33冊目 気になる令嬢 と 気にされない公爵
「あまりにも聞くに堪えない言葉を矢継ぎ早に発していたのはお前か?」
うっわ。
ケルシルト様ってば、表情だけでなく声までクッソ冷たい。
一緒にいる騎士さんまでちょっと引くくらいに怖い。
「な、あ……」
デュモスは何か言おうとして、だけどケルシルト様の圧に負けて言葉を発せなようだ。
「お前、文官だな? ならばとっとと仕事に戻れ。それとも彼女を悪し様に扱うコトがお前の仕事か?」
「え、と……」
「余計な仕事をしたいのなら止めはしないが、陛下と宰相がいるこの会議室の扉を開けた状態で、もう一度彼女に向けて悪口を開くか?」
「し、失礼しました……!」
なんとか絞り出すようにデュモスはそれだけ口にすると、足早にこの場から離れていった。
完全に小物ムーブ。
自分より弱いと思った相手にしか強気に出れないタイプか、あれは。
小さい頃から何も変わっちゃいないようだ。
……昔より、こちらを見る目に宿る嫌な炎が濃くなってた気もするけど。
まぁでも、わりといつも通りといえばいつも通りか。
「すまない、イスカ嬢。俺が一人にさせてしまったばっかりに」
「いえ。デュモスのイヤミはいつものコトなので。でも、助けて頂きありがとうございました」
「いつものコト? 顔見知りなのか?」
「一応、人間関係分類上としては恐らく幼馴染みというカテゴリにはきっと入るんだろう相手です」
「ずいぶんと迂遠だな。まぁいけ好かぬ男ではあったが……」
「ビブラテス伯爵のところの末っ子ですよ、彼」
それだけでケルシルト様が察してくれる程度には有名なのだろう。
「……ああ――妙にライブラリアを意識しているあの、インテリ気取りの気むずかし屋ばかりのビブラテスか」
「そのビブラテスです。以前、伯爵がこじらせが酷くなっていると言っていたのが彼です」
「会ってみてどうだった?」
「いつも通りだった感じですね」
「そうか」
ふぅ――とケルシルト様が息を吐くと、その雰囲気がふっと軽くなった。
「待たせてしまって申し訳なかった。図書館まで送らせてもらうよ」
「よろしくお願いします」
なんであれ、ようやく帰れるようだ。
図書館までは大した距離はないけれど、馬車の中でケルシルト様と二人きりというのは少しばかりドキドキするな。
身内以外の男性と一緒にいるっていうのに全然馴れないというか。
行きは慌ただしくて意識する暇はなかったんだけど、今日はエフェもエピスタンもいないじゃないか。完全に二人きりなんだよな……。
気づいたらますます変な感じになってきた。なんだこれ。
一人で勝手にドギマギしていると、ケルシルト様が声を掛けてくる。
「あー……イスカ嬢。その、すまなかった」
「ふぇ!? な、何がです?」
突然謝られて変な声が出てしまった。
何やってるんだ私は……。
「実は退室前に陛下と宰相殿に呼び止められたのは、君に着替えの時間を取らさずに連れてきたコトへの苦言だったんだ。
もともとやっかみの一部に対処する為の会議だったとはいえ、君を着替えもさせずに連れてきたせいで余計な問題が発生したというのを指摘された」
陛下たちに叱られたのがショックだったのか、濡れたワンコのようにしょんぼりとした様子を見せるケルシルト様。
さっきデュモスに見せた冷たい顔とのギャップがすごいな。
……それにしても、そんなショック受けるほどのことかなぁ……などと思ったりするんだけど。
「俺の配慮の無さで君を不快にさせてしまっていたなら申し訳ない」
「いえ。むしろスムーズにあの人たちとケンカできたので、まぁ良かったかな、と」
そもそもちゃんと着飾ってようとも、あの人たちは何かしらの理由をつけて喰ってかかってきただろうから、正直あんまり気にしてないし。
「そう言って貰えるのは助かる。とはいえ女性との付き合いが少ないばっかりに、君に気を回せない自分の愚かしさに嫌気がさしてくるんだ」
「いやさすがにショック受けすぎですって。私も私で社交の経験が少ないせいか、他の女性よりその手のコトに鈍感なんです。
だからむしろ、私相手にどんどん失敗して、周りに叱られて覚えていけばいいじゃないですか」
「…………」
え? いや無言で真っ直ぐ見られても困るんですけど?
「君は本当に……」
途中で言葉を切って「フッ――……」とか意味深に笑われても困るので最後まで言って欲しいんですけど?
色々とツッコミを入れたい思いを抱えていると、馬車が王立図書館へと到着する。王城のすぐ側だから、馬車に乗ってる時間も当然短い。
正直、徒歩でもいいくらいなんだけど、貴族って面倒だ。
「もう着いてしまったか」
「近いですからね」
「改めてすまなかった。君を困らせてしまったようだ」
「いえ。こちらとしては助かりました。ありがとうございます。
図書館と会議室前と、二度も助けてもらいましたし。反密約同盟なんて人たちがここまで過激だったのを知れたのは大きいです」
「我々に危害を加えるような動きをするのはごく少数だけどね」
どちらともなく笑ったところで、ケルシルト様は先に馬車を降りた。
ケルシルト様が馬車の外から差し出してきた手を、今度は躊躇わずちゃんと取る。
「戸惑わなかったね」
「さすがに何度かやりましたので」
からかうようなケルシルト様に、私も笑いながら答えて馬車を降りた。
彼とこういう軽口を叩きあうのはなんとも心地よくて楽しい。
「このまま俺も図書館でサボろうかな」
「エピスタン様が探してますよ、きっと」
「探させておけばいいさ」
拗ねたような調子のケルシルト様。
だけど、その様子はサボりたくてもサボれないからこそ拗ねている姿に見える。
「サボれないのでしょう?」
「……分かるのか?」
「何となくですけど。本当にサボってはダメな仕事はサボらない。良いコトだと思いますよ」
「今の王家は怠惰の一族を働かせすぎなんだよ。全く」
口を尖らせるような感じだけど、本気で嫌がってはいなさそうだ。
この辺りは密約を抱く家同士だからこそ、分かることかもしれない。
密約を果たす。
その行いに、誇りを感じているんだろう。それは私も同じだ。
とはいえ、どうしてケルシルト様は私にこんな良くしてくれるんだろうね。
密約を抱く者同士とはいえ、ちょっと気に掛けてくれすぎじゃない?
んー……聞くべきか聞かざるべきか……。
でもケルシルト様の前で延々悩むのも違うか。
「では、図書館に戻りますね」
「名残惜しいが仕方がない、か。
そういえば、週明けの光の日――フィンと会うのだろう?」
「はい……って、あ! そうだ!
ケルシルト様、フィンジア様への手土産とか、オススメありますか?」
何も持たずに顔を出すのも違う気がするので確認しておきたい。
せっかくのフィンジア様とのお茶会だし、友人であるケルシルト様に手土産は何が喜ばれる――みたいな話を聞きたかったんだよね。
「美容関連のモノがあれば喜ぶとは思うぞ。
いくら魔法の影響を受けているとはいえ、根っこが変わっているワケではないだろうからな。お茶会として考えるなら、美容に良い茶や、お茶請けなどがあると良いんじゃないか」
「なるほど」
それなら、何か美容の足しになりそうなネタや、現物を持っていこうかな。
「ありがとうございます。少し考えてみますね」
……そしてモノのついでだ。
こうやって呼び止めてしまったんだから、聞いてしまおう。
「あの、ケルシルト様?」
「どうした? 急に改まって」
ちょっと態度が硬かったかな?
「その、失礼かもしれないのですけど、聞きたいコトがありまして」
「ああ」
うわ。なんか緊張するな。でも聞いて起きたくはあるんだよな。
「ケルシルト様は、どうしてこんなに私に良くしてくれるんですか?」
純粋な疑問なんだよね。
すごい気に掛けててくれているというか、おぼつかない足取りの私の手を引いてくれているような……そういう感じ。
「正直、図書館ではしたない言葉を吐いてるところも見られちゃいましたし……」
「そこは気にしてないよ。下町馴れしてるなら、そういうコトもあるだろうくらいにしかね」
「そ、そうなんですか……」
「そうなんだよ。それと、君の疑問の答えなんだがな――」
答え辛いのか、ケルシルト様は少し視線を外し、ナナメを上を見る。
思案するように視線をさまよわせ、ややして答えが纏まったようだ。
「――君のコトを気に入っているから……とだけ答えても、君はあまり納得しなさそうだな」
「ええっと、はい。そうですね」
そこはうなずく。
がんばって取り繕っても目つきも態度も口も悪いのを隠せてないからね。
正直、同じ貴族の男性から気に入られる要素っていうのが、あまりないと思うんだ。
ところで、こっちに確認を取ってきてるのに、どうして微妙な表情してるんですか、ケルシルト様?
「まぁ強いて言わせてもらえば、だ。
うちは怠惰な家系なんだよ。一族の誰も彼もがサボりたがる。遊び歩きたいとふざけてまわる。
だけどね――引き受けた仕事や与えられた使命をサボるコトは許さない家系でもあるんだ。やるべきコト、やらねばならぬコトすら放棄する愚かな怠惰を許さない……とも言うかな」
ああ、それは何となく分かる。
口でなんのかんの言いながら、間違いなく仕事はしてるものねケルシルト様は。
「詳細までは分からない。だけど先日のパーティの時に見た君の両親や、君たち姉妹の様子を見れば、分かってくるモノもあるさ」
お父様は、ダメな怠惰の人と認定されたということか。間違ってはないな。
「その上で……一番の、何よりの理由は――だ。
許せないんだよ。君のような、有能な働き者が報われないのは。それを俺個人が許せない。だからつい君を気に掛け、手を貸してしまうんだ」
「…………」
「イスカ嬢?」
思わず固まってしまう。
言われて困ったからじゃない。嬉しかったからだ。
身内以外とあまり会わなかったというのもある。
身内以外とやりとりする機会が少なかったというのもある。
だけどそれでも――きっと私は、身内以外の誰かに、「お前はがんばっている」と「そのがんばりは間違っていない」と、そう言って欲しかったんだ。
ずっとどこかで「自分の立ち回りは無価値なのでは?」とか「ライブラリアの矜持にこだわり続けるのは無意味なのでは?」とか、どうしても考えてしまっていたから。
それを、会って間もないケルシルト様に認めて貰えていると分かっただけでも、値千金の価値があった気がする。
やばい。ちょっと泣きそう。
でもここで涙を流したりするとケルシルト様を困らせちゃうから我慢だ。
何より、嬉しい言葉を貰った時に浮かべるべきは涙じゃなくて笑顔だろうしね。
「すみません。身内以外から褒められたのが久しぶりで……褒めて貰えたんですよね?」
「当たり前だ。今のはちゃんと褒め言葉として受け取ってくれ。俺の本心の一つではあるんだから」
「ありがとうございます。なんかすごい嬉しいです」
お礼と共に笑みを浮かべる。
ちゃんと笑えてるかな? 目が潤んでるのを感づかれたりしない?
嬉しい気持ちだけは伝えたいから、今の私に出来る一番の笑顔のつもりなんだけど。
「…………」
どうして、ケルシルト様は固まってるんですかね?
「あのー……ケルス様?」
「ああ。すまない」
呼びかけると、ケルシルト様は動き出す。
少しだけ顔が赤いのは気のせいかな?
「まぁ、なんだ。君の疑念は晴れたかな?」
「はい。晴れ晴れと」
実際、不思議だった理由が判明しただけだ。
気分が晴れ晴れとしているのは別の理由。けれど、それを口にする気は無い。
「それと、すみません。長々と引き留めてしまって」
「いや。君とお喋りする分には何の問題もないよ」
「その言葉、エピスタン様のマネですか?」
「……そんなつもりはなかったんだが、そう聞こえたか?」
あら。なんかすごい不服そうな顔になってしまった。
「素直な気持ちのつもりだったんだが……」
何やら言っているけれど、いつまでもケルシルト様のところの御者さんを待たせるのも違うし、お開きにしないとね。
「改めましてケルシルト様、本日は本当にありがとうございました」
私はペコリと頭を下げる。
何やら本気で名残惜しそうな、仕方がなさそうな顔をされる。
……そんなに仕事サボりたいのかな?
「ああ。君もな。司書仕事もそうだが、家に関して色々あるんだろう」
「そうですね。もうひと踏ん張りがんばります」
「そうか。ではな」
「はい。ケルシルト様もお仕事がんばってください」
笑ってケルシルト様は馬車に戻ると、図書館の前を去って行く。
その馬車を見送ってから、私は図書館へと戻るのだった。
その背後で――
「旦那様、変な顔してますけど、どうなさったんですか?」
「今まで見てきた笑顔のどれとも違う素敵な顔を見れた……平静を保つのがこれほど難しいとは思わなかったぞ。やっぱり彼女の笑顔は素敵だな」
「そうですか。馬車、出したいんで早く乗って貰えます?」
「うちの部下や使用人、みんな俺の扱いぞんざい過ぎない?」
――そんなやりとりがあったようだけれど、私の耳には届いてはいなかった。




