大国の王太子
「行きましょう。ランドールに任せておけば大丈夫です」
イシュメルが低く囁いた。
「ええ」
イシュメルの腕に軽く手を添えたマージェリーは、美しいエスコートを伴う形で大広間へ向かった。
ソニアが現れるまで、イシュメルのポジションにはランドールがいた。
社交家でどんな相手とも調子を合わせるランドールと違い、イシュメルは無口で人を選ぶ。
余計なことは喋らず、じっと目を見て話を聞き、ズバッと核心を突いたことを問う。その鋭さと美貌、公爵令息という身分から、貴族の間では『氷の貴公子』と呼ばれている。
マージェリーと同い年のため、二人は何かと比較されて育った。マージェリーが何においても負けず嫌いで努力できたのは、イシュメルのおかげでもある。
大広間では国王陛下と共に、ラバトア国の王太子を出迎えた。
ギリギリの時間にやってきたソニア姫とランドールはマージェリーの目に余ったが、小言は控えた。
ラバトア国の王太子は、銀髪に灰色の瞳。愛嬌のある童顔と筋肉隆々の大きな身体がアンバランスで、不思議な魅力のある人物だった。
妻子がいておかしくない年齢だが、魔族との戦いに率先して明け暮れていたため、無縁だったと語った。
「でも勇者様のおかげで、こうしてまた貴国と貿易できるようになりまして」
ラバトア国の王太子、グリフィンはワインを次から次に飲んで、上機嫌に言った。
「感謝のしようがありません。魔王討伐からもうじき四年、勇者様からは便りの一通もないのですか?」
「そうですね、何かありましたらお伝えします」
国王が言葉少なに答えた。
「それはもったいない」
「何がでしょうか」
「マージェリー王太女殿下ですよ。勇者様には世界中の人々が感謝しています。ですが、だからといって美しい姫君が、永遠に待ち続ける姿を、我々は黙って見ておれませんよ」
何度も耳にした意見だ。国王がいつものように答えようとしたとき、
「うちの弟を婿にやりましょうか」
グリフィン王太子が衝撃発言をした。皆が目を丸くしている隙に、次々と言葉を紡いだ。
「遠慮には及びません。私は国を継がなくてはなりませんが、そうでない弟は余るほどいるのです。レインウォーター王家には、王子が七人います。一人くらい、そちらのお眼鏡にかなう者もいるでしょう。どうぞもらってください」
「いや、そういうわけには。レインウォーター家の王子方がどうあれ、勇者との約束が」
国王は慌てた。
「世界を救った勇者との約束を、反故にすることはできません。ご心配はありがたいが」
「いやあ、あっ晴れ。さすが勇者と契りを交わした王様だ。陛下のお考えに、私も賛同します。勇者様が戻れば、我が弟は突き返してくださってかまいません。勇者様が戻るまでの夫、ということで。最初からそのように約束しておきましょう」
グリフィンは猫のような灰色の目をキラリと光らせ、国王の脇に控えるマージェリー姫を横目で見た。
「とんでもない。ラバトアの王子にそのような仕打ちができる者がいるとお思いですか? 冗談でも恐れ多い。この話はここまでにさせてください。本日の本題、貿易の話へ移りましょう」
「分かりました。もし気が変わられたら、いつでもおっしゃってください。何しろうちには、七人もの未婚王子がいますからね。よりどりみどりだ」
少し酔っ払っているらしく、グリフィンは歌うように言って楽しそうに笑った。
序盤からこの調子で、この先の真面目な話がまともにできるのか、マージェリーは一抹の不安を覚えた。
しかし心配は無用だった。陽気な冗談を交えながらも、グリフィンは側近と資料を使って、あらゆる説明を見事にこなした。
海を挟んだ向こうの大陸にあるラバトアは国土が広く、貴重な鉱物資源の産出国だ。
豊かな大国だが、それゆえ魔王軍に早くから目をつけられて、鉱山の実効支配をめぐって激しい戦いを繰り広げてきた。
勇者が魔王を倒したとき、ラバトア鉱山を占拠していた強い魔族たちも姿を消した。残った魔物を一掃し、鉱山を取り戻したものの、何もかも元通り、とはまだいかない。
「ですので、法外な高値と思われるかもしれませんが、我が国もこれで精一杯なのです」
国王は渋い顔で資料を眺めて、頷いた。