10話 寝台列車の旅
「ふわふわだね!」
ロッティが座り心地を堪能しているのは、客室に設置されたソファだ。
夜になると、それがベッドに早変わりするらしい。
「まるでホテルみたいだわ。これが寝台列車の内装なのね」
行き先が国外でもない限り、めったに乗ることはない。
珍しくて、アビゲイルはトランクをクローゼットに放り込むなり、ロッティと一緒に部屋のあちこちを見て回った。
「お手洗いや浴室まであるわ。別の車両には食堂や遊戯室があったし、長旅が快適に過ごせるよう設計されているんだわ」
経営者として、学ぶ点が多い。
アビゲイルがしきりに感心していると、隣の客室からジスランが訪ねてきた。
「部屋に不都合はないだろうか?」
ジスランを見ると、ロッティは毛を逆立てた子猫みたいになる。
今にも飛び掛かりそうになっているのを、アビゲイルは抱きかかえた。
「ロッティ、ジスラン卿は旅の仲間になったの。だから警戒しなくていいのよ」
「ほんと? ろってぃを、ゆうかいしない?」
最近、ロッティに読んだ絵本では、老いたロバが仲間たちと旅をしていた。
だからアビゲイルはそれに例えたのだが、うまく伝わっただろうか。
「あのときは、見境なく腕をつかもうとして、すまなかった」
ジスランが反省して頭を下げる。
するとロッティは、しぶしぶ納得したのか、小さな手を差し出した。
許されたジスランは、恭しくその手を取り――。
「ジスラン卿、求められているのは握手ですよ」
女王に仕える騎士のように、ロッティの手の甲に口づけをしかけたジスランを、アビゲイルが慌てて止めた。
ジスランにとって、庶民の文化を理解する道のりは険しい。
「女性の手を、握る?」
戸惑いながらも、ふっくらしたロッティの手を、そっと包み込んだ。
すると仲直りの印として、ロッティがぶんぶんと大きく上下に揺らしたものだから、ジスランが緑色の瞳を見開いてびっくりする。
それがおかしくて、アビゲイルは噴き出してしまった。
「あはは! 外見はなんとか装えても、中身までは難しいですよね。その驚きは、とてもジスラン卿らしいですわ」
サンドイッチにはかぶりつけても、ジスランの頭の中は貴族そのものだ。
だからアビゲイルがいくら庶民の幸せを説いても、なかなか理解してもらえない。
「あなたの言葉には、皮肉が込められているように感じる」
むすっとして唇を突き出すジスランは、拗ねたロッティそっくりだった。
ますますこみ上げる笑いを必死にこらえ、アビゲイルはジスランを食堂へ誘う。
「せっかくロッティと和解したのですから、今夜の夕食をご一緒しませんか?」
まだぎこちない二人の間を取り持つのは、アビゲイルの役目だ。
ちらりとロッティの顔色をうかがって、ジスランがこくりと頷いた。
(ジスラン卿は、あまり小さな子どもと接したことがないんだわ。どうしたらいいのか分からないながらも、こうして親しもうと努力する姿勢は評価できるのよね)
価値観の違いはあれど、アビゲイルはジスランを嫌っているわけではない。
それにジスランの画一的な考えが、揺らいでいるのも感じ取っている。
もっと親しくなれば、もっと分かり合えるはずだ。
(この旅の間に、ロッティとジスラン卿の距離が近づくといいわね。間違いなく、二人は血のつながった家族なのだから)
◇◆◇◆
初めて三人で食べる晩餐は、思っていたよりも楽しいものになった。
「こんなに小さな子が、こんなに食べて大丈夫だろうか? お腹がはちきれるんじゃ……」
「量はいつも通りですよ。このあとロッティは、デザートまで食べます」
「まだ入る余地があるのか!?」
ロッティが両頬をふくらませて、一生懸命もぐもぐしている姿は愛らしい。
それなのにジスランは、戦々恐々とした目でそれを見ている。
ロッティの皿にのった魚を、一口大に切り分けてやりながら、アビゲイルが説明した。
「乳歯が生えそろってからは、食べられるものも増えました。ロッティもそれが嬉しいみたいで、最近はいろんなものを食べたがるんです」
その結果、好き嫌いも出てきた。
だが、育児の先輩のドロシーいわく、それが子どもの成長なのだそうだ。
真剣な顔で話を聞いていたジスランが口を開く。
「令嬢たちはいつも、小鳥がついばむ程度にしか食べないから、ロッティはもっと食べないかと思っていた。……女性は小さいときに、食べ貯めをするのか?」
的外れなジスランの解釈に、アビゲイルが笑いながら訂正を入れる。
「そんなわけないでしょう。令嬢だって男性が見ていなければ、それなりの量を食べますよ」
庶民と違って、常日頃からドレスを身にまとう令嬢は、体形の維持に気をつかう。
それでも、小鳥がついばむ程度しか食べないなんて、あり得ない。
男性の前でがっつくのは、恥ずかしいことだと教えられているから、そんな姿をさらさないだけだ。
「彼女たちは、重たいドレスを着て踊るでしょう? 細く見えても、筋肉を鍛えているんです。それを保つには、たっぷりの栄養が必要なんですから」
ジスランはまだ半信半疑だった。
よほど行儀のよい令嬢ばかりと、対面してきたのだろう。
「今から私が食べるところを、ご覧になればいいわ」
アビゲイルがカトラリーを持ち上げる。
すると思いがけず、ジスランが顔を赤くした。
「女性が食べているところを、凝視してはならない。それは紳士の行いに反する」
「そのわりには、ロッティの食べっぷりをよく見ていましたね」
「……心配で目が離せなかった。俺は何も知らないから……」
庶民についてだけでなく、子どもについても知識が足りていない。
ジスランもそれを自覚していた。
「よければロッティについて、いろいろ教えてもらえないか?」
デザートに取り掛かっていたロッティが、ジスランの言葉に顔をあげる。
飾り切りされた果物に夢中だったかと思われたが、アビゲイルたちの会話を聞いていたようだ。
「なにがしりたいの? おしえてあげてもいいよ。おじさんはもう、たびのなかまだもん」
ロッティがふんすと鼻を鳴らす。
アビゲイルが用いた『旅の仲間』というフレーズが、気に入ったらしい。
(ジスラン卿を『おじさん』呼びしちゃったけど、間違ってはいないのよね。ロッティにとって、正しく『叔父』なのだから)
おじさんと呼ばれた本人のジスランは、嬉しそうにいくつかの質問をしている。
「日頃は、何をしているのだろうか?」
「ん~、あそんだり……おてつだいしたり! ろってぃは、いそがしいのよ」
「仲の良い友人はいるか?」
「ゆうじんってともだちのこと? いっぱいいるよ、い~っぱいね!」
「では、好きな食べ物はなんだ?」
「すきなたべものはね、ちゅるちゅる!」
「ちゅるちゅる……?」
「麺のことですわ。長い形状をしているのが、楽しいみたいです」
アビゲイルの居住階にある保育園では、時間ごとに食事やおやつが提供される。
作っているのはドロシーたち厨房担当者なので、味は保証つきだ。
ジスランが一瞬、うらやましそうな顔をした。
(ジスラン卿は仮面をかぶるのが、得意ではないようね。次男だったから、仕方がないのかしら)
どこの貴族も、家名を背負う長男は厳しく育てる。
そこで仕込まれるのが、腹の底を読まれないための、当たり障りのない柔和な表情だ。
敵と味方が入り乱れる社交界で生き抜くために、必須のスキルなのだが、アビゲイルが見る限り、ジスランはそれができていない。
(ハウエル侯爵だった父も、アシュベリー公爵だった元夫も、あまり笑わなかった)
比べると、ジスランはとても表情が豊かだ。
好感が持てるのも、そのせいかもしれない。
今も、ロッティと話しながら、顔をひきつらせていた。
「ロッティの遊びは、過激だな」
ドラゴンの服を手に入れてからというもの、ロッティの遊びは主にドラゴンごっこになった。
お姫さまを救うドラゴンの正体は王子さまで、やがて二人は愛し合うのが絵本の結末だが、ロッティは悪者退治をする強いドラゴンのシーンを真似たがる。
「かっこいいんだよ! こうやってしっぽをふって、ばったばったとたおすの!」
「う~ん、こういう場合、女の子というのはお姫さまに憧れるのではないか?」
「おひめさまは、なにもしないでしょ! まってるだけだと、つまらないでしょ!」
「そうか……そういう考え方もあるのか……」
ジスランの女性イメージは、ロッティによってどんどん崩されていた。
それをアビゲイルはいい傾向だと思っている。
◇◆◇◆
食堂から客室へと戻り、アビゲイルたちは寝る準備を整えた。
そして、まだ興奮していて寝そうにないロッティへ、この旅の目的を伝える。
「ミストラル帝国にはね、ロッティのおじいちゃんとおばあちゃんがいるの」
「おじいちゃん? おばあちゃん?」
「お父さんのお父さんとお母さん、お母さんのお父さんとお母さんよ。どちらにも会えるわ」
難しいのか、ロッティが首をかしげた。
「ちなみにジスラン卿は、ロッティのお父さんの弟なの。ロッティにはたくさんの家族がいるのよ」
「あびーもかぞく!」
ロッティがアビゲイルに抱き着いた。
両親に先立たれ、独りになったロッティを、ここまで育ててきたのはアビゲイルだ。
養い親としての矜持は、この胸にある。
しかし、血のつながった親族が見つかったことで、少しだけ気後れしている部分があった。
(……ロッティの選択を尊重するわ。その結果、離れ離れになろうとも、いつまでもその幸せを願ってる)
ぎゅうっとロッティを腕の中に包み込むと、そのぬくもりにアビゲイルの心は凪いでいった。
やがて、すうすうと、ロッティの寝息が聞こえだす。
(車両の振動が、まるでゆりかごのようね。今日は初日だもの、私も疲れているんだわ)
ロッティに続いて、アビゲイルもことんと意識を手放した。
寝台列車は乗客たちが夢の世界にいる間も、ヴァイツ王国へ続く線路を走り続ける。
しかし――3歳という可愛いさかりのロッティを、親族に見てもらいたいというアビゲイルの願いは、知らぬ間に大きな運命の歯車を回してしまうのだった。




