4. 黒土に還る、実らぬ恋の誓い (1968年 春)
三人の若者の捨て身の行動は、雷のクーデターを、結果的に頓挫させた。事態を重く見た王場長が、軍の介入を要請し、雷たちはその過激な行動を厳しく咎められた。梁の「反革命」の嫌疑は、うやむやのまま立ち消えとなり、農場には、嵐の後の、不気味な静けさが戻ってきた。
しかし、三人の心に、平穏はなかった。
数日後の、月のない夜。京海と梁は、葦の原にいた。これが、二人きりで会う、最後になるだろうと、互いに分かっていた。
長い、長い沈黙の後、先に口を開いたのは、梁だった。
「…すまなかった」
「謝らないで。私が、そうしたかったの」
「君と、紅を、巻き込んでしまった」
「いいえ。私たちは、自分で選んだのよ」
また、沈黙が落ちる。風が、葦を揺らす音だけが、ザアザアと響いていた。
「京海」
梁が、彼女の名前を呼んだ。その声は、ひどくかすれていた。
「私は、君を、愛している」
それは、彼が初めて、そして最後に、口にする言葉だった。
京海の肩が、小さく震えた。彼女は、俯いたまま、答えることができなかった。
「だが、この恋は、終わらせなければならない」
梁は、続けた。その声には、涙を押し殺したような、鋼の響きがあった。
「このままでは、私たちは、互いを滅ぼすだけだ。君の未来を、紅の未来を、私が奪うわけにはいかない。君は、太陽のような人だ。私の影で、その光を曇らせてはいけない」
京海は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、涙が溢れていたが、唇には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「…私もよ、梁。私も、あなたを、愛しているわ」
彼女は、初めて、その気持ちを言葉にした。それは、別れるために、告げる愛だった。
「でも、あなたの言う通りね。私たちは、恋人にはなれない。この時代も、この場所も、それを許してはくれない。私たちのこの感情は、あまりに、危険すぎる」
彼女は、自分の首にかけていた、小さな布袋に手を入れた。そして、中から、あの金の腕輪を一つ、取り出した。彼女の指先が、その冷たく、滑らかな金属に触れた時、彼女は、そう
京海にとって、この腕輪は、自分の魂そのものと言っても過言ではなかった。
その魂の半分を、彼女は今、梁に渡そうとしていた。
彼女は、一対の腕輪から一つを抜き取ると、それを梁の手に、そっと握らせた。
「これを持っていて」
「京海、これは…君の大切な、魂の一部じゃないか」
「だから、あなたに持っていてほしいの。私の、半身だと思って。恋人としてではなく、もっと深く、もっと強く、繋がっている証として」
それは、婚約指輪の交換ではなかった。それは、魂の契約だった。
「私たちは、恋人にはなれない。でも、同志でいましょう。誰よりも、互いを理解し、支え合う、魂の同志に。この大地の上で、一緒に戦っていく、仲間でいましょう。そして、いつか、本当に自由な時代が来た時に、もし、私たちがお互い、まだ一人でいたなら…その時は、この腕輪を、私に返しに来て」
その「いつか」が、永遠に来ないかもしれないことを、二人とも知っていた。だが、そのはかない約束が、彼らがこれから生きていくための、唯一の希望の光だった。
梁は、腕輪を、震える手で、強く、強く握りしめた。その金の重みは、京海の命の重さ、そして彼女から託された信頼の重さだった。彼は、何も言えなかった。ただ、何度も、深く頷くだけだった。
二人は、もう、触れ合わなかった。見つめ合うこともなかった。ただ、並んで立ち、暗い、暗い地平線の彼方を、共に見つめていた。葦の原に吹く風が、二人の涙の匂いを、黒土の上へと運んでいった。
実らぬ恋は、その夜、静かに、大地へと還された。
しかし、その代わりに、二人の魂の間には、どんな嵐にも、どんな時代の激流にも、決して壊されることのない、永遠の絆が結ばれた。
翌日から、京海と梁の関係は、以前の「同志」へと戻った。しかし、その距離感は、以前のぎこちないものではなく、深い信頼と理解に裏打ちされた、穏やかで、不動のものとなっていた。
紅は、そんな二人の姿を、少し離れた場所から、黙って見守っていた。彼女の心にも、もう嫉妬や葛藤はなかった。彼女は、あの嵐の夜、炎の中で、人間が思想よりも深く、尊いものであることを学んだ。彼女は、二人の崇高な決断を、心から尊敬していた。そして、自らもまた、彼らの、揺ぎない「同志」の一人となったことを、誇りに思っていた。
恋は、咲かずに散った。
しかし、黒土の上には、友情という、より強く、より美しい三輪の花が、固い絆で結ばれ、厳しい冬を越えるために、静かに、しかし力強く、立っていた。彼らの本当の戦いは、まだ、終わってはいなかった。




