41冊目 コケティッシュな元淑女からの要求
「報酬かぁ……これの奢りじゃあダメ?」
テーブルに乗った料理を示しながら確認すると、ティーナさんは残念ながら――と首を振る。
「これはこれでありがたく頂くけれど、ちょっと足りないわね」
「そう……」
こればっかりは仕方がない。
事前に報酬の確認をしなかった私の落ち度だ。
あるいは、ティーナさんが自分の要求を通しやすくする為に、わざと報酬に関しては口にしてなかった可能性がある。
「なら仕方ないか。現実的に支払えるモノでお願いしたいところだけど」
「そうねぇ……」
人差し指を頬に当てて首を傾げる仕草が、かなり似合っている。周辺の男性達に注目されてる程度には。
たぶん、そういうのをかなり計算して出来る人なんだろうな。
サラもこういうことが出来るようになっちゃうんだろうか……?
男をたぶらかして掌の上で転がすサラ――それはそれでアリでは?
でも、ティーナさんみたいにコケティッシュになっていくサラというのは、お姉ちゃん的になんかこう……解釈違い的な?
……私は何を考えてるんだろうか。
「イスカちゃん」
ちょいちょいと、指で顔を出せと示されて、私は何も考えず身を乗り出す。
大声で言えない内容なら、耳打ちにもなるだろう。
相手も元淑女だ。そういうことを考えたりはするだろうな――
「報酬、身体で払って?」
「……ッ!?」
――そう思っていた自分が消し飛ぶようなことを言われてしまった。
「か、かかか……」
……しかも思った以上に動揺してるな、自分ッ!?
「本が好きみたいだし官能小説とか読まない?」
「よ、よよ……よみ、よむ、ますけど……!?」
うあ。やばい。噛み噛みだ。
自分でも体温が上がって、赤面していってるのが分かる。
「カレシだけじゃなくて、あなたも結構ウブなのね。
ちょっとした冗談よ。本当のお願いはね――」
妖艶な顔でクスクスと笑ってから、ティーナさんは改めて私の耳元で告げる。
今度は、比較的シリアスな声色で。
「――国王陛下にお目通り願いたいのだけれど」
「え?」
ティーナさんは言葉を告げたあとで、私の額を軽く押す。
言うことは言ったから、姿勢を戻せという意味だろう。
素直に従って私は姿勢を戻した。
「正確には旦那様がしたいそうなのよね。
身分を隠して旅をしてるとはいえ、一応うちの国では一番貴き血筋の一族の一人ですし?」
「うぇ!?」
……あの人、ティーナさんの故郷の王家筋なの!?
あれ? そんな人を旦那様と呼ぶティーナさんは何なんだ? 元貴族ってことは、今は平民なんだろうけど、それだと婚約や夫婦関係が継続されているとは思えないんだよな。
私の疑問の内容をすぐに理解したのだろう。
こちらから質問する前に、楽しそうな笑みを浮かべたティーナさんが教えてくれる。
「元婚約者。旅の途中で色々説明するの面倒だから旦那様って呼んでるだけよ」
「呼んでるだけって……」
つまり、ティーナさんって、うちの国で言うところのフィンジア様と同じかそれに近い立場だったってこと!?
そりゃあ、手強いわ。私の手に負えるような人じゃないって。
「それでね。一応、お忍びでの諸国漫遊だし、いち冒険者というていでわたしたちは動いているから、あまり関わりのない国の王侯貴族に突撃ご挨拶っていうの難しいの」
困惑する私をそっちのけでティーナさんはそう説明して、胸元に手を当てた。
「そんなワケでこれ」
ティーナさんはどこからともなく封筒を一通取り出してきて、私に手渡してくる。
露出している胸元――というか谷間から取り出したように見えたのは、気にしないでおくことにしよう。
よく見ると周辺に薄ら魔力を感じるし、何らかの魔法を使ってそう見せかけただけっぽい。それでも、周囲の人たちが注目しているのを見るに、わざとなんだろうなぁ……。
ともあれ、私は受け取った手紙を確認する。
「ライブラリアの姫君としてなら、国王陛下へ届ける手段くらいはあるでしょう?」
封筒に付けられた封蝋を見て、私は思い切り顔を顰めた。
……見覚えのある国の紋章だ。中央山脈を挟んだ向こう――大陸東側にある結構大きな国。確か……ドールトール王国だったか。
そして、この封蝋は間違いなく本物だ……。
王太子妃がとても箱入りな女性だと噂されている国。
まぁ王太子妃が箱入りだからどうしたって感じなんだけど、妙に噂になっているんだよね。
ともあれ、ティーナさんがこれを周到に用意しているということは――
「ティーナさん、私のコトを探してた?」
「ふふ、まさかそちらから声を掛けてくるとは思わなかったけど」
そう言って、ティーナさんは果実水をあおった。
つまり、報酬も何も最初からこのつもりだったというワケだ。
「押しつけるのは難しいからちゃんと説明しようと思ってはいたのよ?
でも、聞きたいコトがあるっていうから、相談の報酬として押しつける方が確実かなって」
「そうですか」
なんか、思い切り弄ばれてしまった感じだ。
「……私もまだまだだなぁ……」
「そうね。悪くはないけど、わたしみたいなタイプからすると転がしやすいわ。
目的のために手段を選ばないように見えて、根っこが真面目で真っ直ぐなんだもの。
わたしみたいに、相手の心にスルリと滑り込んで籠絡するタイプの相手には気をつけた方がいいわよ~」
「……肝に銘じておきます」
からかうようにクスクスと笑うティーナさんだけど、正直実感はなくもない。
ティーナさんもそうだし、フィンジア様もだけれど――二人に悪意がなく、私に対して好意的だから問題が起きてないだけだ。
二人が私をハメる気まんまんだったなら、私は今頃追い詰められていたことだろう。
「とはいえ、ね? 根が真面目で真っ直ぐで優しい貴女だからこそ、そんな貴女に惹かれて人が集まってきている側面もあるわ。自分の持ち味そのものを殺すようなマネはしちゃダメ。
大事なのは、自分の持ち味を生かすコトと、その弱点を理解するコト。そうすれば壁にぶつかった時でも、必然的に自分の仲間の誰に何を相談すれば良いかも見えてくるわ。
あなたは良い子そうだもの。いくらでも協力してくれる人はいるでしょう?」
良い子、ね。
どうなんだろうなぁ……。
「後悔も罪悪感も飲み込んで、両親を追い落とそうという結論を出した私が、良い子でいいんですか?」
そう問いかけると、ティーナさんはこちらを慈しむような哀れむような、あるいは激励すらしているようにも見える双眸を真っ直ぐに向けてきた。
「良い子ではないわね。でも貴族だもの、それが出来なきゃいけないのよ。
自分の命もそうだけど、使用人、領民、国民、宝物――あるいは矜持。あるいは約束。
貴族として、あるいは貴族でなくとも、大事なモノ、譲れないモノ……そういう自分が守るべきモノを脅かす存在がいるのであれば、それが両親だろうが友人だろうが、持てる力の全てを利用して立ち回り、追い落とすコト……それを悪と断ずるコトは出来ないわ」
ティーナさんの目を見つめながら話を聞いているうちに理解した。
この人は、わたしと同じ道を選んで、そして貴族でなくなったんだろう、と。
それは私の勝手な妄想で、事実までは分からない。
けれども、ティーナさんが本気で私へ助言してくれているのだというのは分かった。
「例えば、貴女が両親を追い落としたコトで、この国の全てが貴女を悪と呼ぶようになるのであれば、わたしが手を差し伸べてあげる。
その時は一緒に旅をしましょう。引きこもりたいなら、わたしの友人を紹介してあげる。そういうのが得意な子がいるのよ。それに我が国は、貴女のコトを歓迎するわ」
すごいなこの人。
ちゃんと喋ったのは今日が初めてのはずなのに、すごい人だなって思ってしまった。
「ティーナさんって、『魅了』や『誘惑』みたいな概念属性を持ってたりする?」
「ふふ。ただの『水』よ。まぁ、羽化はしてるけどね?」
「それにしては……言葉や仕草が強くないですか?」
「クセみたいなモノね。私の場合、常に周囲が敵だらけだったから。
まずは味方を作るため、敵対勢力の人間を裏切らせる必要があったのよ。手っ取り早い手段が殿方を誘惑してしまうコトだっただけ。
だからまぁ、仕草だけで鼻の下伸ばしてくるような相手は、性別関係なくわたしのカモね」
そうして、同性である私の心すら鷲掴みにするような笑顔を浮かべてみせた。
恐ろしい人もいるもんだ――と思う反面で、こういう技能を身につけなければならない環境にいたということへの同情心のようなモノが湧く。
まぁ同情するなら、手を貸しやがれ――みたいな人だろうから、同情とかは不要かもだけど。
しかしまぁ、なんというか……フィンジア様もそうだけどさ、王族の伴侶なんてモノの候補になるっていうのは、このくらい強い人じゃないといけないのかも――なんてことを思っちゃったりするわよね。
だから――ってワケじゃあないけれど、私は背筋をピシっと伸ばした。
「ありがとうございます。ティーナ様。
貴女様からの言葉を激励に、いっそうの覚悟が決まったような思いです」
敢えて貴族として礼を口にする。
私はライブラリア家の存続と、その矜持を守るために、お父様とフーシアを追い落とす。
それがどういう結末になろうと、その結末を受け入れる覚悟が、改めてちゃんと定まった。
「イスカナディア様の思いが、もっとも良き形で結実するよう、女神様へお祈りを捧げておきますわ」
背筋を伸ばし、淑女然としたティーナさんは、間違いなく貴族だと思わせる雰囲気だ。
色気ある女冒険者という空気が一瞬で消え去って、この人は本当に王族の婚約者だったんだと、そう思わせるだけの姿を見せてくれた。
「んー……やっぱ冒険者生活になれちゃうと堅苦しいの面倒くさくなるわね」
本当に、それは一瞬だけだったけど。
「それじゃあイスカちゃん。こちらからのお願いと、ここの支払いはお願いね」
「ええ。私はもう少し食べたいので何か頼みますけど、ティーナさんはどう?」
「いいの? それなら……」
お互いに肩の力を抜きあうと、メニューを開いてあれやこれやと選び出す。
ここか先は、完全なプライベート。
ちょっとした情報収集のつもりが、お腹も心も覚悟も充足するという不思議な体験をさせてもらった。
なんとなく、ティーナさんとなら仲の良い友達になれそうだな――なんてことも思ったりして。




