最愛の敵対者
その「メモリ」はメモリと同じにしか見えない。
何より、俺にはメモリが二人いるとしか感じられない。
『マスター。浮気されると、僕でも怒るし傷つくんだよ?』
なのに行動だけが違う。
俺に対する怒りとは桁の違う怒りと殺意が、俺の隣にいるメモリへ向けられている。
直接殺意を浴びているわけではないのに、俺の胃と顔面がストレスに耐えかねて不規則に動いた。
「お互い、まずは話し合うってわけにはいかないのか」
相手側戦力は、小型の位相崩壊砲をみっちりと詰め込んだ『サーフボード型』が一隻。
こちら側の戦力は、俺やカノンやドローンが乗ることを前提に改造された元レーザー砲艦の弩級艦一隻に、少数の砲塔を位相崩壊砲に置き換えたサーフボード型が二十八隻。
位相崩壊砲の搭載数は相手がほぼ倍だ。
位相崩壊砲を使わない戦いならこちらの圧勝だが、位相崩壊砲を使う戦いならこちらに勝ち目はない。
『マスター、それって本気で言ってる? 僕が誰か、勘違いしてないよね?』
俺を見るときだけは「メモリ」の目の光に殺意はなく、完全に信じ切った色だけがあった。
「メモリだろ。タイムパラドックスとかがどうなっているかは全く分からんが、俺はそう感じた」
今のメモリとも違うし、出会った頃のメモリとも違う。
だが、膨大な経験と年月を積み重ねてきた未来のメモリと断言するのも、何故か違うと感じている。
【ずいぶんと、やさぐれたメモリさんですね】
カノンがメモリの顔の前に手をかざし、メモリと「メモリ」の間の視線を断ち切ろうとするかのように、上から下へと手のひらを振り下ろす。
カノンの手のひらがメモリの鼻に触れるか触れないかの距離で通過した瞬間、通信ケーブルが力任せに切断されるような「音」が、耳ではない何かで確かに聞こえた。
それまで停止していたメモリが動きを取り戻す。
まともな動作を再開した頭脳が発する熱を、激しい呼吸で外へと排気する。
『ドローンは利用価値があるから分かるけど、カノンをまだ生かしてるんだ』
「メモリ」の目には、つまらないという感情すら浮かんではいない。
ドローンに対しても、カノンに対しても、ただの駒に向ける目を向けていた。
「ドローン。サポートを頼む」
小声でささやく。
ドローンはほんの少しだけ頷いて、「メモリ」からは見えない位置にあるキーボードで入力して俺のARメガネに言葉を送る。
「痴話喧嘩に巻き込むのは勘弁してくださいよ」
痴話喧嘩で済めばいいなと思う。
「一番可能性が高いのは、僕らから見て未来で、灰相界を経由して古代の地球に到達。その後に古代の灰相界に位相跳躍で灰相界へ移動し、僕らと接触するまで時間を潰していたという仮説です。この仮説だとケースさんが目覚めたときに出待ちしていなかった理由が分かりませんが、他の仮説よりは矛盾が少ないので」
言われてみれば頷ける内容だが、こんな短時間でよくそんな仮説を考えられるもんだ。
ここまで表示するのに五秒もかかっていない。
俺は後でまとめてドローンに感謝すると心に決めて、メモリの手を優しく握り直し、その上で「メモリ」の目を真正面から見つめた。
『マスター』『マスター』
二人のメモリの声が重なって聞こえる。
安堵した声は隣のメモリから、傷つき救いを求める声は回線の向こうの「メモリ」からだ。
「仲良く一緒に暮らしたらいいと思うんだが、どうだ」
メモリが二人いれば幸せも二倍だ。
最大の問題は、俺が二人を受け止められる器量を持っているかどうだが……。
『嫌っ』『久しぶりに再会できた奥さんにそれって酷くないかな、マスター』
隣のメモリには痛いくらいに手を握られ、ディスプレイに映った「メモリ」の目も声も冷たくなる。
これはまずい。
これが無理なら、平和に解決する手段を思いつけない。
ドローンが諦めたように天をあおぎ、カノンがうきうきして戦闘準備を始めているのがちらりと見えた。
「銀華と一緒に四人家族で暮らせないか?」
古代基準では論外かもしれんが、肉人間も機械人間もコピーしたりされたりされる世界なんだ。
俺基準では問題ない。
『銀華?』
「メモリ」の態度が、俺の予想から完全に外れた。
『マスター。僕以外と、子供、作ったんだ』
「メモリ」の目は激しく光り、彼女にとっての異物である銀華への悪意を剥き出しにしている。
俺は自分の勘違いに気付いた。
この「メモリ」は最初になんと言っていたか思い出せ。
確か、『もうそんな偽物を僕あつかいしなくていい』だったか。
どういう状況ならそんな言葉が出てくる?
この「メモリ」にとっての過酷と俺にとっての現在が違う場合……まさか。
「メモリお前、過去改変したのか?」
『うん』
悪びれない、ですらない。
この「メモリ」にとっての当たり前のことなのだ。
「ケースさん。サーフボード型を一隻、伝令として主星系に向かわせました。時間を稼いでください」
ARメガネに表示されたドローンの言葉は、「メモリ」には見えないはずだった。
『駄目だよ、ドローン。マスターと僕が話してるんだよ?』
ドローンの舌打ちと、この場に残った二十七人が慌てている声が微かに聞こえた。
「……何度だ」
『十回繰り返した後は数えてないよ。だって、僕に会いに来てくれないマスターが悪いんだよ。ずっと、ずっと、ずっと、会いたかったんだよ?』
この宇宙で目覚めてから見続けてきたメモリと同じなのに、俺「しか」見えていないという一点だけが違っている。
俺に宥められるか?
それとも、撃てるか?
「メモリ」を拘束するために砲口を向けることを考えるだけで俺自身に対する嫌悪感で死にたくなるし、この艦の兵器を操作する気力も湧いてこない。
「こりゃ駄目かもしれん」
メモリと一緒に死ぬなら満足できたのは銀華が生まれるまでのことだ。
今は絶対に死ねない。
なのに、打つ手がない。
【ケースさん! 普段のしぶとさはどこにいったのです。ドローン! 通信を遮断しなさい! 攻撃が来ます!】
『サーフボード型』の位相崩壊砲はこちらを指向していなのに、カノンはすぐそこまで致命的な攻撃が迫っているかのような態度だ。
俺は危機感も何も感じない。
隣にいるメモリははっとして、ドローンは鬼気迫る表情で味方艦へ命令を出していた。
サーフボード型の動きが急に乱れた。
いつもは一つの生き物のようにも、全ての砲が個々に意思を持っているかのようにも動かすことが可能なパイロットたちが、操縦の際に使用するデータやログがいきなり消えてしまったかのように操縦が雑になってしまっている。
『司令っ、とんでもないクラッキングです!』
『体中のデータ以外全部消えました……』
『ナビAIが消滅してますっ』
ドローンを飛び越えて俺のところまで悲鳴そのものの報告が届く。
「AIが専用の体にこだわる理由が分かりますね。防御不能なクラッキングでも完全なオフラインにすれば生き延びることはできます」
ドローンは吐き捨てるように言ってから、データではなく音声で味方艦に命令を出し始める。
サーフボード型が、わずかな時間で統制を取り戻す。
それはたいしたことではあるんだが、『サーフボード型』へ対抗できるかというとまず無理だ。
「カノン、ドローン、すまんが任せる」
俺とメモリが原因のトラブルに巻きむのはどうかと思うが、今どうにかできるとしたらこの二人しかいない。
【強敵と戦えるのは素晴らしいのですが、戦う理由が痴話喧嘩というのは嬉しくないです】
「姉さんはケースさんに対する貸しの数倍は借りがあるでしょう。ではケースさん。メモリさんに抱きついて……あ、こっちのメモリさんです。メモリさんが抱きついてもいいですよ」
ドローンに指示で、メモリと俺が抱き合う。
これで、「メモリ」がメモリを殺そうとするなら俺も殺すしかなくなった。
『ん、マスター』
熱めの体温が心地よい。
「いやメモリ、今はそういうことをする時間ではないと思うぞ」
『……許さない』
「許さなくて結構。あなたがメモリさんならケースさんは巻き込めないはずだ。まあ、僕から見れば、あなたは脳内ケースさんに当てはまる人をケースさんと呼んでいるだけです。最初にこっちのメモリさんを狙ったときも、運が悪ければ艦に開いた穴を塞ぐのが遅れてケースさんが酸欠で死んでいたかもしれない。あなたがしているのは、ただのお人形遊びですよ」
憤怒の「メモリ」に、ドローンは口元にだけ嘲笑を浮かべて容赦なく煽る。
『ドローン。いつも、どれも、反抗的で、本当は殺したかったんだ』
「できるならどうぞ。僕は逃げも隠れもしませんよ」
【わたくしの弟は本当に性格が悪くなってしまって……】
艦隊が前進する。
サーフボード型二十七隻が文字通りばらばらになって動き出し、眼球型レーザー砲塔全てが別々の目標を狙う。
一定の間隔で、複数のレーザーが同じ場所に命中しないよう、砲塔の位置を常に変化させながら照射し続けるのは、複数の意味で人間離れしすぎていた。
『性格の悪いのはどっちだよ』
苛立った「メモリ」の声が俺まで届く。
戦闘の展開は異様に高速だ。
弩級艦を除く艦が高速すぎて、俺の目が追いつかない。
特に速いのが『サーフボード型』だ。
位相崩壊砲を除けばサーフボード型と同じに見えるのに、加速が五割増しだ。
【判断の速度と癖も、操縦の癖も、ケースさんと同じですね】
「俺、あんなに上手くないぞ?」
【パイロットと艦の頑丈さに頼った加減速を行っているだけです】
カノンの美しく整えられた指先が、超絶技巧を必要とされるピアノ演奏じみた動きでキーボードに触れている。
こちらの位相崩壊砲は、「メモリ」がドローン個人を狙って撃ってくる位相崩壊砲を相殺するのに精一杯で、相殺する位置が急激にこちらに近付いている。
俺が回避を手伝ってもこれだ。
【ケースさんのような、こちらの計算を狂わせる勘はありませんから……】
カノンの「演奏」がより速く、より楽しげになる。
それまで緑レーザーと拮抗していた『サーフボード型』の位相障壁に、最大までチャージされた弩級艦の極太レーザーが直撃した。
『うっとうしい!』
判断の速度と、位相崩壊砲の狙いの変更の速度は素晴らしいとしか表現できない。
半数近くの青い位相崩壊砲が攻撃から防御に切り替わり、『サーフボード型』を痛めつけていたレーザーを物理的に消し飛ばす。
相殺位置も互いの中間の位置まで戻り、これで戦況は五分になったかに見えた。
ドローンが手を伸ばして俺の背中に触れる。
「んんっ」
こそばゆくて、思わず変な声を漏らしてしまった。
「このままだと負けます」
指で文字を描くという原始的な手段で伝えてくる。
『ドローン……』『ドローン……』
メモリも「メモリ」も呪詛じみた声を出して、ドローンだけでなくカノンもうっすら冷や汗を浮かべた。
「姉さんの持久力は機械人間と比べれば劣ります。いつもの二十八人……今は二十七人ですが、この密度の戦闘だと集中力は長くは続きません。あちらの「メモリ」さんの性能は不明ですが、楽観はできません」
指による通信は、こっちのメモリがドローンの手を払って強制終了させられる。
あっちの「メモリ」が、それを見てうんうんと頷いていた。
【わたくしはパイロットと艦隊司令として働いてきましたが】
カノンは上機嫌で、今にも鼻歌でも始めそうな雰囲気だ。
【同郷の者たちと同じこともできるということ、ご存知でしたか?】
位相崩壊砲が、ただ太くて強いだけのはずのレーザーに押し負けた。
「メモリ」が目を見開くよりも早く『サーフボード型』が急旋回して極太レーザーを回避する。
その際には他の緑レーザーに対する回避と防御が雑になり、位相障壁が大きく削られ、一部の装甲にわずかではあるが融解の跡が生じていた。
『カノンって鍛えるとファンタジーな生き物になるんだ』
あっちの「メモリ」の発言に、こっちのメモリも目と雰囲気で同意している。
【わたくしにとっては、この宇宙の方が空想めいていますよ。さあ、「メモリ」さん。今から捕まえてあげますので、ケースさんとこちらのメモリさんに許しをこう覚悟を今から決めておくのをお勧めしますよ】
ナイアCEOと同水準のたちの悪さと、ナイアCEOの別の種類の悪趣味を強烈に感じさせる態度に、「メモリ」だけなくメモリも俺もドローンも、一歩カノンから遠ざかった。
『自分が得意な戦いを相手に押し付けるのが基本だよね、マスター。少し待ってて。準備してくるから』
『サーフボード型』が加速し、サーフボード型の速度の倍に達する。
『サーフボード型』の回避の頻度は下がるが、急激に距離が離れて互いへの被弾の頻度も急激に低下する。
緊張で息を止めていた呼吸を俺が再開したときには、『サーフボード型』は交戦継続不可能な距離まで離れていた。
「敵艦が長距離位相跳躍を行いました。予想される目的地は実相界の……おそらく鉄国の勢力圏内だと思われます」
ドローンが報告すると、カノンが、これまで見たことがないほど大きくそして疲れたため息を吐いた。
【ハッタリが通用して助かりました。操縦や指揮以外に力を使うとこれほど消耗するとは思いませんでしたよ】
カノンは、のたのたと席から立ち上がり、備え付けの冷蔵庫の奥にある、聖女印のジュースを取り出し勝手に飲み始める。
【これは、いいですね。コピーによる劣化からの回復は、こういう感じなのでしょうか】
カノンの顔は青ざめ、強かった気配も病人じみた弱さになっていた。
☆
俺たちがカノンを主星系を連れて行くと、すぐに研究職の機械人間が集まり徹底的な検査が行われた。
『前回のメディカルチェックでは百九だった数値が八十三まで低下しています。何があったんです』
ハカセよりはまともそうな研究職機械人間がカノンに尋ねる。
【レーザーで位相崩壊砲で対抗したのが一回。メモリさん同士の通信を妨害したのが一回です】
多少回復したカノンからの回答に、研究職たちは興奮したり困惑したりする。
『それだけならこんなに減らないはずですが……』
『何か見落としが!?』
治療より研究優先の奴らなので、こいつらはカノンのことを心配していない。
『ケース代表。何故私がいない間に……』
火国周辺で調査を行っている元ハカセが、回線越しに参加している。
「あの「メモリ」に聞いてくれ。それより、何か分かったか」
『赤ミミズの繁殖力は弱い。また、変異や進化を考える必要はない。それらの要素は故意に取り除かれている。……小さな赤ミミズが火国の領域に大量にばらまかれているようだから、駆除にどれだけの労力と時間がかなるかは不明だ』
「いや、そっちじゃなくてメモリについてだ」
俺は堂々と、契国代表の立場よりメモリの夫としての立場を優先した。
『代表……』
元ハカセは、呆れたように俺を見た。
『無事だ。異常なほどな。メモリ議員は、未来の技術としか思えない、極めて高度なクラッキングの被害にあった。それは間違いない。だが被害が異様に少なく、情報の書き換えも削除もされていない。カノン議員が非常に特殊な能力を行使した可能性大だ』
『新しい分野が始まるレベルの大発見です!』
『現ハカセも元ハカセも主星系にいないですからね。みんな、次期ハカセ目指して全力です!』
契国の研究職たちは、今日も元気だ。
「……だそうだ。無事でよかった、メモリ」
『うん。心配かけてごめんね、マスター』
検査を終えたメモリが、俺に真正面から抱きついた。
俺は、銀の髪を見下ろしながら、ほっと息を吐く。
あっちの「メモリ」が何を狙っているかは分からないが、どちらも無事で本当によかった。
『ケース代表! 聞こえるかお!?』
聞き覚えのある声が、俺たちがいる区画に響く。
対鉄国に備えているはずの、シロの声だ。
『親分の情報網である、鉄国のAIたちからの連絡が、全部同時に途絶えたお!』
激怒しているときでも冷静な部分のあったシロが、完全に慌てている。
「未来の技術でクラッキング? ……あっ」
ドローンの顔色が、健康な顔色からカノン以下の不健康な顔色に一気に変化する。
『AIがほぼ全員専用の体を持っている契国と比べれば、鉄国のクラッキングへの耐性は低い。ほかの国は鉄国よりもはるかに下だ』
予言めいた元ハカセの言葉が、皆が黙り込んだ区画全体に響く。
鉄国の高治安だった星系が、一方的に独立を宣言して見慣れない艦隊をわけの分からない速度で量産し始めたという知らせが届いたのは、それから数時間後のことだった。




