51冊目 トマトとりんご
うわああああああああああッ!!
思わず自分が口走ってしまった言葉に、頭を抱える。
勢いとはいえ、さすがに漏らすのはどうかと思う発言だった!
聞かれた? 聞かれちゃったよね?
普ッ通に、聞き返されたんだから、聞かれたのは間違いないよね!?
あああああああああッ!!
どうしよおおおおおおおおおおおお……ッ!?
完全にパニックになりながらケルシルト様の方を見ると、向こうは向こうで真っ赤になって固まっている。
他人の赤面を間近にみると、なんていうか、不思議と……逆に冷静になってくるな?
二人しかいない状況で、お互いにトマトかリンゴかみたいな状況になって黙りこくっててもどうにもならない。
うっかり口走った以上は、ちゃんと言うべきだろう。うん。
仕事は仕事。感情は感情。
エフェの言う通り、それを割り切るのであれば、ここで私が言うべきことは――
「……ケルス様」
意を決し、私は姿勢を正してケルシルト様に声を掛ける。
「な、なんだ……?」
「余計なコトを口にして混乱させてしまって申し訳ありません。
この件に関しましては、今回の偽装婚約が無事に終わった後で、改めてお話しさせてください」
「…………」
真っ直ぐにケルシルト様を見て、私は告げる。
その様子に向こうも冷静になってきたのか、真っ直ぐの視線をこちらに向けてきた。
しばらく互いに見つめ合い――そして、ケルシルト様は息を吐く。
「分かった。とても嬉しい言葉だった気がするけれど、君がそういうなら、そのときを楽しみに待つとしよう」
「そうしてください。まずは目先の仕事を片付けるのを優先しましょう」
「そうだな。確かに目先の仕事は大事だ」
ふっ――と、小さく笑うケルシルト様の顔に、私は思わず安堵した。
「詳細は仕事のあとで構わない。それでも、仕事を片付ける前に一つだけ確認させてくれ」
「……はい」
真面目な顔のケルシルト様に、私も神妙にうなずく。
何を聞かれるんだろう?
「……君は偽装のままではいたくないと、思ってくれているんだね」
よ、ようやく冷静になってきたところになんという質問を……!
うあ。自分の顔が赤くなっていく感覚があるんだけど……!
――って、ケルシルト様も真面目な顔を赤くしてるじゃん!
私と同じで、ケルシルト様も意を決してって感じなのかな。
それなら、ここはちゃんと応えないと、それはそれで失礼だよね。
深呼吸してから、私はうなずく。
「はい。どうやら私は、今回の婚約を偽装のままで終わらせたくないようです」
「……そうか」
私が真っ直ぐに答えると、ケルシルト様は余計に赤くなりながら、それだけ言った。
自分から聞いてきたことながら、彼は恥ずかしくなってきたようだ。
こちらはむしろ落ち着いてきたのに、ケルシルト様は余計に赤くなっていくのは、なんだか可笑しい。
その姿を見ていると、以前お忍びの時に、彼を見ていた女の子たちが言っていた「あのイケメンさん、かわいい」という言葉の意味が理解できた気がする。
「楽しそうな顔しているね、イスカ」
「ええ。ケルス様が大変可愛らしい顔をされていましたので」
「……かわいい?」
照れた顔が訝しげなモノに変わってしまったのは少し勿体ない。
でも、フィン様もアムドウス殿下も見たことなさそうな、可愛いケルシルト様を見れたのは、私だけかもしれない――と、思うと妙に嬉しい。
首を傾げながら訝しそうにしているケルシルト様を真っ直ぐに見ながら、私は告げる。
「大きな仕事が終わりましたら、私の気持ちをお話しすると約束します。信じて待っていて頂けますか?」
「もちろんだとも。そのときを楽しみに待つとするよ」
お互いに笑い合って、約束を結んだところで、この話は一旦保留だ。
「ところで、お互いに多少冷静になってきたと思うのですけれど」
「ああ。どうかしたのかい?」
「ここで私とケルシルト様が遭遇して二人きりになってるの、たぶん偶然じゃないですよね」
私の言葉に、僅かに逡巡を見せてから、ケルシルト様は呆れたような疲れたような顔でうなずいた。
「……ああ。そうか。そういうコトか」
「後から来る――というか、もう来てる気もするのですよ」
「そうだろうな。従者の控え室にでも隠れているのではないか?」
二人揃ってそちらへと視線を向けると、サラの慌てたような声が聞こえてきた。
「フィ、フィン姉さま!? 二人がこちらを見てますよ!」
「あらあら、バレちゃえばそうなるわよねぇ」
どうやら、隠す気はないようである。
控え室から、フィンジア様とサラだけでなく、フィンジア様の従者やミレーテまで出てくることから――どうやら、最初から控え室にいたようだ。
一緒に出てくるエフェの顔がとてもキラキラしているので、私とケルシルト様のやりとりをそれはもう楽しんでいたように思われる。
「サラもフィン様も、後から行くというのは大嘘で、何らかの手段で先回りしてここの控え室に隠れていたんでしょう?」
「はい。正解です」
「バレちゃったかぁ」
フィンジア様もサラも悪びれずにそう答えて、こちらの席へと着いた。
「隠れている必要もなくなったし、注文しておいた料理を用意するように頼んで」
「かしこまりました」
サラと一緒に席についたフィンジア様は、自分の従者にそう告げた。
お茶や食事の準備も、一旦ストップさせていたのだろう。
「結果はどうあれ、わだかまりはなくなったでしょう?」
「余計なお世話だ――と言いたいが、その通りだ。不本意だが、感謝するよフィン」
「あら? ケルスってばお礼に余計な言葉が多すぎないかしら?」
「私も、ケルス様と同じ言葉を贈るわ、サラ」
「えー、ダメだったー?」
こてりと首を傾げるサラが可愛い。いやそうではない。
「ダメではないわね。フィン様と共謀してたとはいえ、私に気づかれずコトを運ぶなんてやるじゃない」
「やった! お姉さまに褒められた!」
「君は本当にサラ嬢に甘いな」
ケルシルト様に呆れられてしまった。
「それで二人とも、急な案件というのは何だ?」
「あ。それだいたい終わったから、あとは食事して終わりよ」
「は?」
フィンジア様の言葉に、ケルシルト様が呆けた声を出す。
「あー……つまりは、私とケルシルト様を対面させるコトそのものが、この食事会の目的でしたか」
「ええ。ケルスが煮え切らないようだったら、わたしとサラで発破を掛ける仕掛けもあったのですけれど、本人同士だけで解決したようで何よりだわ」
楽しそうなフィンジア様の言葉に、サラもうなずいている。
回りくどい上に大袈裟というか何というか。
「色々と言いたいコトはありますが、確かに良い機会だったのは間違いないです。ありがとうございます」
「ふふ。どういたしまして」
「いいのか、イスカ?」
「確かにしてやられた感じですけど、サラとフィン様の企みに気づかずにやられてしまった私とケルシルト様が悪いのは間違いないじゃないですか」
「…………まぁ、それもそうか」
ケルシルト様も、しぶしぶ納得したところで、サラとフィンジア様の仕掛けに対するあれこれはこれにて終了だ。
そうこうしていると、部屋の入り口のドアがノックされる。
「お料理をお持ちしました」
入り口からの声に、エフェとミレーテ、フィンジア様の従者が動く。
それを見ながら、サラがふと思ったように訊ねた。
「そういえばエピスタン様は連れてきてないのですか?」
「エピスタンは仕事の片腕であって従者というワケではないからな」
なるほど。
「では、こういう場での従者などはどうされているんですか?」
「アムディやフィンが一緒の時は二人の従者に一緒に仕事して貰っているコトが多いな」
「ケルスが従者募集をかけると、男性限定だと公言しても、女性の応募が殺到してしまうので、面倒くさがってるのよ」
それは確かに、面倒そうだな。
私からしたら募集要項をロクに確認してない時点で、性別関係なくアウトなんだが。
とはいえ、従者がいないというのも不便そうだな。
私は、お店の人から受け取った料理をテーブルに並べているエフェに声を掛ける。
「エフェ、アナタのツテで良い従者を紹介できないかしら?」
「そうですね……男性候補は思いつかないですね。女性で良ければ紹介できそうな心当たりはありますが」
うーん、ダメだったかぁ……。
「いや、良ければ今度紹介してくれないか?」
「いいのケルス? 女性みたいだけど」
フィンジア様の問いに、ケルシルト様はうなずく。
「彼女たちのような従者であれば問題ない。
俺に色目を使うのが目的で、あわよくばなどという思考が優先されてロクに仕事をしない女が不要なだけだ。
募集をかけるとそういう女ばかりが集まってくるのが鬱陶しかっただけだしな。
しっかりと仕事をしてくれている彼女が紹介してくれるのであれば、有能な女性が来てくれそうだ」
「それなら応えられるかと思います。理不尽な理由でライブラリア勤めを辞めざるを得なかった人たちなので」
「あー」
「それかー」
エフェの言葉に、私たち姉妹が同時にうめく。
恐らくは、私たちが掃除したあとも、フーシアがイヤで戻ってこなかった人たちのことだろう。
「でも、それなら実力は私が保証します」
「わたしも保証できます」
「そうか。ならば後日その者たちと会う機会を設けたい。いいか?
従者だけでなく使用人や庭師なども居るなら一緒に紹介して欲しい」
ケルシルト様は嬉しそうだ。
よほど、従者や使用人が足りてないのかな?
そうこうしているうちに、テーブルに料理が揃っていく。
「それでは頂きましょうか」
フィンジア様の言葉を合図に食前の祈りをし、全員が手を動かし始める。
「あれ?」
私が自分のパンを千切った時、中から妙な紙が出てきた。
クレーム入れるべきか……と思ったのだが、そのメモにはティーナさんの名前が入っている……。
どういう連絡手段だよ、おい。
あと、どうやって入れたんだこれ……?
「どうしたイスカ?」
「いや……知り合いの情報屋が、どういうワケか、このパンの中にメモを仕込んで連絡してきたもので……」
「綺麗にメモが顔を出したからいいが……パンのちぎり方次第では破けていたのでは?」
「私もそう思います」
ケルシルト様に答えながら、私はメモを開き、それを読んで――
「あまり良い情報では無さそうな顔ね、イスカ」
「共有できる話題かい?」
――私は顔を顰めながら、どうしたもんかと天を仰いだ。




