39冊目 魚と本の銀細工と冒険者の女性
手に口づけされたあとから、イマイチ記憶がない。
頭が真っ白になってあわあわした気持ちでいるうちに、気がつくと領書邸の自室にいた。
何事もなく無事に帰ってこれているのは、サラにエフェ、ミレーテが一緒にいたからだろう。
そういう作戦に対して、形から入るためのモノとはいえ、まさかあんな風に、あんな……。
唇を落とされた自分の指を見ると、あの時のことを思い出してテンパってしまいそうになる。
こ、こんなに心乱されること初めてすぎて、どうしていいやら……。
とりあえず、今日はもう仕事とか出来そうに無いから、本読んで過ごそうかな。うん。
……って、つもりだったのに、ロクに本の内容が頭に入ってこないんだけど……ッ!?
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それから一週間ほど経つと、国王陛下の名義で『めでたい発表があるので夜会をする』というような旨の手紙が我が家に届いたらしい。
らしい――というのも、私の元へは届いてないからだ。
私宛のモノは、フーシアが破り捨てたとサラから聞いた。
まぁそうなることは予想済みだったので、隠し部屋経由で私には別途に届いている。
内容を確認したが、サラから聞いた内容と大きく違いはない。
差出人の名義も国王陛下だ。
スケジュール的には、準備を考慮した間があるけれど、モタモタはしてられない。
分かってはいたけれど、陛下までこれに乗っかってくるとなると、もう逃げ出せない。
いや逃げ出すつもりはないんだけど、自分の指を見るたびにあの時の感触を思い出しちゃうというか……。
顔が火照っちゃってどうにも、仕事に対して気もそぞろになっちゃうというか……。
ふぅ――……と一息吐いて、気を持ち直した私はエフェに声を掛ける。
「そろそろ出かけるわ。下町にいくから、それ用の装いでお願い」
「かしこまりました」
色々と情緒が安定してない自覚はあるけれど、やるべきことはこなしていかないとね。
そうして私は平民の格好に着替えると、隠し部屋を経由して王都へ。
向かうのは先日、ケルシルト様と行ったアクセサリのお店だ。
色々と悩んだけれど注文しちゃった以上はちゃんと購入する必要があるだろうし、流れとはいえ一応婚約するのだから、渡すチャンスが生まれたと思うことにする。
「いらっしゃいませ」
お店に入ると女性店員が丁寧に声を掛けてきた。
カウンターにいるその女性のところへと向かい、事前に用意していたメモを手渡す。
「以前、注文をしていたのだけれど」
書いてあるのは『黒い宝石、本と魚』という言葉のみ。
「そのメモの内容の意味が分かる人を呼んで頂けないかしら?」
「かしこまりました。少々お待ちください」
女性店員は丁寧にお辞儀をすると、カウンターの奥にある扉からお店の奥へと入っていった。
少し待っていると、その扉から以前に対応してくれた男性店員がやってくる。
「お待たせしました」
「こちらこそ、取りに来るのが遅くなって申し訳なかったわ」
完成したそれを手に取って、眺める。
同じ魚と本がモチーフだけれど、魚の形や黒い宝石のあしらい方が、私の貰ったものとは少し違っている。
だけど、これも綺麗だ。
プレゼント云々関係なく、本と魚がモチーフのアクセサリがもっと欲しくなってくる。
……領地の特別アクセサリとして、この二つがセットのモチーフのモノを売り出したりするのはアリかな?
マネは簡単にされるだろうから、対策とかを考える必要はあるだろうけれど。
――って、いけないいけない。
思考がどんどん逸れていってるな。
「いいデキね。ありがとう。おいくらかしら?」
「恐れ入ります。代金はこちらに」
口頭ではなく金額の書いた紙を手渡される。
それを確認して、私は一つうなずいた。
「この場ですぐに支払っても?」
「お客様にとっての不都合がないのでしたら」
そういうワケで、私は金額分を支払う。少し多めに。
貴族としてはここで約束だけして、支払いは別日に――ってやるべきなだろうけど、正直アレってまだるっこしくて嫌なんだよ。
なので私は、可能な時はこうやってその場でポンと支払うことにしている。
「おつりはいらないわ。良い仕事をしてくれたお礼よ。
それと……今度は客としてではなく、土地持ちの貴族として仕事の相談をしにくるかもしれないわ。
もし良ければ、店長さんとか偉い人に、そんなコトを口にしていたと伝えておいて」
「恐れ入ります。必ずお伝え致します」
貴族ってだけで恐縮されちゃうことは多いからね。
寛大で払いが良く、仕事の依頼も考えるほどに気に入ってくれた女性と、思って貰える方がいい。
ナメられるのは良くないけど、印象が良く、話がしやすいと感じて貰えるなら十分だ。
「さて」
お忍びでする予定はこれだけだ。
あとは帰るだけなんだけど――
少しお腹が空いている。
せっかくだから、この間ケルシルト様に紹介してもらった食事処に行こうかな。
あそこなら、気持ちよく食事ができるだろうし。
そう思って歩いていると、見覚えのあるピーチブロンドの美人を見かけた。
この間、件のお店で私をからかってきた人だろう。
……そういえば。
あの女性は東側の出身のはずだ。
そうでなくても魔法使いの気配を持ち、あちこちを旅して回っているのであれば、何らかの知恵を借りれるかもしれない。
『大図書館』を使ってモノを調べるにしても、とっかかりがあるかないかでは効率が大きく違うしね。
少し、話がしたいな。
私は前を歩く女性へと小走りで駆け寄って声を掛ける。
「あ、あの」
「ん?」
こちらを振り返った女性は私の顔を見て、何か気づいたように「ああ!」と笑った。
「この間のウブなお兄さんと一緒にいた人よね?」
「えっと、はい。この間、あなたにからかわれた女です」
思わずそう返事をすると、彼女はクスクスと笑い出す。
「そんな返答が来るのは想定外だったわね」
すごいなフィンジア様とは違うベクトルの妖艶さを感じる。
可愛らしさとあざとさと妖艶さを兼ね備えた雰囲気というか――
「それで、わたしにからかわれた女の子が何の用かしら?」
――おっと、彼女の雰囲気にあてられている場合じゃなかった。
「その魔法について聞きたいコトがありまして……。
見たところ東部の出身で、あちこち旅をされてるようですから」
「なるほど」
ふーむ……と、小さく声を出しながら、彼女は自分の左耳につけている耳飾りに触れた。そこでは、小さな四角い――どこか箱を思わせる飾りが揺れている。
「一つ、確認するけど」
女性は声を潜めて、囁くように問いかけてきた。
「あなた、貴族よね? この国の」
「……はい」
周囲の目を気遣ってくれているのだろうか。
質問の意図は読めないけれど、ここで嘘の返事をしちゃいけない気がする。
「黒髪で黒目しかも色白……それなら、わざわざ質問をしなくても問題ないんじゃないかしら?」
これは――私がライブラリアの人間だって気づかれてるな。
この国では珍しいだけで、他の国にはいないわけない容姿。
だから、旅人ほどあまり気にしないと思っていたけれど。
「他の冒険者たちはどうだか知らないけれど、わたしのパーティは滞在中の国の情勢や基本情報には常に注視してるの。国家間や領地間の戦争はもちろん、色んな問題が複雑に絡んだ政争とかに巻き込まれたら嫌でしょう?
席は失っちゃったとはいえわたしだって元貴族だしね。旅する貴族として情報収集するのも得意なのよ」
「何らかの手段でお茶会とかに顔を出している、と?」
「ええ。貴族対応が出来ると、高級店とかの給仕として雇って貰えたりするしね」
……この人、たぶんサラと同じようなタイプだ。
どちらかというと、将来サラはこの人と同じようなタイプに成長しそう――が、正しいかな?
貴族としても平民としても、状況に合わせて振る舞える上に、色んな階級の礼儀作法もしっかりと把握している。
それにやりとりしていて感じたけど、領主教育とか王妃教育のような上級貴族教育も受けた経験がありそうなのよね。
……なんでそんな人に『元』が付いちゃうのかは分からないけれど、それだけのことが出来る人というのはちょっと恐ろしい。
敵対すると手強すぎるかもしれない。とはいえ協力して貰えるのであれば心強い。
だたの情報源としても、様々な情報を持っていそうだから、交渉する価値はある。
「それを踏まえた上で、私に何か聞きたいコトがあるなら聞いてあげるわよ」
この人は――恐らく密約三同盟と、それを敵視する過激派に対する情報もある程度は把握していそうだ。
他国の元貴族に身内の恥が暴かれている状況というのは、お世辞にも良い状況とはいえないけれど……。
「では是非ともお話を」
「分かったわ。どこでする?」
問われて、私は小さく笑う。
「実はちょっと小腹が空いてまして」
それから、例のお店――『踊るサウリーパイク亭』を示して告げた。
「あそこで食事しながらでも、と。お代はこちらが持ちますよ」
「乗ったわ」
すると、彼女は嬉しそうにそう口するのだった。




