4. 大躍進の熱狂と、飢饉の足音(1958年-1959年)
反右派闘争の嵐が社会に残した恐怖と沈黙をかき消すかのように、1958年、中国は「大躍進」という新たな熱狂の時代に突入した。「イギリスを追い越し、アメリカに追いつけ」というスローガンの下、国中が鉄鋼の増産運動に沸いた。
提藍橋の路地裏にも、その波は押し寄せた。空き地に、レンガを積み上げただけの粗末な「土法高炉」がいくつも作られ、人々は家の鍋や釜、果ては鉄の門扉まで、金属という金属を供出した。夜になると、高炉から吹き出す炎が空を赤く染め、それはまるで戦争の前夜のような、不気味な祝祭の光景だった。
建国も、党員として率先して家の鉄製品を供出した。秀英は、使い古した鍋を差し出しながら、「これで本当に鉄ができるのかねえ」と疑わしげに呟いたが、時代の熱狂に逆らうことはできなかった。京海も、子供たちに混じって、廃品回収に駆けずり回った。誰もが、輝かしい未来がすぐそこまで来ていると信じていた。
だが、熱狂が過ぎ去った後にやってきたのは、輝かしい未来ではなく、静かで、しかし決定的な破局だった。
農村では、男たちが製鉄運動に駆り出され、畑は荒れた。非現実的な増産目標を達成するため、地方の幹部たちは収穫量を偽って報告し、農民たちの手元には食べるべき穀物がほとんど残らなかった。その影響は、1959年の終わり頃から、上海のような大都市にも暗い影を落とし始めていた。
配給が、目に見えて滞り始めたのだ。食糧配給切符を持って配給所に行列しても、「今日はもう終わりだ」と告げられる日が増えた。市場からは食料が消え、人々の顔から血の気が失せていった。大躍進の熱狂は嘘のように冷め、街は静かな飢えに沈んでいった。
王家の食卓も、日に日に寂しくなっていった。主食は、水で薄めた粥。おかずは、塩水で煮ただけの野菜の切れ端。誰もが口数を失い、ただどんよりとした目で、空の食器を見つめていた。病弱な旻の顔色は、紙のように白くなっていった。
秀英は、日に日に苛立ちを募らせていた。彼女の怒りの矛先は、決まって京海に向けられた。
「この穀潰し!お前がうちに来てから、ろくなことがない!」
「ぼさっとしてないで、どこか食べるものを探しておいで!」
それは、完全な八つ当たりだった。しかし京海は、もう何も感じなかった。彼女の心は、家族の飢えと、そしてまだ見ぬ明の安否への不安で、麻痺していた。明も、どこかで同じように、あるいはもっと酷い飢えに苦しんでいるのではないか。その思いが、彼女を突き動かした。
彼女は、学校が終わると、毎日あてどもなく街を彷徨った。食べられる野草はないか、誰かが落とした芋のかけらはないか。彼女は、かつて孤児院で培った生存本能を総動員して、食料を探し回った。そしてその足は、自然と、かつて明が引き取られたと噂に聞いた、楊樹浦の工業地帯へと向かっていた。
何の手がかりもなかった。ただ、この広い上海のどこかにいるはずの親友を想いながら歩き続けることだけが、彼女にできる唯一のことだった。道端には、栄養失調で動けなくなった人々が、まるで物のように転がっていた。街は、巨大な墓場のようだった。




