第九章:密告者の影 1. 沈黙という名の伝染病
1. 沈黙という名の伝染病 (1968年 夏~秋)
星火農場に、三度目の夏が来た。
太陽は、容赦のない熱で黒土を焼き、海からの湿った風は、汗ばんだ肌に不快にまとわりついた。しかし、その夏の耐え難い暑さ以上に、農場を支配していたのは、人の心から発せられる、冷たく、粘着質な熱だった。1968年、「階級隊伍を清理する(階級の隊列をクリーンアップする)」という名の、新たな政治の嵐が、中国全土を、そしてこの上海の果ての干潟にまで、その猛威を及ぼしていた。
それは、文化大革命初期の、紅衛兵たちが街頭で「牛鬼蛇神」を打倒していた頃の、単純で熱狂的な嵐とは異質だった。敵は、もはや「地主」や「資本家」といった、分かりやすいレッテルを貼られた外部の存在ではない。もっと巧妙に、もっと深く、人民の内部に、あるいは自分自身の心の中にさえ潜んでいるとされた。「裏切り者」「スパイ」「内通者」「隠れた反革命分子」。目に見えない敵への恐怖が、疑心暗鬼という名の、音も匂いもない伝染病となって、人々の魂を内側から蝕んでいった。
かつて人間の鎖となって共に濁流と戦った仲間たちの間にも、分厚く、しかし透明な壁が築かれていった。休憩時間に交わされる言葉は、天気の話か、革命スローガンの復唱だけになった。誰もが、相手の視線の奥に隠された真意を探り、同時に、自らの心の動きを悟られまいと、能面のような無表情を装った。ある日、上海から持ってきた古い小説をこっそり読んでいた青年が、同室の友人に密告され、自己批判大会で吊るし上げられた。その日を境に、宿舎の夜の会話は、完全に途絶えた。
沈黙は、この農場で生き延びるための、唯一の鎧であり、同時に、魂を窒息させる最も効果的な毒だった。
この陰鬱な支配体制を、完璧に掌握したのが、雷だった。
前回の批判大会の失敗により一時的に権威を失った彼は、この新しい運動の波に巧みに乗り、「階級隊伍清理工作組」の絶対的なリーダーとして復活した。彼は、農場のすべての人間を「審査」し、その生殺与奪の権を握っていた。もはや彼の目的は、農場の主導権争いなどという小さなものではなかった。彼は、この星火農場を、自らの思想で純化された、完璧な王国にすることに、神にも
似た全能感と、狂信的な喜びを見出していた。
そして、その王国の完成のために、どうしても屈服させねばならない存在がいた。京海、梁、そして紅。あの嵐の夜、炎の前で団結し、彼の権威に公然と泥を塗った三つの魂。彼らは、雷の目には、王国に打ち込まれた、最も危険で、最も不遜な三本の杭に見えた。彼らの間に流れる、言葉にはならない静かな絆は、雷が築こうとしている相互監視と密告のシステムに対する、最大の脅威だった。




