勇者の帰還
「あらレズリー、それなあに?」
城の廊下でバッタリ出くわした従弟に、マージェリー姫が尋ねた。
「あっ、殿下。これはシーグのおもちゃです。ラン兄、ランドールに教えてもらって、私が作りました」
兄たちに甘やかされているレズリーだが、国王陛下や姫殿下に不敬がないよう、口を酸っぱくして言われているので、慌てて姿勢を正して答えた。
マージェリー姫の凛とした美しさが、緊張に拍車をかける。
「釣り竿のようね」
「そ、そうです。これでシーグを釣ります」
レズリーが手にしているおもちゃは、小枝の先に糸を垂らして、羊毛の毛糸でつくったポンポンをぶら下げたものだ。
毛糸はカラフルに染料で染められている。
「でもシーグが見当たらなくて……」
「あら、そういえば今日は全然見てないわね。いつものソファーにもいなかったし」
立ち話している二人のもとへ、国王の側近の一人が急いだ様子でやってきた。
「マージェリー様、レズリー様。お二人共、王の間へおいでください。国王陛下がお呼びです」
何事かと顔を見合わせたあと、二人はすぐに王の間へ向かった。
王の間の扉前には近衛兵が立っていた。
マージェリーとレズリーが来ると、さっと道を開けて、中へ通した。
中に集まっていたのは、王族の面々とその側近、ご意見番の長老たちだった。
国王が一同を見渡して、なんの前置きもなく言った。
「勇者を名乗る男が私を訪ねてきた」
どよっとどよめきが起きた。
「なんと、本物か?」
「今度こそ黒髪じゃろうな?」
「おおっ、ようやく」
「ああ、神よ」
「信じられん」
「早く『照合』を」
静粛に、と国王の側近が声を張り上げた。
「明日の午前十時に、大広間で『照合』を行う。ここにいる全員、立ち合うように。他の者の立ち合いは許可せぬ」
そう国王が言い渡し、この場はお開きになった。
それを聞いていたソニアは、発狂しそうだった。
なんてことなの、キャリスタ!
『勇者っぽい冒険者』が王都を目指してやって来ていると報告を受けたのは、二日前。
そいつが城へ辿り着く前に殺せと言ったのに。戻って来ないキャリスタに不安を募らせていたら、このざまだ。
暗殺に失敗したのだ。そのことが報告しづらくて、姿をくらませたのだろう。なんて使えない侍女なの!
その上、無断でいなくなるなんて!
暗殺を免れて城まで来たということは、それなりに腕が立つ者だろう。見張り小屋の小隊長もそう言っていたようだ。
まさか本物の勇者……?
キャリスタから聞いた情報では、確か「地味で平凡そう」、「でも黒髪でした」。若そうに見えたとも言っていた。
じゃあやっぱり偽者だ。でももし本物の勇者だったら?
ソニアは悶々とし、苛立った。ランドールと二人きりになるや否や、不安をぶちまけた。
「ねえランドール、現れた勇者って、本当に本物かしら? 十年も経って現れるって変よ、おかしいわ。どんな人間性かも分からないのに、いきなり国王の座につくの? そんなのむちゃくちゃよ、ひどいわ。こわい」
ぎゅっとしがみついて涙声で訴える姫君に、ランドールは少し面食らった。
国王陛下が勇者と十年前に交わした約束が無茶苦茶なことは、誰もが分かっていると思っていた。
しかし頭で分かっていても、実際に身に迫ってみて湧き上がる感情は別物であることも、ランドールは理解できた。
優しく、ソニアに言い聞かせた。
「大丈夫です。十年間で備えたものが、私たちにはあります。勇者が政治に無頓着な人間であろうと、困らない体制が整っています。勇者はお飾りの王、ただ優雅に暮らしてもらえれば良いのですから」
それを聞いてソニアは失望した。
ランドールは何も分かっていない。ソニアが心配しているのは、そんなことではないのに。
勇者が馬鹿みたいに偉そうなやつだったら?
そしてマージェリーを気に入って、ランドールがソニアを溺愛する以上に、マージェリーを溺愛してしまったら?
新しい国王として偉そうに振る舞って、マージェリーを妻にして、マージェリーの言うことを何でも聞いてしまうかもしれない。
マージェリーはソニアのことを嫌っているから、勇者を使って、ものすごく意地悪なことをしてくるかもしれない。
『勇者さまのお供え姫』だと馬鹿にしたことをきっと根に持っている。その仕返しとばかりに。
許せない。そんなことは我慢ならない。卑怯だ。悔しい。ただ待っていただけのくせに。