15話 後悔先に立たず
「似たような反応なら、先ほども見てきましたから大丈夫ですよ」
アビゲイルは使用人から、いれたてのお茶を受け取る。
モンテスキュー公爵夫人であるタチアナの目が光っているせいで、安い茶葉こそ使われなかったが、使用人のそれは客をもてなそうという表情ではなかった。
(こんな立派な公爵家で働いていれば、使用人も気位が高くなるのかもしれないわね。庶民にお茶を出す機会なんて、これまでになかったでしょうし)
そもそも、モンテスキュー公爵がああいう考えなのだから、使用人だってそれに倣う。
仕方がないとアビゲイルは割り切った。
「夫に会ったのね。あの人ときたら、本当に……何も学ばないんだから」
タチアナがこめかみを押さえる。
ジスランも心配そうに、アビゲイルの顔を覗き込んでくる。
「もしかして、先ほどいなくなっていた間に、父上と面会を?」
ハンスがアビゲイルを引き離すことは、ジスランには知らされていなかったようだ。
だからアビゲイルの不在に驚き、ロッティと捜しに行こうとしていたのだろう。
「ジスラン卿に似た顔つきの年配男性でしたから、きっとそうでしょう」
相手は名乗りもしなかったし、こちらが名乗る機会も与えなかった。
改めて、アビゲイルはタチアナへ挨拶をする。
「申し遅れましたが、ホロウェイ王国から参りました、ロッティの保護者のアビゲイルです」
「遠路をよくきてくれました。あまり居心地がいいとは言えないでしょうけど、少しでも長く滞在してくれると嬉しいわ」
申し訳なさそうな表情を見せるタチアナに、使用人たちは動揺する。
リュシーと同じ感想を抱いているに違いない。
(どうして庶民にへりくだるのか、不思議なんでしょうね。モンテスキュー公爵の血統至上主義のせいで、ジスラン卿のお兄さんは家を出て行ったのよ。その結果、どうなったのかを考えれば、おのずとわかるでしょうに)
身分差が招いた悲しい恋の結末に、タチアナは心を痛めている。
そして遺された孫のロッティに、亡き息子フレデリクの面影を見ているのだ。
(ジスラン卿と妹さんは、モンテスキュー公爵に似ていたわ。唯一、夫人に似ていたのが……)
アビゲイルは隣に座って、お菓子を食べているロッティの髪をやさしく梳く。
艶のある紺色の髪も、水晶のように美しい灰色の瞳も、ロッティの外見は父親ゆずりだ。
そしてそれらは、タチアナとの共通点でもある。
タチアナがロッティに注ぐまなざしには、フレデリクへの愛も込もっていた。
「ロッティは私と一緒に港町で暮らしていますが、ある程度の年齢になったら、自分の将来について考えると思うんです。そのときの選択肢を狭めたくなくて、ミストラル帝国を訪問しました」
「アビゲイルさんは、思慮深い方ね。ロッティを本当に大切にしていると、ジスランからも聞きました。そんなあなたに育ててもらえたのは、私たちにとって幸運でしたわ」
アビゲイルは、ドレスの隠しポケットから、ブローチを取り出す。
「これは、ロッティのおくるみの中に、隠されていたブローチです。ドナ嬢は生活に困窮しても、こちらだけは売らずにいたようです」
「ああ、それはフレデリクの……!」
タチアナの眦から、ぼろりと涙が落ちる。
震える手の上にブローチを乗せてやると、迷わずそれに頬ずりをした。
「どうしてもっと早くに、捜してあげなかったのか……いくら悔やんでも、悔やみきれないわ……!」
「母上、それは俺も同じ気持ちだ」
ジスランがタチアナの隣へ寄り添い、その肩を抱いた。
慰められて、タチアナの嗚咽が落ち着いてくる。
その間に、ジスランがアビゲイルへ改めて感謝を述べた。
「ロッティが生きていたのは、奇跡だと思う。兄上たちが命がけで遺した愛の証を、護ってくれてありがとう」
ジスランに続いて、タチアナも深く頭を下げる。
「夫や娘は、アビゲイルさんには何らかの目的があって、ここへ乗り込んでくるはずだと言いました。多くの使用人たちもそれを信じて、あなたへ冷たい態度をとったでしょう。それなのに、アビゲイルさんは堂々としていて……貴族だの庶民だの、関係ありません。あなたこそが、本当に品格にあふれた人物だと、私は思います」
「買いかぶりですわ。私はそんな、大それた者ではありません」
あの港町では、みんなが助け合っていた。
いつしかアビゲイルも、その色に染まっていった。
ロッティについても、当然のことをしただけ、としか思っていない。
「私がお金目当てではないというのは、そのうちにわかってもらえるでしょう」
お金を要求しなければいいだけの話だ。
しかし、タチアナは顔を曇らせた。
「実は……娘のリュシーは、夫とはちょっと違う考えを持っているようなの」
ちらりとジスランを見る。
だが、ジスランの方は、ぴんとこない様子だ。
タチアナの視線に首を傾げた。
「ごめんなさい、ジスラン。少しの間でいいから、ロッティと中庭に行ってくれる?」
「……わかった」
腑に落ちないながらも、ジスランはロッティの口の周りについたお菓子くずを取ってやり、手を繋いで部屋を出た。
タチアナがそれを確認して、アビゲイルへ体を近づける。
どうやら、内緒話が始まるらしい。
「先ほど、リュシーが『ソランジェ姉さま』と言ったのを、覚えているかしら?」
アビゲイルを罵るときに、比較対象として出てきた名前だ。
『ソランジェ姉さま』に見劣りする、地味で野暮ったくて華がない存在だと、リュシーはアビゲイルを腐していた。
「ソランジェ嬢はグラニエ侯爵家の令嬢で、フレデリクの元婚約者です。しかし公に発表をする前に、フレデリクはドナ嬢と駆け落ちをしてしまい……」
リュシーにとって、『ソランジェ姉さま』は、義姉になるはずの令嬢だった。
「夫とグラニエ侯爵の間で、どんなやり取りがあったのか、私は知らされていないの。でも、フレデリクの失踪からしばらくは、ソランジェ嬢が婚約者のままだったわ。そしてその間に、リュシーはすっかりソランジェ嬢に懐いてしまって……」
ソランジェは社交界の華と呼ばれるほど、麗しい令嬢なのだそうだ。
リュシーはそんな令嬢が義姉になるのを、心から待ちわびていた。
ところが、いよいよフレデリクの捜索が始まると、ソランジェとの婚約は解消されてしまう。
「リュシーは連日、大泣きしたわ。けれど、ソランジェ嬢の体面を傷つけないためにも、これは仕方がない処置だったのよ」
タチアナが顔を伏せる。
「夫はフレデリクを待っていたわ。生まれたときから公爵家で暮らし、恵まれた生活しか知らない子だから。いつか音を上げて、若気の至りだったと反省し、ドナ嬢と別れて戻ってくる、と信じていたみたい」
「でも……フレデリク卿は帰ってこなかった」
「その通り。だから、フレデリクが見つかるとしたら、ドナ嬢と一緒ということで――」
婚約相手が別の令嬢と駆け落ちし、長らく一緒に暮らしていたと判明すれば、ソランジェやグラニエ侯爵の面目がつぶれる。
「探せば、すぐに見つかると思っていた私たちは、愚かだったわ。フレデリクとドナ嬢の本気を、侮っていたのよ」
捜索は長引いた。
先頭に立って指揮を執っていたジスランが、ミストラル帝国にはいないのではないか、という判断を下したときには、すでに二人の失踪から3年が経過していた。
「ホロウェイ王国の小さな町で、フレデリクの名前が刻まれた墓石が見つかったのは、それから間もなくだったわ。町民に聞き込みをするうちに、ドナ嬢が赤ちゃんを産んだと分かり、ジスランはさらに二人の足取りを追いかけて――」
「そして、港町についたのですね」
どうしてロッティを迎えにくるまでに時間がかかったのか、明らかになった。
初動が遅れたせいで、手掛かりが少なかったのだ。
「ずっと屋敷にいなかったジスランが戻ってくると決まった日、リュシーがおかしなことを言い出したの」
タチアナが目頭を押さえながら、その内容をかいつまんで話す。
「フレデリクの婚約者だったソランジェ嬢を、ジスランの婚約者にしよう。そうしたら再び、ソランジェ嬢がリュシーの義姉になるからと……」
アビゲイルの口が、ぽかんと開いた。
「もしかしてソランジェ嬢は、フレデリク卿の次の婚約相手が、決まっていないのですか?」
「そろそろ適齢期を過ぎそうだけど……まだなのよ」
そんなにもフレデリクとの婚約解消が、足を引っ張っているのか。
(いいえ、公にはしていないのだから、そこまで悪影響はないはず)
アビゲイルは頭を巡らせる。
(父親のグラニエ侯爵の思惑が、絡んでいるのかしら? 逃してしまったモンテスキュー公爵家よりも、下の家格との縁組みでは納得できないとか?)
ありそうだ。
「それに関連して、リュシーはアビゲイルさんを警戒しているわ」
「そこで私の名前が出てくるのは、どうしてですか?」
ジスランがぴんとこなかったように、アビゲイルもまた首をかしげる。
タチアナは申し訳なさそうに、リュシーの考えを伝えた。
「アビゲイルさんが狙っているのはお金ではなく、モンテスキュー公爵夫人の座だと思っているのよ」
「……は?」
やや剣呑な声が出た。
それに少しびっくりしたタチアナだったが、続きを話す。
「ミストラル帝国では、まだ女性は爵位を継げないわ。ということは今、もし私の夫に何かあったら、次のモンテスキュー公爵になるのはジスランなの」
「順番的には、そうなりますね」
「そんな場合も考慮して、おそらく夫はロッティを、最初からジスランの養子にするでしょう」
そこまでは理解できると、アビゲイルは頷いた。
「そこで、万が一アビゲイルさんが、ロッティの母親は自分だと名乗りをあげたら――」
「あげません!」
あまりの展開に、今度はアビゲイルがびっくりする。
突飛すぎて、ついていけない。
「ロッティが貴族としての将来を希望するなら、私は親権をジスラン卿へ譲るでしょう。でも、それで終わりです。庶民の私がいつまでもロッティのそばにいては、迷惑になりますもの!」




