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34冊目 黒真珠の君 と 罪悪の覚悟


 週が明けた光の日。


 王城にあるサロンの一つ。

 王族の女性が使用できるその部屋に、私とサラはお呼ばれしていた。


 フィンジア様は王族ではないけど、王太子の婚約者ということで、使用を許可されているそうだ。


 予約すれば貴族なら誰でも借りれるサロンと異なり、ここならば関係者以外は入ってくることが出来ないので、密談にもぴったりである。


 当然、出てくるお茶もお茶請けも美味しい王宮クオリティ。

 これを飲み食いできただけで、来ただけの甲斐はあった気がしてくる。


 ……っと、楽しんでいるだけではなくて、こちらからも出さないと。


「フィン様。よければこちらを」

「あら? これは?」


 控えていたエフェに声を掛けて、フィンジア様へと持ってきたモノを差し出す。

 ケルシルト様から貰ったアドバイスを参考に、美容に良い成分や体調を整える成分を調べて作った、お菓子だ。


「ハーブ入りのレモンティーゼリーです。

 レモンと蜂蜜の紅茶をベースに、ハーブで香り付けしてみました」

「これは、イスカ様が?」

「はい……とうなずければいいのですけど。私は素材とレシピを調べただけです。それを作ったのはうちの料理人ですよ」

「綺麗な色のゼリーね……すぐに食べたいけど、いいかしら?」

「わかりました」


 テーブルの上に並べたそれを、私とサラが先に食べる。


「お姉様、これ試作の時より美味しくなってる!」

「本当ね。彼ががんばってくれたみたいだわ」


 私たちの様子に、フィンジア様も待ちきれない様子だった。


「わたしも頂くわね」

「はい。是非」

「美味しいわ、すごく! ……でも、どうしてこれを?」


 嬉しそうなフィンジア様に、私はゼリーを小さくすくってそれを示した。


「レモンと蜂蜜は美容と健康に良いのはご存じかと思います。

 一緒に加えたハーブにはリラックス作用と、お腹の調子を整える作用があるものを使いました」

「それって……」

「はい。美味しく食べて美容と健康にも良い。そんなゼリーになってます。もちろん、食べ過ぎには注意ですけど」


 私がそう笑うと、フィンジア様は嬉しそうな申し訳なさそうな顔をして笑った。


「ずいぶん、気を遣わせてしまっているのね」

「いえ。こちらの問題に巻き込んでしまったようなモノですので」

「そう」

 

 笑う姿は弱々しい。

 でもそこは敢えて指摘したりはせず、少しだけ話題をズラして、世間話に戻した。


 そうして、ある程度の時間をお茶とお菓子と軽いやりとりで過ごしたあと、フィンジア様が元気のない笑みを浮かべる。


「二人とも約束通りにお茶しに来てくれたのに、こんな状態でごめんなさいね」


 そう言ったフィンジア様の様子は、やはりどこか弱々しい。

 お喋りしていて気づいたのだが、あの脳を揺さぶるような独特の声も、今はなりをひそめてしまっている。


「やっぱり、ご無理をなさっているように見えますけど、大丈夫ですかフィンジア様?」

「大丈夫……とは言いがたいですね……」


 ふぅ――と息を吐く姿も絵になる人だ。

 パーティの時よりやつれてはいるものの、そのやつれ方そのものも、自分を魅せる美に変換しているようにも見えるのは人柄かもしれない。


 実際はただやつれてしまっているのを誤魔化しているだけなのだろう。


「お手紙で教えて頂きましたけれど、この魔法は少々厄介ですね。

 罪悪感を増大させられていく感覚というのは、何とも言えない辛さがあります」

「大変かと思いますが、もう少々堪えてください。対策は色々と調べておりますので」

「ええ。存じております。イスカ様にはお手数をおかけしますが、よろしくお願いしますわ」


 ケルシルト様経由で、『饕憐(とうれん)』に関しての情報はフィンジア様にも流してある。

 その為、魔法の効果に関しては把握してくれていることだろう。


「私財や財産に手を付けたくなった時点で、手を付ける前に必ず殿下やケルシルト様と相談なさってくださいね?」

「ええ。机やクローゼットの中などに、『植え付けられた罪悪感に負けて美を捨てるのか?』と書いたメモを貼り付けているので、踏みとどまれるはずです」

「かなりの力技をやってますね」


 どう反応していいのか困ったサラがそう言って苦笑しているけれど、個人的にはかなり効果があるのではと思う。


 しかし……うーん……。

 このやつれ方をしているのを見ると、ちょっとどうにかしたくなるな。


 いくつか助言はあるんだけど、それを言うべきか否かが難しい……。


「お姉様、どうかしたの?」

「急にどうしたのサラ?」

「何か考えてるけど、口にするか迷ってるような顔してる」

「…………」


 そういうのは気づいても口にしないものだよ、妹よ。


「イスカ様は何を懸念されているのですか?」

「……懸念というか、結果が保証できないアドバイスのようなモノが、なくはないので」

「結果が保証できないというのは?」

「…………」


 うーん。フィンジア様もグイグイくるな。

 どうしたものか……。


「罪悪感を乗り越えるというか踏み倒す方法があるんです。ただ、その結果、この魔法がどういう反応を示すかが分からないというモノですね」

「なるほど……それは確かに聞いて良いのか悩みますね……」


 フィンジア様も眉間に皺を寄せる。

 横でその話を聞いていたサラも、何かを考えているのか難しい顔をしていた。


 ややして、サラは「もしかして……」と口を開く。


「お母様の『饕憐(とうれん)』って、真面目に仕事ができる貴族……それも身分が高い人ほど、通用しなかったりする?」

「……驚いた」


 思わず、そんな言葉が漏れる。


 サラが自分の閃きを口にしてしまったことよりも、平民出身で、貴族に関する勉強――特に領主教育なんて最近始めたばかりのサラがそこへたどり着いた驚きが上回った。


「サラ、自力で気づいたの?」

「うん。最近、ゼル爺が勉強見てくれるでしょ? その勉強したコトを思い返してたら、そういうコトもあるかなって」


 そう。領主教育を受けていて、それを正しく理解しているのであれば、この結論にたどり着くのも無理ではない。


「お二人とも、どういうコトですか?」


 ただ、こうなると当然フィンジア様も気にしてしまうことだろう。

 だから、改めて前置きを告げる。


「先ほども言いましたが……これを話して、その上で罪悪感を乗り越えた時――『饕憐(とうれん)』がどういう作用に変化するかは未知数です。それでも聞きますか?」


 私の言葉に、フィンジア様は少し悩んだようだ。

 その上で、彼女は私を真っ直ぐ見て告げる。


「そうね。聞いておきたいわ」

「わかりました」


 今度は私が息を大きく吐いた。

 

「この魔法は――『饕憐(とうれん)』は、貴族の気高き矜持を犯せません」

「気高き矜持……ですか?」


 フィンジア様が聞き返してきたことにうなずいてから、私は続ける。


「はい。領主教育、王妃教育、貴族教育……どれでもいいんですけど。

 そういうのを受けてきた人間が、たった一人が作り出した罪悪感ごときに負けてられないですよね――って話です」

「それは――」


 実際、その場面に遭遇したときに、私たちは正しく判断を下せるかは分からない。

 何が正解かも分からない中で、だけどそれでも――正解かと思われる、正解と思いたい……そういう中から、もっともマシな結果を得られるだろう選択をしなければならないし、その選択の責任を背負うのだ。


「私たちは時に苦渋の決断によってまだ人の残る集落などを消す命令を下すかもしれない立場にいるんです。

 魔法による罪悪感がどれほど苦しいかは分かりませんが、本気でその決断をした時に比べれば軽いはずなんですよ。

 そして、こんな決断を下すときと言うのは大概にして切羽詰まってます。

 罪悪感に苦しいからといって、次の判断を疎かに出来ないワケですし。だから自分の中に生じた罪悪感を踏みつけてでも、決断し選択し先へ進むしかありません」


 何より、魔法で植え付けられた偽りの罪悪感はいつか消えるかもしれないけれど、自分が選択した責任と結果による罪悪感は、一生背向き合っていかなければならないかもしれないのだ。


「王妃として、当主として、貴族として、そこから逃げるコトなんて出来ないんです。

 だって、自分自身の望む望まないに関わらず、私たちはそうなる道を選んでしまっているのですから」 


 そう。私はまだ当主になりたくない。

 だけど、お父様には退場してもらい、当主の座を得ようという覚悟を持った。


 その結果、お父様とフーシアが処刑されてしまえば、私の中には罪悪感が芽生えることだろう。

 だけどそれでも、それを受け止めて進まなければならない。

 私は、そうなるのを分かった上で、この道を選んだのだから。


「百人の民の為に、一人の民を見捨てる。

 本心では見捨てたくなくても、それでもそれを選ばなければならない時がある……というコトですよね?」

「はい」

「確かに、その時に抱くだろう罪悪感と比べたら、大したコトはないかもしれませんね」


 ふぅ――と、長く長く息を吐く。

 息を吐き終えたあと、フィンジア様はゆっくりと顔を上げた。


「罪悪感に屈し、美を磨くコトを疎かにする――なるほど、なんと愚かなコトをしていたのでしょうか」


 顔色が変わっている。

 気持ちの持ちよう程度の話だが、それでも効果はあったらしい。


「ありがとうございますイスカ様。目が覚めた気分ですわ」

「役に立てたならなによりです。フィン様はやはり明るい雰囲気の方がお似合いですよ」


 笑い合う私たちを見ながら、サラは嬉しそうな感心したような様子で眺めている。


「お姉様もフィンジア様もすごいな……カッコいい」

「サラもなれると思うけど?」

「そうですね。サラ様もなれると思いますよ。だって、ちゃんと理解しているから、気づけたのでしょう?」


 フィンジア様の言うとおりだ。

 あのやりとりの中で、勉強したことから対策を思い浮かべることができるということは、勉強したことを正しく理解していたということだ。


「ふふ、まだモヤモヤしたものが胸の中にありますが、それでも不思議と晴れ晴れとした気分でもあります。どうやら、気の持ちようで効果がだいぶ左右されるようですわね」

「変な作用は感じませんか?」

「今のところは無さそうですわ」


 それならいい。

 これでフィンジア様も復活と見ていいだろうか。


「さて気持ちが切り替わったところで、二人に聞きたいのだけれど」


 パーティの時の雰囲気と同じ空気をまとって、フィンジア様は少し真面目に訊ねてくる。


「どうかしました?」

「推測するコトはできるけど、改めて二人の口から聞きたいの」

「何をですか?」


 そう訊ねるサラに、フィンジア様は人差し指を立てて言った。


「ズバリ、ライブラリア家に今何が起きているのか……よ」


 その言葉に、サラは私へと視線を向けて、少し悩んだあとで告げた。


「お姉様、説明任せた!」


 完全なる丸投げ宣言である。


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