殺し屋
息苦しさに目を覚ましたキャリスタは、まず体の上に乗っかっている重いものが人間だと気づいて、ギョッとした。
しかも目の前にあるのは、男の胸板だ。裸体だ。寝ているらしく、ぐったりと全体重をキャリスタに預けている。
ひっ、気持ち悪い。どうして裸の男が自分の上で寝ているのか。嫌だ、ウソでしょ。どうやら自分も半裸らしい。
キャリスタは力いっぱい両手で男の胸板を押し返し、組み敷かれていた体勢から抜け出た。
押されてごろっと寝返りを打った男が、なぜか真っ赤だったことに、キャリスタは目を剥いた。
驚きのあまり悲鳴も出ず、心臓が止まりそうだった。
血まみれの死体だ。首なしの。あるはずの頭がそこになく、真っ赤な血溜まりを作って、顔を歪ませて床に転がっている。
「ひっ、ヒイィィィ」
なんでなんでどうして、訳が分からない。この死体は何者だ。あの偽勇者、ではない。髪色が違う、顔も違う、体格も。両腕がある。頭はスッパリ切り離されている。
ああこの顔、どこかで見覚えがある。殺し屋だ。雇った殺し屋。あの偽物勇者を眠らせて、この家に引き入れる予定だった。
息を殺して裏庭で待機していたはずの。
「いやっ、違う、私じゃない。しっ、死んでるなんて、知らない。私は何も知らない、関係ないっ」
キャリスタは半狂乱で、肩から引っ掛けていただけの前開きのローブを脱ぎ捨てると、洗い場へ行き、執拗に水浴びをした。
気づけばあちこちに血を浴びていたのだ。それを綺麗に洗い流さなくてはいけない。
幸い、死体の後始末に使うためにと、この空き家には大量の水が入った水がめが運びこまれていた。
全身ビショビショに濡れたまま、ローブを羽織り直すと、キャリスタは空き家を飛び出て、一目散に走った。
城下町まで無我夢中で走り、馬車をつかまえて王都を出た。これまた幸いなことに、王族の使いの証を持っているおかげで、馬車は優先的に無料で乗ることができ、検問所もすぐに通れた。
とにかく遠くへ、遠くへ逃げなくては。キャリスタははるか遠くの実家を目指した。他に行くあてはない。
王都から離れるにつれ、徐々に冷静さを取り戻し、ようやく少し落ち着いて考えることができた。
どうして自分は眠ってしまったのか。
あの偽勇者がへべれけに酔って、こてりと食卓の上に突っ伏すところまで見届けたはずだ。
記憶を思い起こそうとすると頭がズキリと痛んだ。全速力で走ったせいか、体も重くてだるい。あちこちの関節が痛む。
ああそうだ、偽勇者が寝たのを見届けて、外で待機している殺し屋を呼びに行こうと椅子を立ったとき、ぐらりと目まいがしたのだ。
視界が歪み、足がもつれて転びそうになり、慌てて受け身を取った――そこで記憶はプツリと途切れている。
考えられるのは、睡眠薬を混入したお酒を間違って飲んでしまった可能性だ。
いや、そんなはずはない。偽勇者はしつこく「おねえしゃんもいっぱい」と絡んできたが、キャリスタは絶対に飲まなかった。あまりにしつこいので、お酒ではなく別のワインを口にした。
ワイン………まさか、あれに薬が盛られていたというのか。
ワインの苦味のようなものが、キャリスタの胸中に広がった。してやられた、悔しいという気持ちは湧いてこなかった。
湧き上がるのは、ただの恐怖だった。
あれほど残酷に人を殺せる人間が、まるで乙女のようにピンク色に頬を染めていたのだ。
虫も殺せないような顔をしていたのに。
それにあの男は、確実に睡眠薬入りのお酒を飲んで、かなり酔っ払っていた。なのにどうやって。もしかしてあの偽勇者ではなく、別の人間が来て、殺ったのかもしれない。
分からないが、真相はどうでもいい。もう二度と関わりたくないと、キャリスタは思った。
殺し屋は死んで自分は助かった。命が助かっただけ良かったのだと、キャリスタは馬車の中で何度も自身に言い聞かせた。