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シーン8 思想の綻び
フクシ・コウセイは、少しだけ視線を上に向けた。
考えるときの癖のようだった。
「想定されていません」
答えは柔らかく、即答に近い。
続けて、確認するように付け足す。
「皆さん、払えていますから」
言い切りだった。
事実として、現在はそうなのだろう。
卓也は首をかしげない。
表情も変えない。
ただ、言葉を一つ重ねた。
「――“今は”、ですね」
その瞬間、部屋の音が消えた。
時計はない。
それでも、時間が止まったように感じられる。
フクシの笑顔は残っている。
だが、意味を失っている。
机の上の帳簿。
同じ数字が、同じ行間で並んでいる。
そこに、「払えなくなった場合」の欄はない。
沈黙が、答えの代わりに広がった。




