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シーン3 市民の日常
パン屋の扉が、軽い音を立てて開く。
焼き立ての香りが、通りに溶け出す。
客は一人。
棚からパンを取り、カウンターに置く。
店員は手早く包みながら言った。
「いつものですね」
「はい」
それだけ。
店員が魔導計算板に指を触れる。
表示された金額から、何かが自動的に差し引かれる。
生存税。
画面が一瞬だけ明滅する。
だが、客も店員も、そこを見ない。
確認しない。
問い返さない。
受け取った袋を手に、客は頷く。
「ありがとうございます」
「どうも」
言葉は交わされる。
会話は、成立している。
だが、それ以上にはならない。
天気の話も、値上がりの愚痴もない。
冗談も、ため息もない。
話さなくても困らない。
話したところで、変わることがない。
生存税は、ここでは特別な出来事ではなかった。
呼吸と同じように、意識せず差し引かれていく。
卓也は少し離れた場所から、そのやり取りを見ていた。
静かだ。
整っている。
そして――
何も、余っていなかった。




