのブローチを売らなかった。

 だからこそ、何らかの意味があるはずだ。

 

「例えば、ロッティのお父さんの形見だとか。立派な宝石だったから、持ち主は特定できそうだけど……」


 アシュベリー公爵であるキースが、正装時に身につけてもおかしくない品質だった。

 それを考慮すると、ロッティの父親は名の知れた貴族に違いない。

 しかし、反して母親とロッティの身なりは、つつましやかに見えた。


「……事情がありそうね」

 

 ロッティを迎えに来てくれる親族が、なるべく早く見つかるのを祈ろう。

 その夜、一人で母を看取った日のことを思い出しながら、アビゲイルは眠りについた。


 ◇◆◇◆


 大方の予想に反して、ロッティとその母親の身元は、いつまで経っても判明しなかった。


「あのブローチは、手掛かりにならなかったのですか?」


 進捗を尋ねるアビゲイルに、隊員が困り顔で事情を説明する。


「あまりにも高価すぎて、その存在を大っぴらにできないんだよ。ブローチ欲しさに、親族だと嘘をつく輩が出るかもしれないからね」


 今は、母親やロッティの似顔絵をもとに、貴族階級へ確認を取っているという。

 もどかしい思いをしながらも、アビゲイルは孤児院への寄付を続けた。


 ホロウェイ王国の法律では、孤児のまま1年が経過すれば、引き取り手なしと判断されて、養子縁組ができるようになる。

 いよいよロッティがその1年目を迎えたとき、アビゲイルは真っ先に名乗りをあげた。


「私がロッティの保護者になります!」


 宝石目当てと疑われないために、このまま身元捜査のために使って欲しいと、ブローチは警備隊へ預けたままにした。

 毎週、孤児院へ寄付金を持っていくたびに様子を見ていたから、ロッティとアビゲイルは顔なじみだ。

 一人でよちよち歩くようになったロッティは、迎えに行ったアビゲイルを見て喜色満面になる。


「あびー!」

「これからは、私と家族になりましょう」

「かじょくぅ?」


 母親になるとは言えなかった。

 子どもにとって母親はたった一人だと、継母に虐げられたアビゲイルは知っている。

 ロッティを抱いて店舗へ戻ったら、ドロシーたちが小規模なパーティを開こうと提案してきた。


「オーナーの家族が増えたんですから、祝いましょう! 子育てで悩んだら、なんでも聞いてください。私たちもそうやって、助け合ってきたんです」

「ありがとう、みんな!」

 

 子育てをしたことはないが、すでにアビゲイルの自宅の一室は、保育園になっている。

 加えて従業員たちのサポートもあり、アビゲイルは仕事と育児をなんとか両立させた。


 ◇◆◇◆

 

 ――それから2年が過ぎて、アビゲイルは23歳、ロッティは3歳になる。

 昼は食堂、夜は酒場に代わる飲食店『昼と夜』は、すっかり港町にとけこんで、連日連夜の大繁盛をしていた。


「ろってぃも、おてつだいする!」


 年上のお兄ちゃんお姉ちゃんに囲まれて育ったせいで、ロッティは口が達者だ。

 今日も目を離したすきに、箒と塵取りを持ち出し、店内の掃除に参加している。


「ドロシーさん、こういうときは、どうしたらいいの?」

「この時期は、なんでも自分でやりたがるから。よっぽど危なくない限り、気が済むまでさせるのが一番ですよ」

 

 それが子どもの自立につながる、と昼の店長を任せているドロシーに説かれ、アビゲイルはハラハラしてロッティを見守った。


(私が3歳のときは、どうだったかしら? 母が研究しているのを、隣で見ていたような……)


 しっかりしなくては、とアビゲイルが自分自身を戒めたのは、母が倒れた7歳のときだった。

 役立たずが本当の役立たずになった、と祖父母が母に対して吐き捨てた言葉を聞いて、初めて家族の不和を知った。

 それはアビゲイルの子どもらしい時間に、終止符が打たれた瞬間でもある。


「ロッティには、伸び伸びと遊んで、元気に過ごして欲しいわ」

「これ、あそんでるんじゃ、ないんだからね!」


 ぷりぷりと頬をふくらませるロッティは、仔リスのようだ。

 箒の長い柄が重たいのか、ロッティはふらふらしていて、それがダンスを踊っているように見える。

 その愛らしさに、アビゲイルの頬は緩んだ。


「ロッティの背丈にあった、箒を買いましょうね!」


 アビゲイルはこの2年間で、しっかり親バカになっていた。

 従業員たちは、そんな二人のやりとりを見て微笑む。


 ある日いきなり港町に現れたアビゲイルを、よそ者扱いせずに受け止めてくれたのが、『昼と夜』で働いている従業員たちだった。

 ハウエル侯爵家では感じられなかった身内としての情が、ここにはあふれている。


 ◇◆◇◆


 昼の食堂の営業が終わり、夜の酒場で出す軽食の仕込みをしている時間帯――。


 背が高く体格のよい男性が、『昼と夜』の店内へと入ってきた。

 整えられた黒い髪、常緑樹の葉に似た緑の瞳、鼻筋のとおった精悍な顔。

 庶民風の服を着ているが、腰には見事な剣を帯び、高貴なオーラを発している。

 ここに姉御肌のドロシーがいれば、問答無用で追い返すだろうが、今日はあいにくと子どもが熱を出して休んでいた。

 うろたえる女性従業員たちを背にかばい、オーナーとしてアビゲイルが前に出る。


「お客さま、今はまだ準備中で――」

「俺は客ではない。ここに、子どもがいるはずだ。紺色の髪で、灰色の瞳をした――」


 その言葉を聞いた従業員の一人が、思わずロッティへ視線を向けてしまう。

 当の本人は店の片隅で、アビゲイルに買ってもらった短い箒と小さな塵取りが嬉しいのか、ご機嫌で掃除をしていた。

 それに気づいた男性は、カッと目を見開くと、ロッティへ突進していく。


「間違いない! この子こそ、兄上の遺児だ!」

「ロッティに何をするつもり!?」


 とっさに止めに入ったが、男性の動きはアビゲイルよりも素早い。

 大きな手がロッティの腕を今にもつかもうとする。

 しかしその瞬間、小さな箒が男性の顔を狙って横薙ぎされた。


「おっと、思った以上にやんちゃだな。だが俺には効かな――」


 箒の柄を男性につかまれ、攻撃を止められたロッティだったが、それで終わらなかった。


 バサァ!

 

 左手に持っていた塵取りの中の土埃を、男性の艶々の黒髪にぶちまける。

 従業員たちはロッティの暴挙に、声にならない悲鳴を上げた。

 だが、怒り狂うかと思われた男性は、動じない。

 

「――そうか、君は二刀流だったのか」


 男性はふるふると頭を振って、かけられた土埃を落とす。

 そのすきに、アビゲイルがロッティに駆け寄り、小さな体を抱き上げた。

 

「あなたは、一体……?」


 警戒心をあらわにするアビゲイルへ、男性は鋭い目線をやる。

 すっくと立ち上がり、姿勢を正すと、よく通る声で答えた。


「その子の叔父だよ。ミストラル帝国モンテスキュー公爵家の次男、ジスランだ」

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