シーグフリード
マージェリーの目の前で山猫を焼き殺そうとした罰で、イシュメルは三日間の自室謹慎を言い渡された。用を足すとき以外、部屋を出ることができない。
「騒ぎを聞いて驚いたよ」
こっそり様子を見に来たのは、兄のランドールだった。
「白黒つけるために仕方なかったんです。これでハッキリしました。あの猫は、ただの愚鈍な猫だ」
本気で身の危険を感じれば、引っ掻くなり噛みつくなりして逃げるだろうと思ったが、山猫は違った。
だらんと全体重をイシュメルに預けたまま、発火寸前の危機にも動じなかった。イシュメルは慌てて魔法を止めたが、山猫は一瞬炎に包まれてしまった。
それは一秒にも満たないことだったが、目の前で猫が火だるまになる姿を見たマージェリー姫のショックは相当と思われた。
愚鈍な山猫は、全身の毛がチリチリになるという悲劇に見舞われたが、マージェリーが治癒の魔法を使い、すぐに元通りになった。
山猫は自分の身の上になにが起こったのかも理解していない様子で、のほほんとしている。
火だるまにされてもじっとしていた大人しい猫として信頼を得て、檻の外を出て自由に闊歩する権利を獲得したのだ。
代わりにイシュメルが自室に軟禁される羽目となった。
「イシュは大人しい顔をして、ときどき過激なことをやらかすよなあ。平和な世の中になって、忘れてたよ」
ランドールが言った。
「そんなお前だから、安心して後を任せられるよ。あの山猫が万一、変身した人間の男だったら、マージェリー姫が危険だものな」
イシュメルは、黙って兄の言葉を聞いている。
「もうじき私はキケーロへ旅立つ。マージェリー姫をくれぐれもよろしく頼む」
「はい」
嫁ごと当分帰って来なければいいのにと、イシュメルは思った。
「……マージェリー姫にはもう伝えたのですか。キケーロ行きのことを」
「ああ。この前、リリローズ港からの帰りに」
それでか。どうりで最近、マージェリー姫の元気がなかったはずだと腑に落ちた。
「ソニア姫には?」
「言ったよ」
「行きたくないと、ごねられたのでは?」
「ああ、かなり。でもまあ、どうにかこうにか言いくるめて、いまは早く移りたがっている。城の末姫でいるよりも、領主夫人になったほうが自由で、権力があると教えたからね」
そのやり取りが目に浮かぶようで、イシュメルはげんなりした。
「そんなことを言って、どうするつもりですか。まさか本当に、自由になる権力を与えるのです?」
「その辺りのさじ加減は上手くするよ」
要領のいい兄を信じるしかない。イシュメルがどうにかできる話でもなかった。
「分かりました。でも、もし私の力が助けになることがあれば、頼ってください。必要なら、どこにでも駆けつけます」
「イシュメル……いい弟を持って、私は幸せだな」
「レズリーも」
「もちろんレズリーも。あの山猫の世話係を張り切っているそうだな。名付けもレズリーがしたんだってな。なんて言ったっけ」
「シーグフリード。シーグと呼んでいます」
その頃、シーグフリードはのっしのっしと城内を闊歩していた。
世話係のレズリーは、暇さえあればシーグフリードを追いかけ回していたが、いまは家庭教師による勉強の時間で、学習室に拘束されている。
シーグフリードのお気に入りの場所は、マージェリー姫の執務室近くにある、お茶室のソファーの上だ。
「あ、シーグ。またここにいたのね」
仕事にひと休憩入れようとお茶室を訪れたマージェリーは、シーグフリードを見て目を輝かせた。
まるで王様のようにどっしりと鎮座しているシーグフリードの隣に腰かけた。
「ごきげんよう。今日も立派ね。ピンピンしたおヒゲも、太い前足も、もふもふまあるいシルエットも。なんて可愛いのかしら。いい子ね」
話しかけながら背を撫ぜると、シーグは満足そうに目を細めた。それがまたすこぶる可愛い。
「ああ、もっふもふ。一生撫でていたいわ。仕事に戻る気を失ってしまうわ。なんて罪深い子なの」
マージェリーはすっかりシーグの虜になっていた。
火だるまになったシーグを治癒魔法で助けたときに母性本能が働き、シーグのほうも世話をしてくれるレズリーよりもマージェリーに甘えてくる。
「あの王太子にそっくりだなんて思って、ごめんなさいね。今は全然そう思わないの。シーグのほうが、よっぽど可愛いわ」
もふっと抱きしめるマージェリーに、山猫はミャァーと鳴いた。