3. 大地に刻む、血と汗の誓い
季節は巡り、最初の冬が過ぎ、春が来た。開墾された荒れ地には、水が引かれ、見渡す限りの水田が広がっていた。田植えの季節だ。それは、開墾とはまた違う、過酷な労働だった。
一日中、冷たい泥水の中に膝まで浸かり、腰を九十度に曲げたまま、等間隔に苗を植えていく。太陽が照りつけ、水面がその光を反射して、容赦なく目を焼いた。腰は、千本の針で刺されるように痛み、足の指の感覚はなくなる。
しかし、青年たちの顔には、もう絶望の色はなかった。彼らの心には、自らの手で大地を征服したという、確かな自信と誇りが根付いていた。彼らは、文句を言いながらも、歌を歌いながら、互いに励まし合いながら、作業を進めた。その中心には、いつも泥だらけの顔で笑う、京海の姿があった。
ある日の午後、事件は起きた。
彼らが作業していた水田の一角で、突然、地盤が崩れ、巨大な用水路の壁が決壊したのだ。濁流が、轟音と共に、植えたばかりの苗をなぎ倒し、水田を破壊していく。このままでは、数ヶ月にわたる彼らの血と汗の結晶が、全て水の泡と化してしまう。
王場長が、血相を変えて駆けつけてきた。
「土嚢だ!土嚢を積め!早くしろ!」
しかし、濁流の勢いは、あまりに強い。数人の男たちが果敢に流れの中に入ったが、あっという間に足を取られ、押し流されてしまった。誰もが、その圧倒的な自然の力の前に、立ち尽くすしかなかった。
その時、京海が叫んだ。
「みんな、手をつないで!」
青年たちは、戸惑いながらも、彼女の言葉に従った。
「私たちが、人間の壁になるのよ!」
京海は、先頭に立って、躊躇なく濁流の中へと足を踏み入れた。冷たい水が、彼女の胸まで達し、激しい流れが彼女の体を押し流そうとする。彼女は、歯を食いしばり、足の指で必死に泥を掴み、その場に踏みとどまった。
彼女のその姿に、青年たちの魂が、震えた。
紅が、京海の隣に飛び込んだ。「京海!」
梁も、眼鏡をかなぐり捨てて、続いた。「僕も行く!」
そして、一人、また一人と、青年たちが次々と濁流の中に入り、互いの肩を固く組み合った。虎でさえ、その列に加わっていた。彼らは、上海から来た、ひ弱な知識青年ではなかった。彼らは、この大地と共に生き、戦うことを決めた、戦士たちの集団だった。
彼らは、数十人に及ぶ、人間の鎖となった。その壁は、濁流の勢いを、わずかだが、食い止めた。その隙に、王場長たちが、必死で土嚢を積み上げていく。
どれほどの時間が経っただろうか。彼らの体は、感覚を失うほど冷え切り、体力は限界に達していた。それでも、誰も、その手を離さなかった。隣にいる仲間を信じ、先頭に立つ京海を信じて、彼らは耐え続けた。
やがて、水の勢いが、弱まった。決壊した箇所が、土嚢で塞がれたのだ。
「終わったぞー!」
王場長の歓声が響き渡った。
その瞬間、人間の鎖は、堰を切ったように崩れた。青年たちは、泥水の中に倒れ込み、動くこともできなかった。だが、その顔には、疲労困憊の中にも、歓喜と、達成感の光が満ち溢れていた。彼らは、勝ったのだ。自然に、そして、自分たちの弱さに。
京海は、泥だらけのまま、大の字になって空を見上げていた。空は、いつの間にか、美しい夕焼けに染まっていた。広大な大地と、茜色の空。その中で、自分は、なんてちっぽけな存在だろう。だが、ちっぽけな自分たちが、力を合わせれば、こんなにも大きなことができる。
彼女は、そっと、泥だらけの手で、白っぽい土を握りしめた。
この土は、知っている。私たちの汗を、血を、そして涙を。
この大地は、覚えている。私たちが、ここに生きた証を。
彼女は、心の中で、静かに誓いを立てた。それは、毛主席への忠誠でも、共産党への献身でもなかった。もっと、素朴で、根源的な誓いだった。
私は、この大地で、生きていく。
この仲間たちと共に、笑い、泣き、戦っていく。
そして、いつか、この手で、ささやかでも、確かな実りを掴み取る。
誰のためでもない、私自身の、そして、私が愛する人々のために。
それが、彼女の魂が、この星火農場の大地に、深く、深く刻み付けた、金色の誓いだった。
夕日が、水田の表面を、まるで溶かした黄金のように照らし出していた。梁が、いつの間にか、京海の隣に座っていた。彼は、泥だらけの顔で、静かに言った。
「君は、まるで、古代の叙事詩に出てくる、大地を拓いた女神のようだ」
その言葉に、京海は、少し照れたように、しかし、心の底から嬉しそうに笑った。その笑顔は、夕焼けの光を浴びて、神々しいほどに輝いていた。梁は、その光景から、目を離すことができなかった。彼の心の中に、友情とは少し違う、新しい、そして温かい感情の芽が、静かに顔を出したのを、彼はまだ自覚していなかった。
星火農場での、長く、厳しい、しかし輝かしい日々は、まだ始まったばかりだった。




