11話 これが本場の味
「列車がヴァイツ王国に入った。次の駅では、荷物の積み下ろしや客の乗り降りがあるから、しばらく停車するらしい。近場の観光くらいならできるようだが、どうする?」
一緒に食事をするのが、すっかり当たり前になったジスランが、食堂の窓の外を指さした。
それに真っ先に返事をしたのはロッティだ。
「おそと、でたーい!」
いろいろ玩具も持ち込んだが、ロッティの興味を引き続けるのは難しい。
このあたりで、新しい体験をするのもいいだろう。
「いいですね。ロッティに絵本も買ってあげたいし、下車しましょう」
「もしかして……あなたは、ヴァイツ語が読めるのか?」
ホロウェイ王国とヴァイツ王国、そしてミストラル帝国は隣り合っているだけあって、言葉の発音はよく似ている。
少し特徴を学べば、日常会話をする程度なら困らない。
しかし、文字に関してはそうはいかなかった。
「ヴァイツ王国の文字だけ、独特だ。俺はかなり勉強した記憶がある」
ジスランが苦い顔をしているので、覚えるのによほど苦労したのがわかる。
それを見て、アビゲイルは仮説を立てた。
(どうやらモンテスキュー公爵家は、子どもの教育に熱心なようね)
難解なヴァイツ語を、子息に学ばせる貴族は珍しい。
またひとつ、ロッティとの相性を考えさせられる点が、見つかってしまった。
アビゲイルは何気ないふりをして、ジスランの質問に答える。
「母親がヴァイツ王国の出身だったので、私はむしろ、そちらの文字を先に覚えましたよ」
「あびーのおかあさんって、どんなひと?」
口の周りをヨーグルトだらけにしながら、ロッティが話に加わる。
家族の話をして以来、父や母といった言葉に、よく反応するようになった。
「頭がいい人だったわ。私にたくさんの知識を、与えてくれたの」
おかげでこうして、自立した生活ができている。
(でも、ヴァイツ王国でどんな暮らしをしていたのか、まるで話してくれなかったわ。母の過去について、私は何も知らないのよね)
アビゲイルの母親は、いつも未来の話をした。
先のことを考えるくせがアビゲイルについたのは、そのせいだろう。
「そうか、ヴァイツ王国の……。ミストラル帝国には若干、ヴァイツ王国に対する偏見を持つ者がいる。もしかしたら、嫌な思いをするかもしれない」
「母の出自を大っぴらにはしないよう、気を付けます」
「ホロウェイ王国までは伝わっていないだろうが、外交面で頻繁に、ヴァイツ王国と衝突する場面があるんだ。このままでは両国間の溝が広がり、やがて戦争が勃発するだろうと父上が言っていた」
それは初耳だった。
母親の故郷を思い、アビゲイルの胸が重くなる。
「国同士の戦争なんて、民を不幸にするだけなのに」
「ホロウェイ王国は中立の立場だから、巻き込まれるおそれは少ない。もしものときは、どうかロッティを――」
「任せてください、私が護りますわ! なんなら海を越えて、南方の国まで連れて逃げます!」
頼もしいアビゲイルの発言に、ジスランの目尻が下がる。
微笑むと、普段のいかめしさが解け、人の目を惹きつける。
ロッティも交えた日々の語らいの中で、ジスランのこうした自然な表情を見る機会が増えた。
(夫だったアシュベリー公爵とは別方向で、ジスラン卿も整った顔をしているのよね)
25歳を過ぎて、まだ独身らしい。
兄の捜索をしている間は、それどころではなかっただろうが、国に帰れば令嬢たちが放っておかないだろう。
(おそらくジスラン卿は、モンテスキュー公爵位をロッティに継がせようとしているけれど、それを知る者は少ないわ。お兄さんが亡くなった場合、弟が後継者に繰り上がるのが当たり前だから、対外的にはジスラン卿が継ぐと思われているでしょう)
ジスランの婚約者については、聞いたことがない。
(もし婚約者がいたとして、ジスラン卿が継ぐ予定だった伯爵家とつりあう家格の令嬢の場合、おおいに揉めそうね。その令嬢を蹴落として、公爵家とつりあう家格の令嬢が、新たに名乗りをあげそうだわ)
貴族間の結婚には、家同士の思惑が複雑に絡む。
政略結婚をしたアビゲイルには、それが嫌というほどわかっていた。
「ろってぃ、たべおわったよ!」
「では客室に戻ろうか。外出用の服に着替えるだろう?」
「貴族じゃないんですから、そう一日に何度も着替えませんよ」
ジスランとの間にそびえる、文化の壁は分厚い。
ちなみにロッティには、普段着ではないワンピースを着せている。
それでもジスランからしてみれば、外出着には見えなかったようだ。
(価値観のすり合わせは、思っていたよりも難しいわね)
ロッティの手を引いて、アビゲイルたちは列車をあとにした。
◇◆◇◆
「……これが本場の、薬膳シロップか」
ジスランが口元を押さえて、黙り込んでしまう。
駅を出てすぐのところに、薬膳シロップを売る屋台が多数あって、ジスランが足を止めたのだ。
飲んだら悶絶する、と前もってアビゲイルは忠告したのに、それを聞かなかったのが悪い。
「だから言ったでしょう? ヴァイツ王国の薬膳シロップは、『昼と夜』で提供しているものとは違うって」
「こんなにも違うとは思わなかったんだ。……とても渋くて、舌がしびれた」
ジスランの言葉に、同じく薬膳シロップのお湯割りを飲んでいた男性が笑う。
「他国の人は、みんなそう言うよ。だけど私たちにとっては、親しんだ味なんだ。これを飲むと、故郷に帰ってきたと安心とできるのさ」
「子どもも、これを飲むのか?」
「小さいときから飲んでいると、平気になるんだよ」
そう言われて、ジスランは残りをぐっと一気にあおった。
直後に顔をくしゃくしゃにしたので、ロッティが心配する。
「おじさん、だいじょーぶ?」
「ロッティは優しいな」
「あびーのいうことは、きいたほうがいいよ」
3歳のロッティにたしなめられている自業自得なジスランの姿は、周囲の笑いを誘う。
「お客さんたち、仲のいい夫婦に見えたけど、そうじゃなかったんだね」
屋台の店主からの声掛けに、アビゲイルとジスランは目を見合わせた。
その間に、ロッティが返事をする。
「ろってぃたちは、かぞくなんだよ!」
「つまり親族なんだね。いい旅になりますように!」
手を振って見送ってくれた店主に会釈をして、アビゲイルたちは街歩きに出た。
夫婦と言われて戸惑ったものの、子連れの男女だと、そう見えてしまうのも仕方がない。
しかし、ジスランがあまり気にしていないようなので、アビゲイルも気にしないことにした。
近くを散策しているらしき観光客が、ジスランのように薬膳シロップに挑戦している。
だが、誰もが顔をしかめ、無理をしているのが明らかだった。
それでも旅の疲れを癒すのに、薬膳シロップはいい仕事をする。
「ヴァイツ王国の薬膳シロップは、本場だけあって、効能がとても優れているんですよ」
「それなのに、他国ではあまり飲まれていないわけが、ようやく分かった。『昼と夜』の薬膳シロップが、どれだけ特別なのかも――」
まだ後味が残っているのか、しゃべるたびにジスランが口をもごもごさせている。
アビゲイルはポシェットを開くと、個包装された飴玉を取り出した。
「ロッティのために持ってきたものですが、よかったらどうぞ。甘いけれど、虫歯になりにくいんですよ」
「これは……あなたの手作り?」
ジスランはためらわずに、丸い飴を口に放り込んだ。
しばらく飴を転がすと、ようやくジスランの顔つきが元に戻る。
「助かった。ずっと舌が、あの味を覚えていて……」
「私も子どものときに飲んで、吐き出した覚えがあります。だから母が改良してくれたんです」
「それが、『昼と夜』の薬膳シロップなのか」
ジスランと過ごす時間が増えるほど、お互いのことを知っていく。
「母には、薬膳を調合する知識がありました。レシピ通りに作るのではなく、味をみながら材料を変えられたんです」
「ふつうはそのまま飲むしかないから、ヴァイツ王国の民はあの味に慣れていくのか。もっとどうにかすればいいのにと思ったが、それは素人考えであって、容易にできることではないのだな」
「ろってぃも、あめたべたい!」
じっとジスランを凝視していたロッティだったが、その理由は飴だった。
「歩きながら食べると、喉につまるかもしれないわ。どこか座れる場所を探して、そこでゆっくり――」
「え~! おじさんは、あるきながらたべてるのに~!」
大人と子どもでは危険度が違うのだと、ロッティが理解するのは難しい。
どうやって納得してもらおうか、とアビゲイルが考えていると、ジスランが別の方法を提案してくる。
「俺がロッティを抱いていれば、歩き食べにならないんじゃないか? 喉につまらせないよう、揺らさないと約束する」
「やった~! おじさん、だっこして!」
ロッティは両手をジスランへと伸ばす。
不審者だと警戒していた昔が、嘘のようだ。
和気あいあいとした雰囲気に、アビゲイルはくすりと笑った。
「ここは、ジスラン卿のご厚意に甘えましょうか。ロッティも飴が溶け終わるまでは、なるべく動かず、大人しくするのよ」
「やくそくする!」
ロッティが小指を差し出してきたので、アビゲイルはそれに自分の小指をからませた。
ジスランが不思議そうに見ていたから、きっとこの文化も知らないのだろう。
小さな口に飴を入れてやりながら、指切りは約束を守る誓いだと教える。
「騎士の誓いのようなものか。主君へ剣を捧げ、忠誠を示す儀式がある」
「そんなに大げさではありませんが、約束を破れば罰が当たっても構わない、という覚悟を示してはいますね」
罰という言葉に、ジスランがロッティを抱く腕に力をこめた。
ロッティを護ろうというその気概に、アビゲイルは好感をもつ。
(ジスラン卿がいい人でよかった。おそらくはロッティが嫌がることを、強要したりはしないでしょう。問題はモンテスキュー公爵の方よね)
ロッティの両親への対応を見る限り、おいそれといかない相手だ。
(無理やりに親権を奪われるのだけは、回避しなくちゃ。ロッティの未来は、ロッティに選ばせたい。その自由のためには、戦うのもいとわないわ!)
アビゲイルは母ともども、ずっとハウエル侯爵家で自由を奪われてきた。
(あんな思いをロッティにはさせられない。だから――もっと私も、力をつけなくちゃね)
本屋でロッティの絵本を選び、文具店で絵葉書を買うと、アビゲイルは郵便局へ立ち寄った。
バイオレットやドロシーたちへ、ヴァイツ王国へ到着したことを伝えると同時に、瓶詰め工場の運営を任せている従業員にも指示を出す。
(各所へ送った試作品の評判も良かったわ。そろそろ、大々的に『ユーラ』のお披露目をしましょう。お母さまの遺してくれた薬膳シロップのレシピが、どれほど価値のあるものだったか、これで明らかになるはずよ)
それは予想を超えて、瞬く間にアビゲイルへ巨万の富をもたらすことになる。




