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1話 契約による婚姻

「勘違いをするな、僕がお前を愛することはない。……これは契約による婚姻だ」


 新郎新婦が永遠の誓いを捧げるはずの教会で、純白のドレスを着た花嫁のアビゲイルに、容赦ない言葉を投げつけたのは、これから花婿になろうというアシュベリー公爵キースだった。

 二人の婚約期間はほとんどなく、アビゲイルがキースの顔を見たのも、結婚式当日である今日が初めてだ。

 だが、先ほどの台詞を聞いてアビゲイルは納得する。

 

(あの父が、私にまともな縁組みを用意するはずがないものね)

 

 飾りひとつ無い、シンプルなつくりの衣装を、そっと見下ろす。

 母譲りの紫色の髪と、父譲りのオレンジ色の瞳を持つアビゲイルは、ハウエル侯爵家でいらない子として育てられた。

 それは、後継者となる男児を欲しがった祖父母と、そんな祖父母の言いなりだった父のせいだ。

 隣国から嫁いできた母の待遇は、女児を生んだというだけで悪くなった。

 肩身の狭い中、母はアビゲイルを懸命に育ててくれた。


(ホロウェイ王国では、貴族の持つ爵位の継承先は男性に限られる。おかげで女性は、ろくな教育も受けさせてもらえない)

 

 アビゲイルがある程度の知識を持ち合わせているのは、才女だった母のおかげだ。

 しかし唯一の味方だった母も、アビゲイルが12歳のときに天へと旅立ってしまう。

 そして喪が明けるとすぐに、父はかねてからの愛人を後妻にむかえた。

 いきなり年の近い異母弟妹ができたアビゲイルは、父がずっと以前から母を裏切っていたのだと知る。

 それ以降、今日までハウエル侯爵家という家族の輪から、アビゲイルははじかれ続けてきた。

 

(私を厄介払いをするのに、この結婚はちょうど良かったのね)


 どのような条件が交わされたか知らないが、父は簡単に契約書類へサインをしただろう。

 これでアビゲイルは、ハウエル侯爵令嬢ではなくなり、アシュベリー公爵夫人になる。

 だがこの様子では、新天地となるアシュベリー公爵家にも、アビゲイルの居場所はなさそうだ。


 結った髪を直すふりをして、これから建前上の夫となるキースを、アビゲイルは薄いベール越しに観察する。

 王族たちと従兄弟関係にあるため、金髪と青い瞳の容姿は王子然として整っている。

 でも今は、不機嫌な感情があらわになっていて、せっかくの美貌が台無しだ。

 年は18歳になったアビゲイルより5つ上で、その若さですでにキースは公爵位を継いでいた。

 もちろん結婚相手に困るはずもなく、むしろ引く手あまたである。


(今をときめくアシュベリー公爵が、私を求めるなんておかしいと思ったわ)


 キースは2年後に適齢期を迎える本命の恋人と、改めて結婚するのだそうだ。

 つまりアビゲイルとの婚姻は、それまでのつなぎでしかない。

 早く世継ぎをつくれとうるさい周囲を黙らせるためか、もしくは女除け代わりか。

 なんにしろ、自分が使い捨ての駒であると、アビゲイルは理解した。


「2年間、目立たず騒がず、大人しく過ごせ」


 キースがアビゲイルにそう命じると、参列者もいない式が始まった。

 指輪の交換すら行われず、形ばかりの宣誓をして終わる。

 通常であればその後に、お披露目のパーティが開催されるのだろうが、もちろんそれもない。

 すぐに離縁する妻など、公に紹介する必要がないからだ。

 

 アシュベリー公爵家の屋敷へと移り住んだアビゲイルを待っていたのは、憐憫のまなざしを隠せない使用人たちの姿だった。

 キースが指示した初夜の準備は、相当にいい加減なものだったらしい。

 申し訳なさそうに頭を下げる侍女たちを、逆にアビゲイルはねぎらった。

 おかげで老齢な執事を筆頭に、アビゲイルへの同情が集まる。

 これでいくらかは、この屋敷で過ごしやすくなりそうだった。


「安心したわ。アシュベリー公爵は、私に手を出すつもりはないのね」


 華美ではないナイトウエアを着せられ、ぽつんとひとり寝室に取り残される。

 ふつうの令嬢だったならば、この冷遇には耐えられなかっただろう。

 しかし、アビゲイルの実家での扱いは、こんなものではなかった。


「こんなにいい香りのシャンプーだって、使ったことがない」

 

 結ったせいで癖がついていた肩までの髪は、侍女たちに洗ってもらい真っすぐに戻った。

 これまで、何もかも自分でしていたアビゲイルにとって、それは逆にくすぐったく感じられた。


「今日は朝から、慌ただしかったわ。やっと……ゆっくりできる」


 アビゲイルにあてがわれたのは、公爵夫人の部屋ではなかったが、それでも実家で過ごしていた部屋よりも、うんと広くて調度品も立派だ。

 シーツのなめらかな手触りを堪能すると、一人用のベッドへ体を横たえる。

 そして間接照明だけが灯るほの暗い天井へ向けて、アビゲイルは勢いよく握り拳を突き上げた。


「大人しくなんて、するものですか!」

 

 誰もいないのをいいことに、声は夜に似つかわしくなく勇ましい。

 居心地の悪かったハウエル侯爵家から、やっと離れられたのだ。

 2年後にキースから離縁されたとしても、母のいない実家へ戻るつもりはない。

 そのためには、どうしたらいいのか――アビゲイルは熟考する。

 

「私には、お母さまが遺してくれた財産がある」

 

 それは継母に没収されたドレスでもなければ、義妹に奪われた装飾品でもない。


『形あるものは、いつかは壊れるの。本当に大切なものは、記憶に残しておきなさい』


 アビゲイルは小さいころから聞かされた、母の教えを思い返す。

 おかげで最も価値あるものは、頭の中にあった。

 これからの人生を立て直すのには、それが必要不可欠だ。


「そして、母が成し遂げられなかったあの研究を、私が成功させてみせるわ。まずは明日、アシュベリー公爵と交渉しなくちゃ!」

 

 瞼を閉じれば、すぐに睡魔が訪れる。

 こうして、アビゲイルの新生活の一日目は、幕を下ろした。


 ◇◆◇◆


 アシュベリー公爵家の屋敷は広大だ。

 だから闇雲に捜し歩いても、キースと遭遇する確率は低い。

 アビゲイルは素直に使用人に居場所を尋ね、執務室へと案内してもらった。

 そしてキースと顔を合わせるなり、単刀直入に物申す。


「目立たず騒がず、大人しく過ごすことで、私にどんなメリットがありますか?」


 一瞬、キースは眉根を寄せたが、仕事の手を止めて答えた。


「お前はハウエル侯爵家で、除け者にされていたのだろう?」

「そうですね」

「だったら、そこよりはマシな生活が送れるだけで、充分じゃないか」


 フン、と鼻で笑うキースに、アビゲイルは口答えをする。


「私がこの生活を気に入ったら、執着するかもしれませんよ? 離縁しないと駄々をこねたら、どうするんですか?」

「僕に迷惑をかけなければ、この屋敷を出ていく際には、手切れ金くらい用意してやる」

「手切れ金というのは、一時的なものですよね。それを私が使い切ったら? 再び、金の無心に来るかもしれませんよ?」

 

 キースはあからさまに舌打ちをした。

 令嬢らしからぬアビゲイルの詰問に、厄介さを感じたのだろう。

 ため息をつくと隣を振り返り、執事に手で合図をする。


「これ以上は、仕事の邪魔だ。後のことは任せる」


 そしてアビゲイルを執務室から追い出した。

 静かに閉められた扉を睨み、アビゲイルは腕組みをする。


「……一筋縄ではいかないわね」

「アビゲイルさま、どうぞこちらへ。今後のことについて、話し合いましょう」


 執事に促され、アビゲイルは応接室へと向かった。

 座り心地の良いソファへ腰かけたものの、唇はぎゅっと結ばれている。

 難しい顔をしているアビゲイルに、湯気の立つカップを差し出しながら、執事はぽつりと心情をこぼした。


「アビゲイルさまは、正式なアシュベリー公爵家の奥さまなのに……あんまりな仕打ちですよね」


 執事を含めた使用人たちは、アビゲイルを奥さまと呼ぶのも禁じられている。

 長らくアシュベリー公爵家に仕えている執事にとって、キースのやり方は納得がいくものではなかった。

 そもそも、2年限りの仮初の妻をめとるなんて、社交界で醜聞になってもおかしくない。

 

「キース坊ちゃまの横暴を、先代が知れば厳しくお叱りになるでしょう。ですが私たちは、それをもらさないよう、固く口止めされています。嫁いできてくださったアビゲイルさまを、お助けできずに申し訳ありません」


 先代のアシュベリー公爵は、この大きな屋敷のある王都ではなく、遠く離れた静かな領地にいる。

 体の弱い夫人の療養に付き添っている間は、アビゲイルのことを隠し通せるとキースは高をくくっているのだ。


「お助けできない代わりと言っては何ですが、アシュベリー公爵夫人に割り当てられた予算は、アビゲイルさまがご自由に使えるようにしています。金額にして年間で、およそ10億ルネです」

「10億ルネ!?」

「ドレスやアクセサリーを買うもよし、劇団や歌手を招くもよし。せめてそれらが、アビゲイルさまの心の慰めになれば――」

「ちょ、ちょっと待って!」


 執事の口から飛び出した金額に、アビゲイルはめまいを覚える。

 病で臥せった母に代わって、必要な身の回りの品を購入していたので、だいたいのお金の価値は分かる。

 だが、ハウエル侯爵家とアシュベリー公爵家では、その桁が違った。


「今までのアシュベリー公爵夫人は、その予算を使い切ってたの?」

「おおむね、そうだと記憶しています。ご夫婦の予算や行事ごとの予算もあるのですが、そちらはキース坊ちゃまの許可が必要になりますから――」


 おそらくは使えないだろう、と執事が詫びた。

 アビゲイルは慌ててそれを制止する。


「十分すぎる金額だから、どうか謝らないで。おかげで私にも希望が持てたわ!」


 これだけの資金が用意されているのならば、キースと交渉なんてしなくてもよかった。

 使い方次第では、離縁後も自立して生活する基盤を、築くことができる。

 アビゲイルが笑顔を浮かべたため、執事はホッと胸をなでおろす。


「ご入り用なものがあれば、なんでもお申し付けください。すぐに手配いたします」

 

 今こそ、昨夜に熟考した計画を、実行に移す時だ。

 アビゲイルはさっそく、欲しているものを執事に伝えた。


「私に――家庭教師をつけてください」

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