44冊目 仕事と迷いと恋心
「お嬢様、公爵閣下経由で王家からお手紙が届いております」
エフェが持ってきてくれたのは、ティーナさんから受け取った手紙への、王家からの返信だった。
私宛とティーナさん宛の二通だ。
自分宛の手紙の封を切って、中を確認する。
手紙を読み進めていくにつれ、自分の顔が引きつっていくのが分かる。
「婚約式……どんどんスケールが大きくなっていってる気がするんだけど」
父とフーシアへのカウンターのはずの婚約が、こんなことになるなんて……。
「偽りの婚約、か……」
お茶会の時のプロポーズからして、全部茶番だと分かっているのに、浮かれてショックを受けてと、自分の感情の浮き沈みが激しい。
政略結婚なんてのは良くある話。
政略で婚約して、必要がなくなったから解消するというのも良くある話。
つまりは今回もそういう、よくある話の一環だったはずなんだけど。
胸の裡に湧き上がる――自分でもよく分からない焦燥感と切なさの渦に、どう対応して良いのか分からない。
ただ、一つだけ分かったことはある。
「エフェ……」
「どうされました、お嬢様?」
「どうしよう……私、本当にケルス様のコト好きになっちゃってるのかもしれない」
そう。私は、ケルシルト様に恋をしてしまっている。
この間、泣いてしまった時はよく分からなかった。
だけど時間が経ち、冷静になったことで、それを自覚してしまった。
「でも、お互いの立場的に結婚まで行くのは難しいの……どうしよう……」
縋るようにエフェに訊ねる。
「失礼します」
するとエフェは、私を優しく抱きしめた。
「まずは落ち着きましょうお嬢様」
「……うん」
私を抱きしめ、撫でながら、幼子に言い聞かせるようにエフェが告げる。
「その上で、今の状況を、恋心に振り回されてしまうコトを楽しんでください」
「あんまり楽しくない……」
「辛いところだけ見てればそうでしょう。でも、辛いコトばかりではないでしょう?」
「…………うん」
それはそうだ。
ケルシルト様のことを考えると、不思議と楽しくなっていく。
下町でデートした時の想い出はとても楽しいものばかりだ。
思い出すだけで、元気になっていくような、そういう記憶。
「一人の女性として、良いコトも辛いコトも楽しんでください。
そして、貴族令嬢として、ライブラリアの当主として、するべきコトはその感情に揺れず正しくこなしてください」
貴族だからこそ、感情と仕事は分ける必要がある。
それは理解しているんだけど、改めてこうやって言われると――
「難しいコトを言うね。エフェ」
「現実と感情を切り分けて成すべきコトを成す。お嬢様が今までやってきましたコトと変わりはありません。
そして、お嬢様の恋がどういう結末を迎えようとも、やっていかねばならぬコトです」
「……うん。そう、だね……」
――いやはや本当に、貴族っていうのは面倒だ。
「恋は良いモノであると思います。成就しようと失恋しようとも、糧となって人を成長させるのは間違いありません。
だからこそ、恋をしている自分という滅多にない状況を楽しんで欲しいのです。しかし、恋にかまけて仕事を疎かにするのはよろしくありません。
それはきっと、お嬢様も公爵閣下も同じでしょう?」
うん。それはそうだ。
私もケルシルト様も、口や態度でなんのかんのと愚痴ったりサボったりしながらも、本当に大事な仕事を放置するようなことはしない。
エピスタンやエフェもそうだろう。
サボったりふざけたりはするけれど、本当の意味で仕事を疎かにすることはない。
私たちは言い訳ばかりで仕事をしない人を嫌っているはずだ。
不思議と呼吸と気持ちが落ち着いてくる。
そうだ。私の恋の道行きがどうあれ、この婚約式に仕込んだあれやこれやは成功させなければならない。
これらは貴族として国の為にしなければならないことの一つ。
しっかりやりきらなければならないこと。私個人の感情で手を抜いていいことじゃない。
自分の感情が原因で気が入らないだなんて、協力してくれている人たちや、覚悟を決めたサラに対して失礼だ。
「やるべきコトをやりながら、お嬢様は年相応の悩みや迷いと向き合っていけばいいと思います。仕事は仕事。恋は恋。重なりあうコトがあっても、それぞれの方向から考えてあげれば、落ち着いて判断できるのではありませんか?」
確かにそうかもしれない。
自分の感情と、政略による婚約が重なったから、ぐちゃぐちゃになってしまっているけれど――
それぞれを別モノとして考えていけば、それほど混乱することもないのだろう。
「落ち着きましたか?」
「うん。ありがとう、エフェ」
ゆっくりと彼女が身体を離していく。
抱きしめてくれた暖かさが少し名残惜しく感じるけれど、おかげでだいぶ落ち着いてきた。
「恋は盲目と申します。そのせいで気持ちが揺らぎ目が回るコトもあるでしょう。そういう時は今のようにわたしを呼んでください。落ち着かせて差し上げますので」
「頼りにさせてね、エフェ」
「ええ。どんどん頼ってください」
頼もしい顔で微笑むエフェを見て、私は大きく息を吐いた。
ぺしぺしと、両手で自分の頬を何度か叩く。
気持ちの切り替え完了。
ここからは、しっかりお仕事モードで行きましょうか。
「落ち着いたところで仕事をするわ。とりあえず、明日は王都の下町に行くので準備しておいて」
「かしこまりました」
「それから――」
私はエフェに指示を出し、それからいくつかの書類に手を掛ける。
恋心に戸惑って足を止めても、仕事は私を待ってくれない。
だから、とにかく仕事は片付けていく必要がある。
足が止まった時、誰もいなかったら私は動けなくなってしまったかもしれないけれど――
幸いなことに、私の側には頼りになる人がいるのだ。
また足が止まったら、エフェに頼れば良い。
エフェが捕まらなくても、頼れそうな人に頼れば良い。
壁にぶつかった時も、冷静に周囲を見渡せば相談できる相手が必ずいる――ティーナさんの言っていたことをちょっと実感してきた。
「……よし」
書類を一枚片付けると、改めて気合いを入れて、私は次の仕事に手を掛ける。
そうだ。フィンジア様に話しておきたいことがあるから、サラ込みでお茶会したいのよね。そっちの準備や招待状なんかもやらなきゃ!
忙しいけど――違うな……忙しいからこそ、ちゃんとやっていかないと!
翌日――
「この辺りにいれば会えると思ってました」
「そうね。次にどこで会うとか、どうやって会う約束するか決めてなかったものね」
私とティーナさんは、お互いに忘れてたねぇ――と苦笑しあって、『踊るサウリーパイク亭』に入っていく。
すっかり私たちの密談に利用してしまっている。
テーブルにつき、飲み物で喉を湿して、届いた料理にある程度舌鼓を打ったところで、私は切り出す。
「こちら、お返事です」
「ありがとう。思ってた以上に早かったわね」
「近々ある大々的なイベントへの招待状も込みなんですよ。せっかくなので、顔を出していきませんか――と」
「なるほど」
私から受け取った手紙を胸の谷間に入れてから、ティーナさんは指で下唇を撫でながら何か思案したような様子を見せる。
ただ特に何か言ってくる様子はなかったので、こちらか話かけた。
「あの、ドレスとかは大丈夫ですか?」
「気にしてくれてありがとう。でも大丈夫。こういうのは初めてじゃないから、ちゃんと正装を用意する手段は作ってあるわ」
貸しに出来なくて残念ね――という心の声が聞こえた気がするのは、たぶん気のせいじゃない。陛下の思惑はお見通しなのだろう。
「あと、当日までの滞在費などは大丈夫ですか? 少し時間がありますけど」
「それも大丈夫。急なお願いだったんだもの。王族の方々の準備を思えば、その可能性は私たちもちゃんと考えているわ。
旅人としても貴族としても、使える蓄えはあるしアテもあるから」
冒険者として旅する貴族として、ティーナさんたちはかなりやり手なのかもしれない。
しかも大陸中を渡り歩いてあちこちに顔の繋ぎを作ってるってすごいことよね。
「あー……それと、ティーナさん。もう一つ」
「なにかしら?」
「完全に我が国の恥を晒すようで申し訳ないのですが……そのイベントの最中に、以前にお話しした概念魔法に人格を浸食されている人が、失礼なコトをしてしまう可能性があります」
伏せておくかどうか悩んだけど、これは言っておきたい。
その場で断罪できたとしても、魔法効果を解除されない可能性があるのだ。
ティーナさんたち一行に、フーシアの魔法が掛かったら、それこそ国際問題に発展しかねない。
「そしてその概念魔法は、相手を挑発して手を出させるコトで誘発するモノです。
何があっても、暴力的な手段での反撃は控えて頂ければと思います」
「それ――言って良かったの?」
「独断です。私が漏らしたというのは伏せておいてください」
真っ直ぐに見据えて告げれば、ティーナさんも真面目な顔をしてうなずく。
「効果を聞いても?」
「手を出した人の罪悪感の増大です。しかも青天井」
そう前置いてから、改めてざっくりとした魔法の内容を話します。
「私や同行の剣士君には通じ無さそうだけど……旦那様は危ないわね。あの人、態度は貴族っぽいけど根は真面目でお人好しな平民寄りだし」
「……即座にそこにたどり着きますか」
大したヒントもなかったはずなんだけどな。
「旅の途中で魔法戦が発生するコトもあるから。どんな魔法であれ、相手の魔法の特性を素早く見抜けなければ危険なのよ」
なるほど……。
こうやって旅をしている人の話を聞くのって、やっぱり書物からでは得られない感覚があるなぁ……。
「お仕事のお話はこんなところかしら?」
「そうですね……あ。あと、私との約束の取り付け方ですかね」
「ああ! それは大事ね」
そんなワケで図書館の司書に、司書姫宛として手紙を渡してもらう方向になった。
帰る時に、図書館の司書長に話をしておかないと。
「――こんなところかしらね? 他に何かある?」
「お仕事の話はこんなモノなんですけど……ちょっと聞きたいコトがあるんですけど、いいですか?」
「内容にもよるわよ」
「旅の話――聞かせて欲しいんです。どこへ行って、どんなモノを見て、何を聞いて、何を体験したのか……なんだか興味が湧いて来ちゃって」
「わたしの口ってお酒で滑りを良くしないと動かないのよ」
「奢りますのでお好きなモノをどうぞ」
「そうこなくっちゃ!」
からからと笑って、ティーナさんはお店の人を呼ぶ。
そうしてティーノさんから聞いた冒険譚は、本で読んできた冒険譚と遜色がないくらい面白いものだった。
またお酒を奢って聞かせてもらおうっと。




