侍女キャリスタ
それから数日後、マージェリーの執務室を訪れたのはイシュメルだった。
「王太女殿下。リリローズ港への視察団の団長に任命されましたので、ご挨拶に伺いました」
「ご苦労さま」と書類仕事の手を止めて、イシュメルを見たマージェリーは、疑問に思った。
「そんなにげんなりして、なにか問題でも?」
「いえ何も。いたって平穏です」
実はここへ来る途中、人目もはばからずにソニアといちゃついている兄を見かけて、げんなりしたのだが、顔には出していないつもりだった。
イシュメルは表情が乏しく、「なにを考えているのか分からない」と人によく言われる。いつも怒っているようだとも言われる。
そんな自分を一瞬にして「げんなりしている」と見抜いたマージェリーに、イシュメルは信頼を寄せている。口にはしないが。
「ならいいけど」とマージェリーはさほど気にとめず、打ち合わせを始めた。
以前はこの位置にはランドールがいたが、マージェリーと関わりが深いものは、兄から弟へと引き継ぎが進んだ。
「お姉さまとなるべく二人きりにならないで」というソニアの言葉をランドールが聞き入れたのは、これ以上、姉妹仲が悪くならないようにという配慮だった。
打ち合わせが終わり、一息入れようと、王城のガーデンカフェへ向かうマージェリーとイシュメルを、部屋の窓から見ている女がいた。
「どうかされましたか?」
お付きの侍女が声をかけた。
「お姉さまとイシュメル、最近よく一緒にいるわね」
「お仕事でしょう。ランドール様じゃなくて良いじゃありませんか」
ソニアの不機嫌を察知した侍女は、それに乗っかって嫌そうに鼻を鳴らした。
「イシュメル様って、とり澄ましてツンツンしてて、マージェリー姫の男性版みたいですよね。お似合いの二人ですよ」
ソニア付きの侍女は、ソニアの希望で採用した田舎男爵の末娘だ。
城へ来る前、ソニアは王都から遠く離れた地方都市で暮らしていた。
亡くなる間際の母親が、隠していた素性と事情をソニアに明かし、知り合いの男爵を頼るよう遺言をのこした。
事情を聞いた田舎男爵は、ソニアの話に半信半疑だったが、力を貸してくれた。
田舎男爵といえど貴族の端くれだ。
男爵の力添えがあったからこそ、ソニアは王都へ来ることができ、国王との謁見も叶ったのだ。
そのことに感謝し、ソニアは城へ男爵令嬢のキャリスタを呼び寄せた。
王都へ出てきて城に住むことは、キャリスタの憧れだったからだ。
下位貴族の令息令嬢にとって、城勤めや王族の従者は優良な仕事だ。
城で良い働きをしていれば、格上の貴族に見初められ、主人の紹介を得て、玉の輿に乗ることも夢見れる。
「そんなことないわ」
やけに力のこもった否定が、ソニアの口から発せられた。
「イシュメルとお似合いなのは、お姉さまじゃないわ。キャリスタのほうがずっとお似合いよ。ソニア、知っているのよ。異性を必要以上に悪く言うときって、意識してる証拠よ。キャリスタ、イシュメルとすれ違うとき、必ず目で追っているもの。イシュメルが好きなんでしょ」
「いっ、いいえ違いますっ。イシュメル様をつい見てしまうのは、綺麗だからですけど。でもやっぱり取っつきにくい方だし、公爵家のご令息ですよ。私なんか、相手にされるわけありません」
「そうかしらぁ?」とソニアは言い、蛇のような目でキャリスタを舐めるように見た。
ソニアの翡翠色の目は虹彩の部分がやや小さく、三白眼気味だ。
可愛らしい表情を作っているときにはそれが色っぽく見えるが、いまは怖く見えた。
「お姉さまに比べたら、ずっと見込みはあるわよ。イシュメルがいくら擦り寄っても、お姉さまには決められたお相手がいるもの。無駄よ。あはっ、勇者さまのお供え姫。滑稽よねえ」
「しかし先日、ラバトア国の王太子から縁談の話があったとか」
ソニアから聞いた話だ。
「大丈夫でしょうか。ラバトアといったら、大国。そこの王子が婿に来れば、大きな顔をするに違いありません」
「大丈夫よ、言ったでしょ。お父さまがビシッと断ったって」
「ではもし、勇者様が帰ってきたら……国の王様となり、マージェリー姫と結婚するんですよね。でしたら、マージェリー姫と敵対なさるのは得策ではありません」
「あら、キャリスタ。ソニアに意見するの? 誰のおかげでここにいられて?」
「もちろんソニア様のおかげです。私はソニア様を心配して」
「心配いらないわ。ソニアはどんなときも上手く立ち回れる。そうやって生きてきたの。万一勇者が戻ってきても……いいえ、戻ってこさせないわ」
そうだ、帰ってこようとする勇者がいれば、殺してしまえばいい。
自らの大胆な思いつきに、ソニアは武者震いした。なんて素敵なアイディア!
そうすればマージェリーは本当に『永遠に』勇者のお供え姫だ。
帰らぬ勇者を待ち続けて老いぼれていく姉を横目に、自分は素敵な旦那様と可愛い王太子に囲まれて過ごす。なんて素敵な未来!
ソニアはにっと笑った。
「ねえキャリスタ、素晴らしい未来のために、あなたも協力してくれるわよね? 上手くいけば、あなたにはイシュメルをあげるわ。私が全力でお膳立てしてあげる」
駄目押しのように、さらに続ける。
「これはイシュメルのためでもあるの。あの人きっとお姉さまのことが好きよ。でも分かるわよね? お姉さまのことをいくら想ったって、時間の無駄。報われない。かわいそう。だからあなたが救ってあげなくちゃ」